1章 こういうのが好きなんですか?

蜜柑ゼリーの日

 蜜柑ゼリーの入った袋を、彼女に手渡した。なんですかと、視線が問いかけてくる。

「いらなかったら、捨ててくれて構わない」

 中身を見た瞬間、彼女は首を横に振る。嬉しそうな表情を浮かべているので、受け取ってくれるのだろう。

「ありがとうございます。蜜柑が使われているものは大体好きなので、嬉しいです」

「そうか。それなら良かった」

 彼女は早速ふたを開けて、ゼリーの中から蜜柑の実を取り出して口にした。彼女はおいしそうに、蜜柑を食べている。目につく位置に蜜柑ゼリーを置いてくれていたコンビニには、感謝しかない。

「じゃあ、今度は蜜柑のケーキがあるカフェなんかに行こうか?」

 冗談半分でそう声をかければ、驚いたように目を見開いた。ゼリーを食べる手も止まっている。そんなに驚くことだろうか。

「そんなこと言っていいんですか? あなたと一緒の外出なんて、きっと落ち着けて楽しめてしまいます」

「いや、それはいいことなんじゃないのか?」

「街中にいても、人々の声が聞こえない。それはとても素晴らしいことです」

 彼女は真剣な表情で話を続ける。

「あ、どうせ出かけるのならついでに映画も見たいです。今はなにが公開されているんでしたっけ……。北斗さんには、見たい作品はありますか?」

 本当に期待しているらしい。蜜柑のケーキのある店すら知らないで適当に言ったのだが、彼女のそんな顔を見ると調べてみようかという気分になった。

「じゃあ、行くか。カフェと映画に」

「はい。今度のテストが終わってから行きましょう。ああ、お金なら心配いりませんよ」

「さすがの俺も、女子におごってもらわないといけないほどには困窮してない」

「そうですか。それなら良かったです」

「それで、一応聞いてもいいか?」

「はい、なんでしょう」

「結局俺は、お前の能力をほぼ遮断出来るってことでいいのか?」

「あれ、最初に言いませんでしたっけ」

 言われた気はする。

「そのときは雑に流した」

 この前も、雑に流してしまった。

「そうでしたね。いい機会です。詳しくお話ししましょう」

 彼女は気を好くしたようで、ゼリーの入っていた容器を机の端に置いて、ルーズリーフとペンを取り出して何かを書き出し始めた。これから説明をしてくれるらしい。

「さて」

「はい」

「私の能力は、普段は読んでいると言っているものの、本来は人の考えていることが意図せずに分かってしまうというものです。そうですね。ファミレスなんかだと、聞こうとしていないのに側でおしゃべりをされていたら否でも耳に入ってくるでしょう? そんな感じです。しかもそれは、大変プライベートな話題がメインです。なんたって、喋る前の思考の段階のものが流れてくるんですからね」

「ギャルゲーでたとえるなら、明らかに地雷な選択肢も含めて全部見られているみたいなものか」

「会話のときはそうですね。上手い表現です、花丸」

 かなり久しぶりに花丸を貰ってしまった。いつ以来だろうか、小学生?

「それで、感覚としては脳に直接入ってくるという表現が近いということは、この前お話ししましたね? 覚えていますか?」

「ああ、それは覚えてる」

「そして、それはあなたの半径二メートルの中に入ればあなたの思考以外は聞こえなくなる。これは事実です」

「そこまでは、俺も知っている」

 それ以上のなにかがあるというのだろうか?

「この二メートルは、北斗さんの距離です」

「俺の距離?」

「この『思考が聞こえる』距離は、人によります」

「……それは初耳だ」

 かなり重要そうな話である。

「五十メートル、百メートル離れていても聞こえてくるような思考を持っている方もいれば、北斗さんのようにほぼゼロ距離じゃなければ聞こえない人もいます」

「へぇ、そんなもんなんだ」

「はい、基準は分かりませんけどね」

 それはそうだ。彼女以外分かる人間がいないので、確かめようがない。しかし、てっきり誰も彼もが二メートルなんだと思っていた。想像よりも、ずっと騒がしいだろう。

「俺の効果の範囲が、もう少し広ければ良かったのにな」

「もう慣れましたから大丈夫です。それに、二メートルで良かったこともあるんですよ」

「……たとえば?」

「残念、秘密です」

 口元に指を添えた彼女を見て、これは教えてくれないだろうと思い、それ以上の詮索をやめた。

「それで?」

「以上で、説明は終わりです」

「あっ、以上でしたか」

 勢いよく始めたわりに、あっさりとした説明だった。結局、ルーズリーフもペンも使われなかったし。

「ところで、お出かけの話なんですけど」

「本当に行きたいんだな」

 ああ、こっちで使っていたらしい。既に色々な書き込みがされている。話している間にも書き出していたらしい。楽しみにしすぎじゃあないだろうか。

「お前が行きたいところでいいよ。日程も合わせる」

「なんという至れり尽くせり! それじゃあ、テストが終わってから詳しく決めましょう」

 前回の悪い顔よりも深く、本当に楽しそうな笑みを浮かべている彼女を見ていると、自然と俺も楽しみになってしまう。

「楽しみにしてる」

「はい、私もです」


 ○


 帰宅後、家に誰もいないことを確認。スマートフォンのアプリでラジオを流しながら、音楽プレーヤーから音楽を流す。最後にテレビをつけて、そのまま五分。もう少し音を増やすべきだと思ったが、鳴らし始めた瞬間からうるさい。五分もしないうちに、頭ががんがんと悲鳴を上げ始めた。彼女はこれを超える音を、ほぼ四六時中、否でも聞かされているのだ。自分だったら耐えられない。彼女は平然としているが、あれはそうであると演じている姿なのだろうか。それとも、いつからか感覚が麻痺してしまったのか。どちらにせよ、俺には理解できないのだろう。

 理解したいというわけではない。それでも、色々と知ってしまった以上、引くわけにはいかないのではないかという気がしているのは確かだ。まあ。悪い方向にいかなければいい。

 なるようになれ、だ。

関連書籍

  • 隣のキミであたまがいっぱい。

    隣のキミであたまがいっぱい。

    城崎/みわべさくら

    BookWalkerで購入する
Close