13 愚劣極まる見世物を我が魔王は許さない
地下空間で水を操り、無数の白き刃を躍らせる、赤毛の英雄。
その剣の数は――七本だ。
『おお! 七聖剣の英雄ナナよ!』
突如、反響する歌声がもたらされる。
派手な水の渦ばかりに目が行くが、よく見れば玉座の周りには、着飾った数名の男女が楽器を奏でていた。いわゆる
『七体目の魔王を倒せし七水の聖騎士!』
『生まれ落ちたるは、遠き南の聖ミト王国! 率いるは女ばかりの白百合騎士団!』
『その七本の剣にかなう者なし!』
声を増幅する魔法を使い、抑揚をつけてナナの英雄譚を歌う。
数百人の観衆がわっと沸いた。頭上に張られた天幕が揺らぐほどに。
「んっと、んんっ! やはりここにいたのですね、七人目の英雄とやらは……!」
オズがぴょこぴょこ跳ねながら、立ち上がった連中の隙間から必死に覗く。
俺たちがいるのは、ヒトどもが詰めかけた階段状に下る座席の、最上段だ。
ここから40mほど見下ろした先に、赤毛の英雄はいた。
かなり小さくしか見えないが、間違いない。燃えるような赤い髪に見覚えがあった。
――だが記憶の中のナナとは、少し違うか? あのときは確か、まだあどけなさを残す少女だった。今も顔立ちは同じだが……雰囲気がまるで別人だ。
着ている装備が派手になったから? 「我」と戦ったときは、ヒトの出す汗とやらにまみれていたから?
否――奪った魔王のEXPを取り込み、確かに「変わった」のだろうな。
『辿り着きし地下の巣窟で、騎士団はついに漆黒の竜とまみえる』
『毒の息を吐く黒竜。倒れていく友たち。七本の刃も次々地に落ちる』
『たった一人、生き残ったナナ。しかし!』
『命を賭け、刺し違える覚悟で放った剣が、ついに邪悪なる竜を仕留めた!』
「……違うな」
俺はぼそりと独白する。
ナナは背後から近づいて、魔竜の「我」を貫いた。どうも話を盛っているな。
それでもヒトどものウケはいいらしい。歌に合わせてナナの周囲で渦が、剣が派手に舞うたび、観衆はいっそう盛り上がった。
……俺のかすかな記憶が確かなら、あそこまで大量の水は操れなかったはずだが。
それが魔王を倒し、ヒトを超えた存在。
『そしてナナは英雄となった。七聖剣の名を冠して!』
『けれども、魔王はまた現れる。いつの日かきっと……』
『故にナナは英雄として、来たるべき日のために備えるのだ』
『新たな英雄が生まれるように……この地で、冒険者が最初の一歩を踏み出せるように』
それは、今の地下廃城のことか?
魔族を生きたまま集め、閉じ込め、狩らせる。
それをやはり、このナナが――!
「ようこそ! 私の英雄ダンジョンの、特別な夜へ!」
歌が終わり、ナナが口を開いた。
よく通る声が放たれると、あれだけ騒がしかったヒトどもが静まり返る。
明らかにナナの声には魔力が込められていた。魔法レベルを高めた【
「八番目の魔王とやらが新たに復活したせいで、この街もずいぶん盛況だね。昼間はたくさん地下で魔族を狩って、修練に励んでくれたかな?」
こいつの口調、身振り、編んだ髪をいじる仕草……そのすべてが俺は、嫌いだ。
よかった。俺は白いローブの下で、FD917
魔族の命を弄ぶこいつを、躊躇いなくキルできそうだ。
ヒトが何百とひしめくここで、いきなり弾をぶち込む真似はできないが……。
「しかしここでの夜はもっと楽しんでもらわないと。そうだろ?」
ぱん! とナナが手を叩いた。
それが合図だったらしい。
ナナと同じ意匠の、
「始まるぜえ!」
ヒトどもが再び騒がしくなる。
「ヒュウ! 待ってましたあ!」
「今夜こそ稼がせてもらうわよ!」
「よっしゃあ、一発勝負だ!」
「さあて赤か青、どっちの檻のヤツがどれだけもつか……」
配下の女どもがなにかを操作する。
【
地下には大きな扉が一つ設けられていて、それが開いた。
……見覚えがある。ここに「我」がいたときに使っていた、寝所への侵入者を逃がさぬためのもの。魔法を跳ね返す仕掛けを施した、簡単に破壊できない強度の大扉だ。
それは今や、ヒトどもが自在に開け閉めできるよう手を加えたのか。
しかも開いた扉の向こうから、床を滑って四角いなにかが一つやって来る。
現れたのは鋼の檻だ。ヒトなら数名は入り込めそうな、太い格子が組まれたものだが――真っ赤に塗られた内部は空だった。
「なんだよ!?」
「おい、どうなってるんだあ?」
ヒトどもがざわつく。中身がないのは異例のようだ。
平然としているのはナナだった。
「みんなが驚くのも無理はないね。でも落ち着いて欲しい。いつもなら二つの檻にそれぞれ選び抜いた魔族を入れ、ここで美しき死闘を演じるのに興じるのだけれど」
なに?
