予想外に早くグラン剣術学院へ到着した俺は、食堂でいつもの『格安のり弁当』を食べて時間を潰す。ついさっき朝食を食べたばかりなのに、何故かとてもお腹が空いていたのだ。そうして予定時間の五分前には、決闘の場である体育館へ向かった。
そこで俺は──圧倒されることになった。
「な、なんだよ……これ……!?」
早朝だというのに、体育館には溢れんばかりの生徒が詰めかけていた。
「うわっ、落第剣士様の登場だぞ!」
「やっといなくなるのね! 毎日馬鹿みたいに剣を振って、ほんと見苦しかったのよ!」
「ドドリエルには感謝しないとな! 学院の厄介者を追い払ってくれるんだから!」
同級生から、耳を塞ぎたくなるようなヤジが雨のように降り注ぐ。
「ど、どうして……!?」
そんな風に俺が困惑していると、クスクスとわざとらしい笑い声が聞こえた。
声のする方を見れば──体育館の中央にドドリエルとその取り巻きがいた。動揺を隠せない俺を尻目に、彼らはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている。
「あはっ! 逃げずに出てきたことだけは褒めてやるよ、アレン?」
「ど、ドドリエル! なんだよ、これ……! こんなの聞いてないぞ!?」
体育館に詰めかけた生徒を指差して、そう問い詰めた。
「いやぁ、僕もびっくりしてるんだよ……。どこかから僕とアレンが決闘するという情報が漏れたみたいでねぇ……。全く、悪趣味な奴もいたもんだ」
ドドリエルはそう言って、わざとらしく肩を竦める。
「お、お前……っ」
間違いない。俺との決闘を触れ回り、学院の生徒をここへ集めたのはこいつだ。衆人環視の中、俺に大恥をかかせるつもりらしい。本当に、どこまでも性格の悪い奴だ。
「落第剣士をぶっ飛ばせー!」
「きゃーっ! ドドリエル様ぁ! 頑張ってー!」
ドドリエルの勝利と、俺の無様な敗北を望む生徒たちの声が飛び交う中──一人の男性教師が体育館へ入ってきた。彼は一瞬だけ生徒たちの数と無茶苦茶な声援に驚いたものの、その後は特に何を言うこともなく、こちらへ向かって歩いてきた。
「えー、それでは……。既定の時間となりましたので、ドドリエル=バートンとアレン=ロードルの決闘を開始いたします」
どうやら、この状況を咎めもしないらしい……。決闘は互いの条件が同等でなければならない。そして当然ながら、こんな劣悪な環境での決闘なんて公平でもなんでもない。
(中立であるはずの学院側が、この状況になんの口出しもしないということは……)
学院側も、俺を追い出したがっているということだ。
(くそ……っ)
四面楚歌の状況に、俺は歯嚙みすることしかできなかった。
「ゴホン。両者、準備はよろしいですね? それでは──始め!」
そうしてこれ以上ないほどひどい環境の中、淡々と決闘の開始が告げられた。
「一瞬では終わらせないよ、アレン? ジワジワと痛ぶってやる……お前が泣いて許しを請うまでなぁ!」
ドドリエルは腰に差した剣を引き抜き、嗜虐的な笑みを浮かべた。
「……舐めてかかると、痛い目を見ることになるぞ!」
それに応じて俺も剣を抜き、へその前に置く。剣術における基本中の基本の型──正眼の構えだ。
ピンと張りつめた空気が漂い、互いの視線が交錯する。
そんな中、俺はチラリと奴の剣に視線を落とした。刀身にある美しい刃文が遠目にも見て取れる。どこぞの名匠が打った業物だと、あいつがよく自慢していたものだ。
一方、俺の剣は一振り千ゴルド──どこにでも売ってある最低ランクの一振り。
(多分……いや確実に、俺はこの勝負に負けるだろう)
剣・技量・才能──どれを取ってもドドリエルに太刀打ちできるものはない。
(だけど、ここで退くわけにはいかない……っ)
こんな俺にだって、剣士としての──男としての誇りがある。
(母さんを馬鹿にされて、おめおめと引き下がれるもんか……っ)
心の中で闘志を燃やしつつ、ドドリエルの目をジッと睨み付けた。
あいつの剣は攻めの剣。まるで雨のような怒涛の連撃で、相手に反撃すら許さない剛の剣だ。真っ正面からの斬り合いを挑めば、まず勝ちの目はないだろう。
(狙うはカウンター、一撃必殺だ……!)
あの天才だって人間だ。失敗もすればミスだってする。
(だから、この戦いはただひたすらに奴の猛攻を凌ぐ!)
激しい剣戟の中でほんの一瞬の隙を見出し、そこへ全力の一撃を叩き込む。
勝つことはできなくとも、最低でも手傷は負わせる──それが俺の戦略だった。
(さぁ、こい……!)
