17 我が君の行く手を阻むか、赤き壁よ!
夜の風を引き裂いて、無数の弾丸が赤竜に吸い込まれる。
SR-16の5・56㎜弾は見事、竜の鱗を砕いていた。
『ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!?』
食い散らかされた死体の残る観客席で、赤竜が顔面を覆い、夜空に仰け反る。
三つの月明かりが染める白銀の世界を――噴き出した赤黒い血が彩った。
らんらんと輝く、竜の目の片方が潰れていた。
「やりました! さすがです!! あの鱗を射貫くとは!」
イムのもとに駆けつけたオズが跳ねて喜ぶ。
然り。近距離からのNATO弾の連射は、いかな竜でも防げない威力だった。血肉に汚れた観客席の斜面で、巨大な体躯がぐらりと傾ぐ。
しかし、頭に何発か当てても致命傷には至らなかったか。
『痛イ、痛い痛い痛いイィィィイ!! ワタシのッ、美しいカオが、カラダがアアア!?』
ばきっ、ごきゃ! ぐしゃっ、ぐちゃ! ばりい!!
血塗れの赤竜が地響きを立てて倒れ込むと、撒き散らされたのは大量の肉と臓腑だ。
下敷きにした観客席のヒトの死体。それらが再び赤竜に貪られていた。
……なに?
「魔王さま! 奴の……傷が!?」
従魔が叫ぶ。俺も見た。
観客席に伏せて這う竜の、頭部から流れていた鮮血がもう止まっていた。砕けた鱗も剥がれ落ち、その下から新たな鱗が盛り上がる。
しまった。こいつはヒトの血肉を取り込むことで、肉体を修復できる!
残っていた死体をきれいに片付けると、潰れていた片目も再生を果たしていた。
ぬるりと新しい眼球が動く。赤黒い双眸が、SR-16を構える俺を捉えた。
ヒュウウウウウウ――。
風が……俺のローブをはためかせた。
まずい。赤い竜の胸が膨らんでいく。
「魔王さまあ!」
従魔も気付き、慌ててイムの前に立つ。
俺も瞬時に、
バババババババババン!!
的確に狙ったのは竜の顎だ。銃弾の雨に、赤竜の口元がわずかに跳ねて――深紅の霧が俺たちの真上を掠めた。
ゴバアアアアアアアアアアアァァッ!!
濃密な毒のブレスだ。夜の闇を駆け抜けて、赤い毒霧が大地を焼く。
「くっ……!」
直撃を免れたとはいえ、ヒトの肉体ならば沸騰するほどの毒だ。掠めた俺の左腕がわずかに溶けた。弾切れになったSR-16を取り落とす。
「……~~~~!!」
イムの悲痛な声が届いた。
彼女が無事で済んだのは、オズが俺の意図に従って守ったからだ。
青いスライムの前で、毒霧の余波を防いだ従魔が、黒い欠片となって転がった。
……よくやった! だが褒めている余裕はない。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーー!!』
赤竜と化した英雄は、怒りでヒトの言葉すら忘れている。
顎先から血を噴き出しつつも、もう傷の修復に構わない。血と臭気が煙る観客席を踏みつけて、くぼんだ地下から這い上がり、俺へと迫ってこようとする。
しかし、大地を揺らす足取りは遅い。
「ふ」
つい自嘲の笑みが浮かんだ。自分が「我」だった頃と同じだから。
大きすぎる体を持て余し、竜は速く動けない。背中の翼もわずかに浮ける程度のもの。
だからこそダンジョンに身を潜め、魔竜セプテムはヒトを迎え撃ったのだ。
「イム! 今度は、貴様がオズを守れ!」
俺は、黒い石板を拾い上げたスライムに命じる。状況は最悪だが――。
「立て直すぞ」
まだだ。まだ負けていない。戦える。
「出でるがいい!」
【グレネード
残ったMPを振り絞り、俺は新たな武器を乞う。
溶けかけた左手の中に現れたのは、新たなタイプの手榴弾だ。
M67のような丸いフォルムをしていない。穴だらけの筒状で、中には黒光りする金属柱が入っていた。
――M84スタングレネード。爆発はせず、強烈な音と閃光を放つ代物だ。
竜には効果あるか?
