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その日の夜。
夕飯当番の俺がもうすぐ飯を作り終えるというところで、ぐったりした様子の二科が帰ってきた。
「ただいま……」
「おかえり。どうだった?」
「私……このバイトやっていけんのかな」
二科は疲れ切った様子でソファーに座りながら、不安げに言う。
「え、今日そんなに大変だったのか?」
「いや、今日はまだ研修だから、仕事教わるのメインだったから、仕事内容自体はそんなに大変じゃなかった、けど……男性のお客さんに話しかけなきゃいけなのが大変なの!」
やっぱり、応募するときから不安がってたそこが問題か……。
「別にいやとかじゃないし、できると思ったんだけど……。まず声かけるのに想像してた以上に緊張するし、何話したらいいかとか分かんないし……」
まあ、逆の立場で考えて、絶対あり得ないが、俺も、バイトで女性客に話しかけまくらなきゃならない状況になったと想像したら――絶対にできないだろうな、と思った。
「これじゃ、バイト先で彼氏作るどころじゃないよ……」
「まあ今日は急だったけど、次回からは何話しかけるか事前に決めておけばいいんじゃねえのか?」
俺はテーブルに夕食を並べながら言う。
「あー、確かに……。でも、考えてあっても、いざとなると焦って頭真っ白になったりしちゃいそうだなー……」
「確かにな。そしたら、家で練習するとか……」
「あ、それいいかも! そしたら、あんたをお客さんだと想定して、話しかける練習しよっかな!」
突然二科は俺の顔を見て、思いついたように言う。
「え……?」
「お客さん役やってくんない?」
「べ、別にいいけど……」
半ば俺が無理矢理誘ったところもあるし、協力できるところはしてやりたいと思う。
「でも、俺相手で意味あんのか?」
「一人で脳内シミュレーションするよりはよっぽどいいと思うんだよね!」
こうして、二科のメイド練習が行われることとなった。
まずは冷める前に俺の作った夕飯を二人で食べ、その後二科は食器を片付けてからなぜか自室へ戻る。
すぐに戻ってきたかと思うと、なぜか猫耳メイドのコスプレをしていた。
これ、もしかして俺たちがこれから働く店の衣装か……?
「なんでわざわざ……!?」
「洗濯したいって言って持って帰らせてもらったんだけど、ちょうど良かった! 練習なんだからなるべく本番に近い状態でやった方がいいじゃん? 気分出るし」
水色のワンピースに白のフリルエプロン、そして白の猫耳と長い尻尾をつけた猫耳メイド姿の二科は、とびきり似合っていて、そこらのメイドの何倍も可愛らしかった。
しかし練習なのに、わざわざ着替えるとは……。
「じゃ、あんたは店に入ってきたお客さんっていう設定で、その扉から入ってきて」
「そこからやんなきゃいけないのかよ?」
「ちゃんと再現して本番に近い状態でやらなきゃ意味ないの!」
「あ~、はいはい」
仕方なく、言われたとおりリビングの扉から入ってくるところからやってやる。
「おかえりなさいニャンご主人様♪」
「!? なんだその出迎えは!?」
猫耳メイド姿の二科にニャン♪ とか言われて、正直悪い気はしなくもないが、それ以上に俺の方まで恥ずかしくなってくる。
「あーもー、初っぱなから中断させないでよ! ちゃんとなりきって! 今日面接した店は普通のメイド喫茶だけど、うちらが来週から働くのは猫耳メイド喫茶だから、これが固定の挨拶だから覚えておくようにって教わって」
二科は赤くなりながらキレてくる。やはり、二科もやってて恥ずかしいんだな……。
「じゃ、また入ってくるとこから!」
仕方なく、入ってくるところからやり直す。案外細かいところまでうるさいから、ちゃんと客になりきらないといつまでも先に進まなそうだ。
「おかえりなさいニャンご主人様! お煙草はお吸いになりますか?」
「えっ……いいえ」
猫耳メイドの割に突然現実的なことを聞いてくるな。
「カウンター席とテーブル席どちらになさいますか? えっと……あ~また忘れた! 店のシステムとかもメニューとかも最初に説明しなきゃいけないから、覚えること多くて……今日店で何回もやったのに間違えるなー」
それからも二科が完璧に客のお出迎えができるようになるまで、何度も繰り返し練習に付き合わされた。
「お待たせしました、オレンジジュースと特製オムライスですっ」
「はあ、どうも……」
やっとの思いで頼んだものが出てくるところまで進んだ。なんだかままごとでもしてるような気分になってくる。
「それでは、こちらのオムライスに美味しくなる魔法をかけさせて頂きます!」
「え!?」
「おっ……おい、おいしくな~れ! ニャンニャニャーン!」
二科は右手を猫の手にして、招き猫っぽポーズをとり、猫の掛け声に合わせて手首を動かした。
「…………」
「……って、ちょっと、何ドン引いてんの!?」
二科は顔を真っ赤にして大声を出す。
「いや別に、引いてるわけじゃ……」
恥ずかしさを捨て切れてないのが伝わってくるから、こっちまで恥ずかしくなってくんじゃねえか……!
