第一章 元勇者は一人では眠れない 2

 シオンの着替えが終わると、アルシェラも一旦自室へと戻り、寝間着のドレスからメイド服へと着替えてきた。

 モノトーンを基調としたシックなドレス。頭には白いメイドカチューシャ。長い髪は横で一つにまとめている。ピンと背筋を伸ばした立ち姿には、一輪の白にも似たりんとした美しさがあった。

「お待たせしました。では参りましょう」

「うむ」

 毛足の長いじゆうたんが敷き詰められた廊下を、二人で歩いていく。メイド達が毎日掃除をしてくれるおかげで、廊下にはゴミ一つ落ちていないし、窓もピカピカだ。

 窓の外を見れば、手入れの行き届いた庭園が目に入る。色とりどりのや、清らかな水が湧き出る噴水。ここからは見えないが、屋敷の裏には野菜を育てる菜園もある。

 シオンはかすかに目を細め、小さく微笑ほほえんだ。

(ずいぶんと立派な屋敷になったものだな)

 元々この屋敷は、数百年以上前に建築されたものだ。どこかの貴族が別荘として建てたものが、いつしかてられて放置されたらしい。

 王都から締め出され、人目を避けて流浪の旅をしていたシオンが流れ着いたときには、単なる古びたはいきよでしかなかった。

 雨風さえしのげればいいと、廃墟のまま寝泊まりしていたが──アルシェラ達四人と暮らし始めてからは、彼女達が隅から隅まで屋敷の手入れをしてくれた。

 おかげで今や、廃墟は立派な豪邸へと生まれ変わっていた。

「もう、一年になるのか。お前達と一緒に暮らし始めてから」

「そうなりますね」

 一年前──廃墟同然の屋敷で死んだように暮らすシオンの下に、アルシェラ達四人は現れた。

 でも、それが初対面というわけではない。

 もっと前に、何度も顔を合わせていた。

 シオンがまだ、勇者と呼ばれていた頃に。

 なぜなら彼女達は──

「──だーれだ?」

 突如、目の前が真っ暗になった。

 背後から忍び寄った何者かが、シオンの目を塞いだのだ。

「……フェイナか?」

「わっ。すごい、大正解っ!」

 目隠しを解かれて背後を振り返ると、快活な笑みを浮かべるメイド姿の女──フェイナが立っていた。

 明るい色の髪は肩にかかる程度の長さで、目には悪戯いたずらを思いついた子供のようなじやな輝きが宿る。

 メイド服はスカートの丈がかなり短く、健康的な美脚があらわとなっていた。豊かな胸部に、くびれた腰。抜群のスタイルを誇るしなやかな肢体には、野生の肉食獣を思わせる美があった。

「シー様、なんでわかったの?」

「こんな子供じみたをするやつは、フェイナの他にいないからな」

「えー、ほんとに? 本当は……後頭部のおっぱいの感触でわかったんじゃないの?」

「バ、バカなこと言うな!」

 からかうように指摘され、シオンは顔を真っ赤にした。自然と相手の胸元に目が行ってしまう。アルシェラには少し及ばないが、フェイナもまた、十分すぎるほどの巨乳の持ち主だった。

「はしたないわよ、フェイナ」

 アルシェラがたしなめるように言う。

 あるじへ向けた敬意あふれる言葉使いとは違う、砕けた口調で。

「シオン様の高貴な後頭部に、あなたの下品な胸を押し付けるなんて、無礼にもほどがあるわ」

「下品って。私よりはるかに下品な胸してるアルシェラには言われたくないんだけど。てか、わざとじゃないしー。勢い余ってぶつかっちゃっただけだもーん」

 ねたように言った後、フェイナは改めてシオンを見下ろす。にひひ、と悪戯いたずらめいた笑みを浮かべたかと思えば、ふわりと頭に手を置いた。

 よしよし、とで始める。

「な、なにをする!? やめろ、撫でるな!」

「ほんと、シー様の頭って、いいところにあるよねー。ちょうど私達のおっぱいのところにあるんだもん」

「ぐっ……」

 何気なく告げられた指摘に、ぎくりとシオンは身をこわらせる。

 なぜならば──現在抱えている悩みの一つを言い当てられたからだ。

 シオンの背は小さい。

 12歳という年齢を考えても、やや小さい。

 この屋敷に住まうメイド達は全員、シオンより二十センチ以上背が高く──必然的に、自分の顔の位置が相手の胸の位置になる。

 普通に向き合って話せば、どうしてもおっぱいが目に入る。

 女性に免疫のないシオンには、日常的に視界に入ってしまうおっぱい達とどう向き合ったらいいのかわからず、逃げるように視線をらすことしかできなかった。

「シー様は、合法的におっぱい見放題なんだよねー。だって顔上げたらそこにおっぱいがあるんだもん」

「ふ、ふざけるな! 僕は……お、おっぱいなんかに興味はない!」

 うそだった。

 本当はちょっと……いや、かなり興味がある。

 でも、そんなことは口が裂けても言えない。

 なぜならシオンは──まだ12歳だから。

「あはは。ムキになっちゃって。本当にかわいいな、もう~~。なでなで、なでなで」

「や、やめろ。くすぐったいだろ……」

「──いい加減にしなさい」

 氷でできたやいばのように冷たく鋭い声に、フェイナはパッとおびえたように手を放した。

「シオン様が嫌がっているでしょう?」

 アルシェラはにこやかに微笑ほほえんでいた。が、目はまるで笑っていない。体中から嫉妬とふんのオーラが噴出されているかのようだった。

 フェイナは不満そうに口をとがらす。

「むー。いいじゃん、ちょっとぐらい」

「メイドとしての節度を持てと言っているの。あるじの頭をで撫でするなんていう羨ましい行為──んんっ、無礼な行為は言語道断よ」

「ずるいなあ、アルシェラは。自分は昨日たっぷり楽しんだからって、私にばっかり厳しく言ってさ」

「な、なにを言っているのかしら? 私はメイドとしての責務を忘れて欲望に走ることなどないわ。ねえ、シオン様?」

「う、うむ」

 話を合わせるシオンだった。

 アルシェラはどうも、人前でベタベタするのを恥ずかしがる傾向にある。周囲に誰かがいるときは、礼儀正しくおしとやかで、気品あふれる貞淑なメイドそのものとなる。

(でも……二人っきりになると、ちょっとおかしくなるんだよな)

 まるで理性のタガが外れたかのように、目の色が変わってスキンシップが多くなる。それがなぜなのかは、幼いシオンはまだよくわかっていなかった。

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