ふ、相手はしょせん肉の塊。
『グオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!』
赤竜の凶悪な頭部が、俺目がけて真っ直ぐに突っ込んできた。
M84にはレバーに絡むクリップはない。代わりに三角と円の、二つのリングがついていた。二重のピンによる安全機構だ。
それらをまとめて一気に引き抜き――俺は投げない。レバーが跳ねて信管に着火したM84を、左手でつまみ上げた形で突き出す。
オズの表示は出てないが、このタイプなら爆発までほんの2秒。
迫り来る竜の正面で、一瞬の閃光が夜を薙いだ。
バァアアン!!
『ギ……!? ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
凄まじい音も炸裂し、赤竜がたまらず身をよじった。俺の真横をすり抜けて赤い巨体が倒れ込み、千切れた天幕が張り付く、朽ちた遺跡の一部へと突っ込んだ。
轟音が響き渡り、砕けた遺跡の破片が煙のように夜に舞う。
その様子をすべて、魔族の俺は目視できていた。
やはりだ。スタングレネードの強烈な閃光も、ヒトならば耳が聞こえなくなるほどの音も、魔力で紡いだ体には無意味。
それは下級魔族のスライムも同じだ。
「今のうちだ。オズを頼むぞ、イム!」
「……! ……!!」
青いスライムに指示を出し、俺は落としたSR-16を拾い上げて駆け出した。
イムも石板の欠片を豊満な胸に抱き、ぬるりと走る。
『何をしたアアア!? 魔王ウウウウウウウウウ!!』
赤竜はまだ目と耳が回復していない。遺跡の一部を長い尾で破壊しつつ、大暴れする。
この隙に俺たちが向かうのは、魔法光の街灯が灯る大通りを抜けた先――街の外だ。
SR-16の残弾もなく、従魔の補佐も得られず、俺の魔力も限界に近い。ヒトのように息が荒くなる。
しかし、愚鈍な竜からは容易に逃げ切れるだろう。
ならば……後はMPの回復を待ち、次に賭ける。
できるはずだ。俺は片手で担ぐSR-16の威力を知った。
あるいは魔力と素材さえ十分に整えば、これ以上の銃器をも造れるはず。
『さすが冷静なご判断です、魔王さま!』
石板に戻ったオズの声が届いてくる。
それでも気にかかるのは、まだ地下に囚われたままの下級魔族たちだ。
否。地上でまだ竜が暴れ回っているのだ。地下にいた方が安全か。
ともかく今は、ここを離れて……。」
『逃、がス、モノかアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーー!!』
ゴバアアアアアアアアアアアアアアアァァッ!!
「なに!?」
「……! !! !?」
風が暴れた。またブレスか!
俺とイムがいたのは赤竜から離れた、街の出入り口に近い、無数の宿屋が建ち並ぶ区画だ。咄嗟に建物の陰へと飛び込む。
しかし街の中心では、信じられない光景が見られた。
なんだ……あれは?
『ブレスの、柱ですか!?』
イムの胸の谷間に挟まる、石板の欠片が震えた。
建物の隙間から俺たちが見たのは、夜空に真っ直ぐ駆け上がる深紅の霧柱だった。
赤竜は、真上に向かってブレスを吐いたらしい。なぜ?
俺が感じ取ったのは魔力の流れだ。噴き上がる毒霧の柱――その頂点が大きく渦を巻く。それ以上昇ることを許さず、掻き回し、一気に散らした。
「しまった! ヤツは……!」
つまり、英雄ナナが水を操っていたのと同じこと。
竜のブレスに混ざる毒は、霧状となった液体だから……。
「自在に操れるのか! ブレスを!」
吐き出され続けるブレスの毒霧が、星空を掻き消して街へと落ちてくる。
『すべてを覆い尽くす気ですか!? なんてことを!』
「……走るぞ!」
俺はイムとともに通りへと飛び出した。
目と耳が回復しても、竜の足では俺たちに追いつけない。故に苦し紛れの策だろう。
『さすがです。毒の海に街が沈むより早く、逃げ切ればよいというだけですね!』
オズが言ったとおり……のはずだった。
「……? ! !!」
「なんだと!!」
けれども、赤い毒霧は街の中には落ちなかった。
散らされた赤い霧が降りたのは、街の外。そこで分厚く停滞し、大きく渦を巻き始める――。
できあがったのは、地下廃城をすっぽりと覆う毒霧の壁だ。これは……!
