一章 千年後 その5

「それで、どんな奴だって?」

 クロはカップからコーヒーを啜りながら本棚に背中を預ける。

「やっぱり異形狩りの連中らしいぞ。まあ十中八九クロを狙ってきたんだろうな。近くに他の吸血鬼のお仲間はいないんだろ?」

「そうだねえ。今はみんなバラバラだよ。何か月かに一回あったりするやつもいるが……。にしてもどこで私の痕跡を見つけたんだか」

「考えにくいよな……仮にも擬態してるクロを追跡できる奴なんて本当にいるのか? ……もしかして最近何かしたか?」

「あー……最近ね…………」

 嫌な沈黙が流れる。

 クロは明後日の方向に視線を向けながらもう一度コーヒーを啜る。

「はぁ……。心当たりあるのか」

「あ、あれは事故みたいなものだ! 私のせいじゃない。キャスパーの奴がへましたから仕方なくだな……」

「ったく、何が『イェネガンドの吸血鬼、クローディア様だ』だよ。聞いてあきれるぜ」

「うるさいなあ。別に私の痕跡が読まれていただけで私個人に到達したわけでもない。それにいざとなれば――」

「ここが気に入ってるんだろ? それはなしだ。今回ばかりはいつもみたいに露払いすりゃいいってもんでもないだろ。異形狩りの方々には丁重にお帰り頂かないと」

 クロはぐぬぬっと唸り声を上げジト―っとした目でこっちを見る。

 そんな目でこっちを見るな。追われるような痕跡を残したお前が悪い。

「まあ、幸いその異形狩りとやらのサイラスって魔術師はこっちを警戒してるわけでもなく呑気にユフィに魔術を見せびらかしてるらしいから、大人しくしてれば会うこともないだろ」

「そうだな……。やれやれ、まあたまにはこういう刺激がないとつまらないからな。長い年月を生き過ぎて娯楽も遊びつくしてしまったし。すべてを破壊すれば済むという考えは遠の昔に捨て去ったよ。過程を楽しまないとな」

「そんな風に考えていた時期があったのが驚きだわ……頼むから人類を滅ぼそうとしないでくれよ」

「ははは、する訳ないだろ。お前は虫が沢山いるからってこの星の上から絶滅させたいと――」

「いや、毎回虫に例えるのもういいから。お腹いっぱい」

「酷い……」

 コンコン――。

 不意にノックが鳴る。

「噂をすればだぞ、ギル」

「は?」

「ギルー! いるんでしょー!」

 もう一度ドアがコンコンとなる。

「なんだよユフィか。昼間っから家にくることなんてあんまないのに、珍しいな」

「ふふふ、何もなくても会いたくて会いに来てしまう。いよいよだね」

「うるせえよ何がいよいよだ」

 俺は立ち上がりドアの方へと歩く。

 朝追い返したばかりなのにもうご機嫌な声色で俺を呼ぶ辺り、こいつも大概だな。

 ま、それくらい機嫌が直るのが早いと何かとありがたい訳だが。

 俺はドアに手をかけ、ゆっくりと開く。

「何の用だ、ユフィ。魔術師様に魔術を見せて貰うんじゃ――」

 と、皮肉交じりにドアを開けると、ユフィの奥に別の人物が立っているのが視界に入る。このタイミングで来る人物なんて一人しか考えられねえ。

 恐る恐るドアを開けきると、そこには黒と青のローブに身を包んだ男が立っていた。

 腰からはちらりと白いベルトが見えている。

 クロの奴……噂をすればってそう言う事かよ……! 先に言え!

 緊迫する空気の中、最初に口を開いたのはユフィだった。

「サイラスさん、この人がギルよ! 意地っ張りで魔術なんか見ないってかっこつけてたやつ」

「ほう、彼がユフィちゃんの友達で魔術が使える師匠の……」

 サイラスは穏やかな笑みを浮かべる。耳に付けた緑の耳飾りが揺れる。

「ギルが意地張ってるからわざわざ連れてきて上げたわよ、感謝してよ!」

「は、ははは……そりゃどうも……」

 やってくれたなこいつ……!

 サイラスはキョロキョロと家の中に視線を這わせると、ニッコリと笑みを浮かべる。

「どうも、王国騎士団魔術騎士のサイラス・グレイスです。いやー凄い家ですね。入っても?」

「いや、ちょっと今立て込んでて――」

「いいじゃないか、ギル。せっかく来てくれたんだ、少し上がってもらっても」

 おいおいまじかこいつ、状況わかってんのかよ。

 クロが不敵に笑う。

 やる気か? ここで?

 クロはゆっくり俺の方に近づくと、小声で耳打ちする。

「敢えて敵をもてなす。スリリングで面白いじゃないか」

 クロの口角が上がる。こいつそのためにこの男が来るのを黙ってやがったな……!

