第二章 元勇者は腕が鈍っている 5

「さてさて、そんじゃ始めよっか。聖剣がただの棒っきれ状態なら、なんの問題もないしね」

「ああ。だが……その格好でいいのか?」

 シオンは改めてフェイナを見つめる。

 彼女はいつものメイド服姿だった。

「動きやすい服で来いと言っただろう」

「ん。だいじょぶだいじょぶ。この服、結構動きやすいし……それに、戦うための準備はしてきたから」

 フェイナはメイド服をつまみながら言う。

「『動きやすい服で来い』って言われた時点で、たぶん戦闘訓練でもするんだろうな、って予想できたからね。準備はばっちりしてきたよ」

「ふむ?」

 首をかしげるシオン。見る限りいつものかつこうとなにも変わらないように見える。いったいなにをどのように準備してきたのだろうか。

 不思議に思うシオンをよそに、フェイナは手袋を外した。

 決闘の合図、というわけでもないのだろう。

「シー様。ちなみにルールとかはあるの?」

「攻撃魔術の使用はなしにしよう。あくまで肉弾戦で、あくまで体術勝負で」

「おっけー。そいじゃ、行くよシー様」

「ああ、いつでもこい」

 言い終わるよりも早く──シュッ、と。

 フェイナが視界から消えた。

 もはや影も形もない。踏みつけられて少し倒れた芝だけが、彼女がその場に存在したことを証明していた。

 シオンは聖剣を握りしめ、感覚を研ぎ澄ます。

(……右、左、背後──違うっ、上だ!)

 消える直前に見せた無数のフェイクや、魔力のざんや体臭の残り香を利用して相手を惑わす移動術……それら全てを瞬時に読み切り、シオンは顔を上げ、剣を上段で水平に構えた。

 直後──いんせきごとき衝撃が降ってくる。

「……あはっ。ほんとだ」

 やいば越しに見える笑みには、鋭利な犬歯がのぞく。

 上方より強襲した巨大な衝撃は、まがまがしい形状に変化した爪による一撃だった。もしも手袋をしたままだったら、伸びた爪によって布が破れてしまったことだろう。

「反応、かなり落ちてるね。この程度の攻撃、全盛期のシー様なら回避も余裕で軽くカウンター入れてきたでしょ?」

 そう言って、フェイナは距離を取る。そして再びシオンへと一気に距離を詰め、爪による連撃を繰り出してきた。

 五月雨のごとく襲い来るそうげきを、シオンは剣で必死にさばき続ける。

「……ずいぶんと遠慮なく来るんだな」

「うん? だってそれがお望みじゃないの?」

「まあ、そうなんだが……」

 聖剣で攻撃をはじきながら、シオンは苦々しい表情となる。

 たとえばこれがアルシェラやナギだったら、いくらシオンの命令と言えど、ここまで思い切りよく攻撃を仕掛けては来ないだろう。

 訓練相手にフェイナを選んだ理由は『本気で戦ってくれそう』という意図もあってのことなのだが……いざなんのちゆうちよもなく攻撃を仕掛けられると、それはそれで釈然としない部分もあった。

(……いや、違うな。フェイナはただ、一生懸命僕の命令に応じようとしてくれてるだけなんだ。むしろ感謝すべきで──こっちも真剣にならなきゃ失礼だ)

 シオンは改めて、目の前の戦いに意識を集中させる。

 魔術による身体強化と感覚強化は、すでに行っていた。

 現代の戦闘は、そのほとんどが魔術を用いるものとなる。攻撃魔術や治癒魔術を用いる後衛のみならず、近接戦闘を行う前衛であっても、身体強化の術式を肉体に張り巡らせたり、術式が込められた武具を使用したりする。

 攻撃に防御、探知や治癒、移動に逃走……戦闘に関わるあらゆる要素に、魔術要素が深く関係する。

(……やっぱり恐ろしいものだな、『金狼マーナガルム』の力は)

