第一章 元勇者は一人では眠れない 4

 朝食後、メイド達はそれぞれの仕事を始めた。

 アルシェラは洗濯、フェイナは屋敷の掃除、ナギは菜園の手入れ。

 そしてイブリスは──シオンのサポート、である。

「イブリス。2番の棚にある『魔術のことわりと根源』の上下巻、12番の『汎用魔術のすすめ』改訂版。そして25番の棚にある、エーベル・ロインの著書を全て持ってきてくれ」

「あー、はいはい。かしこまりましたよ、坊ちゃま」

 屋敷の書庫。

 イブリスはかったるそうに返事をした後、指示された本を順番に棚から運んできて、シオンの横に置いた。

「うむ。ありがとう」

 持ってきてもらった本を一冊手に取り、目的のぺーじを開く。

 机の上にはすでにいくつかの魔術書が広げられていた。シオンは複数の魔術書を照らし合わせながら本を読み進め、時折ペンを走らせてメモを取っていく。

 しばらくの間、黙々と作業をしていると、

「ふぁあ。よくもまあ、こんな日の高いうちから、引き籠ってシコシコやってられますね」

 あくびを漏らしながら、イブリスが皮肉げに口を開いた。

「見てるだけで背筋がかゆくなってきそうっスよ」

「仕方ないだろう。僕が書く魔術書ぐらいしか、この屋敷には収入源がないのだから」

 シオンは定期的に魔術書を出版し、金を稼いでいる。

 名前は出せぬ事情があるため、偽名を使って出版しているが。

「なにをおっしゃるやら。坊ちゃまは金になんか困ってないでしょう? 王都から追い出されたときに、国王様から山ほど金もらったんでしょう?」

「……そうだな。山ほどの──手切れ金をもらったよ」

 放逐されたといっても、シオンは無一文で追い出されたわけではない。

 十分すぎるほどの金はもらった。

 平民ならば、十回は人生を遊んで暮らせる程度の大金を。

 おそらくは手切れ金であり、口止め料なのだろう。

『二度と王室に関わるな』

『魔王を倒したのが自分だと口外するな』

『どこか遠くで静かに暮らせ』

 そんな離別と嫌悪の意が込められた金なのだと思う。

 あるいは──王室は、シンプルに恐れたのかもしれない。

 シオン・ターレスクに恨まれることを。

 魔王を倒した少年が、いつか国を滅ぼしに来ることを。

 恐怖しているからこそ、全てを金で解決しようとした──

「まあ、金のためだけというわけでもない。魔術研究は、僕の趣味みたいなものだからな」

「わけわかんねっスね。魔王をぶっ倒せるぐらい強いあんたが、これ以上強くなってどうするつもりですか?」

「強くなるだけが強さじゃないさ」

 そう言った後、シオンは顔を上げて頭上を指す。

 書庫の天井では、埋め込まれた魔石灯が淡い輝きを放っていた。

「たとえば魔石灯。これは偉大な発明品だ。昔は夜になると、ろうそくともすぐらいでしか光源を確保することができなかったが、今ではこうして」

 パチン、と指を鳴らすと、魔石灯の輝きが消えた。

 もう一度鳴らすと、再び光が降り注ぐ。

「己の意思一つで自在に光を灯すことができる」

「魔石……魔道具文化ってやつですね」

 魔石とは、魔物の体内や魔素の満ちた大地から発掘できる、魔力を秘めた特殊鉱物の総称である。それに魔力を込めたり術式を書き込んだりすることで、様々な超常現象を可能とする便利な魔道具へと加工することができる。

「ここ百年ぐらいで、人間の生活には一気に魔術が普及しましたよね」

「魔石灯のすごいところは『誰でも簡単に使える』ということだ。魔術を理解していない一般人でも、簡単に扱えて魔術の恩恵を受けることができる。もっとも、魔石灯はまだまだ高価で貴族か金持ちしか持っていないが……もっと安価に量産ができるようになれば、いずれは平民も、夜におびえずに済む時代が来るのかもしれない」

「来るんですかねえ、そんな時代が」

「来るさ。僕はその手助けができればと思っている。世界の人々が、今より少しでも豊かに生活をするための手助けを」

 まっすぐな目をして、シオンは言った。

「魔術にしても、そういう視点で研究すると、新しい発見があって非常に面白い。今まで僕は、自分のセンスだけで魔術を使用していたし、新しい術式を作るときも自分が使うことしか考えていなかった。でも、そんなやり方で作られた魔術は、僕みたいな天才にしか扱えないものばかりとなる」

「自慢ですか?」

「事実だよ。なんの自慢にもならん事実だ。僕は天才というやつなんだろう。客観的にそう思う。だけど──才能あふれる者にしか扱えない特別で強力な魔術を一つ編み出すより、誰にでも簡単に使える汎用魔術を一つ編み出す方がよほど難しく、そして偉大なことなのだと思う」

「…………」

「今僕が研究してるのは通信魔術だ。今の時代、魔術師同士は様々な方法で遠方と情報をやり取りすることが可能だが、僕はこれを、誰にでも扱えるものにしたいと思っている。魔術など学ばなくとも、老人から子供まで、誰も簡単に遠くの人間と会話できるようになれば、離ればなれになってしまった友人や家族と──」

