第四章 幼馴染クライシス その1
裕二と一緒にカラオケに行った次の日。
あたしは朝から次のカラオケでなにを歌おうかなと考えていて、つい鼻歌を歌ってしまった。
「なんだ? 朝から随分とご機嫌じゃないか」
「ん? いやー、別にご機嫌って訳じゃないんだけどさ」
「けど、なに?」
「裕二とさ、今度淳史と絵里ちゃんも誘ってカラオケ行こうって話になってさ」
「カラオケね……」
「そう。そんときになに歌おうかなって考えてたら、自然に出てた」
「そうか……」
「なに?」
「いや……俺、人前で歌うの苦手なんだよな」
「えー? いつもの四人なんだし、別にいいじゃん。恥ずかしいことなんてないって」
「とは言ってもな」
「むー。あたしはみんなと一緒に行きたいのに」
カラオケに消極的な淳史に対し、つい拗ねたような態度を取ってしまった。
でも、しょうがないよね?
だって四人で行ったら絶対楽しいし、そう考えたらワクワクするもん。
絶対、淳史もカラオケに誘ってやる!
そう決意したときだった。
「あ、おはよう、絵里……ちゃ……」
いつもの通学路に、絵里ちゃんがいた。
ただ、その様子が尋常ではない。
目の下に隈ができて、目も充血している。
「え、絵里ちゃん!? ちょ、どうしたの!?」
そう声をかけると、絵里ちゃんはあたしに疲れたような笑みを見せた。
「おはよう、麻衣ちゃん。大丈夫、なんでもないの」
「なんでもないって……」
「ホントになんでもないから。あ、淳史君。昨日の委員会のことで聞きたいことがあるんだけど」
「お、おう」
「絵里ちゃん!」
「ホントに、なんでもないから」
絵里ちゃんはそう言うと、淳史と会話をし始めた。
なんでもないわけない。
あんな絵里ちゃん、見たことない。
なにかあったんだ。
でも、さっきの絵里ちゃんは、まるであたしのことを拒絶するみたいな反応をした。
え? あたし?
あたしがなにかしたの?
まさか、あたしが絵里ちゃんを悩ませるようなことなんて……。
いくら考えても、思い当たる節がない。
でも、今、絵里ちゃんは確実にあたしを避けた。
なんで?
どうして?
目の前で淳史と話している絵里ちゃんは、やっぱり調子が悪い気がする。
そんなになるほどのことを、あたしがしたの?
分からないよ絵里ちゃん。
「おっす! あっ君、麻衣、え、り?」
途中で合流した裕二も、絵里ちゃんの様子を見て驚いている。
「どうした絵里! なんかあったのか!? あっ君にいじめられたのか!?」
裕二がそう言うと、淳史は裕二の頭を思いっきり叩いた。
「痛ったー!! なにすんだよ、あっ君!!」
「お前が馬鹿なこと言ってるからだ。言っとくけど、俺はなにもしてないぞ。朝会ったときから様子が変なんだ」
「朝からって……絵里、ホントにどうしたんだよ」
裕二が本当に心配そうに絵里ちゃんに声をかけてる。
「なんでもないよ。ちょっと寝不足なだけだから」
絵里ちゃんはそう言うけど、それだけのはずがない。
とてもじゃないけど、そんな風には見えない。
だから、なにがあったのか、あたしがなにしたのか訊ねたいんだけど……。
その思いは、次の瞬間に吹き飛んだ。
「え、絵里?」
絵里ちゃんは、裕二に返事をしたあと、ボロボロと泣き始めてしまった。
「ご、ごめんなさい!」
急に泣き始めた絵里ちゃんは、あたしたちを置いて、走って学校へ行ってしまった。
置いて行かれたあたしたちは、呆然だ。
「な、なんで? なんで絵里が泣いてんだよ!」
「知るか! こっちが聞きたいくらいだ!」
「おい麻衣! お前、なんか知らねえのかよ!」
「知るわけないでしょ! むしろ知ってんだったら教えてよ!」
あまりのことに、あたしたちはつい言い争いをしてしまった。
それくらい衝撃だった。
いつも優しい笑みを浮かべていた絵里ちゃんが泣いた。
もしかしたら、あたしがその原因かもしれない。
そう考えただけで、胸が張り裂ける思いがした。
「いい加減にしろ裕二! ここで言い争っていたってしょうがないだろう!?」
「それは! そう、だけど……」
「麻衣」
「なに?」
「絵里から、なにがあったのか聞き出せるか?」
「それは……やってみないと分かんないけど……」
さっき、絵里ちゃんは、あたしを拒絶する素振りを見せたけど……。
あたしの言葉を聞いてくれるんだろうか?
