一章/無欲ならざる古仙 その3

 集合文化意識はOLI因子の集積体である。そしてOLI因子とは特定の〝歴史的遺物〟を表象する世界構築因子のことだ。人間や物質と融合することで、その因子が持つ遺物の特徴や思想をそのまま世界に顕現させる能力を持つ。こうしてこうだの仙人だのが生まれる。

 さらに、OLI因子は自らの宿主に〝れん〟と呼ばれる世界改変エネルギーを与える。天下の人妖は、このれんを用いて非科学的な術を行使するのだ。

 れんには以下の六種類がある。

れい』――霊術のもと。一般的な人間が持つ精神の根源。

よう』――妖術のもと。こうこうたらしめる生命力そのもの。

しん』――神術のもと。信仰や崇拝によって増幅する世界変革の基礎。

せん』――仙術のもと。天下の法則を無視する仙人の力。

おう』――おうじゆつ|のもと。何かを犠牲にすることで膨張する悪意の塊。

さい』――彩術のもと。さいこうだけに与えられる特別なおんちよう

 これらのれんを消費して行使される六種類のれんじゆつに本質的な差異はあまりない。が、やはり得意分野というものは存在していて、たとえば霊術が結界やきよはらいといった呪いの分野を専門とするのに対し、妖術は自然の純粋な力で他者を攻撃することに長じる。

 では、仙人が仙氣を用いて行使する仙術の特徴とは如何なるものなのか。


「……ほ、本当に見えてないの?」

 おっかなびっくりかがりは問う。問われたさいは得意げに笑って答えた。

「無論。仙術の得意分野は〝世界のことわりから浮くこと〟だ。さすがに生死の道理から浮くのは骨が折れるが、〝明るい場所ではよく見える〟程度の法則で俺を縛ることはできない」

「そんな出鱈目な……」

 まったくもって胃が潰れるような話である。

 現在、かがりとさいおうせんのど真ん中に突っ立っていた。手をつなぎながら。

 さい曰く、「とりあえず村の現況を視察しよう」とのこと。

 てん祭を控えた村人たちは往来を忙しなく行き交って準備に励んでいる。てんを祀るための祭壇、てんを讃えるための山車、てんを楽しませるための余興が演じられる舞台――しかし村人たちの顔は一向に晴れない。当然である、何人殺されるのかもわからないのだから。

 さいとかがりは蔵の横の石垣の上に座って村の風景を眺めていた。手をつなぎながら。

 不意に目の前を村人が横切り、思わずびくりとしてしまう。しかし相手はこちらに目もくれなかった。人間たちはさいのへんてこな術によって、かがりのことを認識できないようにされているのだ。だから二人は堂々と村を出歩けるのである。手をつなぎながら。

 まったくもって胃が潰れるような話である。

「ねえ。理から浮くって、他にどんなことができるの?」

 つながれた手をちらちら見下ろしながらかがりは聞いた。さいの手は温かかった。年の近い異性――しかも明け透けに悪意を向けてこない自然体な男――と触れ合うのは初めてだったので緊張して仕方がなかった。まずい。手が汗で湿ってくる。

「基本的になんでもできるが、先ほども云ったように死を克服するのは難しい。せいぜい寿命を無くすのが関の山だ。それと術の対象を自分以外に設定するのも難しい。たとえば『物は下に落ちる』という理を否定したとしても、俺自身は宙に浮くことができるが、周囲にある小石や枝を浮かせることはできない。これはおそらく儒家による『道家は己の長生に固執するあまり経世済民の術を顧みない』という批判がOLI因子に反映されているからであり」