「……何て、ことを」
横でオズが絶句した。
俺は、今は側にいないウサギ娘の言葉を思い出す。
『だっていくらなんでも、見てるだけで胸が悪くなるからぁ』
あれはきっとこのことだ。まさか、魔族どうしで……殺し合いをさせたのか!?
それも毎夜、毎晩――?
「どちらが生き残るのかを毎度楽しみにしてもらっていたが、今宵は少々趣向を変えたいと思う。つい先程、面白い個体が手に入ってね」
ナナがもう一度手を叩いた。
【
再び大扉が開き、二つ目の檻がゆっくりと姿を見せる。
中が青色に塗られたものだ。
そこには同じく青い体をした魔族が一体、囚われていた。
「おおっ、メスだ……あれメスだぞ!」
「スライムか!」
まさか。俺の中で
それは美しい、透けた長い髪を持つメスのスライムだ。
檻がナナの配下の手で開かれ、青いスライムが四角い空間の真ん中に放り出される。
彼女はヒトどもの好奇の目にさらされ、明らかに怯えていた。
そこに玉座を降りた英雄ナナが近づく。
伴うのは七つの剣と、取り巻く水の渦だ。うち一本の剣先がスライムに向けられる。
しかし俺はなによりも、立ち上がって興奮するヒトどもの隙間から捉えた、スライムの姿に動揺していた。
青い足に巻かれた、見覚えのある白い包帯は……!
「こいつは半月前、この私のダンジョンから逃げ出した唯一の個体でね! 捕らえて売りに来たパーティがつい先程現れて、急遽余興を思いついたのだ」
あれは、間違いなくイムだった。
「どうしてここにいるのですか!?」
オズも驚きを隠せない。イムは、バギーと一緒に残してきたはずなのに!
……あの馬車か! 俺は潜入前に見逃した、商人のパーティが乗った幌馬車を思い出す。俺とオズが離れた後、きっとイムはあいつらに捕獲され、ここに連れ戻されたのだ。
バギーは……見つからなかったか。
否、イムのことだ。バギーを守るため、近づいてきた冒険者どもの前に、自ら飛び出したのかもしれない。魔王である俺の言いつけに従って――。
「……! ! !」
イムはただただ震えていた。やわらかな体で素早く逃げようとするも、いつしか範囲を広げた水の渦に囲まれていた。そこに漂うのは、もちろん無数の白刃だ。
【結界発動】
しかも英雄の配下どもが、その外側で光の障壁を完成させる。
これでは、下級魔族は逃げられない。
イムの瞳が恐怖一色に染まり、周囲を必死に見渡していた。魔王である俺にはわかる。
その視線がふと止まった。――俺のいる方向を見て。
これだけの群衆がいる中で、わずかな隙間からイムは偶然、俺を捉えたのだ。
だから俺は反射的に、ヒトを押しのけ下へと降りていこうとした。
今駆けつけずに、なにが魔王だ!?