「そうきたか」
やられた。後少しで街から出られるところだったが、相手も知恵が回るようだ。
振り返れば遙か向こうで、赤竜がブレスを吐ききったか。
ヤツが頭を巡らせる前に、俺は近くの物陰に隠れる。イムも遅れて飛び込んで来た。
『どこだアアアア、魔王ウウウウ! まだ死んでいないよナア? アハハハハハ! 醜く踏み潰してカラ、食い殺してやるゾ!!』
幸い見つからなかったらしい。赤竜は歩き出したようで、重い足音を響かせながら破壊音をぶちまける。
なるほど。俺たちを閉じ込めておいて、巨体で蹂躙する気だろう。
分厚い毒霧の壁はちょうど、俺とオズが渡ってきた石橋をまるごと飲み込んでいる。
――無理矢理突っ込んで、下を流れる川に飛び込めばどうにかなるか?
否。魔力が少なく、HPも少ない俺の体がもつかは怪しい。
それに下級魔族のイムにはまず無理だ。スライムの体ではすぐに溶けて消えるだろう。
ならば……。
『魔王さま、この建物は!』
「ふむ。物見の塔だな」
従魔に言われるまでもない。俺はイムとともに背中をつけた建造物が、長らく廃棄されていた塔だと気付く。
その入り口はすぐ側だ。大柄な魔族でも通れるように空いた四角い穴から、上へと昇る石段が見えた。
物見の塔の高さは10mほどか。……ここからなら。
「上がるぞ、イム」
「? ? ?」
俺が塔の中に入れば、片腕のスライムが髪で【?】を作りながらもついてくる。
塔は頂上が少し崩れているようだ。そこから白銀の月明かりが差し込み、空っぽの塔の内部に張り付いた、らせん状の石段を浮かび上がらせる。
厚い砂埃を踏みしめて石段を登り切れば、屋根の一部を失った最上階に辿り着いた。
ここにあるのは崩れた壁に空いた小さな穴と、街の外に向けられた覗き窓だ。
スリット状の穴が並ぶそこから、街を囲んだ霧の壁が見通せたが……。
「ダメだな、あれは」
感じ取るのは、毒霧を留める魔力の流れだ。渦巻く形で完全に制御されている。
あの分厚い毒の渦は、繰り手である竜を排除しない限り消えないだろう。
『さすがは魔王さま。一目で判別なさるとは……!』
いつものように軽口を叩くオズ。しかし石板の欠片となった従魔を抱くイムは、半透明の青い体を震わせていた。
「案ずるな、イム。あの竜は倒せる」
溶けていた左腕がようやく癒えて、俺はSR-16を抱え直す。
――銃はもうこれしかない。グロック18CはmicroRONIの中に入れたままオズに預けていたが、欠片に戻った際にバックパックともども落としてきた。
故に残っているのは、ポーチの中のM67グレネードが1つきり。
しかし、策はある。
『そうです! 竜の鱗を射貫くことはできました! 後は……』
「弾が必要だ」
ブブー!
【MPが足りません】
だが俺が願っても、5・56㎜弾の1発も生成できなかった。
消耗が激しい――。
限界近くまで魔力を振り絞った上、腕の修復にMPが持っていかれた。
目眩を覚え、立ち上がれない。気を抜けば意識を失いそうだ。
けれども俺は焦らない。
「少し休むぞ」
俺はイムの腰を掴み、引き寄せた。そのやわらかい体に寝転んで、頭を預ける。
「! ? !」
『なんと、魔王さまの仮初めの寝床に使われるとは! 身に余る光栄だと思いなさい、イム!』
従魔がやかましいが、構わず俺はイムの腿を堪能する。魔力の回復が最優先だ。
だが眠らない。目は閉じるが耳を澄ませる。
竜の足音はまだ遠い。こちらに気付いている様子はないようだ。ぎりぎりまで回復に専念すれば、勝機は……。
――そこに別の足音が聞こえた。
なんだ? 俺は瞬時に反応して起き上がる。
「だ、誰かいますかぁ? 足跡あるからいますよねぇ!? よかった、生きてる人がいて! だって魔王が現れたと思ったら、次はドラゴンがぁ! どうなってるのこれぇ! 変な赤い霧も出てるし、なんとか一緒に逃げて……あれ?」
石段につけた、俺たちの痕跡を辿ってか。
最上階へと駆け上がって現れたのは、見覚えのある黒毛のウサギ娘だった。