一章/無欲ならざる古仙 その2

 かがりはとつとつと事情を語った。

 神社の娘として生まれたこと。その神社から追放され、島の人々から疎まれていること。家を焼かれ、死ぬ思いで逃げてきたこと。もう帰る場所もなく、行く場所もないこと。

 最後のほうは嗚咽混じりでほとんど言葉になっていなかったが、大方は理解できた。

 確かに悲惨な境遇である。かがりのような年端もいかぬ少女には過酷すぎる運命だ。事情もよく知らない他人が軽はずみに口を挿んでいい問題ではないのかもしれない。しかし――

「――わかった。俺が何とかしてやろう」

 かがりはごしごしと涙をぬぐうと、眦を吊り上げてさいを睨んだ。

「簡単に云わないでよ あんたみたいな意味わかんない変態に何とかできちゃうんなら、最初っから苦労なんてしてないわ!」

「俺は変態ではない」

「じゃあなんで裸だったの!」

「仙界では全裸で過ごしていたから……」

「やっぱり変態じゃない!」

 さいはやれやれと肩を竦めた。

「聞けかがり。俺には状況を打開する方法がある」

「……一応聞くわ」

「二人でてんどもを追い払えばいい」

 かがりは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

「話を聞くに、てんさえいなくなればえいりんとうの人々は平和に暮らすことができるはずだ。お前に対する風当たりもいくぶん和らぐだろう」

「無理よ……てんはすっごく強いのよ。特にしゆかい昏武くらぶきようはちってやつは段違いで……、」

「俺を誰だと思っている。聖仙・ほう寿じゆせいだぞ」

さいは右手を広げてかがりの目の前にかざした。そこには五彩の覇者であることを示す紋様――〝五彩の導〟が刻まれている。

 しかしかがりはピンと来ていない様子だった。

「これ、何なの?」

さいこうの印。お前が《妖狐の基礎因子》と暫定巫女の基礎因子を持つように、俺も二つの因子を持っている。《仙人の深層因子・儀範 - えんていしんのう》と《天子の特殊因子》だ。特殊因子

とは既存の枠から外れた特別なOLI因子のことであり、同時代にたったの九個しか存在しな

えきせいかくめいろん

い。ベースにある思想はおそらく中華の易姓革命論だろうが――とにかく、この印を持つ者は他者の追随を許さない絶対的な力を宿している。ゆえに〝彩皇〟とか〝五彩の覇者〟とか呼ばれて一目置かれるわけだ。事実、俺はこの力を用いて幾人ものこうを浄化してきた」

「ちょっと待って。何云ってるのか全然わからない……」

「ようするに、俺がてんに後れを取ることはないってことだ。信じてくれるか?」

「た、確かに……さっきてんを簡単にやっつけちゃったけど……」

 かがりは疑わしげな目で〝さいしるべ〟を眺めた。そして急に何かに気づいたように目を丸くする。おそらく五彩から溢れ出る彩氣の片影を感じ取ったのだろう。妖獣の因子を持つ者はれんの微妙な流れに敏感なのだ。さいを見上げるかがりの瞳に光がともった。まだ疑わしいけれど、もしかしたらこいつは本当にすごいのかもしれない――そういう期待の色が見える。

「……どうして、そこまで私に構ってくれるの?」

「云っただろう。恩返しをする必要があると。――それともう一つ、お前と親交を深めることによってこの時代・この世界に関する情報を引き出そうという打算もある」

口には出さないが理由はもう一つあった。すなわち「熾天寺かがりが可愛いから」。

 視線が交錯する。澄んだ橙色の瞳。

 しばらく見つめ合っていると、かがりは突然首を振って変な声を出した。

「あーっ! もう! どうしちゃったんだろ、私……」

「厠か? あっち向いているから遠慮せずに」

「違うわよ!」拳が顔面にめり込んだ。威勢の良い小娘である。かがりは炎のような勢いでまくし立てた。「あんたみたいな不審者に期待している自分が嫌になってきたの でも今は猫の手も借りたい状況だし、このままぼーっとしてても死ぬだけだし だからあんたに賭けてみようかな、なんて血迷っている自分がいるのっ! それが腹立つのっ!」

