プロローグ:破壊天使と魔導教授
コタツで温まりながら、姉さんと二人でドラマを見ている。
姉さんは休日モードの格好でノーメイク、なのにその美貌が損なわれることはない。
「ユウマちゃん、勉強熱心なのはいいけど、休日ぐらいゆっくりしよ。ドラマ面白いよ」
「ちゃんと見ているさ」
「うそ、魔導書なんて広げて」
たしかに俺は魔導書を広げて写本作業を行っている。
つい先日、地の底に沈められた大英博物館が発見され、貴重な品々の回収に成功した。
この魔導書もその一つでネクロノミコンの原書だ。
それを俺の権限をフルに使い、最優先で回してもらった。
魔導書というのは、コピーをとっても意味がない。
文字だけで成立するものではなく、書かれた文字に込められた魔力と意思が重要だ。
だからこそ、オリジナル。あるいは超一流の魔術士が文字に込められた魔力と意思まで完璧にトレースした写本でなければ、なんの価値もない。
そんな貴重なものに触れられるのは役得であり、魔術士としては心が躍る。
「これを読みたいやつは俺以外にも何百人もいる。さっさと返さないと悪いじゃないか」
勉強がてら写本を作っていた。写本があれば返してからも勉強できるのもある。
……ちなみに、こういうふうに俺の権限で集めた魔導書の写本が背後の棚にずらっと並んでおり、何重もの封印を施されている。
俺の宝物で、友人などは魔導図書館と揶揄する。
「もう、ユウマちゃんは仕方ない子ね」
「ちゃんとドラマは楽しんでいるよ。視界の隅に入れて並列思考の魔術を使ってね」
魔術で別人格を作り出す完全なる並列思考。俺自身は写本作業に集中し、もう一人の俺が姉さんの相手をしながらドラマを見ているのだ。
「……完全な並列思考なんて魔術士の奥義よ。ドラマを見るために、そんなの使ってるのはユウマちゃんぐらいね」
「勉強時間を確保するためだ。俺は姉さんと違って凡人なんだ。こういうズルをして人の何倍も勉強しないと」
「うわぁ、魔導教授がなんか言ってる」
「……その二つ名、痛々しくて、恥ずかしいから、止めてくれ」
俺は魔術士としては凡人だ。
もって生まれた魔力量があまりにも少ない。
機関に所属している魔術士の中でも、下から数えたほうが早いだろう。
だから、技術と知識を求めた。
唯一の救いは、魔術士としては凡人であっても、頭脳は一級品であったこと。
技術と知識で足りないものを埋めて、ようやく
俺と違って姉さんは本物の天才だ。その魔力量は歴代一位。
そんな天才に追いつくために血を吐くような努力をしてきた。
「私は好きよ。魔導教授って二つ名。ほら、見て。機関のホームページ。『魔導書に愛された、人間図書館。万の魔術を使いこなし、編み出される精緻な魔術の数々は芸術的ですらある』」
「……鳥肌が立ってきた。姉さんだって、破壊天使なんて言われるの嫌だろ」
「それは嫌。痛々しすぎるよ」
機関のトップランカーたちはみんな二つ名がついていた。
その名付けが機関のお偉いさんによるため、痛々しいものが多い。
俺たちは顔を見合わせ、苦笑いした。
「お互い、二つ名呼びはよそう」
「うん、そうね」
不毛な戦いを終えて、それぞれの作業に戻る。
姉がドラマに視線を向けたまま、意識の一部をこちらに向けた。
「前から、気になっていたけど、どうして勉強の虫なユウマちゃんがドラマ見るのに付き合ってくれるの?」
「写本のついでだ」
「それは嘘よ。だって、ユウマちゃんって仮想人格構築を覚えてから、並列思考で勉強しているもの。喜々としながら、人の三倍勉強できるって笑ってたじゃない」
いつもは抜けているくせに変なところで鋭いし、記憶力がいい。
「……姉さんと一緒にいるのが好きだからだ。俺が努力するのは、姉さんのそばにいるためで、姉さんと一緒の時間を楽しめないなら、本末転倒だろ?」
