第四話:魔導教授は導く
レオニール伯爵の研究所に来て、すでに六年たち、十一歳になっていた。
ここは思った通りすごい。
レオニール伯爵は天才であり、その天才が本気で強い子供を作ろうとその知識を最大限に発揮したのだから当然だ。
六年もいればいろいろと見えてくるのだが、ここの卒業生たちはみんな優秀で、だからこそレオニール伯爵の蛮行が許されている。
彼はすべての子供を潰しているわけじゃない。上に言われている最低限のノルマ分は生き残らせて出荷しているのだ。
「兄さん、起きてください」
親愛の籠もった声が響き、柔らかくて温かい手が俺を揺さぶる。声も手も心地よくて、ずっとこうしていたい誘惑にかられるがなんとか体を起こす。
「ファル、おはよう」
「寝坊なんて珍しいですね」
「昨日、遅くまで研究していたせいだ。ちょっと熱が入りすぎた」
俺を兄さんと呼んでいるのは、同じ日にここへやってきたファルだ。
ファルに手を差し伸べたあの日から、ずっと一緒に過ごしてきた。
あれからもイジメはあり、俺が鍛えたファルと一緒に、少々てひどい報復をしてからは、徹底的に避けられるようになった。
おかげでファルはべったりと俺に依存し、四年前、お兄ちゃんになってくれと真っ赤な顔でお願いされた。
……そのとき、姉さんの言葉を思いだした。『私のことはお姉さんだと思ってね。ユウマちゃん』。
その言葉にどれだけ俺は救われたか。
だから、断らなかった。それに、俺はファルが可愛くて仕方ない。
彼女の兄になってからというもの、それまで以上にファルは俺にまとわり付いている。
「にしても、ファルは綺麗になったな。これだけの美少女になるとは」
「なっ、なっ、いきなり何を言うんですか!?」
あっ、照れてる。出会った頃からファルは可愛かったが、成長するにつれて可愛いだけじゃなく綺麗になってきた。
今じゃ、かつてファルをいじめていた連中すら、横目でファルを追っている。
「もう、朝からからかわないでください。それより、早く起きてください。兄さんはこれから検査ですよね」
「ああ、そうだな」
「最近の検査、ちょっと変なのが多いです……いよいよ、あれなんですよね?」
あれというのは魔物の血との適合実験。
ここにいれば、それを施された子供たちを日常的に目にする。
子供たちも、初めの一、二年は怯えていたが、今ではそれが当たり前になって慣れた。
「ああ、そうだな。検査とは言っているが、実際は適応力を上げるための投与だ。そろそろ、薄い魔物の血を注入し始めるだろう」
「……怖いです。私、魔物の血なんて、嫌です」
ファルの肩が震えている。
そんな彼女を抱き寄せてやる。
「ファルへの投薬が始まるまえに俺がここから連れ出してやる。ファルは強くなった、もう大人の力なしで生きていけるさ」
長く住んでいる間に、この施設のことは知り尽くした。
彼女一人を逃がすぐらい容易い。
そのための準備もしている。
ファルに優しくし始めたのは、彼女の強大な魔力を利用するためだった。
だけど、兄と慕ってくれるこの子に情がわいている。
それぐらいの手間はかけるし、リスクも負う。
「兄さんは一緒に逃げないんですか?」
「ああ、俺は力がほしい。だから、実験を受ける。安心しろ、俺は死なない」
少しずつ、レオニール伯爵の研究を誘導している。
そして、俺は彼のお気に入りになっていた。彼の書斎や研究資料の閲覧許可も得て、最大の理解者となっている。ここに六年もいたのは、その六年を使ってもいいと思うほど充実した時間が過ごせるからだった。着実に世界を渡る魔術に近づいている。
姉さんと再会するための最短経路がここだ。
ファルがなにか言いたげに俺の顔をじっと見て、珍しくきりっとした顔をつくる。
「なら、私もここに残ります。実験より、兄さんと離れ離れのほうが怖いです」
「そっか」
苦笑する。ファルは意外にがんこだ。止めても聞かないだろう。
ここに残るのは怖いだろうに、俺と一緒にいることを選んでくれたことがうれしい。
とはいえ、なんとかしないとまずいな。