俺は精神を集中させ、ドドリエルの踏み込みを待った。
だけど、俺の予想に反して奴は一向に攻めてこなかった。
それどころか一定以上の距離を取ったまま、こちらに近寄ろうとさえしない。
(……何だ? いったい何を企んでいる?)
ドドリエルの『らしくない行動』を不審に思っていると、
「アレン……っ。お前、何をした……!?」
奴は先ほどまでの不敵な笑みを引っ込めて、厳しい形相でこちらを睨み付けた。
「……何を言っているんだ? 質問の意味がわからないぞ?」
「とぼけるつもりか、落第剣士の分際で……っ!」
ドドリエルは悔しそうに歯を食いしばり、かなりの間合いを維持したまま、すり足で俺の周囲を回り始めた。一方の俺は、視界の中心に奴を捉えたまま正眼の構えを堅持する。
(……あいつの気はそう長くない)
ドドリエルが俺のことをよく知っているように、俺もあいつのことをよく知っている。
短気で飽き性──生粋の天才肌であるドドリエルが、この窮屈で退屈な睨み合いを続けられるわけがない。きっと今に襲い掛かって来るだろう。
そうして一分、二分と時間が経過したそのとき──突然、奴が構えを変えた。
(……来る!)
そして次の瞬間、
「うぅおおおおおおおお!」
気迫の籠った凄まじい雄叫びをあげ、ドドリエルは一直線に駆け出した。
「……っ」
その凄まじい気迫に気圧されそうになりながらも、俺は心を強く持ってしっかりと目を見開く。しかし──そこに広がっていたのはあまりにおかしな光景だった。
(……え?)
いつまで経っても、ドドリエルは斬りかかって来なかった。
いや、もっと正確に言うならば……。あいつはまるで子どもがチャンバラごっこをやるときのような──わざとらしくゆっくりな動きでこちらへ向かっていた。
(あいつ、何を考えているんだ……?)
その疑問は、すぐに解消された。
(なるほど、そうか……。俺なんかとは、真剣にやる価値もないってか……っ)
「お前には本気を出す価値すらない」──ドドリエルは言外にそう言っているのだ。
ただただ悔しかった。まさかここまで虚仮にされるとは、思ってもみなかった。
せめて決闘ぐらいは、あいつも本気でやるものだと思っていた。
(畜生……っ)
強く拳を握り締め、悔しさに歯を食いしばったその数秒後──ようやく間合いを詰めてきたドドリエルが攻撃を放つ。
「時雨流──五月雨ッ!」
まるで「避けてくれ」と言わんばかりの大味で雑な突きが、何度も繰り出された。
(こんなの……わざわざ受け流す必要もない)
欠伸が出そうになるほどゆっくりな連撃、俺はそれを最小限の動きで躱していく。
「なっ!?」
突きを撃ち終えたドドリエルは、何故か顔を真っ青にしながら即座に後ろに跳び下がる。
「あ、アレン……? ぼ、僕の剣を全て捌き切るとは、今日はツイてるみたいだね……っ」
「……は?」
「でも、今ので僕の体もようやく温まってきたよ。次の一撃は、今の三倍は速い! さっきのようなラッキーはもう二度と起こらないぞ……!」
「いや、お前は何を言って──」
俺が疑問を口にしたそのとき。
「時雨流奥義──叢雨ッ!」
ドドリエルは真っ直ぐ剣を突き出しながら、再びこちらへ突撃してきた。
さっきのような連撃ではなく、一点集中型の突きだ。しかし、
(少し速くなった……のか?)
その一撃は、依然として子どもの遊びの範疇を出ない。
それに何より気になったのは──突きを放っているあいつが、あまりにも隙だらけだったことだ。これではまるで、「斬りかかってこい」と挑発しているかのようだ。
(くそ、どこまでも人を馬鹿にしやがって……っ)
度重なる挑発に痺れを切らした俺は、天高く剣を振りかぶった。
「この……真面目にやれ!」
そうして威嚇のつもりで放った斬り下ろしは──七つの斬撃となって牙を剝いた。
「なに!? か、はぁ……っ!?」
全ての斬撃をその身に浴びた奴は、たまらず剣を手放して体育館の壁まで吹き飛ぶ。その直後、会場は唾を吞む音すら聞こえるほどに静まり返った。
「……は?」
予想外の展開に、俺は思わず間抜けな声を出してしまった。
「ど、ドドリエル=バートン、戦闘不能! 勝者、アレン=ロードル!」
審判を務める男性教師が結果を告げてからも、体育館は異様な静寂に包まれていた。
このとき俺は確信した。
(夢じゃ、ない……!?)
時の世界で過ごした十数億年は、決して夢や幻などではないことを。
(ドドリエルの動きが異様に遅く見えたのは……。決してあいつが手を抜いていたからじゃなかった……)
実際は、俺がドドリエルよりも遥かに強くなっていたんだ!