第二章 元勇者は腕が鈍っている 6

 静止を叫ぶよりも早く、人狼体となった彼女が突っ込んできた。

 とつに聖剣で受け止める。ごうおん。先ほどと比較して、はるかに速くはるかに重い一撃。異形の爪と刀身がい、つばいが起こる。

「……お前、その姿に戻るとは、どういうつもりだ?」

「んーっと、昨日シー様に『美しい』って褒められたから、もっと見せてあげようかと思って」

「あ、あれは言葉のあやで──」

「ねえシー様。せっかくだし、なんか賭けようか」

 こちらの言葉を無視して、フェイナが言う。

「先に一発入れた方が勝ち。勝った方は、相手の言うことなんでも聞くこと」

「な、なんでも……」

「ふふーん。私が勝ったら、シー様は明日から一週間、私のことは『フェイナお姉ちゃん』と呼ぶこと!」

「……っ!」

「そしてさらに、自分のことを『シオンはね~』って、名前で呼ぶこと!」

「な、なんだと!?」

「はい決定! ふっふっふー、楽しみだなあ。かわいいシー様がたくさん見られるだろうなあ」

 こうこつとした笑みを浮かべながら、フェイナは大きく飛んで距離を取り、次なる攻撃の準備に入る。

(ふ、ふざけるな……! 百歩譲って『フェイナお姉ちゃん』はまだいいが、一人称を自分の名前で呼ぶなんて……!)

 そんな恥辱には耐えられない。

 しかし、フェイナがじんろうたいとなって本領を発揮するとなれば、この勝負、かなり分が悪くなる。

 攻撃魔術を用いればやりようはあるだろうが、一番最初にそれは禁止してしまっている。純粋な体術勝負となれば、いくら全盛期の感覚を取り戻したシオンでも、人狼相手に勝つことは難しい。

(くそ。どうする……)

 追い詰められたシオンは必死に頭を働かせるが──その間にも、フェイナが恐るべき速度で迫りくる。

 無慈悲に襲い掛かる巨大な爪に対し、

「……っ」

 シオンは体ごと回避。鋭利な爪が空を切った。フェイナは即座に体を切り替え、獣じみた機敏さで追撃を狙いに行くが──

「え……あ、あれ?」

 直後、彼女の動きが止まった。

「な、なにこれ……う、動けないぃ~~」

 困惑の表情で嘆くフェイナ。

 厳密には、全く動けていないわけではない。彼女は体はきちんと動いている。走る動作をしている。それなのに──その場から一歩も移動できていない。

 どれだけ走ろうとも、目的地への距離が縮まらない──

「……油断したな、フェイナ」

 ためいき交じりにシオンがつぶやく。額には汗がにじんでいた。

「う、うそっ! これって……まさか──『無限回廊』!? シー様がよく使ってたやつ!? でも、この技って『聖剣メルトール』がなきゃできないはずじゃ……」

『無限回廊』。

 それは、空間に『移動距離』という概念を極限まで『圧縮』する秘術である。

 さっきシオンは、自分が立っていた場に、可能な限り距離を圧縮させ、限定空間内部の距離を限りなく増幅させた。設置したわなへと無警戒に踏み込んでしまったフェイナは、無限に近い距離の中に閉じ込められてしまったようなものである。