レオニール伯爵の研究が前進しているとは言っても完成にはまだ遠く危険だ。
何より、彼女がこの実験に耐えられない理由がある。
このままここに留まれば、二年以内に彼女は死ぬだろう。
「わがままを言ってごめんなさい。それと、その、食堂の使用許可をもらえたんです。ケーキを焼きますね。戻ってきたら一緒に食べてください!」
「楽しみだ。ファルのケーキは美味しいからな」
個人的な理由で施設を使う権利は成績上位者への褒美だ。
その褒美を俺のために使ってくれるのはファルなりの気遣いで、優しさ。
ファルと一緒にいると温かい気持ちになる。
こんないい子が死ぬのはだめだ。
姉さんが俺を守ってくれたように、今度は俺がファルを守るのだ。
◇
午後の実験が始まる。
レオニール伯爵自身が調合した薬を注射してくる。
打ち込まれるまえに解析魔術により成分を把握できていた。
これはそのまま打ち込まれても問題ない。今回は魔術で変質させる必要はないだろう。
投薬して三十分ほどしてから問診が始まる。
三十ほど、向こうが用意した質問に答えていく。ただありのままを答えているわけじゃない、研究の改善に必要なデータを作る。
レオニール伯爵が、ちょっと拗ねた顔をした。
「前から言おうと思っていたんだけどね。ユウマくんってさ、僕を馬鹿だと思ってない?」
「なんのことだ」
「僕の研究を誘導してるでしょ。何気ない雑談で、こういう実験後の問診で、まったく関係ない研究に見せかけたレポートで。最近魔術使って体の反応とかまで弄っているよね。ここまで露骨にされるといい加減気付いちゃうよ」
しまったな。誘導していることに気付かれないよう注意していたつもりだったが、最近はファルのことが気がかりで急ぎすぎた。
レオニール伯爵の目にあるのは疑惑ではなく、確信。ごまかしは利かない。
「……ああ、認めよう。あんたの研究はこのままじゃ頓挫する。それに巻き込まれて死ぬのはごめんだからな」
「いつからだい?」
「五年前から」
「はははっ、これは傑作だね。それについ最近まで気付かないなんて。これじゃ馬鹿にされても仕方ないね。うん」
まずいな、こういう男は極めて自尊心が強く、何をされるかわからない。
「俺を殺すのか」
「そんなことするわけないでしょ。君のおかげで研究が進んだんだから。悔しいけどね、君が作った嘘で舵取りした結果、僕の研究は飛躍している。感謝しているぐらいだよぅ」
研究者というのはプライドが高く、他人の助けを受け入れられる者は少ないのに彼は違うらしい。プライドを持っているが、それに目を曇らせることはない。
「感謝か、お礼でもしてくれるのか」
「お礼、お礼ねぇ。ある意味、そうだね。僕から提案があるんだ。一緒に研究をしよう、君だってこんな回りくどいことしたくないでしょ。効率が悪いし。言いたいことは全部口で言ってよ。君に見えている景色を僕は知りたい」
俺は今まで、新たな力を得るために全力で思考を巡らせてきた。
彼の研究資料で閲覧を許可されているものはすべて読んだ。許可されていないものも忍び込んで読み込んだ。
その上で、もとよりもっていた知識で分析して結論を出した。
それを口頭で告げていく。
あまりにも膨大かつ、密度の高い情報。
一時間以上話しっぱなしだ。
こんなもの、分厚い論文を作り、参考資料を積み上げて、時間をかけて読み込まねば秀才でも理解できまい。そもそも、前提知識が彼にはないはずだ。
しかし、レオニール伯爵の目には理解の光がある。
やはり天才。それも超がつくほどの。
「……なるほど、なるほどぉ、なるほどぉ! 僕はいくつも大事なことを見落としていた。たしかに、たしかに、たしかに! できる、理解できる。でも、全部納得したわけじゃないよ。たとえば、君が言った魔力変質方式の変更案だけど、どうせ変更するなら」
彼は斬新な新案を話す。
それは俺が開示した前世の方式を、こちらの技術でさらに改良したもの。
この一瞬で新方式を編みだすなんて、レオニール伯爵の底が知れない。
「たしかに、そちらのほうがいい」
「これで終わりじゃないよ。結合時の変質反応への無意識下防衛本能をごまかす部分だけど、フォルランド理論を逆用したほうがいいはずだよ」
