一章/無欲ならざる古仙 その3
集合文化意識はOLI因子の集積体である。そしてOLI因子とは特定の〝歴史的遺物〟を表象する世界構築因子のことだ。人間や物質と融合することで、その因子が持つ遺物の特徴や思想をそのまま世界に顕現させる能力を持つ。こうして
さらに、OLI因子は自らの宿主に〝
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これらの
では、仙人が仙氣を用いて行使する仙術の特徴とは如何なるものなのか。
「……ほ、本当に見えてないの?」
おっかなびっくりかがりは問う。問われた
「無論。仙術の得意分野は〝世界の
「そんな出鱈目な……」
まったくもって胃が潰れるような話である。
現在、かがりと
不意に目の前を村人が横切り、思わずびくりとしてしまう。しかし相手はこちらに目もくれなかった。人間たちは
まったくもって胃が潰れるような話である。
「ねえ。理から浮くって、他にどんなことができるの?」
つながれた手をちらちら見下ろしながらかがりは聞いた。
「基本的になんでもできるが、先ほども云ったように死を克服するのは難しい。せいぜい寿命を無くすのが関の山だ。それと術の対象を自分以外に設定するのも難しい。たとえば『物は下に落ちる』という理を否定したとしても、俺自身は宙に浮くことができるが、周囲にある小石や枝を浮かせることはできない。これはおそらく儒家による『道家は己の長生に固執するあまり経世済民の術を顧みない』という批判がOLI因子に反映されているからであり」
「ごめん全然わかんない。……けど、自分以外に使えないんだったら、どうして私は村の人たちに見えてないの?」
「俺と接触していれば術の対象にできる。だからこうして手をつないでいるのだ」
ぎゅっと強く握られた。きゅんっと胸が弾んだ。
……
「ふ、ふーん。でも、それって万能すぎない?」
「そうでもない。かつて俺は『
「なんで」
「仙術は自明の理にしか効かない。可能性が一厘でもある事柄には通用しないのだ。つまり俺には恋人ができる可能性がある」
「今までいたことあるの?」
「ない」
どうでもいい情報だった。……本当に。
「まあ
まったく意味がわからない。かがりは眉をひそめて
「その仙術を使って、
「そうなるな。だが、かがりにも戦ってもらう必要があるぜ。むしろ主役はお前だ」
「当たり前よ! 私は意気地なしどもとは違うのよ」
「頼もしいな。参考までに聞くがお前はどんなふうに戦うんだ?」
「ちょっとした妖術が使えるわ。小火を起こす術よ。あと剣術も練習してる。
そのとき、「ぐぅ」とお腹が鳴った。鳴ってしまった。
「お腹が空いたら戦えないな」
「ッ……、し、仕方ないじゃない! 昨日から何も食べていないのよ!」
羞恥で顔に熱がのぼった。村のそこここでは飯炊きの煙が立ち上っており、獣の敏感な嗅覚が穀物の煮える良いにおいを嗅ぎとっていた。羨ましいな、とかがりは思う。
「
そう云って
ほどなくして彼の手に収まったのは黒く小さな箱。彼はその箱のふたを開けてかがりのほうに差し出してくる。
「一応説明しておくが、俺は仙界の一部を倉庫として使うことができる。この空間はとある仕組みによって集合文化意識の修正を受けることがない。さらに時間の流れが存在しないから腐ったり劣化したりする心配もない。だから食べても問題はない。――ちなみにこれは千年前のバレンタインの日に自分で買ったチョコレートだ。消える前に食べてくれ」
箱の中はしきりで八つに区切られており、それぞれの小部屋には黒々とした物体が鎮座していた。明らかに食べ物ではない。木炭とかそういう類に思えてならない。見かねた
「なにこれ、あまーい!」
「そうだろう。美味しいだろう」
「うん、おいしい……」そこでかがりはふと気づく。こんなやつの前で緩みきったツラをさらすのは本意ではない。腹筋に力を入れてキリッとした表情を取り戻し、「――ま、まあ悪くはないわね! 千年前の食べ物もなかなかね!」
本人の意思とは関係なく金色の尻尾が揺れていることに、かがりは気づかない。
「それはよかった。――ところで、
「さあ。夜じゃない?
かがりは箱を膝の上に抱えながら二つ目のチョコレートを頬張る。
「なるほどな。時間に余裕はあるということか――お、ちょうどいいところに偉そうな人間どもがいるぞ。ちょっと話してこよう」
「え……?」
箱を石垣の上に置くと慌てて彼に追いすがり、飛びつくようにして彼の腕にしがみついた。
なりふり構っていられない、
「動くなら動くって云ってよ! びっくりしたじゃない!」
「すまん。だがこれはチャンスだぜ。……見ろ、あれは命融神社の神職じゃないか?」