一章 千年後 その4
身体が溶けそうなほどの蒸し暑さにうなされて朝目が覚めるというのを繰り返して、もはや何日目だろうか。
そりゃ寝苦しい夜もあるさ、夏だもの。――――と言いたいところだが、いや、そう単純な話じゃない。
ここ最近やけに暑苦しくうなされ、たまらず目を開けると、そこには大きくて柔らかいものが顔面に押し当てられているのだ。
それどころか、俺の華奢な身体を抱き枕のように両足で挟みこみ、がっちりとホールドしている。
――そう、夜な夜な手持無沙汰になったクロが俺の寝床に意図的に迷い込み、好き勝手しているのだ。それを追求すると、クロは悪びれず楽し気に答える。
「いやー、仕方ないじゃないか。縮んでしまった君はとても抱き心地がいいんだから。それとも、抱き着かれて困るようなことが起こっているのかな……?」
そうやってニヤニヤした表情でクロは下着姿のままベッドから立ち上がり、寝る前に無造作に脱ぎ捨てたのであろうヨレたTシャツを適当に着るのだ。それがここ最近……というか夏中続いている。
いい加減目のやり場にも困るしそれ以外の情動にも困るし、支障しかない……!
魔術の鍛錬に明け暮れた前の時代の俺には女性に対する免疫はないのだ!!
もともと自分で言うのもなんだがかっこつけたがりだし、あえて強がって見せるタイプだが、この子供の身体だとそれが返ってクロの母性をくすぐってしまうようだ……。
そういうこともあって、俺は毎朝げっそりとしながら朝食のテーブルにつく。
羞恥心というものがないのか(クロは決まって「人間は虫の前で裸になることに抵抗を覚えるのかい?」と極論をかましてくる)、中途半端な色仕掛けで俺を困らせてくる。
長い年月を生き過ぎて普通のことじゃ楽しいという感情が湧くこともなくなってしまった故の奇行なのだ、恐らく。少なくとも千歳は余裕で超えているのだから、まともな訳がない。
そのくせやってることはガキ臭いあたり、歳を重ねれば精神年齢も上がって落ち着いていくというのは万人共通の事項ではないようだ。
と言っても、老人になると子供の頃の心を取り戻してキラキラした好奇心が復活するという話もあるし、一概に言い切れるわけではないか……。
そんなこんなで今日も今日とて食卓テーブルに向かい合わせに座り、朝食を共にする。
「なあギル。どこ見てるんだ? わかっているんだぞ? さあ白状しろ」
「っさいなあ……。どこも見てねえよ。――いいから黙って飯食えよ」
「やだねえギルちゃんは。反抗期かい?」
「母親面するな!」
クロはケラケラと楽しそうに笑う。
「あー楽しい。思った通り、君をからかうのは楽しいなあまったく」
「六年もずっと飽きずにからかい続けるとは思ってなかったよ……。どうせこのままいけば成長して以前の姿に戻るんだから、そうなったら覚えてろよ」
「元の姿に戻ろうが、力が完全に全盛期に戻ろうが、私にとっちゃ赤子同然なんだよなあ」
「……うぜぇ~」
悔しいことになかなか言い返せない……。
吸血鬼は人間には殺せない。それだけ上位の存在なのだ。万が一の可能性として倒せることは合っても殺すことは出来ない。
本来、こうやって俺という人間に構っていることが異常なのだ。
「そういえば、今日はユフィちゃんは来ないのかい?」
クロはパンを一欠片口に放り込みながら質問する。
「さあ知らね。来るときは勝手に来るし」
「やれやれ、フィアンセのスケジュールくらい把握しておきたまえよ」
「フィアンセじゃねえよ!」
俺は勢いよくツッコむ。
「俺にロリコン趣味はない!」
「やだ、嘘!? じゃあやっぱり私のような熟女が――」
「それもやめろ……。だいたいさあ――」
と、クロの目に余るちょっかいを今日こそ問い詰めてやろうと喉元まで言葉を用意し、朝食から視線を外してクロの方へと顔を向ける。
「最近毎日俺……の……――――?」
すると、さっきまで饒舌に俺をからかっていたクロが一定の方向を見つめて険しい表情を浮かべているのが目に入り、思わず俺も何が起こったのかと自分の言葉を遮る。
あまりにも唐突に様子が変わるものだから、俺は思わず息を飲む。
「……どうした?」
何かを感じ取っているのか、キョロキョロと視線を動かす。
「ギル――」
クロはさっきまでのおどけたような声色とは違い、低く冷たい声で語りかける。
「二人――いや、この感じだと三人か。ちょっと匂う奴らが村に入ったみたいだ」
「匂う……? 吸血鬼狩りの連中か? あー、今はなんだっけ、異形狩りって名前なんだっけ? 変わり過ぎてよくわからん」
「どうだかね……。――ただ、血の匂いはする、同胞のね」
「同胞!?」
まさか、吸血鬼に遭遇して生きてられる人間がそう簡単にいる訳がない。
普通に気付かずに接している分には問題ないが、同胞の血……つまり吸血鬼と一戦交えた奴らということだ。