今まで、感じたたことのない不安が込み上げてきた。
どうしようと悩んでいると、裕二が悲痛な顔であたしにお願いしてきた。
「頼む麻衣……絵里から、話を聞いて来てくれ……」
そう、だよね。
大事な幼馴染だもんね。
昨日、皆で楽しく遊ぼうって言ったばかりだもんね。
よし!
あたしは、今日の放課後、絵里ちゃんから話を聞くことを決めた。
多少強引にでも聞き出してやる。
絵里ちゃんは、あんな状態でも登校していた。
とはいえ、教室の自分の席に座り、暗く落ち込んでいる様子を見れば、皆もなにかあったんだと気付く。
けど、そのあまりにも憔悴しきった様子に、誰も声をかけられなかった。
あたしは、あえて日中は声をかけなかった。
授業中、何度も先生に大丈夫かと聞かれていた絵里ちゃんだったが、なんとか一日を乗り切っていた。
あんな辛そうにしているのに、声をかけてあげられなかったのは、親友として情けない思いで一杯だった。
そして迎えた放課後、絵里ちゃんは一人で帰っていった。
だけど、それは想定していたこと。
あたしは絵里ちゃんより先に帰る準備を終え、校門で待ち構えていた。
「絵里ちゃん」
「! 麻衣ちゃん……」
あたしの姿を見た絵里ちゃんは、驚きで目を見開き、そのあと辛そうに目を背けた。
その絵里ちゃんの行動に、あたしの胸がズキリと痛んだ。
やっぱり、あたしがなにかしたんだ。
でも、なんでなにも言ってくれないの?
言われなきゃ分かんないよ。
とはいえ、今この場で問い詰めても、絵里ちゃんは絶対に口を割らないだろう。
なんでもないよと、そう言うだろう。
そんな絵里ちゃんの性格なんか分かりきってる。
だからあたしは、ちょっと強引な手段に出た。
「絵里ちゃん、お茶飲みに行こう」
「え?」
あたしは、あえてなにも気付いていない振りをして、絵里ちゃんにそう言った。
まさか、そんなことを言われるとは思っていなかったんだろう。
絵里ちゃんは驚いた声をあげた。
絵里ちゃんが動揺したのを見たあたしは、一気に捲し立てた。
「ほら! 最近田村さんとこ行ってないじゃん? 昨日ママが言ってたよ、最近麻衣ちゃん来ないねって言われたって」
「……」
「ね! 行こ!」
あたしはそう言うと、絵里ちゃんの手を取った。
ちなみに田村さんとは、夫婦で喫茶店を営んでいる人で、ウチの両親の友達だ。
淳史や裕二、絵里ちゃんの親の友達でもある。
そのお店に行こうと誘ったのだ。
絵里ちゃんはしばらく俯いていたけど、暫くして……。
「……うん」
そう言って頷いてくれた。
よっしゃ!
