幕間1『少女ふたり』
なんだかんだ、友達といっしょに下校するというのは気分がいいものだ。
「ふっふーん」
ゆえに双原灯火は機嫌がよかった。
伊織の前でこそ明るく騒がしい彼女だが、実のところ普段は物静かで落ち着いた──というよりは地味な少女だ。高校入学以降は多少、目立つようになってきてはいるのだが。
少なくとも天ヶ瀬まなつは、普段の灯火を伊織よりは知っている。
「──どう思ってんの?」
上機嫌な灯火に、まなつはすぐ後ろから声をかける。
振り向いた灯火は首を傾げて、
「どうって、どういう意味で、ですか?」
訊ね返すと、まなつは少しだけ思案顔をしてから言った。
「さっきの、小織ってのの話だけど。──ねえ、あんた、おかしいと思わなかった?」
「思いましたね」
灯火もまなつも、当然に気づいたこととして、共有する前提を話している。
彼女たちふたりから見て、さきほどの生原小織の話には明確におかしな点があった。
「現実から逃げ出そうとして、夢の世界にいる……。それはいいよ。でもそれで、なんで伊織だけがあの子を認識できなくなるわけ? 願いにも対価にも含まれてないのに」
「わたしに訊かれても知りませんけど……でも、もともとお友達だったみたいですし」
「その辺が理由でしょ。なこと私だってわかってる。問題なのは、その話になったとき、あの小織って子がわざと話を逸らしたってコト」
まなつは確信的に言う。
灯火はそのまなつをまっすぐ見て。
「一応、巻き込まれただけ、みたいなことは言ってましたけど」
「だから説明になってないでしょ、ってか、んなこと灯火だってわかってんでしょ。問題なのは、だからどうして伊織だけが巻き込まれたのかってコトのほうじゃん」
「……ですよねー」
まなつも灯火もそれに気づいていた。おそらく小織は、意図的にそれを隠したのだと。
「……伊織は」
気づいていなかったのか。まなつの問いに、灯火は考え込むような仕種で。
「どうなんでしょう。わたしでも気づくようなこと、伊織くんせんぱいがわからないはずないとは思うんですけど──」
「そう? 気づけるはずでも、気づきたくないってコトはあるんじゃない?」
「────」
「本当に気づいてなかったのか、無意識に気づかない振りしてたかはともかく。さっきの伊織、明らかに様子が変だったでしょ。たぶん──」
「──覚えてなくても、自分が悪かったに決まってると思ってるから……ですよね」
そう言葉にすると、まなつは鼻を鳴らして灯火から視線を切った。
灯火は肯定だったと判断する。
自分が悪かったから。だから踏み込まない。
これは何も、伊織が自らの過ちを突きつけられることを恐れたからではないだろう。
冬月伊織という人間は、とにかく自罰的な男だ。
自虐的、とは少し違うと灯火は思う。大抵のことを自分のせいだと思い込む悪癖はあるが、それに居直るわけではない。ひたすら真摯に、徹底的なまでに、少しでも取り返そうと足掻き続けている。その贖罪が本質的に不可能だと自覚していながら、なお。
だからこそ伊織は逆に、譲らないと決めている一点を絶対に譲らない。その頑なさは、灯火だけでなくまなつも知るところだ。必要だと決めたことを、彼は躊躇わない。
説得や譲歩には決して応じないし、自分の感情を切り離して機械のように判断する。
一方、だがそれでも彼は機械ではない。血の通った人間である。
譲らない、と決めている点以外には非常に甘い。伊織自身、半分は融通を利かせているつもりなのだろうが、もう半分はおそらく──常に周囲に、負い目と罪悪感があるから。
ある一線を譲らないというより、それ以外の全てを譲ってもいいとしているような。
冬月伊織には、そういう危うさがある。灯火はそう思っていた。
「……本当、面倒臭いな、伊織は……」
ぼやくように呟くまなつ。灯火もまったくの同感だ。