 限定空間の内部では、ほんの数センチ移動するために──小国一つを横断する程度の移動が求められることとなる。

 どれだけ走ろうとしても、無限の先には進めない。

 回し車の中を走り続けるねずみのように。

 前を走る亀にえいごうに追いつくことができない英雄のように。

 かつて『メルトール』のちようあいを受け、その力を極限まで引き出していたシオンは、単に距離を殺すだけではなく、距離を生み出すことも可能としていた。

 本来は『メルトール』があってこその芸当だが──

「まさかシー様、聖剣が使えないってうそだったの!?」

「嘘じゃない。聖剣が使えないのは本当だ」

 シオンは言う。

「聖剣の力を使うことで可能だった秘技、『無限回廊』──それを、空間魔術で再現してみただけだ」

 聖剣の持つ規格外の力を使わずに、己の魔力と、組み上げた術式だけで。

 フェイナは目を見開いて仰天した。

「……そ、そんなこと、可能なの? 聖剣って、普通の魔術じゃ絶対に実現不可能なことができるから、聖剣なんじゃないっけ?」

「苦労はしたが、どうにかでっちあげることができたな。もともと空間魔術は、僕の得意分野だ」

 魔術にはいくつか種類がある。

 一般的なのは、地水火風といった四大元素を操る自然魔術と、光や闇を支配するいんよう魔術。他には、生物の肉体や生命力を活性化させる治癒魔術や強化魔術──

 そして、時間や空間を操る時空間魔術。

 時間や空間に干渉する魔術は超高位魔術に分類され、習得には膨大な勉強量と生まれ持ったセンスが必要不可欠と言われる。

「まったく……ほんとシー様って、あきれるぐらいの天才少年だよね」

「大したことじゃないさ。威力も範囲も、おまけに発動速度も、『メルトール』を使った『無限回廊』には遠く及ばない。劣化版もいいところだ」

 謙遜ではなく、事実だった。

 空間魔術を複雑に組み合わせることで、どうにか『無限回廊』と同じ効果を再現してみたが、なにもかもが物足りない。

 範囲はせいぜい半径一メートル程度。

 規模が小さい上、発動前に大きく空間がゆがんでしまうというミスも発生した。フェイナが油断していたからどうにかなったが、通常の戦闘だったらまず間違いなく回避されていただろう。

「……む~~っ! でもズルいよ、シー様! 魔術は使わないって言ったのに!」

「攻撃魔術を使わないと言っただけだ。これは厳密には攻撃魔術ではない。ただその場にわなを仕掛けたようなものだからな」

「そんなのズルい!」

「ズルいのはお前だ。勝手にじんろうたいになった上に、一方的に賭けの話まで持ち出して、文句を言える立場ではないだろう」

「う……」

「まあ、安心しろ。さっきも言ったように、本来の『無限回廊』には遠く及ばないまがものだ。お前ならあと十秒程度で脱出できるだろう」

「え。ほんとに?」

「ああ。だが……」

 そこでシオンは、にやりと口の端をゆがめた。

「僕が一撃与えるには、十分すぎる時間だけどな」

「……っ!?」

 フェイナは慌てて移動しようとするも、その場から一歩も動くことはできない。体を動かすことは可能だが、『移動』とみなされる行為の全てが無為に帰してしまう。

「う~~っ! う~~っ!」

「ははは。無駄だ無駄だ。さて。僕はどんなお願いを聞いてもらおうかな」

 勝利を確信したシオンは、ゆっくりと距離を詰めていく。

 先ほどと同じように、聖剣のつかで肩辺りを小突く──

 その直前だった。

「──ふっ。甘いね、シー様」

 慌てふためいていたフェイナが、「作戦通り」と言わんばかりの笑みを漏らした。

 両手でメイド服のスカートをつまむと、

「ていっ!」

 ペロン、と。

 スカートをめくげた。

 思い切り、勢いよく、でも少しだけ恥ずかしそうに。

 薄い布によって隠されていた部分が、白日の下にさらされる──

「なっ……がっ……!?」

 予想だにしない状況に、シオンはすさまじく動揺した。目に飛び込んできた映像が脳の容量を超えて思考が完全停止。全身も硬直。

 あまりの衝撃に聖剣も手から落ち、体が大きくよろめいてしまう。

「……ふっふーん。やっぱりシー様って、エッチなんだねー」

 もはや戦える状態ではなくなってしまったシオンに、時間切れによって『無限回廊』から脱出したフェイナが近づいてくる。

 コツン、と隙だらけの頭に拳を入れて、戦いは決着した。

「はいっ、私の勝ち~っ! いえーい!」

「……お、お前、な」

「ふっふっふー。勝負とは非道なのですよ、シー様?」

「…………」

「や、やだもう……シー様ったら、いくらなんでも、パンツ見えたぐらいでちょっと動揺しすぎじゃない? さっき部屋でたくさん見せてあげたのに……。そんなに意識されると、こっちも恥ずかしくなっちゃう……」