「しっしし仕方ないでしょ!? こうやんなきゃいけないって決まりなんだから!」
「別に何も言ってないだろ! っていうか、何普通に素に戻ってんだよ!」
「あ、そ、そっか! えっと、お客様……じゃなかった! ごっご主人様は……よくこういうコンセプト喫茶には行かれるんですか?」
二科は慌ててメイドの練習に戻る。
「いえ、初めてです」
「そうですか……」
「…………」
「…………。そっそれでは、楽しんでいって下さいね~!」
「いやいやいや! さすがにそれはダメだろ!」
二科の接客に思わず突っ込む。
「え!? 今の接客のどこがダメだった!? 正直に全部言って!」
「逆になんで大丈夫だと思ったんだよ!? そうだな、まず……笑顔がない」
「うっ……」
「それから、話を振ったのにそこから何も膨らませずにそれで終わりって……まずいだろ」
「うう……だって、どうやって膨らませればいいのか分かんないし」
「なんか根本的に、仕事だから仕方なく無理矢理話しかけてる、って感じが全面に出てるんだよな」
「ええ~……?」
「その場だけでも客に興味持ってるフリしないと。メイドと話したくて来てる人が多いだろうし」
「そんなこと言われたって……初対面の人にどうやって興味持てばいいの……?」
「初対面だとしても、例えばお前の好きな二次元のキャラとか……二次元で想像しにくかったら、好きな芸能人、声優とかが来店したら、めっちゃ興味沸くだろ」
「好きなキャラ、好きな声優…………」
二科はその場で少し固まる。想像しているのだろうか。
「いやっ、それはそれで無理! 緊張しすぎて何も喋れないし!」
そして想像だけで興奮したのか、真っ赤になってニヤけながら俺の肩をバシバシ叩いてくる。どんだけ想像力豊かなんだよ。
「それじゃあ、すごい好みのタイプの男が客だったら、とか……」
「好みのタイプの……?」
二科はその場で少し考えてから、
「……あー、なんかそれで妄想したら結構話膨らませられるかも! ちょっともう一回やってみる! ゴホン、……ご主人様、こういったお店にはよく行かれるんですか?」
「いえ、特に……」
「そ、それじゃあ、秋葉原にはよく来られるんですか?」
「そうですね」
「どう行ったお店に行かれるんですか?」
「えーっと、アニメイトとか、とらのあなとか……」
「あ、私もよく行きますよー!」
それから数分ほど、そのまま会話が続いた。
「そっか! なんか分かった気がする……私今まで、お客さんをお客さんとしてしか見てなかったけど、要はお客さんに興味を持つようにすればいいってことね!」
さっきまでと比べて随分喋れるようになったな。
自分好みのイケメンを想像したらペラペラ喋れるようになるって……どんだけゲンキンな奴なんだよ。
「よーし、このまま練習しまくる! 次はお会計の練習!」
それから長いこと、俺は二科のメイド練習に付き合わされたのだった。
「ふう~……よし、これで完璧!」
「あーそうかよ、そりゃ良かったな……」
気付けば夜の十二時を回っていた。もう寝かせてくれ……。
「これでちゃんと働けるし、それに……いつイケメンのバイトとシフトかぶっても、お客さんで男性声優が来ても、バッチリ対応できるっしょ!」
「……! お前、出会いに繋げるためにそこまで頑張ってたのかよ……」
「そりゃそうでしょ! まず仕事がしっかりできないと出会いどころじゃないし。それに、失敗ばっかりしてるメイドなんてめっちゃモテないだろうし……」
