16 慮外者め、その力は魔王のものぞ!
巨大天幕の大穴から、三つの月の光が降り注ぐ。
三色の輝きが混ざり合い、白銀に染まる四角い地の底で、ふらりと立ち上がったのは赤毛の女だ。
まさか……バカな!
「英雄、ナナですか!?」
ともに観客席へと駆けつけたオズが、うわずった声を上げる。
然り。間違いない。死体だらけの斜面を挟んだ、40m離れた下にいても……見間違えるものか!
生きていたのは、最初に俺がヘッドショットを決めたはずの英雄ナナだった。
グロックの弾は当たらなかった――?
否、確かにヒットしたのだろう。彼女の顔面は血塗れだ。
ならばなぜ、ヒトごときが死なない?
「……な、に、これは……?」
取り巻く四方の観客席に倒れる、九百九十九人の死体の山。
それらをようやく認識して、明らかにナナが狼狽える。
「なにが、起きた? わ、私の……ショーが! あああっ、お前たち!?」
側で倒れている配下の女どもにも気付き、ナナはその場で蹲った。
「私の育てた、美しき若百合があああ……!!」
感じているのは絶望か? ――滑稽だな。
「英雄よ、なぜ自分たちは狩られないと思っていた?」
俺はmicroRONIを向けたまま、累々と重なり合う死体越しに声をかけていた。
ようやくナナが面を上げて、俺とオズの存在を捉える。
「お前は……!?」
「驕るな。命を狩って許されるのは……狩られたことのある者だけだ」
露わになった頭のツノを、軽く叩いて誇示する。ナナの目が大きく見開かれた。
そうだ。七度殺された、魔王である俺こそが――ヒトを狩る因果を持つ者だ。
パパパパンッ!
いくつかが英雄の体にヒットした。新たに鮮血が噴き出し、ナナが倒れ込む。
「さすがです! 1発で倒せないのならば、さらに撃ち込めばよいというわけですね!」
隣でオズが嬉々として胸元をはだけ、
【冒険者生存数 1/1000】
なに?
「……1? いったいどういうことですか!?」
答えなどたった一つ。ナナがまだキルできていないという意味だ。
「これが……お前の得た、新しい力というわけかっ、魔王おおおぉ!!」
血反吐を吐きながらも、やはり英雄ナナは起き上がった。
ばしゃり。全身に空いた穴から流れ出た大量の血液が、彼女の周囲で渦を巻く。
【
地下の床に転がっていた七本の剣。それらを血の渦が次々に拾い上げる。
この状態でもまだ戦えるのか、英雄は――!
否、おかしい。少なくとも弾で傷を負っているはずなのに、ダメージ表示が表れない。
なぜ?
「魔王さま! あれは!」
従魔とともに俺は、見た。英雄の胸を裂いた傷跡から、なにかがきらりと光るのを。
その色を俺が見紛うものか。漆黒よりも尚暗い、闇色の魔力の煌めきは……。
「なるほど、貴様は……!」
「英雄に取り込まれた、魔王さまの……わたくしの欠片ですね!」
奪われた従魔が、魔王である俺よりも理解していた。
然り。そしてこやつは魔王を倒したEXPを得たことで、変質した。
肉の体を持ちながらも、魔族と同じく膨大な魔力で命を紡ぐ存在に。
それはもうヒトではない。
「ああ、あああああぁあぁぁぁぁぁ! 血が足りなぁぁぁぁぁぁぁぁあああい!」
赤毛の英雄が吠えた。血の渦がわななき、掴み上げた七つの剣を疾らせる。
その切っ先が突き立てられ、掻き回したのはなんと、側に倒れる配下どもの屍だ。
――肉を斬り、骨を砕き、死体から血が飛び散る。
それらはすべて英雄の操る渦に吸い込まれた。そしてナナの全身に降り注ぐ。
「アハア♪ なにこれぇ、いい……もっと、もっとおおおおおお!」
ヒトの血を浴びた英雄が、恍惚の表情を浮かべていた。
銃弾を撃ち込んだ傷が、見る間に癒えていく。
だが七つの白刃は、さらに血を求めて舞った。配下どもの次は
「血ぃ! 血いぃいいいい! 血いいいいいいいいいいいいい!! アハハハハハハ!」
切り刻まれた腕が、足が、首が――ピンク色の臓物が血の渦で躍っていた。
「……~~~~~~~~~!!」
あまりの光景に遅れてやって来たイムが、声にならない悲鳴を上げる。
血肉はすべて赤い渦に囚われたが、凄まじい臭気が撒き散らされた。俺もオズも顔をしかめる。その前でナナの操る血の渦は、どんどんと肥大化していた。
中心にいるナナは――なんだ? その姿が明らかに妙だった。周囲を血の池に変えながら、細切れにした肉と臓腑の海を歩き……渦と同じく、一回りも二回りも大きくなる。
否。もう、ヒトの形すら失っていた。
四方の観客席をくまなく抉った剣たちは、いつしかすべて折れ飛んでいた。武器の耐久値を超えて酷使した結果だ。
だがすでに、英雄は剣を必要としなかった。
ばき、ぐちゅっ、じゅるるるる。
肉と骨を取り込んで太くなった手足を振るい、死体を無造作に引き千切る。つまみ上げては中身をすすり、さらに体を大きくした。こいつは……!