「私の耳に入ってないってことはつい最近どっかの誰かがへまやったか、共有する程の事柄じゃなかったかのどっちかだろうね。……ま、どちらにせよ警戒するに越したことはない。余り関わり合いにならないようにしな、君も何言われるかわからない」
「俺がどうやって関わるってんだよ。村にもほとんど行かないのに。むしろクロの方こそ先にちょっかいだすなよ」
「ふん、私達吸血鬼は擬態もなしに自ら人間に関わりに行くなんてことはしないよ」
「……で、どうするんだ? 身を隠すのか? 村に入ったやつらの目的が何なのかわかるまでは事を起こしたくないんだろ? まあクロがお目当てかどうかは知らないけど」
クロは俺の発言を鼻で笑う。
なんだこいつムカつくな。
「私を誰だか忘れてしまったのか? イェネガンドの吸血鬼、クローディア様だよ。人間が逃げ出すことはあっても私が逃げだすことはあり得ないのさ。ま、擬態が見破られることなんてないし、日が経てば勝手にいなくなるだろうさ。――けどもしちょっかいをだしてくるなら、その時は相応の対処をするだけさ。ここは気に入ってるからそうなっては欲しくないけどね」
そう言うとクロは伸びをしながらクワーっと欠伸をし、気怠そうに立ち上がると「水浴びしてくる」と言って家を出る。
ま、クロの言う事ももっともだ。
誰が来ようとも、クロはクロのままだ。
道のど真ん中を歩き、前から誰が来ようが、どんな障害物があろうが、クロは決して道を譲らない。
それは慢心でも傲慢でもない。自分こそが最強の種族だという自負。ただそれだけだ。
――にしても、よくよく考えるとクロなんていう吸血鬼に面倒を見て貰ってるなんて人類史始まって以来俺だけだろうな……。
俺は食べかけだったパンを一息に口に詰め込むとミルクで流し込む。
「ぷはぁ――……うっま」
俺はクロの同胞……吸血鬼の血の匂いが漂うというその人物たちのことが少しだけ気になった。
かつての最強魔術師としての知的好奇心が疼いた。
◇ ◇ ◇
「それでね、その人凄いんだよ!」
純粋な眼にキラキラとした輝きを灯しながら、興奮を抑えきれない様子でユフィが俺に語り掛ける。
「凄いカッコいい魔術だったなあ」
「なんだよ、そいつが何か魔術を見せてくれたのか?」
「うん! なんかねえ、バシューっと光る矢みたいのが出てきてね、盾を粉々にしたんだよ、凄くない!? 詠唱っていうのもしてなかったし、あの弓に魔法陣でも描いてたのかなあ……凄いなあ」
「矢ねえ……」
光る矢の攻撃魔術……そのレベルなら汎用魔術じゃねえな。
ということは――特異魔術か。
でも、魔術師の奥義とも言える特異魔術を簡単に人に見せるか? 生命線だぞ。
その程度の魔術師なら警戒するほどでもないか……?
――いや、俺の頃とは時代も違うんだ、自分の特異魔術を隠しておくのが基本と言うのはもう古い考えという可能性もあるか。
まあ、少なくとも特異魔術が扱えるレベルの魔術師ということだ。雑魚ではないんだろう。
「で、そいつは――」
「そいつじゃなくてサイラスさんね」
「……そのサイラスって人はなんでこの村なんかに来たんだ? お前の話を聞く限りじゃ結構お堅い奴っぽいじゃねえか」
「んーなんかね、何かの手がかりを追ってこの村まで来たって言ってたよ。確か……“異形狩り”っていう部隊の人みたい」
やっぱり異形狩りか。つーことは、狙いはやっぱりクロか?
にしても、吸血鬼を狩ろうなんていつの時代も人間は愚かすぎるな……。千年経っても学ばない辺り、結局人は繰り返すんだなあ……。
「じゃあ化物でも狩りに来たんだろうな。もしかしたらユフィの村にもう入り込んでるのかも」
「そ、そんなことない! ……ないはずだけど。……でも、そうだとしてもサイラスさんは絶対悪い人じゃないよ! きっと優しくしてくれるもん」
ユフィはグッと拳を握りしめて力説する。
こりゃ相当憧れ持っちゃってるな……。まあ俺しか魔術師を知らなかったんだからそりゃそうか。
俺がいつも見せてるのって汎用魔術の類だし……。
「あ、そうそう、それでねサイラスさんが空いた時間にまた魔術見せてくれるっていうから一緒に見に行こうよ!」
「俺はパス。あんま興味ないや」
違う意味で興味はあるけどな。
「なんでそういうこと言うのー! ねえ一緒に会いに行こうようー……ギルも凄い魔術なら勉強になるでしょ!」
「俺はいいの、もう最強だから」
「どっから来るのその自信……」
さすがのユフィも若干困惑気味に眉を潜める。
「……はあもういいや、後で見せて欲しいって言ってきても知らないんだからね!」
ユフィはぷっくりと頬を膨らませプンプンと不貞腐れながら村へと帰っていった。
ちょっと悪いことをしたかな……。
いや、でも本当に異形狩りだとしたら迂闊に俺が接触してクロに迷惑かける訳にもいかないし……。
ま、今度もうちょっと複雑な魔術でも見せて機嫌とっておくか。