魔術の勉強は好きだ。だけど、それだけで血を吐くほどの努力はできない。
「ユ〜マちゃん!」
姉が目を潤ませて、とびついてくる。
その瞬間、感知型自動防御結界が発動し、透明な壁が発生、姉がぶつかる。
「いじわるぅ」
「魔導書の写本中だ。これがネクロノミコンの原書だって忘れてないか? ちょっとしたミスをするだけで数万人が死んで、半径数キロが汚染される代物だ」
先進的な魔術もいいのだが、古代魔術もいい。今の魔術とは根本的な部分が違い、だからこそ己の常識を壊し、視野を広げることができる。
「いざとなったら、私がなんとかするよ。お姉ちゃんに任せなさい」
「そのときは、この基地と超一級品の魔導書がまとめて吹き飛ぶかもな」
「うううぅ」
破壊天使。その物騒な名前は伊達でもなんでもないのだ。
「それより、ドラマから目を離していいのか? けっこう、盛り上がってるシーンだ」
ドラマは結婚式のシーンになっている。
「あっ、あぶなっ。きれーい。いいよね、ウエディングドレス。私も着てみたいな」
「その前に相手を見つけようか」
「ユウマちゃんがいるから安心ね」
「そういうのを思春期相手に言うのはどうなんだ? 俺だって本気にしかねない」
にまーっと姉さんが笑う。
「ふふふっ、本気にしてもいいよ」
この姉は、どういうつもりなのだろうか。
俺たちは姉弟なのに。
血は繋がっていないとはいえ、十年以上姉弟を続けてきた。
そんなことを言われると、俺は……。
「あれ、黙っちゃった。こういうこと、私としたいの?」
からかうように姉さんが言う。
ドラマの中では誓いの言葉を終えてキスをするシーンだった。
「したいって言ったらどうする?」
「はい、減点。保険つきの言葉を使うような子にはキスしてあげないよ。あっ、もしキスしたいって言ったらどうしたかなんて聞かないでね。一日、もんもんとしているといいよ」
……この姉は。
昔から、手玉に取られっぱなしだ。
「終わったね。来週も楽しみ。でも、結婚式のシーンだけはあんまり良くなかったな」
「具体的にはどこが」
「誓いの言葉。『死が二人をわかつまで』ってとこ。だってさ、死んだくらいで離れ離れになるって言われて、愛し合う二人が頷いちゃうのよ? 私なら、絶対に首を横に振るよ」
「死んだら終わりだろう」
「そう? もし、ユウマちゃんが死んだら、私は、そうね。天使にでもなってユウマちゃんの魂を探しにいく。ほら、この前のユウマちゃんの論文、『高位存在の証明及び、歴史に刻まれた彼らの痕跡』。天使が存在するなら、私もそうなれるよ」
「姉さんなら本当にやりそうだ」
二人して笑う。姉さんがもし結婚式をするなら、『死が二人をわかつまで』ではなく『死が二人をわかった後も』と言わないといけないのか。
このことは覚えておこう。
「よし、写本ができた」
「お疲れさま、これからどうするの?」
「今回得た魔術体系を取り入れた、新規術式の開発」
「相変わらずね……あれ? お客さんが来たみたいよ」
警報が鳴り響く。
そして、個人端末にも通知音が流れ始める。
「私だけじゃなくユウマちゃんも? トップランカーが二人も呼ばれるなんて、相当やばい案件ね」
「とにかく急ごうか」
魔術士にはランクが存在する。
そして、機関の方針としては、なるべく高位の魔術士は温存しておく。
にもかかわらず、最高ランクの俺たち二人が呼ばれた。超緊急事態だ。
俺たちは支給品のローブを纏い、部屋を出た。
◇
ブリーフィングルームには最高ランクであるSランク魔術士が全員集められていた。
モニターにとんでもないものが映っている。
「ミサイルと、人?」
誰かの囁きに、教官が頷き、口を開いた。
