一億年ボタンを連打した俺は、気付いたら最強になっていた ～落第剣士の学院無双～

　その数日後──今日明日と学院が休みのため、俺は早（さつ）速（そく）母さんに会いに行くことにした。

　朝支（じ）度（たく）と朝食は既（すで）に済ませた。後は荷物を持って出発するだけだ。

「──準備よしっと、それじゃ行ってきます」

　寮の玄（げん）関（かん）口でそう言うと、ポーラさんが食堂からヌッと顔を出した。

「忘れ物は？　せっかく買った土産（みやげ）は、ちゃんと持ってるんだろうね？」

「はい、ばっちりです」

　昨日、露（ろ）店（てん）で買った煎（せん）餅（べい）とおかきは、ポーラさんから借りた風（ふ）呂（ろ）敷（しき）で大事に包んである。

「そうかい。なら気を付けて行くんだよ？」

「はい！」

　俺はペコリと頭を下げ、寮を後にした。ちなみに寮の玄関には、剣武祭の優勝トロフィーが堂々と飾（かざ）られていて……何というか少し恥（は）ずかしい。

　そうしてポーラさんの寮を発（た）った俺は、長い獣（けもの）道（みち）をひたすら南へ下っていく。

　一時間、二時間、三時間と走れば──目の前にゴザ村が見えてきた。いつもなら軽く十時間は掛（か）かっていたのに、今日はあっという間に着いた。

「あぁ、懐（なつ）かしいなぁ……」

　ぽつぽつとまばらに建った茅（かや）葺（ぶき）屋根の家。その周りには広大な牧草地帯と畑が広がっている。総人口は百人にも満たないとても小さな村だ。

「ここに帰るのも、もう三年ぶりになるのか……」

　時の世界で過ごした十数億年を差し引いたとしても、だいたいそれぐらいになるだろう。

　そうしてぼんやりとゴザ村を見回していると、

「──あんれ！　おめぇ、アレンでねぇか!?」

　後ろから南（みなみ）訛（なま）りのしわがれた声が聞こえた。

　振り返るとそこには──昔、竹馬や手製のめんこで遊んでもらった竹（たけ）爺（じい）の姿があった。

「竹爺！　久しぶりだね！」

「おーこりゃ、しっばらぐ見ねぇうちに大きなったなぁー！」

　この国──リーンガード皇国の南部に位置するゴザ村は、かなり南訛りが強い。

「あはは、そりゃ成長期だからな」

　それからしばらくの間、昔話に花を咲（さ）かせていると、

「おっど！　おらなんかと話すより、はようロードルさんとこ行っちゃれ！　おめぇさんおらんなってから、やっぱ元気が無ぇんど」

「わかった。それじゃまたね、竹爺」

「うんだ。また後でうちにも顔出してくれっこ！　ひっさしぶりに、めんこでもやらんけ？」

「うん、楽しみにしてるよ！」

　そうして竹爺と別れた俺は、家（か）畜（ちく）のにおいがする道をしばらく歩き──母さんの暮らす家に到（とう）着（ちやく）した。

「うわぁ、懐かしいなぁ……」

　三年前──最後に見たときから何にも変わっていない。本当にあの頃（ころ）のままだ。

「──母さん、ただいま！」

　鍵（かぎ）の掛かっていない横引きの古びた扉（とびら）をガラガラと開けて、少し大きめの声でそう言うと──家の奥からドタドタと走る音が聞こえてきた。

「あ、アレンかぃ!?」

　鍋（なべ）蓋（ぶた）を持った母さんが、目をキラキラと輝かせて現れた。

　どうやら、ちょうどごはんの仕込みをしていたようだ。

「うん、ただいま！」

「あぁ……もう大きなっちや！」

　彼女は両手を大きく広げ、ギュッと俺を抱（だ）き締（し）めた。

「えらい久しぶりよってに！　元気しとうや!?」

「うん、この通り元気でやってるよ」

「そらぁ、えがった！　ほんれ、立ち話もなんじゃき、早う上がらんね！」

　そうして久しぶりに実家へ帰った俺は、晩（ばん）御（ご）飯（はん）の仕込みをしている母さんといろいろな話をした。その後、母さんの手が少し空いたところで、ようやく本題を切り出した。

「……ねぇ、母さん。ちょっと大事な話があるんだけど、聞いてもらってもいいかな？」

「どしたね？　急にそんな改まってさ」

「うん、それがね──」

　それから俺は、今後の進路選択について相談した。聖（せい）騎（き）士（し）・魔剣士・千刃学院への進学という三つの選（せん）択（たく）肢（し）があること。それぞれを選んだときのメリットとデメリット。そうして現状を粗（あら）方（かた）説明し終えると、母さんは拍（ひよう）子（し）抜（ぬ）けしたように肩（かた）を竦（すく）めた。

「なぁんぞそれは……。改まって『大事な話』言うがら、どったら大きなこつか思ったら……。そんな簡単なこと迷いよるかね？」

「い、いや、これはけっこう難しい問題で──」

「──千刃学院ば行きたかよね？」

「……っ」

　自分の希望も思いも考えも──まだ何も伝えていないこの状（じよう）況（きよう）で、簡単に言い当てられてしまった。

「なん、で……わかったの？」

「親っこ舐（な）めたらいかんさね。アレンはこーんに小さいこっから、剣ば振るうのが好きやってな。お前さんが千刃学院いうとこ行きたかことなんて、お見通しぬら」

「……そっか」

　それから少しの間、俺が押し黙（だま）っていると──母さんは優しく諭（さと）すように言った。

「私のことなんかなぁんも気にせんでええよってに。アレンはアレンの人生を生きな。私はそん道を陰（かげ）ながら、ずぅと応（おう）援（えん）しとうや。ただし──私より一秒でもええから後に死ぬんぞ？　それが一番の親孝行やきな？」

