18 命を捧げし同胞に……敬意を
壊れた屋根から白銀の月明かりが差し込む、物見の塔の最上階。
そこに現れたウサギの
「ま、魔王さん? ……い、いやあああっ! どうしてここにぃ!? やっぱりアタシ殺されるんだああ! 死にたくない死にたくないぃ!!」
「黙れ」
驚きのあまり腰を抜かし、逃げることもままならないウサギ娘。その鼻先に俺はSR-16の
弾は入っていない上に、初めて見る銃のはずだが……こいつの生存本能か? ウサギ娘は慌てて両手で口を塞ぐ。
しかしこいつがなぜ、ここに。
『この
「……! !」
石板の欠片がスライムの胸の狭間で嘲笑すれば、イムもこくんと頷いた。
おバカ。さすがにそう呆れたようだ。
どちらの言葉もヒトには届かないもの、のはずだったが……。
ぴくんと動いたのは、ウサギ娘の頭に生える長い耳だ。
「わ、悪かったねぇ、もたもたしてて! 水も食料も持ってないから、働いてた宿屋で確保してたのぉ! こんな着の身着のままで外に出たら、荒野ですぐ倒れるもん! ……ああぁあ、でもこんなことになるなら、とりあえず街を飛び出せばよかった!」
「貴様……?」
『魔王さま、この女……今のわたくしや、イムの言葉がわかるようですね』
「わ、わかるよ! アタシ、耳いいもん!」
だからなに? とウサギ娘は返答し――しかし、へたり込んだまま困惑した。
「あれ? 今の声って、誰ぇ? どこから……」
『ここです。ここ。スライムの、忌々しくも無駄に大きな乳袋の間です』
「え。えええぇ? 声は、魔王さんと一緒にいたあのコだよねぇ? なんでそんな姿に!」
「うるさいぞ」
今度は従魔にも向けて告げた。ウサギ娘とオズが黙る。
否、外の異変に耳を澄ませたかっただけだ。
――暴れ回っていたはずの、竜の足音がぴたりと静まっていた。
しまった!
『魔王ウウ! 今、そこの塔の中にいるなアアアア!? 飛び込んだのが確かに見えたゾオオオ!!』
赤竜が吠えていた。イムがはっと俺を見て、次いでウサギ娘に目を向ける。
……そういうことだ。
『あ、あなた! このお間抜けウサギ……塔に入る姿を竜に見つかりましたね!? 向こうは勝手に魔王さまだと思ったようですが、とばっちりもいいところです!!』
「嘘!? アタシのせいぃ? やだーーー!」
『そんなところにまで逃げていたとはアア! 危うく逃がすところだったじゃないカアアアア! アハハハハ!』
来るか? 俺はSR-16を抱えて身を伏せる。
『頭を下げなさい!』
オズも警告し、イムが慌てて従った。体を崩してべちゃりと這う。
「え? え、えぇ?」
ウサギ娘も腰を抜かしたまま、頭を抱えて床に転がる。
――しかし、毒のブレスで塔ごと焼かれることはなかった。
溜め込んだ毒をすべて吐き尽くしたか、街の外で渦巻かせるので手一杯か?
否。単に一息で殺す気がないからだ。
伏せた格好になって初めて、外壁に空いたわずかな穴から、街の様子が覗き見えた。
大通りの石畳を踏み潰しながら、赤い竜がやって来る。
その歩みは、やはり遅いが――。
「……まだだぞ」
ブブー!
【MPが足りません】
弾を生成しようとしても、
『いえ、さすがは魔王さまです! 後少しで足りるはず。わたくしにはわかります!』
崩れたスライムの中で、従魔が断言する。
ふむ。確かにそんな感覚はあるが……。
「どういうこと、どういうことどういうことぉ!? なんでドラゴンが……魔王さぁん、ドラゴンに恨まれるようなことしたの!?」
「うるさい」
『お黙りなさい! もう!』
状況がわかってないウサギ娘が混乱したが、いちいち説明する気はない。SR-16をまた突きつけるだけだ。
そのSR-16の弾がない。
『もう少し。もう少しだけお待ちください、魔王さま』
黒い石板の欠片がぴくぴく動く。
『後少しでわたくしの体が紡げる程度には回復します。ささやかですが、その魔力をどうぞお使いくださいませ!』
「ふ。頼むぞ、オズ」
『お任せください!』
「……! !」
だがオズが間に合わせるより先に、身を起こしたのはスライムの体だった。
彼女は俺に対して、長い髪を揺らしてぺこりと深く一礼し……伏せた俺にいきなり顔を近づけてきた。
「イム? むぐっ」
そっと瞳を閉じて、強引に重ねるのは唇だ。
やわらかな舌が入り込み、感じたのはあたたかな、彼女から流し込まれてくる魔力。
止める間もなかった。
下級魔族のわずかばかりのMPが、一気に俺に注ぎ込まれ――。
『あなた、なんてことを!』
咎めた石板の欠片を、青い手のひらですくってイムが差し出した。
俺がオズを掴んだときにはもう、スライムの腕が消えた。長い足も、豊かな尻も胸も、艶やかな髪も粒子となって溶けていく。
口づけをしたまま瞼を開き、水晶色の二つの瞳が最期まで俺を見つめていた。
魔族が魔力をすべて失えば、こうなることはわかっていたのに!
