12 竜たる魔王を手にかけし、七番目の咎人の名は――
「このあたりはちょっと混んでるねぇ。はーい、じゃあこっちこっちぃ!」
冒険者どもがひしめく天幕の下で、給仕役である一人の女が手招きした。
肩を出して胸元が強調された服を着る割には、さほど谷間のない地味な女――。
比べて、尻と網タイツの足だけはむっちりとしているぶん、ずいぶんと残念な印象だ。どうでもいいが。
目を引くのは赤い瞳と、黒い毛並み。それに頭の上にぴょこんと伸びる長い耳。
なるほど、跳躍力に秀でるウサギ系の
このウサギ娘は、武器や防具といった類を身につけていない。しかし大勢いる給仕役の連中も冒険者のようだ。
見分けがつくように共通の白い手袋をしていたが、体に古傷があったり、命をいいように狩って来た者特有の目つきをしていた。
……俺も今は、似たような目をしているのだろうか?
「どうしたの君? もぅ、こっちだよぅ」
俺のもとにウサギ娘が軽やかに駆け寄り、顔を覗き込んでくる。
こいつの赤い目は――ふ。なんだか間抜けそうだ。
どうでもいいが今は従うしかないか。オズと頷き合うと、おとなしく女に誘導された。
確かにテントの入り口近くに空いた席はなく、俺たちはどんどん奥へと進んでいく。
肉や魚を焼く匂いのきつい、炎で円い鉄の盾を炙る男の、すぐ側だ。
否、あれは盾ではなく……鍋とかいう、ヒトが料理をするための道具だったか。
「厨房前でいい? カウンターだからちょっと狭いけど、二人パーティだしいいよねぇ」
「然り、構わない」
どこだっていい。目立たなければな。
俺たちはおとなしく、横並びの樽の上に腰掛けた。しかしここからどうするのだ?
オズが隣できょろきょろする。他のテーブルを見ると、どうやら
戸惑う俺やオズに、ウサギ娘がくすりと笑った。
「もしかして君ら、『竜の胃袋亭』は初めてぇ?」
「竜の胃袋……ですか?」
「そ、そ。大仰な名前だよねぇ」
つい聞き返したオズに、ウサギ娘が肩をすくめる。
「かつて竜の姿をした魔王がいた地だから、そんな名前にしたんだって。巨大なドラゴンなみの胃袋でも腹一杯満たせるようにって。でも味は保証できないよぉ。厨房の中を見ての通り、冒険者崩れの連中が作ってるだけだからさぁ」
「おい! 聞こえてるぞ、ミミー!」
横長のテーブルの向こうで、獣の肉を切っていた、禿げ頭の男が怒鳴った。
なるほど、こいつも冒険者か。白い前掛けを身につけていたが、肉を切る刃物はよく見れば、厚みのある短刀だ。
男はその切っ先をウサギ娘に突きつける。
「確かにワシらは料理スキル持ちだからよ、ここで働いて日銭をもらってるが……借金女王のお前には言われたくねえ! ワシの剣術スキルで刻むぞ!」
「だ、誰が借金女王だよぉ!? 変な二つ名つけないで! 何回か返しきってるしぃ!」
「おい。それ、むしろ何回も借金してるってことだろ……だから宿屋の仕事とも、掛け持ちまでしてんだよ!」
「はぐぅ。そ、それはぁ~~~~」
「ギャンブル狂のミミー。
ぼそっと呟くのは、鍋の火力を小脇に挟んだ杖で調節した、白髭の老人だ。
その後ろでは、持ち手のついた円い鉄板を板に載せて、ブタ面の男が腹を揺らす。
亜人種のオークか。
「有名人よネ、ミミーちゃん。ワタシ聞いたよ。ギャンブルで毎回負けて、もう八度もここに出戻ってるって、新しく復活した魔王なみネ! 冒険者証まで売ったそうじゃない? 最初の冒険に出る前に。びっくりネ!」
「ち、違うもん! まだ七回だもん! だいたい、アタシじゃなくて……カードが悪いのぉ! 次は絶対に買い戻すんだからぁ! ……今度こそ大勝ちして!」
ウサギ娘が堂々と言い放ったが、厨房内の連中は皆、鼻で笑った。
「そんなことより148番の肉料理、できたよ! 手が空いてるなら運ぶネ、ほらほら」
「わ、わかったよぉ。はいはーい!」
板の上に乗った鉄板で、じゅうじゅう焼けたものをウサギ娘が預かった。俺たちに会釈して離れていく――と思ったら、ぴょんと引き返してきた。
なんだ?
