読書にうってつけの日
図書当番の日だ。司書の先生は、職員会議に行っており不在である。そのため、いつもよりも長い時間を当番として過ごさなければならないが、いつものように来客はない。つまり、絶好の読書日和である。
「オススメの本って、なにかありますか?」
読書日和であったはずなのに。
突然の声に、読んでいた文字列から目を外す。案の定、目の前には彼女が立っていた。期待のまなざしが向けられているのと内容が内容なので、渋々ながらも席を立つ。美人は三日で飽きるだなんて言われているが、俺は未だに彼女の美しさにやられているようだ。
なんにせよ、本に興味を持つのは良いことだと俺は思う。読書家がマイノリティとされるこの時代では、読んでみようという意思だけでも素晴らしい。
「ありがとうございます」
「で、如月さんの本を読む頻度はいかほどで?」
「ほとんどありません。教科書に載っているのを眺めるくらいですね」
ほとんどゼロ、と。
「好きな話の系統は?」
「これといって、特にありません」
「じゃあ、逆に苦手なものはあるか?」
「それもないです。しいて言えば、古文全般が苦手です」
「いきなり古文を勧めようとは、さすがに思わない」
好きな人はものすごく好きなんだろうが、俺も苦手なので読む機会は勉強中くらいだ。
「その本は、面白いですか?」
ふと彼女の視線が、俺の持っている本へと注がれた。簡素な表紙を、彼女にも見えるように前に持ち上げる。
「まだ途中だけど、面白いよ」
「へえ、どんな話なんですか?」
「殺人鬼の女性が一般男性の家に転がり込んでくる話。殺人鬼の格好が面白い」
言いながらページをめくり、殺人鬼が登場するシーンのイラストを開く。
「コートに冬物の体操服、それにマスクでおかっぱ頭ですか。完全に不審者ですね」
「殺人犯だから、不審どころじゃないけどな」
薄らとだが笑っているので、なにかしら掴みは出来たのだろう。
本自体が薄めだし、内容もハードではないから読みやすいのではないだろうか。確か、もう一冊同じものが置かれていたはずだ。本を棚から探し出し、彼女へと手渡す。
「どう?」
彼女はパラパラとページをめくって内容を確認したあと、首を縦に振った。
「はい、これにします」
その言葉に、ホッと胸をなで下ろす。これ以上本の内容を話さなければならないとなると、熱く語らずにはいられないところだった。オタクとしての悪いサガだ。
「気になります。今度ぜひ語ってください」
「絶対引かれるから嫌だ」
「引きませんよ」
「どうだか」
「いつも聞いてる北斗さんの思考を面白いと思っているので、多分大丈夫だと思います」
グッと親指を立てて問題がないことを示してくるが、こちら側としては問題しかないので無視を決め込む。
「……あ、学生証持ってる?」
「持ってますが、どうするんですか?」
カウンターへと戻りながら、彼女から学生証を受け取る。
「貸し出しに使うんだよ。ちょっと貸して」
学生証に貼られている少し幼い彼女の写真が目に映るが、今は意識をそちらに向けるべきではない。学生証についているバーコードを読み取り、彼女の貸し出しデータを呼び出す。その後、本に貼られているバーコードを読んで貸し出しを決定すれば終了だ。
「このバーコード、使い道があったんですね」
返された学生証を興味深そうに見つめながら呟かれた言葉に絶句した。嘘だろ。
「入学してから最初の図書館訪問で説明されたはずなんだけど」
「記憶にないです」
「……そういう生徒、何人くらいいるかな?」
「結構いるんじゃないでしょうか」
得も言われぬ悲しさに包まれかけたが、この悲しい状況を生かしたある考えがひらめいた。
「バーコードの使い道が図書館にあると知ったら、皆図書館に来るんじゃなかろうか?」
「『へぇーすごーい』で終わると思います」
普段の彼女が絶対にやらないであろう『感情のこもっていないわりにテンションと音程の高い声』がツボにハマってしまい、俺は笑うしかなかった。先ほど俺を包みかけた悲しみの薄皮が、俺を包み込む。彼女はというと、そのまま満足げに教室へと戻っていった。
相も変わらず、図書館に人は来ない。
今度こそ読書日和である。