「一時の怒りなど我慢しろ。てんを倒せるんだぞ」

「ぐ、ぬぬ――わかったわよ!」ばーん! と岩の上に立ち上がり、「そこまで云うんだったらやってやろうじゃない。あんたと協力しててんをぼこぼこにしてやるわ!」

 さいはふと笑みをこぼした。この少女はさいが思っていた以上に気丈なようである。

「承知した。俺はこれでも公僕だったからな、不法行為を働く輩は黙って見過ごすわけにもいかんのだ。千年後の世界の視察も兼ねて、不肖かみさいてん退治に助力いたそう」


 ○


 ――と、ほう寿じゆせいを自称する不審者は自信満々に豪語していたのだが、一夜を明かすうちにむくむくと疑念が膨れ上がり、考えれば考えるほど、初対面の全裸男と不用意に手を組んでしまった自分の浅はかさを呪いたくなるのだった。

 だいたいこいつは何者なのだろう。本人は千年の時空を超えて現世に再臨したとかなんとか云っていたが、そんなげた話をすぐに信じるわけにもいかない。嘘をついているにおいはしなかったけれど――そうだ。においだ。確かにかみさいからは不思議なにおいがした。かがりがこれまで一度もかいだことのない、そのくせ郷愁の念を掻き立てる奇妙な感覚。

 とは云っても、かがりはこれまであらゆる人妖から迫害されてきた身だ。

 いきなり最強の神様が現れて助けてくれるだって そんな上手い話があるはずもない。きっとあの男も腹の底では何かとんでもない非道なことを考えているに決まっているのだ。

 ようするに、かがりはまだ、詐欺師と相対しているような気分を捨てきれなかった。

 だから、翌日、かみさいに「おうせんに行こう」と云われた瞬間、かがりは即座に「じゃないの」と返してしまった。

「私はこうなのよ。人間に見つかったら殺されちゃうわ」

「心配するな。俺が守ってやる」

「……………………、」

 初春の朝、うぐいすの声が尾を引くばかりの寂々たる里山のふもと、ときおり肌寒い風が吹きすさぶ閑地に二人はいた。

 かがりは返答に窮した。「守ってやる」なんて云われたのは初めてだったので、どんな言葉を返すのが正解かわからない。かがりを戸惑わせた張本人は暢気に天幕――彼曰く〝テント〟という名称らしい――を片づけていた。彼が仙術によって異界から取り寄せたのである。昨晩はあれに包まれて夜を過ごした。もちろんこいつとは別々の屋根の下。

 そのとき、解体し終えて草の上に放置されていた天幕の部品たちが、ぼろぼろと空気に溶けるようにして消えていった。さいが「はあ」と面倒くさそうに溜息を吐いて云う。

「修正力か。一日ももたんとは……」

 千年前の道具は脆いんだな、とかがりは思う。――いやそんなことはどうでもいい、

「そもそも村に行く必要があるの? てんはあそこに住んでるのよ」

 かがりは遥か北の空を指差した。芝山の近くにくすんだ朱色をした塔がきつりつしている。あれこそがてんの根城。えいりんとうの人々から恐れられる伏魔殿、通称〝けつおろしせんじゆうとう〟である。

 さいはかがりが示す方角を見て苦笑を漏らした。

「どう見ても東京タワーじゃねえか」

「何云ってんの? けつおろしせんじゆうとうよ。みんなそう呼んでるわ。――見てよ、あの無気味なたたずまい。血を塗りたくったみたいに真っ赤よ。まさにけつおろしせんじゆうとうって感じだわ」

「どんな感じだか知らんがこれは朗報だな。集合文化意識の修正にも取りこぼしがあるとは知らなかった。――ちなみに云っておくが、あの塔に襲撃をかける予定はないぜ」

「なんで」

「今日がてん祭だからだ。やつらはおうせんに来るんだろう?」

 かがりは思い出す。本日、おうせんでは祭りが開かれるのだ。

 てんどもが人間たちに強要したてんを崇めるための例大祭、てん祭である。

「それに、衆人の目があることも大切なのだ。俺たちの目的はてん退治だが、それよりも重要なのはお前の待遇を改善することだ。村人たちの前でてんを退治したらどうなる? きっと英雄扱いだぜ。今までのように石を投げられたりすることもなくなるだろうさ」

 さいの云い分には一理あった。しかし口で云うほど簡単に物事が上手く運ぶとは思えなかった。無闇に楽観的でいられる神経が理解できない――そんなふうに不安を覚えていたとき、ぽん、と頭に手を置かれた。さいが優しげな笑みをこちらに向けている。

「安心したまえ。ご主人様の願いは必ず叶えてみせる」

「…………ッ、ッ、、…………き、気安くさわるなぁーっ!」

 かがりはさいの手を叩き落として一間ほど後ずさった。なんだこいつ。なんでこんなに馴れ馴れしいんだ。私は人間から忌み嫌われる化け狐なんだぞ――胸中に渦巻くのはもやもやとしたナニカである。今のかがりには、その感情の正体がつかめなかった。

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