第四章 幼馴染クライシス その4

「麻衣」

「おわっ! びっくりした!」

 絵里ちゃんちからの帰り道、人通りがなくなったところで急にネルから声をかけられた。

 ちょ……マジでビックリしたんだけど……。

「アンタ、また外で話しかけてきて!」

「人がいなくなるまで待っていただろう。それより、麻衣」

「なによ? ……って、まさか?」

「ああ、そのまさかだ」

 ええ? このタイミングで?

 ここ、外なんですけど?

「今なら人目はない。すぐに変身するんだ!」

「あーもう! 分かったわよ!」

 人通りが無くなるまで待っていたという言葉からするに、ギデオンが発生したのはもうっちょっと前になるんじゃないか?

 そう思ったあたしは、文句を言いつつも人目がないことを確認したあと、すぐに装備を展開する。

「それで? ギデオンの反応はどこ?」

 あたしがそう問いかけるが、ネルからの反応がなかった。

「ネル?」

「……ギデオンの反応は」

 返事がなかったネルに再度問いかけると、ようやく反応してくれた。

 そして、その口から出た言葉に、あたしは驚愕した。

「……今、麻衣が出てきた家だ」

「……え?」

 一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。

「ちょっと……もう一回言って」

「だから、ギデオンの反応は、麻衣がさっきまでいたあの家」

 ネルはそう言いながら、視線をある一点に向けた。

「絵里の家だよ」

 絵里ちゃんの家を見ながら、そう言った。

「うそ……」

「嘘じゃない。とにかく、急いで行くぞ!」

「あ、うん……」

 ネルの言葉に呆然としてしまっていたあたしは、フラフラとした足取りで絵里ちゃんの家に向かった。

 おぼつかない足取りでようやく着いたとき、今まで絵里ちゃんの家からは聞いたことがない大声が聞こえてきた。

「絵里! 絵里! どうしちゃったの!? やめなさい!!」

「ぅううあああっ!!」

 その声を聞いたあたしは、二階にある絵里ちゃんの部屋の窓まで飛び上がり、中の様子を伺った。

 するとそこには、今まで見たことがない形相で暴れる絵里ちゃんと、意味が分からず狼狽えるおばさんの姿があった。

「まさか……絵里ちゃんが……」

「信じたく無い気持ちは分かるが、これは現実だ。早く絵里を解放してやらなくてはならない」

「わ、分かってるわよ!」

 思わずそう叫んだけど、それでもあたしはまだ信じ切れずにいた。

 だって、あのお淑やかで優しい絵里ちゃんが鬼みたいな形相で暴れてるんだよ?

 そんなの、実際にこの目で見たって信じられないよ。

 しかし、現実は残酷だ。

 あたしがそうやってグズグズしていると、新たな展開があった。

「あ! 絵里!」

「え? きゃあ!?」

 絵里ちゃんが部屋の窓を突き破り、外に出てしまったのだ。

「マズい! 追うぞ麻衣!」

「う、うん!」

 辺りはもう暗くなり始めているとはいえ、人が屋根伝いに飛び回っていると誰かに見られるかもしれない。

 そうしたら、絵里ちゃんはご近所から奇異の目で見られるかもしれない。

 それはなんとしても避けないと!

 あたしは、ネルと共に絵里ちゃんを追いかけたけど……。

 くっ! やっぱりギデオンに取り憑かれた人間は、身体能力が大幅に上がるのか、移動するスピードが尋常じゃない。

 あたしだって必死に追いかけてるけど、中々追いつかない。

 しかも、この方角は……。

「ヤバイ……このままだと繁華街に出ちゃう!」

「そうなると、大勢の人の目に晒されるな。動画も撮られるだろうし、配信もされるだろう」

 そんなの! 絶対にさせられない!

 どうにかして繁華街に着くまでに捕まえないと!

 そう思って必死に追いかけるあたしの目に、とても都合のいいものが映った。

「あそこなら!」

 あたしの目に映ったのは、以前亜里砂ちゃんと一緒に練習をした公園だ。

 あそこに連れ込めば人目にもつかない。

 そう判断したあたしは、全力を振り絞って絵里ちゃんに追いついた。

 そして……。

「絵里ちゃん、ゴメン!」

 思いっきりタックルした。

「げふっ!」

 強化されて、普通の人間には傷一つ付けられなくなっているけど、あたしはネルの装備を身に付けている。

 そんなあたしからタックルされた絵里ちゃんは、ちょっとヤバ目な声を出して吹っ飛ばされた。

「ああ! え、絵里ちゃん、ゴメン!!」

「おい麻衣、あまり絵里の名前を呼ぶな。周囲にあれが絵里だと気付かれるぞ」

「そういうアンタも、あたしのことほいほい名前で余分じゃないわよ!」

「そんなことより、奴が立ち上がってきたぞ」

「くっ! 露骨に話題を逸らしたわね……」

 そういえば、さっきは動揺していて見逃したけど、コイツ絵里ちゃんのおばさんの前でもあたしの名前を呼びやがったわね。

 おばさんも混乱してたと思うから、聞こえてはないと思うんだけど……。

 もし知り合いにこんなことしてるのがバレたらどうしてくれるんだ!