「ささ、どうぞどうぞ。何もない家ですけど、今飲み物出しますね」

「すいませんね。じゃあ遠慮なくお邪魔させてもらおうかな」

 躊躇なくサイラスは家の中に足を踏み入れる。

 退く様子がないあたり、確実に何か違和感を感じ取ってやがる。

 サイラスはテーブルに着きはせず、家の中の様子を伺っているようだった。

 近くから見るとサイラスは想像よりもずっと若かった。眠りにつく前の俺と同じか、もう少しだけ年上といったところだろうか。青い髪が肩に掛かる程度に伸びている。うっすらと笑みを常に浮かべているからか、どこか明るい印象を受ける。

――ただ、その笑顔が何処か胡散臭い。

 サイラスはゆっくりと興味深げに室内を見渡したのち、不意にサイラスは本棚の前で立ち止まると、驚いた表情で口を軽く覆う。

「こ、これは……――!」

 やばい、何か手掛かりになるようなもの置きっぱなしにしてたか……!?

「……どうかした?」

「いや、魔術書の量に驚いてしまって……。まさか魔術書がこんなに――どこでこれを?」

「えっと……それは死んだ父さんが持っていたもので、詳しくは知らないんだ」

 さすがに俺が千年も前から所持していたなんて言う訳にもいかない。

 でもやはりこれだけ力のありそうな魔術師でもこの本の量には面食らうのか。

 ――と思っていたが、どうやらそう言う訳ではないようで、サイラスは「興味深い」とぼそりとつぶやきながら本棚を食い入るように見つめる。

「お父さんが……。どれもこれも千年近く前に書かれた古文書レベルの書物だ。本当に興味深いよ……。ヤングにカステオ……ウガンの書まで……。しかもこの品質の保ち方は――保護魔術が掛かっているのか」

 サイラスはブツブツと独り言をつぶやき始める。

 おいおい、大丈夫かこの人。

「えっと、俺はそんな詳しく知らないけど、そんな珍しいものなのか?」

 どれも確かに千年前の書物であることは事実だが、別に俺がレアな本を買い集めた訳でもなく、その辺の書店で買ったものが殆どだ。ウガンの書なんて本人からの貰い物だし。

 歴史的な価値があるかは不明だが、サイラスが言ったように保護魔術が掛けられるんだから幾らでも残っていそうなもんだが。

 すると、サイラスは不思議そうな顔をしてこちらを見る。

「――あー、そうか。森の中でずっと暮らしていたなら……。そうだね、失礼。知らないのも無理もないかもしれない」

「どういうこと?」

「――千年程前、魔神と人間との闘いがあったのは知っているかい?」

「まぁ、それくらいは」

 事実、俺はそれに参戦してたわけだしな。詳しすぎる程知ってる。

「その時、魔神達の軍にとりわけ猛威を振るったのは魔術師たちの攻撃だったそうだ。今では考えられないが、隕石のようなものを降らせる魔術や、地割れを起こす程のエネルギーを持った魔術、死者を蘇らせ操る魔術なんてものまであったと言う」

「えっ、それは流石に……」

 あれえ、そんな超強力な魔術なんてあったかな……。死者の再生なんてまず不可能だしやってたなら俺が知らない訳ねえよな。――いや、死霊魔術なんてのがあったか……。にしても隕石級は流石に……。

 千年も経てば正しく伝わってない事実もあるか。こいつらの中ではあれは伝説上の戦い……いわば神話みたなもんなんだろうか。

「ま、真実はわからないがね。――そして人間が勝利し、魔神は封印された。そして後には人間による人間のための世界が残った」

「それで平和になったんだね」

 サイラスは頷く。

「でも、人間は愚かだからね。そのうちまた人間同士で争うようになった。その時脅威となったのが、あの魔神さえも恐怖の底に叩き落した魔術の存在だ。あんなものが人間に向けて放たれれば、人類はすぐにでも絶滅するだろう、と」

 なるほど……何となくわかってきたぞ。

「時の権力者が選択した方法は……魔術師の糾弾と魔術書の焚書。魔術師狩りの横行さ。その時代を暗黒時代と呼んでいる。この時、魔神との大戦以前の魔術書と、沢山いた魔術師たちは姿を消した。出回っていた書はすべて焼かれ、力ない魔術師たちは抵抗する間もなく殺され、有力な魔術師たちは姿をくらませた」

「酷い時代だな……」

 やはりそうか……。俺が眠りについた後そんな出来事が……。

 正直、そんなことになるなんてあの時は微塵も思っていなかった。

 あの当時、魔術師にも騎士の様な称号を与えられ地位も高まっていたし、浅く広く、魔術は確実に広まっていた。それが、急にそんなことになるなんて。

 それが原因か。ユフィの村に一人も魔術師がいないのは。

「もちろん今はそんなことはないけどね。歴史の汚点というやつさ。だからね、失われた魔術も多いし、書物何か残ってすらいないのさ。それが、まさかこんなところに大量にあるなんてと驚いてしまってね」

