一章/無欲ならざる古仙 その1
封印を解くべき資格を持つ者が現れなかったからである。
いつしか
彼が見たものは、おぞましいほどに美しい東洋の原風景だった。
○
たとえば先ほどの
(……浮いてるな。この地面)
OLI因子は世界を根底から覆してしまったらしい。浮遊する島が平然と存在する時代が来るとは思ってもみなかった。もはや千年前の日本を取り戻すのは不可能に思えてならない。
(いや、まだだ。諦めるにしても色々と情報を集めてからにするべきだ。そのためには協力者が必要なのだが……)
逢魔が時、真っ赤に染まった農道の端っこ。
「さて、改めて礼を云う。封印を解いて頂きどうもありがとう」
「……どういたしまして」
高く澄んだ声は強張っていた。警戒を解いてはくれないらしい。狐耳がぴくぴくと動いているのを見るに緊張しているのだろう。
OLI因子は大きく二つに分類される。一つが基礎因子。全体の九割以上を占める、もっと
も一般的なものだ。たとえば《鬼の基礎因子》を授かった人間は、広く人口に
それにしても――と、
それは、まさにOLI因子がもたらした奇跡だった。さわさわと風になびく稲穂のような色の髪が美しい。その髪を分けるようにして生えている狐の耳が可愛い。もふもふした尻尾が左右に揺れているのも可愛い。とにかく可愛い。だが特筆すべきは彼女の胸部であろう。薄い生地の衣服だからよくわかる、あれこそまさに天帝が手ずから創り上げたといっても過言ではない至高のおっぱ
「……ねえ、どこ見てんの?」
「どこも見ていないから安心しろ。俺は変態の類ではない」
「嘘くさい。変態の類はみんなそう云うのよ」
「一億歩譲って変態だったとしてもお前に危害を加えることはない。何故なら恩義を感じているからだ」
「恩義……?」
「封印は内部からでは解けない。外部の人間が祈りを捧げることによって解かれる。俺はお前のおかげで千年ぶりに
「だから何なのよ。この世には恩を仇で返すようなやつがごまんといるわ」
「少なくとも仇で返すつもりはないよ。先ほど傷の手当てをしたのが証拠にならないか?」
少女が言葉をつまらせた。彼女の顔色はすっかり良くなっている。あれほどの傷を小一時間で治しきるなど千年前なら到底不可能だっただろうが、現代はOLI因子が充満する精神力の世界なのだ。〝医薬の神たる
「……私を油断させてから襲うつもりなんでしょ」
「そう思うのなら逃げればいい。なぜ俺の隣に座っている?」
「それは……、一応、助けてもらったから……」
「俺もお前に助けられた身だ。封印を解いてくれた恩は返さなければならん――だから聞かせろ。あの
「知らない」
「何か悩みごとはないか
「必要ない」
俺にできることならば何でも協力しよう」
「ところで目元が腫れているぞ。もしかして泣いていたのか?」
「――ッ、うるさいっ! 私の前から消えろっ!《
「そういうわけには――」いかない、と反論しようとしたところで異変が起きた。彼女のほうから
「おい。まさかお前……」
「まだ何か用があるの? さっさとどっかに――って何してるのよ!?」
「いや、自分でも何が何だかわからん」
「なに本気にしてるの!? 『死ね』は云いすぎだったわよ、ごめんね! でも死ねって云われて本当に死ぬやつがあるかっ!」
「ふむ、どうやら何かの
「分析してる場合じゃないでしょ! このまま落ちたら私が殺したみたいじゃない!」
「別にそんなことは……あっ」少女の豊かな胸が背中に押しつけられた。なんだこれは。こんな物体がこの世に存在していいのか。ああ至福、このまま死んでも悔いはない――一瞬そう思ったが流石に
「妖獣の娘よ。言葉に
「はあ そんなことして何の意味があるの!?」
「いいから」
「わかったわよ――《止まれっ!》」
ぴたり。
「……ねえ、私のこと
「していない」
少女の身体がびくりとした。何らかの心当たりがあるのかもしれない。
「この束縛力の高さから深層因子の可能性もあるな。まあ、とにかく俺とお前の間で契約が成立してしまった。お前がご主人様で、俺が式神。平たく云えば奴隷だ」
「奴隷って……そんなことが、ありえるの?」
「現にそうなっている。――ところでいつまで抱き着いている気だ? 俺は大歓迎だが」
少女は弾かれたように
「話を戻そう。確認したければもう一度命令をすればいいのだ。言葉に
「そんな命令してたまるか」
「同感だな」
「知らないわよ……」
少女は途方に暮れたように俯いてしまった。
(……それはともかく)
不思議な気分だった。少女の瞳からは、千年前には失われていた純粋な優しさが溢れている。
彼女になら従ってもいいような気がしてくるのはなぜだろう。仙人とは付和雷同を是とする存在、こういう不慮の事故を楽しむのも悪くはないのかもしれないが――
そのとき、少女がハッと何かに気づいたように顔を上げた。
「……因子云々はよくわからないけど、」少女は服の裾を握りしめながら呟いた。「でも、奴隷のことに関しては、嘘じゃないってわかったわ」
「なぜわかるんだ?」
「においが……」
「ニオイ?」
「ううん、なんでもない。なんとなく、よ」少女は戸惑いながら言葉を続けた。「……あんたって、本当に
「ああ。ところでお前はどちら様だ」
「熾天寺かがり」
「ではかがり。主従契約の問題は後で考えるとして、まずは先ほどから浮かない顔をしている理由を聞かせろ」
え? とかがりは顔を上げた。
「まるでこの世の終わりみたいな顔をしている。せっかくの美人が台無しだぞ」
「びッ、」かがりは途端に頬を赤くしてそっぽを向いてしまった。
「その様子だと、他に解決の当てはないんだろう? 差し支えなければ話してくれないか。恩返しをする必要もあるし、ご主人様が辛気臭い顔をしていると、こっちの気分まで滅入ってくる。ほら、またあの岩に座って話そうじゃないか」
かがりはちらちらと