なるほどな。相変わらず、オタク彼氏を作るための努力は惜しまない奴だな。俺も巻き込んでくるけど……。
確かに、元々オタクと出会うためにバイト始めるわけだから、二科の努力は正しいのかもしれない。
「今日一緒に面接だった人もチャラそうだったけど格好良かったし、メイド喫茶のキッチンってイケメンが多いのかな~!?」
これからの出会いに思いを馳せて、二科は上機嫌だ。
「今みたいな感じで働けばとりあえず問題なさそうだし、毎日あんたと話してるおかげで前よりは男子とも話せるようになってるはずだし、あとは何より慣れだよね!」
「そうだな。……な、なあ、俺はバイト先で、どうやって振る舞えばいいかな?」
二科が頑張っている様子を見ていたら、途端に俺の方が不安になってきた。
「え? どうやって、って……?」
「俺は五条さんと距離を縮めたいわけだけど、バイト中に積極的に話しかけたりしていいもんかな、って……」
「うーん、バイト先の空気によるとは思うけど……。みんなバイト中に喋ってるようなバイト先だったら話しかけていいだろうけど、話しちゃ行けない雰囲気だったら話しかけない方がいいだろうし」
「まあ、そうだよな……」
「あとはやっぱり、メイドもだけどキッチンも、まずは仕事がしっかりできるってところが一番だよね。それができてないと印象最悪だろうし……」
「うっ……!」
た、確かに……!
今までなんとか(二科のおかげもあって)デートできるくらいまでこぎ着けたっていうのに、これでバイト先で仕事ができなくて嫌われたりしたら……同じバイト先で働き出したの逆効果になっちまうじゃねえか!
まずはしっかり仕事ができるようにならないと……。話はそこからだな。
「そういや、五条さん以外にもメイドと一緒に働くわけだけど、他のメイドとはあんまり話さない方がいいかな?」
「え、なんで?」
「だって、五条さんにチャラい男とか思われたら嫌だし……」
「いや、他の女子と変に話さない方がおかしいでしょ! まあ、それもバイト先の雰囲気によるけど、普通に同僚として、バイト仲間として話せばいいんじゃないの?」
「そ、それもそうか……」
「まあ、ガツガツ話しかけまくったり、ライン聞いたりデートに誘ったりとかは、間違いなくしない方がいいけどね。五条さんにも伝わるだろうし」
「そうだな……」
五条さんのいる職場でそんなこと、ハナからする気ないけど……。
「あとは、仕事上で五条さんに気遣ったりできたら印象良くなるかもだけど、五条さんの方がずっと先輩なわけだし、仕事内容もキッチンとメイドで違うから、難しいかもね」
「ああ、確かに……」
とにかく、まずはしっかり仕事を覚えて、他のメイドとは自然に話して、五条さんにバイト中好印象を持ってもらえるような振る舞いができれば及第点、か……。考えただけで結構難しそうだ。
バイト先でバイト仲間の女の子に好印象を持ってもらうのって、思っていたより大変なんだな。
俺もバイトは初めてなので、まずキッチンという仕事内容に不安が大きい。失敗ばかりやらかして五条さんに嫌われることだけは、絶対に避けないとな……。
よし、まずは、仕事をしっかり覚えるところからだな!
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