かがりは彩紀の背中から顔を出し、遠くの祭壇のほうに視線を向ける。宗教じみた服装をした男たちが数人、村の重役たちと会話をしながら村長宅へと入っていくのが見えた。
「……ふむ、榮凜島の権力構造がよくわからんな。村長と命融神社はどっちが上なんだ?」
「そりゃあ神社でしょ。榮凜島には四つの村があるから村長は四人いるけど、神社の巫女は一人しかいないもの。巫女のすぐ下に禰宜っていうのが二人いるけど、たぶんそいつらが村長と同格なんじゃないかな」
「あそこにいた神職は禰宜なのか?」
「そうよ。……私を神社から追い出した、右禰宜」
「……うなぎ?」
「右禰宜よ。禰宜は左右一人ずついるの。左禰宜は私にも色々と便宜を図ってくれる穏健派なんだけど、右禰宜は寇魔を絶対に許さない保守派の筆頭」
「そうか。ならば都合がいい」
「え……? まさか、あいつらと話すつもりなの?」
「もちろん」彩紀はかがりの手を引きながら頷いた。「天颶の情報を知りたければ有識者に聞くのが手っ取り早い。それに、榮凜島を救うためとはいえ騒乱を起こすことになるのだ。色々と迷惑をかけるだろうし、挨拶はしておくべきだと思わないか?」
「やめてよ! 殺されるに決まってるわ!」
彩紀は「ふっ」と気取ったように笑った。ぶん殴りたくなった。
「かがりよ。榮凜島で尊崇されている者の名を云ってみよ」
「熾天の巫女でしょ。私の妹の……」
「彭寿星はどうした」
そういえばそうだった。かの聖仙を祀る祠は榮凜島にいくつも存在している。
「お前は信じていないようだが俺は彭寿星その人なのだ。己が信仰している神が目の前に現れたら人はどうすると思う 十中八九平伏して崇め奉るだろうよ」
「だから、殺される心配はないってこと……?」
「ああ。【透過】の術は解除するが、何も心配はいらない。ここは一つ、榮凜島の守護神として人間たちに啓示を与えてやろうではないか」
「彭寿星だと? ふざけるな! この罰当たりな表六玉を即刻叩き出せ!」
村長宅に無断で侵入して「彭寿星です」と告げた瞬間に怒鳴り散らされた。かがりは彩紀の背中に隠れて縮こまる。――だから云ったのだ、絶対に殺されるって。
無駄に広い居間には榮凜島の有力者たちが居並んでいる。先ほど肩を怒らせ大声をあげたのは桜泉里の村長だ。その隣に高士里の村長、夕歌村の村長、鄭岳里の村長と続く。さらに長い卓を挟んだ反対側には命融神社の神職たちが四人ほど座っていた。
「おい待て。話も聞かずに追い返すのは狭量ではないか」
「無断で侵入してきた輩が何を云うか! しかも彭寿星の名を騙るなど――」
「まあまあ弥三郎殿。何か訳ありのようですよ」
宥めるように声をあげたのは袴姿の男である。命融神社の右禰宜、名を南条という。例によって柔和な笑みを作っているが、騙されてはいけない、こいつはかがりに巫女殺しの濡れ衣を着せて野に放逐した張本人なのである。
「彭寿星さんですか。見かけない顔ですけれど、もしや天颶に攫われて下界からやってきたのでしょうか?」
「もとから榮凜島にいたよ。あんたらが生まれる何百年も前からだ。――いや、俺たちはそんな話をしに来たんじゃないんだ」
「俺たち……?」南条は怪訝そうに首を伸ばした。そうして彩紀の背後に隠れている狐少女の姿を見て取るや、一瞬驚いたような顔を見せた後、すぐさまニヤリと無気味に口端を吊り上げて目を細めるのだった。「――これはこれは! 熾天寺かがり様ではありませぬか!」
場がどよめいた。かがりは彩紀の服をぎゅっとつまむ。
「ご無事そうで何よりです。家が火事になったと聞いたときは心配で心配で胸が張り裂けそうな思いでしたが、こうしてお元気でいらっしゃるのを見るに、間一髪逃げ出せたご様子ですね。いやあよかったよかった。熾天の子に何かあったら大変ですからねえ」
皮肉にしか聞こえなかった。かがりを〝熾天の子〟の地位から引きずり下ろしたのは他ならぬこの男であろうに。
部屋の人間どもが血相を変えて立ち上がった。当たり前のことだった。村に災厄をもたらす寇魔を目の前にして暢気に茶を啜っていられるほうがおかしい。
「熾天寺かがり、何故貴様がここにいる! 我々を嘲笑いに来たのか……!」
「ち、違う。私は……」
「こいつは天颶を退治しに来たのだよ」
ぽん、と肩に手を置かれて心臓が飛び出そうになった。全員の視線が一点に集中する。かがりも恐る恐る上を見る。道服の奇人はしたり顔で人間どもを見つめていた。
