第二章 元勇者は腕が鈍っている 4

「……なんで部屋から呼び出すだけで、こんなに疲れるんだ」

「まあまあ。シオン様も楽しかったでしょ?」

 屋敷の裏庭──

 あれから「……今度こそ、今度こそ服を着たんだな?」「はいはい、今度こそ」みたいなやり取りを数回繰り返してから、二人は屋敷の外に出た。

「それでシオン様。私にいったいなんの用なの? そんな──物騒なものまで持ち出しちゃって」

 フェイナの視線は、シオンの手元へと向けられる。

 片手に握りしめた──『聖剣メルトール』へと。

 ガーレルが所持していた盗品は、聖剣を含め、全てこの屋敷で一時的に保管していた。王室へ向けた書簡はすでに送ってあるから、いずれは使いの者が回収に来ることになるだろう。

 シオンはかつての愛剣を掲げて言う。

「久しぶりに鍛錬でもするかと思ってな」

「鍛錬?」

「この二年、世俗を避けていんとん生活をしていたせいで、体がすっかりとなまってしまった。おかげで昨日は……盗賊風情に後れを取る始末だ」

「あー、見事に首ちょんぱされちゃったもんねえ」

「……まったくだ」

 少々皮肉めいた台詞せりふに、苦々しくうなずく。

 二年前の魔王討伐を最後に、シオンは戦闘らしい戦闘はほとんどしていない。王都を追い出されてからは人目を避けるように生きてきたし、メイド達と暮らし始めてからは、書庫に籠って魔術研究ばかりをしていた。

 実戦の勘、みたいなものは完全に鈍ってしまっている。

 その証拠が──昨日の醜態だ。

 いくら油断していたとは言え──いくら相手が聖剣を持っていたとは言え、かつては『勇者』の称号を授かった自分が、たかだか盗賊相手に後れを取ってしまった。

 不死の体でなければ、初手で即死だっただろう。まあ不死だからこそ油断していたという部分もあるのだが──とにかくシオンは、相手に一撃を許してしまった自分が許せなかった。

「ふーん。なるほどなるほど。つまり私は、その鍛錬のお相手に選ばれたってわけか」

「うむ。頼めるか?」

「お安い御用ですよ、シー様」

 恭しく頷くフェイナ。

 この屋敷に住むメイド達は、過去には『四天女王レデイストピア』と歌われた一騎当千の高位魔族達だ。二年前には幾度となくやいばを交え、その実力は骨身に染みている。

 訓練の相手程度ならば誰に頼んでもよかったのだが──適任はフェイナだろう、とシオンは考えた。

 総合的な戦闘能力で言えばやはりアルシェラに軍配が上がるだろうが──純粋な身体能力に限れば、四人の中ではフェイナが一番だ。

「運動不足なのは私も同じだしねー。ふふーん。ちょーっと楽しみだなあ。久々にシー様とがっつりバトれるなんてさ」

 腕を上げて体を伸ばし、好戦的な笑みを浮かべるフェイナ。

「とりあえず、適当に模擬戦闘でもしてみよう」

「はいはい。でもさシー様。いくら私でも、シー様に聖剣を使われちゃったら、鍛錬にならないと思うんだけど」

「心配するな。今の僕には──聖剣は使えない」

「へ? そうなの?」

「今朝、いろいろ試してみたが……どうにもならなかった。どれだけ呼びかけようとも、『聖剣メルトール』は全く反応しない」

 言いつつ、手元の剣を見下ろす。

 二年前にシオンは、この『聖剣メルトール』を用いて魔王軍と戦った。

 かつては己の手足のようにんでいたはずの剣が──今は、ただの金属の塊にしか感じられない。この状態では、少し丈夫なだけの鉄塊みたいなものだ。

「聖剣とは古来、神々が人間のために作った武具だと言われている。人間のぜいじやくさを哀れんだ神々が、他種族への対抗手段として聖剣を生み出し、人へと与えた──つまり、聖剣の力を扱えるのは人間だけというわけだ」

 人間であること。

 それが──聖剣を扱うための条件。

 らちがいの力を有する秘宝であるくせに、その条件はかなり緩い。

 過去に聖剣を扱っていたシオンだからこそ、なんとなくわかる。

 聖剣は──人間が好きなのだ。

 神からそう設定されて作られたのか、それとも長い間人間に扱われるうちに愛着が生まれたのか。とにかく聖剣という武具には、人間を慈しむ情愛、みたいなものを感じた。

 聖剣は人を愛す。

 人の強さや美しさや賢さを──そして、弱さや醜さや愚かさも。

 まとめてそっくり、包み込むように愛してしまう。

 聖剣は誰にでも使える。

 どんな弱者でも、どんな悪党でも。

 昨日の賊、ガーレルにも扱えたことがいい証拠だ。国家にあだをなす重罪人であり、仲間すらも簡単に殺すような男であっても、聖剣が彼を拒むことはなかった。

 たとえるならばそれは、子供がどれだけ過ちを犯しても全く叱責せず、「あなたはなにも悪くない」とひたすらに甘やかしてしまう母親のような……そんな、母性と呼ぶには少しゆがみすぎた愛情。

 持ち手が人間でさえあれば、人格も実力も問わず、無差別に力の使用を許してしまう。

 誰にでも使える伝説の武具──それが聖剣だ。

 もっとも、使い手の技量によって引き出せる力は大きく変わるが──ともあれ。

 人間でさえあれば発動できるはずの武具を、シオンは今、発動できずにいた。

 その事実が意味することは、つまり──

「……聖剣こいつの基準では、どうやら僕は、もう人間ではなくなってしまったらしい」

 自嘲めいた笑みを浮かべ、シオンは言った。

 当然と言えば当然の話なのだろう。

 体は不死で、ただそこにいるだけで周囲の命をらう──そんな害獣が、人間であるはずがない。

(ここまで正直だといっそすがすがしいな、メルトールよ)

 内心で毒づいてみても、かつての愛剣はなんの反応も返してくれない。胸には小さな痛みが生まれていた。

 どれほど肉体が闇にちようとも、せめて心だけは勇者であろうと──人間であろうとしてきたが、こうして改めて事実を突きつけられると、足元が抜け落ちるようなむなしさと喪失感を覚えてしまう。

 未練がましく聖剣を見つめていたシオンだったが──

「むぎゅっ」

 わざわざ効果音を口にしながら、フェイナが正面から抱きしめてきた。大きな胸に、顔がうずめられてしまう。

「わっ……なっ」

「シー様はシー様でしょ?」

 慌てるシオンに、フェイナは少し怒ったような声で言う。

「人間かどうかって、そんなに大事なの? てかてか、私らも全員人間じゃないんですけど~~っ」

「わ、わかった、わかったから、離れろ」

 ぐりぐりと胸を押し付けてくるフェイナをどうにか突き放し、シオンは深く息を吐いた。そして小さく苦笑する。

「……そうだな。悪かった。またくだらないことを考えてしまっていたらしい」

「うむ。わかればよろしい」

 大仰にうなずき、にっ、とフェイナは笑った。

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