「それ、ありなのか……いや、できる、できるはずだ」
「ふう、これで二本取ったね。まあ、僕は何本も取られているわけだけど」
彼はそう言うが、それは俺が優れているわけではない。
あくまで俺は彼の理論を、前世で知っていた知識で検証・精査しただけに過ぎない。
初めから俺の頭には、彼の知りえない無数の知識があっただけのこと。
それに対して、彼は一から、この世界の知識だけでこれだけの理論構築をしてきた。そして、新たな知識を得れば即座に応用する。研究者としては、彼のほうが優れている。
この後も、意見をぶつけ合う。
「楽しいなぁ! うんうんうん、ああ、もっと早く君がそこまで育っていると気付けば、もっと先へ行けてたのに。君さ、これからも僕と議論しよう、意見をぶつけ合って先へ行こう。僕が一番欲しかったのは、そういう相手なんだよ。僕は天才すぎて孤独だった。一人だと視界の外は見えない。高みに至るには他人が必要なんだ。僕の見えない景色を教えてくれる人が! 君がいれば、僕は一人じゃなくなる」
彼は周りの人間すべてが馬鹿に見えていただろう。
だれも彼についていけない。その孤独を同類である俺は理解できる。
だが、このエサに食いつくわけにはいかない。妹を守るための手を打とう。
「条件がある……妹に、ファルに実験をするな」
「それはおかしくないかな? 君はこの研究を完成させる腹積もりなんだろう? なら、いいじゃないか。ファルくんだって、強くなりたいだろう。あれで、あの子けっこうこじらせて強さに飢えてるよ」
……よく見ている。ファルは貪欲に強さを求めている。授業や訓練の際、ひどく真剣だ。
そして、俺がやる補習でも着実に力をつけていた。
「根本的な見落としがある。この研究は、魔物の血と人間の適合実験じゃない。研究所にストックされている人狼種と人間の適合実験だ。そして、ファルと人狼の血の相性は致命的に悪い。いいか、魔物なんて大きくくくっちゃ駄目なんだ。人間ごと、魔物ごとに適性がある。研究を完成させたところで、使える者と使えない者がいる」
レオニール伯爵は目を丸くして、それからぶつぶつと呟き始めた。彼はきっと今までの経験から、俺の言葉を検証している。
「僕は愚かだ。こんな、あたりまえの、人間という種の中ですら個人差があるのに、魔物の血なんておおざっぱにくくっていたなんて恥ずかしい。死にたいぐらいだよ」
「わかってくれて何よりだ」
「ファルくんにやるなら、もっと別の血か。わくわくするねぇ」
……一応、前進していたのか? 百パーセント死ぬ実験は消えたわけだし。
「うん、わかったよ。この実験は彼女にしない。その条件を呑もう。その代わり、僕からも条件を提示させてもらう」
「呑むかは内容次第だ」
「君、僕の息子になってくれよ。君は今日から、ユウマ・レオニールだ」
「理由を聞いても?」
「僕はね、女性に興奮できない。勃たないんだ。つまり子供ができない。僕の代でレオニール伯爵家は終わりだ。血が残せないことはどうでもいい。僕の研究成果が消えるのは許せない。ずっと、研究を継いでくれる養子を探していた。この仕事を受けたのはそのためでもあるんだよね。僕に匹敵する天才がいないなら、天才を作っちゃおうと思って……でも、駄目だった。天才である僕も僕に匹敵する天才を作れなかった。僕以外、僕の研究を理解できるやつはいなかった。君以外!」
彼らしい理由だ。そして、俺にとっても伯爵の養子になることのメリットは大きい。その権力が世界を渡る魔術の開発に必要だ。
「受けよう。共同研究も、養子も」
「あははは、僕は最高の息子を手に入れたよ。よろしくね」
固く握手をする。
こんな場所で、妹だけでなく父親まで見つかってしまうとは。
だが、おかげで強力な魔力と権力を手に入れられる目算がたった。
少しずつだが、確実に世界を渡り、姉に会う方向へ進んでいく。
まずは確実に実験を成功させて、強い魔力を得る。
そして、その後は伯爵家の権限をフル活用し、本格的に世界渡りのすべを探すのだ。