ただまあ逆に、そんなところも味があって、慣れれば愛らしいのだけれど。だけれど。
──中学のときに起きたという一件。
灯火も聞かせてもらった、冬月伊織が久高陽星のために願ってしまったという──取り返しのつかない過ち。
それは今もなお、あるいは生涯消えることなく、伊織という人間を縛っている。小織の件も、それと同じように考えているのだろう。
自分がもっとしっかりしていれば、防げた事態だったかもしれない。そんなふうに。
「まあ……今回は少し違うのかもしれないけど」
どこか遠くへ零すようなまなつの呟きが、灯火の耳に届いた。
ふたりとも察していた。もしも小織の言っていたことが正しく、またその通りに問題を解決できたとしても──そのとき彼女は、きっと。
「まあ、どっちにしたとこで、わたしたち割と蚊帳の外なんですけど」
「今それ言う?」
あっけらかんと言った灯火に、まなつはじとっとした目を向けた。
実際、伊織から体よく追い払われたことは事実だ。その対応自体は、これまでの灯火やまなつの件と変わっていない。基本的に、伊織は星の涙のことを広めようとしないのだ。
──だからといって、伊織をこのまま放っておくつもりは、灯火にはない。
「まなつちゃんだって同じ結論だから、こうしてついて来たんじゃないんですか?」
「…………」
「伊織くんせんぱいがわたしたちを関わらせないようにするのが自由なら、それでも動くことをわたしたちが選ぶのだって自由。せんぱいにも、それは止められません」
だからまなつも、あの場で食い下がらず灯火について来たのではないかと。
視線で確認する灯火に、まなつは細い目を向けて。
「……灯火って」
「はい?」
「なんでそれで普段はアホなの?」
「どういう問いぃ!?」
唖然とする灯火だった。
わたしはまったくアホでないので、そんなことを言われる筋合いもないのだからして。
「なんだかなー。少なくともここは楽勝だと思ってたのに」
「どういう意味だあっ! 言ってみなさいよぉ!! ここってどこだ、頭のことかあ!?」
失礼極まりない問いに憤慨する灯火だったが、まなつのほうはどこ吹く風。
無論、灯火とてまなつの言う『ここ』の意味くらい、本当は察していたけれど。
そこにはお互い、今は触れずに。
「で? そっちのほうこそ、何か考えがあって出てきたんじゃないの?」
「はい?」
「こっちの勝手にするったって、特に何ができるってわけでもないでしょ。実際こうして追いやられてるわけだし。こっからどうする気でいんの?」
「……そうですね。わたしも結構、いろいろと確認しないとなって思ってます」
「確認?」
「はい」
首を傾げるまなつに対し、灯火はにっこりと、満面の笑みを向けて。
そして訊ねた。
「──まなつちゃんは、どこで星の涙を手に入れたんですか?」
「そ、れは──」
予想外だった問いに目を見開く。
だが灯火にしてみれば、蚊帳の外に置かれていたのはまなつの一件も同じ。まずはその点を確認しなければ、伊織と別行動している意味がない。
「何を願って、どうなったのか。伊織くんせんぱいは何をしたのか。聞きたいです」
「……それを私が、あんたに言うって?」
「さて。それを確かめるためにも、まずはお話、しましょうよ」
灯火は言う。
そしてまなつは、逃げられないなと、そこで悟った。
「自慢ではありませんが。──これでもわたし、お友達とふたりで放課後に遊んだ経験、ほっとんどありませんからね!」
「……いや、それは本当に自慢じゃないでしょ……なんで言ったの?」
「それはもう! 胸を割って、お話しようかと」
──これは想像以上に、厄介なのに目をつけられた気がする。
天ヶ瀬まなつは、そんなふうに思うのだった。
「まあ、わたしの胸は割れてますけどね。わたしの胸は! ふふん!」
「もしかして喧嘩売ってる? あ? だったら買うけど? おいコラ」