「ごめん全然わかんない。……けど、自分以外に使えないんだったら、どうして私は村の人たちに見えてないの?」

「俺と接触していれば術の対象にできる。だからこうして手をつないでいるのだ」

 ぎゅっと強く握られた。きゅんっと胸が弾んだ。

 ……が。しっかりしろ熾天寺かがり。こいつも裏では「狐なんて煮て食ってやるぜ」みたいに思っているかもしれないんだぞ。心を許すな、気を確かにしろ……

「ふ、ふーん。でも、それって万能すぎない?」

「そうでもない。かつて俺は『かみさいに恋人ができない理』をぶち壊そうとしたんだが、不覚にも失敗してしまった」

「なんで」

「仙術は自明の理にしか効かない。可能性が一厘でもある事柄には通用しないのだ。つまり俺には恋人ができる可能性がある」

「今までいたことあるの?」

「ない」

 どうでもいい情報だった。……本当に。

「まあれんじゆつの効果範囲なんてもんは基本的にあいまいとしている。OLI因子が引き起こす事象だからな、人の精神力でいかようにも制限を取り払えるのだ」

 まったく意味がわからない。かがりは眉をひそめてさいの顔を仰ぎ見る。

「その仙術を使って、てんを倒すの?」

「そうなるな。だが、かがりにも戦ってもらう必要があるぜ。むしろ主役はお前だ」

「当たり前よ! 私は意気地なしどもとは違うのよ」

「頼もしいな。参考までに聞くがお前はどんなふうに戦うんだ?」

「ちょっとした妖術が使えるわ。小火を起こす術よ。あと剣術も練習してる。えんねつてんりゆうっていって、命融神社の巫女に受け継がれてるものなんだけど……」

 そのとき、「ぐぅ」とお腹が鳴った。鳴ってしまった。さいが笑った。

「お腹が空いたら戦えないな」

「ッ……、し、仕方ないじゃない! 昨日から何も食べていないのよ!」

 羞恥で顔に熱がのぼった。村のそこここでは飯炊きの煙が立ち上っており、獣の敏感な嗅覚が穀物の煮える良いにおいを嗅ぎとっていた。羨ましいな、とかがりは思う。

あさと云うには粗末だが、こんなものはどうだ?」

 そう云ってさいは【召喚】のれんじゆつを発動させた。異界から物質を取り寄せる術である。

 ほどなくして彼の手に収まったのは黒く小さな箱。彼はその箱のふたを開けてかがりのほうに差し出してくる。

「一応説明しておくが、俺は仙界の一部を倉庫として使うことができる。この空間はとある仕組みによって集合文化意識の修正を受けることがない。さらに時間の流れが存在しないから腐ったり劣化したりする心配もない。だから食べても問題はない。――ちなみにこれは千年前のバレンタインの日に自分で買ったチョコレートだ。消える前に食べてくれ」

 箱の中はしきりで八つに区切られており、それぞれの小部屋には黒々とした物体が鎮座していた。明らかに食べ物ではない。木炭とかそういう類に思えてならない。見かねたさいが一つを摘んで口の中に放り込んだ。毒ではないようである。びびっていると思われたくなかったので、意を決して〝ちょこれーと〟を口に運んだ。予想通りに硬いそれを奥歯で砕き、舌の上で転がす。そうしてかがりは両目を見開いた。

「なにこれ、あまーい!」

「そうだろう。美味しいだろう」

「うん、おいしい……」そこでかがりはふと気づく。こんなやつの前で緩みきったツラをさらすのは本意ではない。腹筋に力を入れてキリッとした表情を取り戻し、「――ま、まあ悪くはないわね! 千年前の食べ物もなかなかね!」

 本人の意思とは関係なく金色の尻尾が揺れていることに、かがりは気づかない。

「それはよかった。――ところで、てんはいつ頃来るのかね」

「さあ。夜じゃない? こうは夜行性が多いって聞くから」

 かがりは箱を膝の上に抱えながら二つ目のチョコレートを頬張る。えいりんとうでは甘蔗サトウキビがほとんど育たないため食卓に甘味が乏しい。ゆえにさいがもたらしたこの黒い謎の食べ物は、かがりの脳髄をこれでもかというほどに刺激していた。平たく云えば美味しい。しあわせ。

「なるほどな。時間に余裕はあるということか――お、ちょうどいいところに偉そうな人間どもがいるぞ。ちょっと話してこよう」

「え……?」さいが急に立ち上がった。ずっとつないでいた手がするりと離れる。かがりはドキリとして叫び声をあげた。「ま、待って!」

 箱を石垣の上に置くと慌てて彼に追いすがり、飛びつくようにして彼の腕にしがみついた。

なりふり構っていられない、さいから離れれば見つかってしまうのだから。実際、かがりの声に反応した老爺が不思議そうな顔をしてこちらを振り返っていた。

「動くなら動くって云ってよ! びっくりしたじゃない!」

「すまん。だがこれはチャンスだぜ。……見ろ、あれは命融神社の神職じゃないか?」

関連書籍

  • 少女願うに、この世界は壊すべき 桃源郷崩落

    少女願うに、この世界は壊すべき 桃源郷崩落

    小林湖底/ろるあ

    BookWalkerで購入する
Close