 サイラスの眼はキラキラと輝いていた。訪ねてきた時とは比べ物にならないほどに。

「君のお父さんは……君の一族はこの魔術書を大事に守ってきたんだろうね。凄いことだよ。だから君もきっと立派な魔術師になるに違いない」

 そう言い、サイラスはニッコリとしながら俺の頭を撫でる。

 何だか調子狂うな……こいつはクロの天敵だろ。

 ――にしても、そんなことがあったならさっさと教えろよなクロ。六年間そんな話一度も聞かなかったんですけど!? どうせ聞かなかったからとかいうんだろうなあ……。

「そういえば、さっきの女性は君のお母さん?」

「……みたいなものかな」

「ふむ……。彼女は魔術師ではないようだね。という事はこの家周辺の結界や本の魔術は……」

 サイラスはチラッと俺を見る。

 その目はさっきのキラキラした目とは違い、何かを疑っているような、そんな懐疑的な眼だった。

「何か気になることでも?」

 サイラスの顔がパッと元に戻る。

「――いや、こっちの話さ。ととりあえず今日はお暇させてもらおうかな、調べたいことも出来たし、長居は無用さ」

「えー、魔術見せてくれるんじゃないの? ギルにも……」

 ユフィは悲しそうな表情でサイラスの裾を掴む。

 サイラスは屈むとユフィの頭をそっと撫でる。

「ごめんね、ユフィちゃん。近いうちに必ず見せると約束するよ。今日はちょっと用事があってね――では、お母さんにもよろしく言っておいてくれ」

 そう言い残し、サイラスはユフィを連れて出て行った。

「あらら、帰っちゃったか」

 クロはサイラスが返った直後見計らったかのように奥から姿を現す。

「何か気になるところはあったのか?」

「どうかなあ。私の擬態は見破れてないみたいだが……魔術師としてはそこそこかな。君の結界に引っかからない程度の力はあるということさ。ま、それは君がこんな森に来る奴は居ないって言って手を抜いたせいだけどね」

「……うるせえ。まあ悪い奴って訳ではなさそうだけど、ありゃ俺の周りを疑ってるな。……疑ってるというより、興味を持ってると言う方が正しいか。吸血鬼へと繋がる手がかりが俺の先にあると踏んだか、単に魔術的な好奇心で俺の周りに目を付けたかは知らないけど……」

「モテる男はつらいねえ。まさか君自信が最強の魔術師とは夢にも思うまいさ。君の背後に吸血鬼と繋がるような魔術師が居るかもしれないと推測するのは当然の流れか。どうやら私は対象からは除外されたみたいだし、また接触してくるぞ」

「だろうな。俺の周りを調査して吸血鬼は空振りだったと思ってくれたらいいんだけどな。ただクロが言ってた同胞の血の匂いとやらは少し気になるな」

「ははは、何はともあれ君たちは仲良くなれそうじゃないか。なんか情報があったら教えてくれよ」

「おい、クロも探り入れろよ、クロの問題だろ」

 クロは気だるげに首をぽきぽきと鳴らす。

「なーんか拍子抜けしちゃったよ……。擬態を見破れない程度なら別にスリルも感じないし。興味が君に移り始めているなら、傍観するのが吉かなあ。死体が増えるのは嫌だろ?」

 クロは至って純粋な表情でさらっと言ってのける。

 これだから感覚の違う奴らは……。

 その日はそれ以降、サイラスが家を訪ねることは無かった。

 

 

しかし、彼が再びやってきたのは次の日のことだった。

「いやー、気持ちのいいものだね、森を歩くのは。最近は遺跡やら砂漠やらを旅していたものだから、木々が生い茂っているのを見るのは久しぶりだよ」

 俺の少し後方を歩きながら、サイラスはペラペラと聞いてもいないことを語る。

 サイラスは少し立ち止まると、後方を振り返り声を張る。

「ユフィちゃん本当に大丈夫かい? 結構なペースで来ちゃってるけど」

 少し離れた位置でしゃがんで何かを見ていたようで、ユフィは声に気が付くと急いで立ち上がり片手を上げる。

「大丈夫! 私は慣れてるから!」

「そうか、流石だな。ユフィちゃんには魔術の才能があるし、将来が楽しみだ。そう思わないか、ギル君?」

「そうだな」

 俺はぶっきらぼうにそう吐き捨てる。

 畜生、何でこんなことに……。なんで俺がサイラスを連れて森を案内なんか……。

時間は今朝にさかのぼる。

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