「……わかった。ありがとう、母さん」

　そうしてお礼を伝えると、彼女はニッと笑った。

「よし、話が終わったぬらご飯にしよって！　今日はあんたの好きやったシチュー、たくさん作ったがぁ！」

　母さんはそう言って、今できたばかりのシチューを木製の皿に注ぐ。ゴロンと大きなイモが入ったシチュー。いつもは俺の誕生日にだけ出る『特別メニュー』だ。

「おいしい、とってもおいしいよ……！」

　十数億年ぶりに食べた母さんのシチューは、言い表しようもないほどにおいしかった。

「そうか、そうか！　おかわりもあるよってに、遠（えん）慮（りよ）せんとたくさん食べーよ！」

　そうして特製のシチューを堪（たん）能（のう）した後は、母さんが沸（わ）かしてくれた懐かしい釜（かま）風（ぶ）呂（ろ）に入った。風呂ぐらいもう自分で沸かせると言ったけど……。「世話を焼かせるのも、親孝行の一つだ」と言われたら、黙って手を引くしかない。なんというか……小さな子供の頃に戻（もど）ったみたいで、悪くない気分だ。しかし、それにしても……。

「母さん、歳（とし）とったなぁ……」

　久しぶりに見た彼女は、ずいぶんと老（ふ）けて見えた。

（今年で五十歳になることを考えたら、別におかしくはないけど……）

　顔の小じわも白（しら）髪（が）もかなり増えていたし、少し背が縮んだような気もする。

「……千刃学院でたくさん修（しゆ）業（ぎよう）をして、早く立派な剣士にならないとな」

　そうしてたくさん給金を稼（かせ）いで、母さんに楽な生活をさせてあげなくては。

　そんな決心を新たに、俺は風呂場で疲（つか）れを洗い流したのだった。

　　　　■

　アレンが風呂に入っている頃、彼の母ダリア＝ロードルは一人で洗い物を片付けていた。

　水の流れる音と食器が水切り台に置かれる音に交じって、しゃがれた老（ろう）爺（や）の声が響（ひび）く。

「──ひょほほっ！　このシチュー、中々どうしてうまいのぅ！」

　ダリアが振（ふ）り返れば、食（しよく）卓（たく）には腰（こし）の曲がった初老の男──時の仙（せん）人（にん）が座っていた。

　いつの間によそったのか、彼の手にはシチューの入った皿とスプーンが握（にぎ）られている。

「『封（ふう）印（いん）』が緩（ゆる）んでいたから、もしやとは思っていたけど……。やっぱりあんたの仕（し）業（わざ）かい、時の仙人」

　ダリアはこれまでの南訛りの喋（しやべ）りをやめ、流（りゆう）暢（ちよう）な標準語でそう問い詰（つ）めた。

「いやぁ、それにしても上手に隠（かく）したもんじゃのぅ……。おかげで見つけるのに骨が折れたわい」

「そう。だったら──もう一本ぐらい折っといたら？」

　一（いつ）瞬（しゆん）で時の仙人の後ろをとったダリアは、彼の頭上目掛けて拳（こぶし）を振り下ろす。

　しかし、時の仙人は自身を透（とう）明（めい）化することによって、難なくその一（いち）撃（げき）を回（かい）避（ひ）した。

　彼女の拳は虚（むな）しくも空を切り、木製の椅（い）子（す）を木（こ）っ端（ぱ）微（み）塵（じん）に粉（ふん）砕（さい）する。

「ひょほっ！　おー、怖（こわ）い怖い！」

　余（よ）裕（ゆう）綽（しやく）々（しやく）といった様子の時の仙人は、大きなジャガイモをパクっと口に含（ふく）む。

「うむうむ、久しぶりに美味な食事じゃったわい。ではな、またどこかで会おうぞ」

　彼はそう言うと、まるで霧（きり）のように消えてしまった。

「……ちっ、逃（に）げやがったか」

　ダリアが苛（いら）立（だ）った様子で大きく舌打ちをすると、

「おい、今の気配って『奴（やつ）』じゃねぇのか!?」

　荒（あら）々（あら）しく玄関の扉が開かれ、流暢な標準語を操（あやつ）る竹爺が飛び込んできた。

「遅（おそ）かったわね。時の仙人ならとっくに逃げたわよ」

「くそ、ということはやはり……!?」

「あぁ。『一億年ボタン』、使われちまったみたいだね……」

「……なんてこった」

　二人の間に沈（ちん）痛（つう）な空気が流れる。

「なぁ、ダリア……。どうして時の仙人は、アレンの存在を捕（ほ）捉（そく）できたんだ？　封印は完（かん）璧（ぺき）だったはずだろ？」

「もしかすると、アレンの感情を強く揺（ゆ）さぶるような事件があったのかもしれないね……。学院では楽しくやってるって手紙に書いてあったから、安心してたんだけど……」

　アレンは学院内でいじめを受けていることを、ダリアに打ち明けたことはなかった。それはもちろん、母親を信（しん）頼（らい）していないというわけではない。純（じゆん）粋（すい）に心配を掛けたくないという思いからの行動だった。

「まぁとにかく、時の仙人は何がなんでもあたしたちの邪（じや）魔（ま）をするみたいだよ……」

　ダリアは強く拳を握り締めながら、歯を食いしばる。

「だけど、今回ばかりはあんたの思い通りにさせない……」

　その後、竹爺はすぐに自分の家に戻り、ダリアは壊（こわ）してしまった椅子を外のゴミ捨て場に持って行ったのだった。