「熾天の子の役目は天下に光をもたらすことだ。これからこの狐娘が榮凜島を覆っている暗雲を振り払ってくれるそうだぜ」
「ちょっと、あんた……!」
南条がふっと吐息を漏らした。それは明らかに嘲りを含んだ笑いだった。
「何を云うかと思えば。だいたい貴方は何者なのです? 熾天寺かがりがどんな人間か――いえ寇魔なのか、ご存知ないのですか? その娘は村に災いをもたらす化け狐なのですよ」
「莫迦じゃねえのか?」
南条が顔を引きつらせた。
「天颶が暴れるのは天颶自身が暴れたいからだ。かがりを迫害したって何も解決しない。天颶を倒さなければこの島に平和が訪れることなどありえん」
「……寇魔は寇魔を呼ぶと古文書にも書いてあります。その娘がいるから我々は甚だしい苦しみを背負うことになっている」
「そうだそうだ!」――村長どもが南条に追随した。かがりは身を硬くしてじっと耐える。人から嫌われることには慣れている、こんなのはいつものことだ、だから無視してやればいいんだ――そう思って逃げ出そうとしたかがりの肩を、彩紀はぎゅっと掴んで止めた。
彼は無表情だった。しかしかがりにはわかった。微かに、怒りのにおいがするのだ。
「ところで神職よ。お前の名前はなんだ」
南条の眉がぴくりと動く。口元は綻んでいるが目は笑っていない。
「南条星継。命融神社の右禰宜にして巫女様の側近でございます。貴方は」
「神津彩紀。彭寿星と云ったほうがわかりやすいか?」
「……彭寿星は断じて貴方のような瘋癲ではない」
「史書に曰く彭寿星は今年復活するんだろう? ほぅら、復活しているぞ」
「ふざけたことを。榮凜島の守り神を侮辱するか」
南条の瞳が殺気を帯びた。彩紀は「すまんすまん」と悪びれた様子もなく云った。
「だがふざけているのはお前らのほうだ。――見ろ、この狐耳を。狐の尻尾を。こんなに愛らしい姿をした少女を化け物だの寇魔だの、感性が死んでいるとしか思えんぞ」
「あ、愛らしいって……莫迦じゃないの……本当に莫迦……」
思わず俯く。頬が熱くなる。こいつは何を云っているのだろう。
「まあ安心したまえ。お前らの腐った感性は俺が矯正してやる。すなわち熾天寺かがりの素晴
らしさを思い知らせてやるのだ。――そのために、一つ取り引きをしようではないか」
「やかましいわ不審者めが! この場から出て行けッ!」
桜泉里村長が足音を響かせながら近づいてくる。しかし南条がその肩を掴んで引きとめた。
「南条殿……! 離してくだされ、そやつの鼻っ面をへし折らねば気が済みませぬ!」
「落ち着いてください弥三郎殿。――神津彩紀とか云いましたか」敵意のこもった視線が彩紀に向けられた。「彭寿星を騙ったうえに化け狐を村に連れてくるなど目に余る所業です。これは熾天の巫女の裁きを受けねばならぬほどの大罪ですよ。――そうまでして、貴方は我々に何を伝えたいのです?」
「熾天寺かがりの待遇改善を要求する」
滅茶苦茶だ。何もかも。人間たちの気持ちはよくわかる、いきなり奇妙な恰好をした不審者が、しかも忌み嫌われている化け狐を連れてきて「天颶を倒してやろう!」などと云ったところで彼らにとっては冗談どころか挑発、愚弄にしか聞こえないだろう。
だからもうやめてよ。十分だから――そんな感じで切に願っていたのに、この変態仙人はかがりの心を丸きり無視して爆弾発言を炸裂させるのであった。
「――そのかわり、この娘自身が天颶どもを一匹残らず退治しよう。そうすれば、もうこいつを〝村に災厄をもたらす化け狐〟呼ばわりはできないだろう?」
論理的には正しいと思う。しかし急すぎて心の準備ができていない。
「本気ですか」
「本気だ。――なあ、かがり」
かがりはしばし固まった。同意を求められても困る。困るのだが――周囲の人間の表情を見ているうちに反骨精神が鎌首をもたげた。どいつもこいつも悪意に満ちた表情、しかしその表情の奥には呆れのような感情も見え隠れしていた。「何を云ってるんだ」「天颶退治なんて無理に決まってる」「化け狐ごときが」――
そんなふうだから。そんなふうに心を腐らせているから、天颶どもが増長するのだ。もはや我慢はできなかった。気づけばかがりは拳を振り上げて宣言していた。
「――当たり前でしょ! 天颶なんて、この私がぎったんぎったんにしてやるわ!」
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