「イム!!」
唇が離れた瞬間、俺は……俺がつけた彼女の名を呼んだ。
気まぐれでつけただけの安直な名前。
それでも彼女は――満足げに微笑んだのだろう。
……もうわからない。
美しかったスライムの透けた体は消失し、腕に巻いた包帯がばさりと落ちた。
【スライム イム Lv1 DEAD】
決定的な表示が石板の欠片からもたらされる。残されたのは煌めく滴が一つだけ。
月光を弾く、イムの瞳と同じ色の結晶体が浮遊していた。
「え、え……なに、が?」
消えたスライムを目撃して、ウサギ娘が目を丸くしている。
――塔が揺れた。巨大な竜が近くまで来た証だ。
外壁の一部がさらに崩れる。起き上がりかけたウサギ娘がこけて、あわや煌めく滴に触れかけた。
「触るな!!」
俺はイムの残した、小さな
代わりにSR-16が転がるが、構うものか!
『さすがです。危ないところでした!』
左手に掴んだ
『ヒトに触れられれば、取り込まれるところでしたから……』
「え? じゃあそれ、さっきのスライムの?」
知らなかったのか。今になってウサギ娘が息を呑む。
こいつは本当に、冒険者として魔族を狩ったことがないのだな。
「で、でも時間が経てばほらぁ、戻れるんだよね? だってそこのコ、そんな姿になっても元気だし」
……なにを言っている?
『あなた、ご存じないのですか。わたくしは魔王さまの従魔ですから、魔王さまが滅ぼされない限りは何度でも蘇ります。しかし普通の魔族は……』
オズの言葉でようやく理解したようだ。ウサギ娘が絶句する。
「そうだ。死んだのだ。この世界の
俺はイムの残滓を握りしめた。
伝わるのは最後に遺した、
――生きて。
「然りだ、イム……。魔王のために捧げた貴様の命、無駄にはしないぞ」
哀しんでいる余裕はない。
後回しだ。それはイムも望んではいないこと。
俺はベルトの空ポーチに、美しきスライムの
ともに行こう。そこでちゃんと見ているがいい。
【5・56×45ブリット
出た!
たった1発だが――真っ黒で細長い5・56㎜弾が、俺の左の手のひらに現れる。
イムを引き換えに得た、彼女の想いの詰まった塊。
これで……俺は!
「魔王さま」
俺の右手から転がり落ちたのは、黒い石板の欠片だ。瞬く間に黒いドレスを纏う、金髪の幼女の姿となる。ようやくオズの魔力が回復したのだ。
だが、彼女は頭を垂れたまま俺の前で顔を伏せる。
「……この身が恥ずかしいです。なぜ今になって……もう少し早く、体を紡げなかったのかと。さすればわたくしが魔力を捧げ、イムは……!」
「否。違うぞオズ」
俺はSR-16を拾い上げ、空だった
そこに黒い弾薬を上から押し込む。
グロック18Cのダブルカラム式のように、弾を二列に収納する「ダブルフィードマガジン」だ。ぱちんという音とともに、しっかり弾が固定される。
それをSR-16に再装填し、
ガチャッ!
確かな動作音が、握ったSR-16のグリップに伝わった。撃ち尽くした反動で後退したままになっていた
これでいつでも狙い撃てる。寝そべり直して確認すれば、外壁の小さな穴から、迫り来る赤竜が捉えられた。
しかし……キルするにはまだ足りない。この位置ではダメだ!
だから俺はポーチに入れたままだった、丸いM67グレネードを取り出した。
「オズ、わかるな?」
「……! はい、魔王さま!」
ようやく面を上げたオズがM67を受け取って、安全クリップを外した。いつでもピンを引き抜いて放てるように。
俺の従魔だ。目の前で一度使ってみせれば十分理解できている。
「わたくしにはわたくしで役目があるということですね。さすがです、お任せください!」
「うむ、頼んだぞ」
「はい! では行ってまいります。愛しき我が主と、亡きイムのために!」
多くを語らずとも従魔は察して、M67を胸に抱いて石段を降りていく。
後は待つだけ。
俺は塔の最上階に残り、伏せた姿勢でSR-16の
距離はまだ500m以上か。SR-16の有効射程外だ。セレクターレバーを
もっと引き寄せなければダメだ。それに今は角度が悪い。
狙い撃つべき「標的」が見えない。そのためにオズを遣わしたが――俺が場所を移るべきか?
然り。もう一押し必要だ。そのためにはなんでもやる。
俺はSR-16とともに起き上がった。
どのみち居場所はばれている。留まっていても利はない。
問題は赤竜にばれずにここからうまく出なければ、ということだが……。
「あのぉ……」
「なんだ? 貴様、まだいたのか」
おずおずと俺に話しかけてきたのは、すっかり存在を忘れていたウサギ娘だ。
「アタシの、せいだぁ」
竜の足音にいちいち揺れる塔の中で、へたり込んでいた彼女はどうにか立ち上がる。
その目と鼻からべとべとに体液が流れていた。
「貴様……?」
「魔王さぁん! こんなこと言うの絶対変だと思うだろうけど……アタシ、アタシぃ!」
「なんだ。俺はここを出るぞ。貴様は残るも去るも好きにしろ」
興味がない。俺は無視して石段を降りようとした。
が、そこにウサギ娘が慌てて跳ねて回り込む。
「……邪魔をするか? 貴様!」
「違う、違うのぉ! アタシに……償わせて!!」
「なに?」
「考えたこともなかったよ、アタシ……。でもそうだよねぇ、冒険者になるって魔族を……命を奪うってことでぇ! ごめんなさぁあい!」
ウサギ娘が泣きながらも、赤い瞳で俺を見据える。
「あのスライムの女の子が死んだの、アタシのせいだよぉ! アタシがここに入らなければ! いっつもそう、アタシってドジで、間が悪くって……こんなアタシになにができるかはわかんないけどぉ、でも!」
同じ赤でも、竜と化したあの英雄の濁った色とは違う――澄んだ眼差し。
「お願い! アタシにも、お手伝いさせてよぉ!!」