「ねえねえ、君ら。ここ、初めてだったよねぇ?」
「……うむ」
「だったら、忠告。もうすぐ、ここでいつもの賭け事が始まるけど……やめといた方がいいよぉ。アタシもギャンブルは好きだけど、あれだけはやらないようにしてるんだぁ」
「なに?」
「だっていくらなんでも、見てるだけで胸が悪くなるからぁ」
「ばーか、わかってねえなあ。あれが一番の、人気の見世物だってのに」
嘲笑ったのは厨房の禿げ頭だった。
「ナナ様のあれで、この小さな街が賑わってるようなもんなんだよ!」
……ナナ? その名前は――。
『グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
背中から白刃を突き立てられ、断末魔の叫びを上げる魔竜の「我」。
『やった、やったぞ! この私がやってのけたのだ! ハハハハハハハ!』
倒れ込む俺の背後で笑う、若い女の声がした。
そうだ。「我」を倒したのはヒトの女で……。
『七体目の魔王セプテムを私が討伐したぞ! 讃えよ、崇めよ! 誇り高き聖ミト王国白百合騎士団の、たった一人の生き残り……このナナが新たな英雄となったのだ!』
――思い出した!
ナナ。その響きが、欠けて乱れた記憶の一部を復元したのか。隣でオズも目を見開き、俺を見てくる。
俺の分け身である従魔も同じく、ナナの名を思い出したのだ。
サーガイア南方にある小国の、女だけで構成された騎士団。確か「我」を貫いた剣は、率いていた女騎士が水の魔法で操っていたものだ。
女騎士の顔はまだおぼろげだが……一目見ればわかるだろう。そんな確信がある。
先代魔王の「我」が倒され、どれほどの時が流れたかは、俺は知らない。
これまでの経験上、復活するには毎度、最低でも十~五十年の時が必要となる。エルフのような長寿の亜人種を除けば、ヒトが老いるには十分な時間だ。
だが魔王のEXPを取り込んだ英雄は、ヒトの枷から解き放たれ、歳経ぬ体を得る。
きっとあのときから、さほど変わらぬ姿でいるはず――。
「ミミーちゃんたら。だから言ってるネ! 若いんだし借金返したいならとっとと体を売ればいいって。ここじゃあ他の女もやってるネ! オジサン買ってあげるよ?」
ナナの名に気を取られているうちに、ヒトどもの会話は下卑たものになっていた。
体を売る――女が金で性行為させるということか? 太ったオークが醜悪な面をいっそう欲望に歪ませる。
……まったく、ヒトも亜人も本当にくだらないな。
「ヤだよ! 絶対ぃ!」
ウサギ娘が舌を出した。
「あたし、ウサギの
「一回10
呟いたのは白髭の老人だ。どっと厨房の中が沸いた。
「だはははは、そいつはいい! ウサギの素人娘にゃ手頃な価格だぜ」
「オジサンの賃金でも毎晩買えるネ! どう、ミミーちゃん。なんだったら特別に20
「バカぁ! いっつもいっつも、ほんと嫌いぃ!」
顔を真っ赤にしてウサギ娘が仕事に戻る。
だが、去って行こうとしたその足が止まった。長い耳がぴくんと揺れる。
――いきなり派手な音楽が、テント内に流れ出した。
俺たち魔族がたしなむような品のある音色ではない。やかましいだけの安っぽいもの。
「うぅ。また始まっちゃったよぉ」
ぼやくウサギ娘が一人、視線を逸らした。
それ以外のここにいるヒトどもは、誰もが一斉に巨大テントの中央に注目する。
「来た来た来たあ! 待ってました!」
「今夜のショーは……どれだけ稼がせてくれるかしらん」