「! 来るぞ!」

「うぅうぅ……ああああっっ!!」

 絵里ちゃんが、今まで聞いたこともない声を出し、今まで見たこともない表情をしてあたしに襲いかかってきた。

 そのあまりに異様な光景に、一瞬身が竦むが、間一髪で絵里ちゃんの攻撃を避けることができた。

「くっ!」

「すぐに離れるんだ!」

「分かってるわよ!」

 ギデオンを浄化させる攻撃を放つにしても、多少の溜めは必要になる。

 近すぎると攻撃されるのでギデオンからは離れないといけない。

 けど絵里ちゃんは、強化された身体能力を使って、離れようとしているあたしに肉薄してきた。

「うそっ!」

「ああああっ!!」

「わっ!」

 思いっきり振りまわしてきた右腕を間一髪でしゃがんで避ける。

 あっぶな!

 今の食らってたら、いくら強化されてても吹っ飛ばされちゃうよ!

「なにこれ!? 絵里ちゃん、強くない!?」

 必死に絵里ちゃんから遠ざかりながらネルに訪ねると、とんでもないことを言いった。

「それだけ、心に巣くっていた闇が大きいんだろう! それがギデオンにより増幅されてしまっている!」

「そ、そんな……」

 まさか、絵里ちゃんが?

 あのお淑やかで、優しくて、怒ったところなんて見たことがない絵里ちゃんが?

 心に大きな闇を抱えていたっての?

「う、嘘よ! そんなの信じられない!」

「信じようが信じまいが、今目の前で起こっていることが現実だ!」

 あたしは、ネルのその言い分に言い返すことができない。

 いくらあたしが否定しようと、絵里ちゃんはギデオンに取り憑かれて悪霊憑きになっているし、今までの悪霊憑きになった人と比べても身体能力が高い。

 それは、認めざるを得ない事実だった。

「っ! また来た!」

 いつまでもあたしがウダウダしているせいで、絵里ちゃんは体勢を整え、またあたしに向かって突っ込んできた。

 その攻撃も、なんとか躱す。

 身体能力は上がってるけど、理性がないみたいだから動きが直線的なのが救いだな。

 真っ直ぐ向かってきてくれるので、まだ避けられる。

 けど……。

「このままじゃ、浄化の光が使えない!」

 動きが速すぎて、溜めに必要な時間と距離を保てない!

 打つ手がないと思ったそのとき。

「麻衣! 危ない!」

 どうしようかと一瞬考えた隙に、絵里ちゃんが目の前まで迫っていて、その腕を振るうところだった。

 ヤバイ、避けられない!