だがその前に――イムの瞳が逸らされた。
俺がいたのに、助けを求められるのに、すっと顔を伏せたのだ。
「イム……貴様は!」
その意図を俺は悟ってしまう。
掻き分けようとしたヒトどもの背中を前に、俺は動けなくなった。
「さすがです。これを、堪えられるとは」
従魔が後ろでそっと呟いた。
「そうです、彼女は……望んでいないのです。助けられることを」
魔王である俺が下級魔族を救うために、この状況下で危険を冒すことを。
それは真理だ。魔族として、魔王に対してとるべき正しい行動だろう。
しかし、しかし……!
否だ。間違っているぞ! そう告げたかった。今すぐ駆けつけてやりたかった。
だが俺も魔王だ。魔族の王なのだ。
……魔族であるイムの覚悟を、無下にはできない。
「さあとっておきのショータイムを、英雄の私自ら執り行うとしよう」
英雄ナナは腕組みをしたまま、渦巻く水の速度を上げた。
その中でイムを狙う一本の剣が、高速で舞い踊る。まるで生き物が跳ねるようだ。
おおおっ、と天幕の下にどよめきが走った。
確かに、なんという手練れか。「七水の聖騎士」と呼ばれたのも道理だ。
「久しぶりに披露するね。見えるかな? これが英雄の、魔王を倒した美しき剣筋さ!」
白刃が、消えた。
あまりの速さで放たれて、俺の目にも動きが捉えきれなかった。まるで弾丸のようだ。
青いスライムの腕が一本、宙に舞っていた。
――斬ったのだ。こいつは、イムを!
「~~~~~~~~~~~~~~~~!」
右腕の肘から先を失ったイムが、苦悶の叫びを漏らした。
【HP マイナス1】
ナナの傍らに
ほとんどダメージを受けていない?
英雄は、赤毛の前髪を掻き上げて笑った。……そのように斬ってみせたのだ。
「どう? とても美しかっただろう」
配下の女どもが拍手喝采した。鎮まっていた
数百もの観衆は息を呑むばかりだが――そこにナナが、イムを斬った白刃の先で、床の上を指し示した。
そこに落ちたのは、切断された青い腕。
ぐにょり、と形が崩れ、蠢く。
下級魔族は弱いものの、生命力だけは強い。メスならば尚更だ。
だから本体から切り離されたスライムの腕も、生き延びようとあがいていた。
丸まって起き上がれば、小さくてずんぐりむっくりとした、イムを真似た形となる。
――核である
そしてコピー体は慌てて、イム本体へと戻ろうとした。
が、それをナナは許さない。近づくと、自らの足でぐちゃりと踏みつける。
「ほうら、スライムはうまく斬れば増えるんだ! アハハハハハハ! さすがは魔族だよねえ! さあ……いったいどれだけ細切れにしても平気だと思う?」
【スライムが絶命するまでに□体分裂】
空中にそんな文字が浮かび上がった。
なん、だと……?
「みんな! 楽しい楽しい賭けの時間の始まりだ!」
盛り上がる音楽の中、弾ける水で七つの白刃を躍らせて、ナナが煽った。
「いつものように
足の下でもがいていたコピー体が蹴り飛ばされた。遠くに転がり、ばしゃり、と青い水たまりになる。
なんという……!
「面白えー!」
ヒトどもがどっと沸いた。数百人の観衆が一斉に、眼前に
悪意の狂乱だった――。
なんだ、これは。ヒトという生き物は……ここまで醜悪なものなのか!?
俺もオズも狂気にあてられ、立ち尽くすことしかできない。
こいつらは、こいつらは……!!
「そろそろ
「でもいいね、限界に挑戦だ! 今度は一気に九回切り刻んでみせよう。さて、本当に十回もつのか、それまでに何回目が致命傷になるか……さあ」
「……!」
イムは――諦めに目を閉じていた。ヒトどもの隙間から俺ははっきりと目撃する。
そして英雄の女は笑っていた。
今度は七つの剣すべてを、怯えるイムへと向けながら。
「これは罰だ。せいぜい美しくない死に様を、私たちに見せておくれ!」
……貴様がな!