「ナナ! ナナ! ナナ! ナナ!」
いきなりテントが熱気に包まれた。
どいつもこいつも席を立ち、集まってくる。英雄ナナの名を口にしながら。
「いったいなんの騒ぎですか?」
オズも俺も面食らうばかりだが……足場が、揺れた。
テントの天幕に空いた大きな穴。そこから差し込む月明かりが、いつしか三つの色に染まっていた。
蒼、翠、朱。この世界のすべての月が空に浮かび、輝きが混ざり合えば、不思議なことに夜を白銀に染め上げる。
世界を漂う魔力が最も満ちるときだ。
【月光覚醒】
月の輝きを受けて今――
「こいつは……!」
魔王である俺の知覚が、魔力の流れを感じ取る。月からの魔力が大地に導かれ、刻まれていた複雑な仕掛けに作用していた。俺の記憶にはない
柵を張り巡らせてヒトの立ち入りを制していた、大穴の真下に設けられた広場。そこにあったのは、地面に空いた地下への穴だ。
……そういうことか!
俺は失念していた。魔族たちを出さないようあちこちの出入り口は封じられたが、冒険者どもが降りていくためには、最低一つ残さねばならない。それがここだ。
だが今その穴を中心に、広場に十字の亀裂が走った。
「な、に?」
轟音とともに地面が持ち上がる。裂けて、ぐるりと裏返った。
現れたのは中央に長い螺旋階段を持つ、四角く深い縦穴だ。
地下に隠されていた大空間。いつぞやスライムのイムが教えてくれた、青い体で作り上げた地下の構造を思い出す。
そこはかつて魔竜の「我」がいた寝所。地下廃城の深部だった。
だが作り替えられた今は……なんだ? 四角い縦穴を取り囲むように、裏返った大地が斜めに固定される。そこに刻まれていたのは無数の段差だ。
熱狂とともにヒトどもが、我先にと押しかける。下の方の段差から詰めて腰を下ろした。これは、座席?
大勢が縦穴の底を見下ろせるように作られたもの。テント内にいた何百という冒険者どもがそこに集まる。大勢の給仕役も、厨房とやらの中にいた数人も。
動かなかったのはさっきの黒毛のウサギ娘と、ようやく樽から腰を浮かした俺とオズくらいだ。
これでは逆に目立ってしまうか。
俺たちも遅れて、ヒトどもがひしめく段差の近くに移動した。
「ナナ! ナナ! ナナ!」
ヒトどもはいっそう盛り上がっていた。興奮のあまり段差から立ち上がり、足踏みで空気を揺らす。天幕がわなないた。
背の低いオズではままならないが――ヒトどもの邪魔な背中越しに俺は、ようやく捉えた。
最後に、螺旋階段が沈むように格納された地下の底。
そこに残されていたのは、見覚えのある立派な玉座だ。
竜の体を持っていた魔王セプテムが座していた、特別に巨大なもの――。
だが今は色あせ、背もたれに無数の深い傷跡だけが残っている。
【
突如、大量の水が渦を巻いた。
否。渦を纏った一人のヒトが、どこからともなく現れて、玉座の上に立ったのだ。
「ッ!!」
俺の中で
そいつは赤毛の髪を編み上げた、若い女だ。
その周囲には何本もの抜き身の剣が、水の渦に囚われて浮遊していた。
――あの白き刃を俺は覚えている。
『この誇り高き聖ミト王国白百合騎士団が……今日こそ貴様を討伐してみせよう!』
そう告げて、操る水柱に掴ませた白刃の一つが――最後には、魔竜の「我」を背後から貫いていた。
思い出した!
あのとき「我」を倒したのは、間違いなく赤毛の女騎士で……!
「英雄、ナナか!」
熱狂渦巻くテントの下で俺だけが、噛みしめるようにその名を口にした。