1章 こういうのが好きなんですか?

呪いのノートの日

「呪いのノートを手に入れました」

「……はぁ」

 咄嗟に反応が返せなかった。呪いのノートを手に入れたと言われても『そうですか』以外のなにを言えばいいのだろう。彼女が嘘をつくとは思わなかったが、突拍子もないことを言いそうな気は薄々していた。それが現実になってしまったので、困惑を隠せない。

「失礼ですね」

 不服そうに頬を膨らませる姿は可愛らしいが、それどころではないだろう。

「だって、お前の存在がファンタジーだし」

「私もノートもファンタジーではありません。見てください。これが実際のノートです」

 言いながら机の上に置かれたのは、一般的なメーカーのノートだった。自分も使っているので、本当に一般的なものだと思う。

「……触っても?」

「大丈夫ですよ」

 手にとって確認してみるが、表紙にも裏表紙にも、名前や使用している教科名は書かれていない。上部から見える白い紙の部分に薄く黒が滲んでいることから、使われている様子はうかがえる。パッと見では、これが呪いのノートだなんて思えない。

「これのどこが呪いのノートなんだよ?」

「開いてみてください」

 言われた通り、ノートを開く。絶句した。中には何Bの鉛筆を使ったのだというくらい太い黒鉛の字で、一人の名前が延々と記されていたのである。思わず変な声を上げて、ノートを投げてしまった。床に落ちたそれを、彼女は丁寧に拾い上げる。

「なんだよ、それ」

 手が震えている。心なしか、気分も悪くなってきた。

「言ったじゃないですか。これは呪いのノートだって」

「いや、それは分かっているけど」

「丁寧に扱ってくださいよ。落とし物ということで、あとで届けるんですから」

「なかなかにチャレンジャーだな!?」

 この中身を見られただなんて本人が知ったら、見た人間をどうするか分からない。

「大体、これが誰のノートなのか分かってるのか?」

「ええ。このノートに書かれている人のことをひたすら考えている人がクラスにいましたから、きっとその方が持ち主でしょう」

「誰のか分かっているなら、机の中にでも入れておけば良いのに」

「名前を書いていないノートが自分のところに返ってくるとしたら、考えの読める私が本人の考えに沿って返したと、彼女ならば判断してくれると思います。どうせ知られるのなら、直接渡した方が安全じゃないですか」

 そういうものだろうか。

「そういうものです、多分」

 そして、彼女と言うことは、これを作った人間は女子なのか。知りたくなかった。

「それより、なんで俺に見せたんだよ。怖がらせるためか?」

「いえ、北斗さんがそこまで怯えるのは想定外でした。申し訳ありません」

 本当に予想外だったようで、彼女はうつむいてしまった。

「……別に謝らなくてもいいから、出来れば事情を話して欲しい」

 そう言った途端に、彼女は顔を上げた。

「事情を話すのは構いませんが、これは私が聞いた限りのことをつなぎ合わせただけです。事実とは異なる部分が必ずありますが、それでもよろしいですか?」

 怖いものは、最後まで知って実は怖くないものだと知りたいものだ。中途半端に知ってしまった今、引き下がるのはためらわれる。

「じゃあまず、なんで俺にこれを見せたんだ?」

「一人では呪われそうだったので、共有したかったのです」

 ひどい理由だった。

「俺まで呪われたらどうしてくれるんだよ」

「呪いの原理は分かりませんが、二人で見ればきっと半分呪われる程度で済みますよ」

「ぜ、絶対そんなもんじゃないだろ……!」

 呪われたらどうしようと心配する俺を余所に、彼女はなにかを考える素振りをする。ちらりとこちらを見やった。きっと脳内で『素振りじゃありません』と否定しているのだろう。彼女に睨まれても怖くはない。ため息のあと、彼女は口を開いた。

「一般人である彼女に呪いがかけられるとは思いませんし、呪われるとしてもこのノートに書かれている名前の方だけでしょう。きっと大丈夫です。さて、次の質問はありますか?」

 大丈夫だろうとなかろうと、呪いに対抗出来る術などない。仕方なく、次を考える。

「そもそもこのノートの持ち主の事情は、思考を読んで知っていたんだろ? なんで拾っちゃったんだよ」

「ノートが廊下に落ちていれば、誰だって拾ってしまうでしょう」

「開くか?」

「表紙の裏に名前を書く人もいます」

 そんな人間は自分には思い浮かばないが、彼女が断言すると言うことは確かに存在しているんだろう。このノートが登場してから、ずっと腑に落ちないことを聞かされている。

「じゃあ本題だ。このノートは、どんな事情で作られたんだ?」

「嫉妬です」

「嫉妬」

「攻撃の矛先が、恋敵ではなくノートへと向かってしまった結果です」

「よりにもよって、どうしてノートに向かったんだよ」

「嫉妬の相手である人間に向かわなかっただけ良かったと思いましょう。こういうのはヤンデレというものに分類されるんですか? それともメンヘラ?」

「そういうのは自分、専門外なんで」

「そうなんですか。私にも分からないので、謎のままですね」

 それはむしろ、謎のままにしておきたい。

「しかし、嫉妬か……」

 怖いのは確かだが、出来た経緯があっさりしていたことに拍子抜けした。ここまで引っぱったのだから、もっと複雑な事情があるものと思っていたのに。

「テレビドラマじゃないんですから、そんなに複雑なバックボーンはありませんよ。いえ、ドラマであったとしても、全貌すら分かれば案外単純なことだったりしますしね」

 彼女が薄ら笑みを見せたとき、教室の扉が開かれる音がした。見ると、息を切らした女子生徒が、こちらを絶望のまなざしで見ている。彼女は小走りでこちらへと駆け寄ると、机の上にあるノートを奪い取った。

「……見たの?」

 じっとりと沈むような声に、背中に悪寒が走る。どう答えるべきか迷ってしまった。その時点でもう見たことの証明になっているようなものだが、素直に言ったところで……。

「見ました。ごめんなさい」

 そんな言い訳を頭の中で展開している俺の横で、彼女は素直に白状して頭を下げた。

「……ごめんなさい」

 同じように、俺も頭を下げる。

「そう。じゃあ……誰にも言わないで」

 彼女はそっと言うと、そのまま教室を後にしていった。顔を上げ、如月と目を合わせる。俺は思わず、ため息をついた。

「……言えるはずがないよなぁ」

 しかし彼女は様子が違っており、どこかうっとりとした視線で宙を見つめている。今のどこにそんな要素があったというのか。

「不思議な気分です。人が近づいてくるのを察知出来ないなんて」

「ああ、そう。それは良かったですね」

「はい、とっても!」

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