「十分ほど前、核ミサイルがアメリカから日本に向けて射出された。旧世紀の遺産。目標はどうやら、ここらしい。……それだけなら問題ないのだが、あれは魔女の箒であり、乗っているのは魔族だ」
全員の顔が深刻なものとなる。
魔術士の存在が圧倒的なのは概念防御という、己の存在をずらす結界があるからだ。
存在をずらすことで、魔力を纏わない攻撃すべてを無効にできる。だからこそ魔術士は無敵たり得て、魔術士は魔術士でなければ殺せない。
逆に言えば、概念結界であれば核ミサイルだろうと、容易に防げる。
この世界では通常兵器の有効性は著しく低い。
しかしだ、乗っているのが魔族であり、あのミサイルが魔女の箒であれば話が別。
魔力を纏った以上、魔力攻撃であり、核ミサイルの威力を防げる結界など存在しない。
また、向こうも概念防御を使い核ミサイルごと覆っている。ありとあらゆる近代兵器による迎撃が無効化されてしまう。
姉さんが手を挙げた。
「つまり、あれを迎撃するには、こちらも魔術士が箒に乗って、特攻しないといけないってことね」
「そのとおりだ。これより、空戦チームを組んで迎撃に向かってもらう」
無茶だ。一人を除いて、全員の顔にそう書いてある。
なにせ、あのタイプのミサイルはマッハ5。つまり、箒でその速度を叩き出しつつ、その速度域で戦わないといけない。
人間を超越した魔術士にとっても夢物語だ。
ただ一人を除いて。
「志願するよ。チームはいらない。私だけでいい。残りのみんなは、こっちに残ってバックアップをお願い」
誰も何も言えない。
ここに集まったのは、Sランク。世界最高の魔術士たち。
だからこそわかってしまう。自分たちが行っても姉さんの足手まといにしかならない。
俺たちはSランクではあるが、けっして姉さんと同格ではない。
ただ単に、Sランクが天井なだけだ。
拳を固く握りしめる。
姉さんのそばにいるために力をつけたのにまだ足りない。
そうして、姉さん一人が箒で飛んでいく。
俺たちはここに取り残された。
わずか十分後には、姉さんは箒に乗って魔族と接敵、ドッグファイトを始める。
圧倒的な力を画面越しに見せつけてくる。
そんななか、また警報が鳴る。端末を見た教官の顔が青ざめる。
「……再び魔族の出現だ。今度の箒は隕石だ」
あまりのスケールにあっけに取られる。
そして、モニターには姉さんの戦いと同時に、人工衛星からの映像が映った。
「直径四キロの隕石。概念結界があるため、大気圏で燃え尽きるどころか質量が減ることもない。落ちれば、すべてが終わる」
教官がやけに平坦な声で告げる。
世界の危機、最強は出払っている。
直径四キロの隕石を宇宙空間で砕かねばゲームオーバー。
無理ゲーもいいところだ。
だが、それでも……。
「俺に任せてくれ。隕石は核ミサイルのように自由自在に動けない。ただのでかい的なら、条件が揃えば砕くことは可能だ」
「そんなこと不可能だ! いったいどれだけの火力が必要だと」
Sランク魔術士の一人が叫び、教官以外の全員がそれに同意する。
俺はそれに不敵な笑みで応えた。
「俺の二つ名を忘れたか? 千を超える魔導書の知識、万を超える魔術、それらを駆使すれば可能だと判断した。信じてくれ」
誰が見ても不可能だとしか思えないことを、俺の積み上げた実績が信じさせていく。
教官が手を叩き、注目を集めてから口を開く。
「では、ユウマに任せよう。今回の任務を達成できるのは君だけだ。頼む」
姉さんのそばにいることを選んだ、そのために努力を続けてきた。
無数の知識、無数の魔術、それらを組み合わせて前へ進んだ俺だけがそれを為せる。
その確信をもって、引き受ける意思を示した。
姉さんが帰ってくる場所を守るために。