「──やっぱ、私にゃ理解できねえですね」

 熱が入り始めたシオンの弁を遮ったのは、冷めた声だった。

 冷たく、それでいてどこかいらったような目で、イブリスはシオンを見下ろす。

「なんで坊ちゃまはそんな風に……奴隷みたいに人類に尽くそうとするんですか?」

「え……」

「言ってみりゃ坊ちゃまは──人類から盛大に裏切られたようなもんでしょ?」

 イブリスは言う。

「死に物狂いで魔王を倒して命がけで人類を救ってやったってのに、ほとんどの人類がそのことを知らない。手柄は全部他人に横取りされて、今世間で勇者だ英雄だともてはやされてるのは、王室がでっち上げた偽物の方。本物の勇者であるはずの坊ちゃまは、人里で暮らすことも許されず、こんな辺境の屋敷での隠居を強いられている。これまでの偉業は全てなかったことにされ、これからどんな偉業を成そうとも、人類の歴史にシオン・ターレスクの名は残らない」

「…………」

「私が坊ちゃまなら、たぶん、人類滅ぼそうって考えますよ。やってらんねーっスもん。人間の醜いとこをしこたま見せられたってのに、よくまだ人間のために働こうなんて思うもんですね」

「……そうだな」

 冷笑と共に告げられた指摘に、シオンは沈痛な面持ちでうなずいた。

「王都を追い出された直後くらいは、そんなことも考えたよ。自分を含めた全生命を根絶やしにしてしまおうかと、至極真面目に検討したときもあった……でも、今はもう、くだらないことを考えるのはやめた。表舞台に立てない身なら、裏方として世のため人のために生きようと決めたんだ」

 シオンは言う。

「僕はもう勇者じゃないけれど、志ぐらいは勇者でありたいからな」

「……ったく、ほんとにかっこいいんだから」

 イブリスは柔らかな微笑を浮かべ、小声でぼそりとつぶやいた。

「ん? なんだ? 声が小さくて聞こえなかったんだが……」

「ほんとにかわいいんだから、って言ったんです」

「なっ……ぼ、僕のどこがかわいいというんだ?」

「なーんかもう、全体的に?」

「……くそ。見てろよ、今にすごい術式を開発して、目にもの見せてやるからな!」

「あっはっは。楽しみにしてますよ、お坊ちゃま」

 ぐぬぬとうなるシオンと、そんな彼を楽し気に見下ろすイブリス。

 そのとき、

「失礼します」

 アルシェラが書庫へと入ってきた。

「お飲み物をお持ちしました」

 そう言って、カップを一つ机に置く。

 中身はミルクココア。シオンの好物である。

「作りたてですので、火傷やけどしないようにお気をつけください」

「ありがとう、アルシェラ。……おっと、本当に熱いな」

 カップに手を伸ばすと、かなりの熱があった。冷めるまでしばらく置いておこうかと思ったが、

「シオン様。せんえつながらこの私が、ココアを冷まして差し上げましょうか?」

 とアルシェラが言った。

「冷ますって、どうやって?」

「こうするのです」

 言うや否や、アルシェラはカップを手に取る。

 そして──ふー、ふー、と息を吹きかけ始めた。

「な……」

 突然の行動にシオンは面食らってしまう。

「少々お待ちください。もうすぐ冷めますから。ふー、ふー」

 つやのある唇を少しとがらせて、吐息を吹きかけていく。なにもいやらしい行為ではないはずなのに、その仕草は妙になまめかしく、異様にドキドキしてしまった。

 断るに断れず、ただ黙ってふーふーを見守るが──

「ふーっ」

 耳に息を吹きかけられた。

 イブリスの仕業である。

「わ、わああっ!」

「あはは。驚きすぎでしょ、お坊ちゃま」

 耳を押さえて顔を真っ赤にするシオンと、意地の悪そうな笑みを浮かべるイブリス。

「いい反応してくれるなあ。意外と敏感なんですね」

「な、なにを──」

「なにをやっているのよイブリス!」

 シオンが声を上げるよりも早く、アルシェラが食いかかった。

「いくらなんでも不敬が過ぎるわ。恥を知りなさい」

「大げさな。ちょーっとからかっただけじゃん」

「まったく……私が真剣にココアを冷ましている横で、なんとうらやま──んんっ、恥知らずなを」

「つーか人のこと言えんのかよ。アルシェラだって、エローい顔でふーふーしてやるために、わざわざ熱々のココアを用意したんだろ?」

「な、なにを言っているのかしら? い、言いがかりはやめて欲しいわね……」

 イブリスの指摘に、アルシェラは視線をらして気まずそうに答えた。

「……お前ら、僕で遊ぶのもいい加減にしろ」

 怒りと羞恥がにじむ声でうなるように言うシオン。今日こそはガツンと言って主人としての威厳を見せつけてやる──と決意を固めた、その瞬間だった。

「──っ」

 シオンはハッと顔を上げた。

 表情を険しくし、書庫の壁を──屋敷の正面口の方角をにらみつける。

「どうかなさいましたか、シオン様」

「……僕の結界が破られた」

 苦々しい表情でシオンが告げると、アルシェラとイブリスは表情を硬くした。

 この屋敷の周囲には簡単な結界が張ってある。一定の実力がない者は、屋敷に辿たどりつけぬまま森の中をさまよい、気がつけば森の外に出ている仕組みとなっている。一般人が屋敷に迷い込むのを防ぐためのもので、大して強力なものではない。

 裏を返せば──一定以上の実力者には通用しない、ということだ。

(だからこそ、気になるな。わざわざ『破った』ことが)

 ただ認識と知覚に干渉し、人を迷わせるためだけの結界だ。一般人なら存在に気づけない。戦闘能力のある者ならば無視すればいい。

 それがわざわざ破られたということは、そこにあるのは明確なる敵意と示威。

 つまりは──宣戦布告。

 シオンがそこまで考えたところで。

 すさまじい破壊音が、屋敷にとどろいた。

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