ちょっと強引だけど、こういう風に言えば絵里ちゃんは義理を優先させて付き合ってくれるって思ってた。
そういう子なんだよ、絵里ちゃんは。
あたしは、繋いだ手を放さないようにしながら、相変わらずなにも気付いていない風を装って絵里ちゃんに話しかけた。
なにを言っても「うん」や「そうだね」などの生返事しか返ってこなかったけど……。
無言で手を引いて歩くより、全然マシだよ。
そうして歩いているうちに、目的の店に着いた。
お店の名前は『HEUREUSE(ウールーズ)』
フランス語で『幸せ』って意味の言葉らしい。
お洒落な店の名前に負けないくらい、お店自体もお洒落な喫茶店で、紅茶が絶品。
コーヒーは苦いから飲まない。
パパや淳史曰く、ここはコーヒーが美味いのに、とのこと。
よくあんな苦いもの飲めるよね。
お店に着いたあたしたちは、そのまま店の扉を開いた。
「こんにちわ!」
「こ、こんにちわ……」
店に入ってすぐに挨拶をすると、奥さんが出迎えてくれた。
「あら、いらっしゃい麻衣ちゃん、絵里ちゃ……どうしたの? 絵里ちゃん?」
絵里ちゃんを見るなり、奥さんが慌てて駆け寄ってきた。
奥さんは、旦那さんと結婚する前は占いで生計を立てていたらしく、すごく当たると評判だったとか。
噂(パパ談)では、人のオーラが見えるとも言われている。
そんな人が、絵里ちゃんの様子に気付かないわけはない。
気づかわし気に声をかけてくれるが、絵里ちゃんはやっぱり「大丈夫です」と弱々しく微笑んで奥さんのことを拒んだ。
絵里ちゃんに拒まれた奥さんは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに引き下がった。
「そう? なら、美味しい紅茶でも飲んで、ゆっくりして行ってね。紅茶でいいのよね?」
「あ、はい」
「お願いします」
「はい」
奥さんはそれだけ言うと、カウンターの向こうへ行った。
そこにいたマスターが心配そうな顔でこちらを見ているので、あたしは大丈夫という意味を込めてニコッと微笑んだ。
するとマスターは、小さく頷いて仕事に戻った。
なんというか、奥さんとマスターのこういう仕草って、大人だなあと思う。
さて、何はともあれ絵里ちゃんだ。
お店に入ってしまえば、腰を据えて話し合える。
あたしは、奥さんが紅茶を持ってきてくれるのを待ち「ごゆっくり」と去っていくまで待ってから絵里ちゃんに切り出した。
「絵里ちゃん」
「……なに?」
なんというか、素っ気ない感じの絵里ちゃんに心が折れそうになるけど、踏ん張った。
「あたし、なにかした?」
そう言うと、絵里ちゃんの雰囲気が明らかに変わった。
眉間に皴を寄せて、なんというか……怒ってる? 感じ。
や、やっぱり、あたし絵里ちゃんを怒らせるようなことしたんだ。
一体なにを言われるんだろうと戦々恐々としていると、絵里ちゃんが口を開いた。
「……昨日、なにしてたの?」
「昨日?」
昨日と言えば。
「裕二とカラオケ行ったよ」
「!!」
その言葉に、絵里ちゃんの身体が強張った。
「ふ、二人で?」
「え? う、うん」
はっ!
も、もしかして、昨日絵里ちゃんを誘わなかったから、仲間外れにされたと思って落ち込んじゃったんじゃ!?
もしかして、昨日裕二とカラオケ行ったの見られてた?
「……麻衣ちゃんは」
「ゴメン絵里ちゃん!」
「え?」
あたしは、とにかく謝ろうと思って絵里ちゃんがなにか言いかけたのを遮って先に謝った。
「昨日は裕二のやつが遊び相手がいないって言うからさ! あたしが付き合ってあげただけなの! 決して絵里ちゃんを仲間外れにするつもりはなかったの!」
「……え?」
「昨日さ、裕二と話してたんだよ。二人でこんだけ楽しいなら、絵里ちゃんと淳史もいればもっと楽しいだろうなって。だからさ、今度は絶対一緒に行こう? ね?」
言い訳がましいけど、あたしはそう言って必死に絵里ちゃんに謝り倒した。
絵里ちゃんは、少しの間目を見開いてあたしを見てたけど、やがて小さく呟いた。
「そ、それだけ?」
「うん? 昨日はそれだけだよ?」
「ほ、他には? ほかに二人で遊びに行ったりとか……」
「え? ないよ? っていうか裕二、他の日は別の友達と遊んでるじゃん。知ってるでしょ?」
やっぱり仲間外れにされたと思い込んじゃってる。
これはいかんぞ、あたしはそんなつもりは微塵もございません!
「じゃ、じゃあ……え? 早とちり……なの?」
「そうそう! あたしが絵里ちゃんを仲間外れにするなんてありえないじゃん! 絵里ちゃんの早とちりだって」
「そっか……そうだったんだ……」
「……分かってくれた?」
「うん……ごめんね、麻衣ちゃん」
「いいよお! 誤解させちゃったあたしも悪いし、気にしないで!」
良かったあ!
絵里ちゃんの誤解が解けた!
いやあ、一時はどうなることかと思ったよ。
まさか友情の危機? なんてさ。
はあ……安心したら喉が渇いちゃったよ。
折角マスターが淹れてくれた紅茶が冷めてしまう前に頂こう。
そう思って紅茶に口を付けた。
「私は……なんてこと……」
だから、絵里ちゃんのその呟きは……。
聞き逃した。