 少し照れたように言われた台詞せりふで、

(こ、こいつ、まさか気づいてないのか……)

 とシオンはさらに動揺することとなった。

 もしも。

 もしも見えたのがパンツだったら、そこまで動揺することはなかっただろう。まだまだそういったものへの耐性は少ないお年頃だけど、パンツぐらいならどうにか耐えられる。それにフェイナ自身も言っているように、彼女の下着姿は先ほどの部屋でのひともんちやくで、何度も何度も見せつけられている。どんなにせんじよう的な姿でも、繰り返し見せられれば多少は慣れる。

 ならば、なぜここまで思い切り動揺してしまったのかと言えば──

「フェイナ……その、な。お前……」

 頭を抱えながら、どうにか言葉を絞り出す。

「は、はいてなかったぞ」

「うん?」

「だから……はいてなかったんだよ、その、下着を……」

「……はあ? なに言ってるのシー様。そんなわけ──って、えええええっ!?」

 言いながら、自分の下半身へと手を伸ばしていたフェイナは、尻の辺りを手で確認した瞬間、顔を真っ赤にして絶叫した。

「な、なんで!? なんではいてないの私!?」

「なんではこっちの台詞だ……」

「まさかシー様の仕業!? どんなすごい魔術で私のパンツ奪ったの!?」

「ぼ、僕じゃないぞ! 誰がそんな変態みたいな魔術を使うか!」

「で、でも……あっ、そうだ。思い出した」

 フェイナは複雑な表情で告げる。

「シー様から『動きやすい格好で来い』って言われたから……私、部屋でパンツ脱いでから来たんだった」

「……なぜそんなことを」

「だ、だって、もしかしたらじんろうたいになるかもって思ってたし。私、尻尾生やしちゃうとパンツが破れたり伸びたりするからっ。昨日も一個ダメにしちゃったし……」

 模擬戦闘前にフェイナが言っていた『準備』の意味が、ようやくわかった。

 生やした尻尾で下着を傷つけぬよう、事前に脱いでおいたらしい。

「それなら……なぜあんなをしたんだ?」

「……完全に忘れてた」

 ひどく落胆した声で言いながら、その場に崩れ落ちるフェイナ。

 戦闘に熱中するあまり、賭けに勝とうとするあまり、下着のことが完全に頭から抜け落ちていたようだ。

「うわ~……やっちゃった……きっつー……」

 地面に手を突いたつんいの姿勢で、フェイナは全力で落ち込んでいた。顔は真っ赤で、耐えがたい恥辱にもだえ苦しんでいるようだった。

「フェイナ……」

 シオンは憐みの目で彼女を見下ろす。励まそうと思ったが、どう考えても自業自得すぎて、励ましの言葉はなにも思いつかなかった。

「お前……下着は平気で見せるくせに」

「……いや、シー様……いくら私でも……モロはさすがに……恥ずかしい」

「そ、そうか」

「ていうか……自分から恥ずかしげもなく、ぺろん、と陰部を見せつけてしまったことが……ほんと、いろいろ、きつい……」

「…………」

「シー様」

「な、なんだ?」

「さっきの賭け、一応、私の勝ちは勝ちだよね?」

「まあ、そうだな」

「じゃあ、お願い。……今のこと、誰にも言わないでください」

「……わかった」

 重々しくうなずくと、フェイナは力なく笑い、よろよろと立ち上がる。

 傷はかなり深かったようで、この日一日、普段はなにかと騒がしい彼女が、びっくりするぐらい大人しかった。


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試し読みは以上です。

続きは製品版でお楽しみください!

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