「きゃああっ!!」

 思わず手を交差させて防御する体勢を取った。

 けど、いつまで経っても衝撃はこない。

 あたしは、恐る恐る目を開けてみた。

 すると、そこに……。

「随分と苦労しているようじゃないか、魔法少女」

 絵里ちゃんの攻撃を受け止めているNINJAがいた。

 そんなNINJAに、あたしは不覚にもドキッとしてしまった。

「怪我はないか?」

 そう聞いてくるNINJAの声であたしはハッと我に返った。

「お、遅いのよ!!」

 あたしは、赤くなった顔を誤魔化すように、NINJAに悪態をついてしまった。

 するとNINJAは、呆れたように言った。

「助けてもらっておいて、その言い草はないだろう」

「う……」

 確かに、その通りだ。

 NINJAはあたしのピンチを救ってくれた。

 それに対して文句を言うのはさすがに無礼過ぎる。

「あ、ご、ごめん。その、ありがと……」

 あたしがお礼を言うと、NINJAは覆面から唯一見える目を大きく見開いた。

 ちょ、なにそれ。

「まさか、素直に礼を言うとは思わなかった」

「助けてくれたんだから礼くらい言うわよ」

「そうか。それにしても、お前が苦戦するとは、一体どんな……」

 そう言って、攻撃を受け止められたあと、あたしたちから距離を置いている絵里ちゃんを見たNINJAは動きを止めた。

 コイツ、咄嗟に攻撃を受け止めたから絵里ちゃんのこと見てなかったな。

 そういやコイツ、あたしの知り合いかもしれないんだっけ。

 ということは、絵里ちゃんのことも知ってる可能性があって、絵里ちゃんが悪魔憑きになってるから驚いたのかも。

 それは確かめておかないと。

「ねえ」

「なんだ?」

「アンタ、この子のこと知ってるの?」

「……」

「やっぱり……アンタ、あたしの知り合いなんだね」

「それは……」

「そのことは今はいいや。それより、このこと誰にも言わないでくれる?」

「このこと?」

「絵里ちゃんが……こんなことになってるってこと」

「それは……」

「お願い。絵里ちゃんのことはあたしがなんとかするから、まだ誰にも迷惑かけてないから。だから誰にも言わないで!」

 あたしは、必死にお願いをした。

 世間では、心に闇を持っている人間が悪魔憑きになりやすいと認識されている。

 それは間違いではないけど、絵里ちゃんが悪魔憑きになったと知れたら、絵里ちゃんは心に闇を持ってると皆に見られる。

 そんなこと、絶対言わせない。

 そう思ってNINJAにお願いした。

 すると。

「分かった。このことは我の心にしまっておく」

 NINJAは、このことを口外しないと約束してくれた。

「そう。助かるわ」

「別に構わん。それで、どうするんだ?」

 離れた場所からあたしたちの様子を伺っている絵里ちゃんを見ながら、NINJAがそう言った。

 どうするとは、どうやって絵里ちゃんを正気に戻すかってことね。

「正直、今までの人と比べて動きが早過ぎる。あたしが力を溜めてる暇がない」

「そうか、なら……」

 NINJAはそう言うと、絵里ちゃんに向かって行った。

「我が足止めしておいてやる!」

 突然飛び掛かってきたNINJAを、絵里ちゃんは拳で迎え撃った。

 絵里ちゃんのそんな攻撃的な姿と、般若みたいな顔を見て、あたしは悲しくなった。

 だって、あの絵里ちゃんが……あたしの親友の絵里ちゃんが、長い髪を振り乱し、鬼の形相でNINJAに攻撃をしている。

 こんな姿、見たくなかった。

「お、おい! なにをしている魔法少女! さっさと力を溜めろ!!」

「はっ!」

 NINJAの言葉で、我に返った。

 さっきからNINJAは、自分から攻撃していない。

 最初の一撃は、絵里ちゃんの意識を自分に向けさせるためのものだったんだ。

 それ以降は、ずっと絵里ちゃんの攻撃をいなし続けてる。

 それは身体能力向上だけでは片付けられない、洗練された動きだった。

 多分、武道経験者なんだろう。

 装備によって身体能力が向上している今のNINJAなら、多分絵里ちゃんを抑え込むのは造作もないはず。

 なのに、絵里ちゃんが怪我をしないように、自分から攻撃をしかけないなんて……。

 アイツ、口は悪いけど、意外と良い奴なのかも……。

 って! あたしはなにを考えてるんだ!

 淳史以外の男を、ちょっと良いなと思うなんて!

 あたしって、意外と浮気者なの?

 ちょっと、うそ、信じられ……。

 あ、NINJAがこっち向いた。

「てめえ! いい加減にしろ!」

「あっ、ご、ごめん!」

 ヤバ、変なこと考えて力を溜めてなかった。

 あたしは、急いで力を溜め始めた。

 その様子に気付いた絵里ちゃんがこちらに向かおうとしてるけど、それをNINJAが必死になって止めていた。

「うあぁあぁあぁ!!」

「お前の相手は我だ! アイツに手は出させん!!」

 だから! そんなちょっとドキッとすること言うんじゃないわよ!

 意識しちゃうじゃない!

 そんなはずはないと、自分に言い聞かせながらステッキに力を溜める。

 そして、やっと力が溜まった。

「絵里ちゃん! 元に戻って!!」

 あたしは、そう言いながら絵里ちゃんに向かって力を解放した。

「ちょ……お前ええ!!」

「あ」

 あたしの放った極太の光線は、絵里ちゃんを包み込んだ。

 足止めしていたNINJAと共に。

 とはいえ、一度放出したものは止められない。

 そのまま光線を撃ち続け、ようやく光が収まったあとに残っていたのは……。

 倒れて意識を失っている絵里ちゃんと、膝をついているNINJAの姿だった。

「あ、あれ? 無事だった?」

「お前えっ!!」

「ひゃっ!」

 膝をついていたNINJAが、突如あたしに詰め寄ってきた。

 ちょっ! 近い! 近いから!!

「怖かった! メッチャ怖かった!! 我らの攻撃がギデオンにしか効かないと分かっててもメッチャ怖かったぞ!!」

「あ、ご、ごめんて! 悪かったわよ! だから近寄らないで!」

 あたしが必死にそう言うと、NINJAは離れてくれた。

 どうしよう……NINJAに迫られたとき、不覚にもドキドキしてしまった。

 え? うそでしょ……この長年の想いが心変わりしたっていうの!?

 あたしは急いで淳史のことを思い浮かべた。

 やっぱりドキドキする。

 うん、これはあれだ。

 吊り橋効果ってやつね。

 緊張状態にあって、ちょっとアイツの格好いいとこ見ちゃったから、意識してしまっただけよ!

 良かった、あたし浮気者じゃなか……。

「おい」

「ひゃい!」

 思わず変な声が出てしまった。

 咄嗟に口を塞ぐあたしを、NINJAは変な目で見てきた。

「な、なによ?」

「なにって、お前……コイツのことどうするつもりだ?」

「あ……」

 NINJAの視線の先を辿っていくと……。

 そこには、ギデオンを浄化され意識を失い、すぅすぅと寝息をたてている絵里ちゃんの姿があった。

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