 目まぐるしい攻防を繰り広げながら、シオンはつくづく思う。

 彼女はじんろうと呼ばれる魔族の一人──それも、魔界で伝説とまでうたわれた『金狼』のまつえいだ。

 はるか昔、世界に二つあった太陽のうちの一つを丸ごとんだという逸話もある、伝説のろう──

 まだまだ本気は出していないようだが、時折漏れ出す突き刺すようなプレッシャーには、伝説の血を引くおおかみ相応ふさわしい威圧感がある。

(…………)

 フェイナの力を再確認すると同時に、妙な懐かしさも胸に芽生えた。

 二年前──彼女が魔王の指揮下で『四天女王レデイストピア』として動いていたときは、幾度となく殺し合った。

 血で血を洗うような凄絶な激戦を繰り広げた。

 当時のフェイナは『四天女王』の中で最も好戦的と言われ、一番最初にシオンと戦ったのも彼女だった。何度も戦い、そして倒された後に「……ふふ、私は四人の中でも最弱……」とか言っちゃう系の敵だった。

(たった二年前のことなのに、もう、ずいぶんと昔のことのように感じてしまうな)

 とても信じられない。

 今では毎日寝食を共にしている四人のメイド達と、たいてんきゆうてきとして殺し合っていた時期があったなんて。

 仲間だと思っていた者達に裏切られたシオンを救ってくれたのは、互いの底を見せ合うように何度も殺しあったきゆうてきだった──

 過去への追想と呼応するかのように、シオンの動きがえていく。

 太刀筋は研ぎ澄まされ、体裁きにはキレが戻る。

 己の中の感覚が呼び覚まされていく。

『勇者』と呼ばれていた頃の感覚に──

「わっ、とっと」

 フェイナのそうげきが刀身を滑る。相手の動きを完璧に見切っていなければ不可能な、攻撃の威力を殺し切った受け流し。卓越した剣技を前に、彼女はバランスを崩してしまう。

 絶好の隙が生まれるが、シオンは追撃をたたむことはなく、

「隙あり」

 聖剣のつかじりで、コツン、とフェイナの脇を突いた。

 一撃を入れたことで、模擬戦闘は一時終了する。

 脇腹に手を当てながら、フェイナは感心したような息を漏らす。

「はぁー。やるね、シー様。もう完全に動きが戻ってる」

「どうにかな」

 全身の筋肉や、体内をよどみなく流れる魔力を確認しながら、シオンはうなずいた。

「もともと、なまっていたのは実戦感覚だけだからな。魔術の研究はずっと続けていたし、身体強化の術式も、今の体に合わせて再構築している」

 純粋な人間の体とは違う、呪われた今の体に合わせて。

「最初は感覚と肉体の動きに微妙なズレがあったが……もう大丈夫なようだ」

「やっぱシー様はすごいねえ。二年のブランクも二分で取り戻しちゃうんだもん」

「フェイナのおかげだよ。助かった」

 実戦に近いハイレベルな模擬戦闘ができたからこそ、短時間で実践感覚を取り戻せたと思う。

 それに──過去に真剣に戦った相手、というのも大きいだろう。

 いやおうでも全盛期の感覚が呼び覚まされてしまった。

「いえいえ。どういたしまして」

「付き合わせて悪かったな。じゃあそろそろ」

 そろそろ屋敷の中に入って一服するか、と言いかけたところ、

「うん。じゃあそろそろ──本気の本気でやろっか」

 返ってきたのは、予想もしない答えだった。

「……え?」

「だってさあ、シー様が一発入れて、一人で気持ちよくなったところで『はい、終わり』って言われても、こっちは全然消化不良っていうかさ」

「…………」

「欲求不満もいいところだよね。一方的にフィニッシュして、一人で勝手に満足しちゃうようじゃ、女の子に嫌われちゃうよ?」

「な、なんの話だ……?」

「せっかくだし、もうちょい遊ぼうよ、シー様」

 言うや否や──ゴォッ! と。

 フェイナの全身から燃えたぎるような魔力が吹き出した。頭からは耳が、尻からは尻尾が生える。口元からは牙がのぞき、目にはどうもうな肉食獣の輝きが宿る。

 二年前には何度も拝んだ、フェイナのじんろうたいだった。

「お、おい、フェイ──っ!?」

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