「ヒトの死肉を取り込んだのか!」
「なんという醜怪な!! 信じられません!」
共食いだ。禁忌の行為に、俺もオズも目眩を覚える。
厚手のマントを羽織り、豪奢な鎧を着ていた女の姿はどこにもない。
最後には血の渦すらも吸い込まれて、できあがるのは深紅の鱗に覆われた巨躯だ。
大口にはヒトの腕ほどもある牙が生えそろい、食らいついた冒険者の屍を、防具ごと容易くバリバリと噛み砕く。
背中に生えた二枚の翼は、巨体にしては小さいが……太い尾の長さは、15mはあろう身の丈をゆうに超えていた。その姿は――。
「竜!? なんてことですか!」
正体をオズが当てる。
魔竜だった「我」の力を取り込んだ影響か。観客席に倒れる死体の半分ほども食い尽くせば、英雄ナナは赤き竜へと変貌していた。
「魔王さま!」
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【竜の英雄 ナナ】
人間(超越)/Lv407
HP:23500/23500
MP:9999/9999
所持金:293072C
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オズが表示したのはナナのステータスだ。
まさか。魔族である俺には、冒険者の細かな数値は把握できなかったはず。
――もう、ナナがヒトではない証か。
赤竜が一歩踏み出すたびに地面が揺れた。観客席から這い上がれば、頭が天幕に引っかかる。
『ルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
その声もヒトのものではなくなっていた。竜の咆吼だ。
天に向けて放たれた叫びに、穴だらけになっていた天幕が引き裂かれた。
「くっ!」
「魔王さま! きゃあ!」
「……! ……!」
俺やオズが余波で転び、イムは青い体を地面にへばりつかせて耐えた。テントの下にあったテーブルや樽椅子が軒並み倒れる。
無数のランタンも転がり、魔法の明かりが瞬いた。
攻撃をされたわけではない。一吠えで大気が震え上がったのだ。
「さ、さすがは、かつての魔王さまのお力です!」
こんなときでも従魔が褒める。
否――俺が「我」だったときでも、ここまでではなかったはず。
これがレベル400超えの力というわけか……!
『ああああア……このワタシが、ワタシの体がこんナ、こんナ……!』
今になって英雄が、赤竜となった己の巨躯を認識する。
『こんな美しい姿にいイイイィ!! わかる、わかるゾ! これがワタシに相応しい、英雄の真の姿というわけかア! アハハハハハハ!』
三つの月と星だけが見下ろす中で、双眸を赤黒く輝かせる。睨むのは踏み荒らした観客席にまだ残る、冒険者どもの無数の死体だ。
赤竜は大口を開け、きれいに食らい尽くそうと身を沈める。
俺やオズ、イムにはまったく興味がないらしい。圧倒的な力を得た今、俺たちは路傍の石程度のものなのだろう。
……別にこいつが、ヒトどもの屍をどうしようと構わない。
だが――不快だ。なぜこいつだけがまだ生きている?
「魔王さま!」
転んだときに手から離れて転がったmicroRONIを、オズが拾って持って来た。
然り。英雄はキルしなければならない。
かつて殺された俺だからこそ、強く思う。側にいるスライムのイムを横目に捉えた。もう二度と……魔族を弄ばせるものか!
だが竜と化した英雄の体に、9㎜弾では明らかに威力不足だ。俺はあえて、microRONIを従魔から受け取らない。
ポーチに残るM67を使うという手もあるが……。
「今こそ出でるがいい! 俺の、新たなる銃器よ!」
【カービン
魔力の残りに不安があったものの、俺は新たな銃器を願う。9㎜より強力な銃弾を使える代物を。
スキルFPSが黒い魔力の煌めきで応えた。
回収途中ではあったが、先程得たばかりの素材があったおかげだろう。俺の手の中に漆黒の
microRONIよりも大きく重い、こいつは……!
「なんと。魔王さまの新しいじゅう、ですか?」
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■SR-16(MAO8)
使用弾薬:5・56×45㎜
装填数:30
銃口初速:905m/s
連射速度:0・076s
有効射程:500m
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オズがスペックを表示させた。
「……SR-16!?」
俺は驚きを隠せない。アサルトライフルであるM16A2の――
確かに側面には「SR-16-MAO8」の文字が刻まれていた。
なんて……美しい銃だろうか。無駄のそぎ落とされた、M4そっくりの外観。頑健な三角断面の
しかし上部はすっきりとしている。折りたたみ式の
レールのどこにでも汎用パーツを装着できる、優れた仕様だ。
グリップを握って構えれば、パネルを掴んで支えた左手に、どっしりとした重みがかかった。跳ね上がりを抑えるためM4同様、
そのため重心がトップヘビーか?
中に詰められているのは5・56×45㎜NATO弾だ。
「ほう。しかも30発入りか!」
いいではないか! 初弾を
バシャッ!
内部の
ダストカバー。
さあ――グリップを握る親指で触れるのはセレクターレバーだ。
「オズ! イム!」
「はい、離れています。魔王さま!」
「……? ? ?」
microRONIを預かる従魔が、ようやく身を起こしたスライムのもとへと走る。
赤竜はさらに死体を喰いあさり、いっそう巨体を大きくしていた。
こいつ……まだレベルを上げるか!
止めるなら今だ。俺はSR-16を構え、赤竜の頭部に狙いをつける。
距離はわずか20m。標的は大きく、外しようもない。
また相手は喰うのに夢中で、こちらの動きにまったく気付いていなかった。
後は赤い竜の鱗を、この弾で貫けるかだが……。
「ふ」
俺は嗤った。貫けぬのなら、戦わないのか?
違うな。否だ。俺はただ、魔王として魔族のために戦うのみ。
これまで何度敗北してきても、そうしたように――。
ババババババババババババンッ!!