第一章 元勇者は一人では眠れない 1

 ロガーナ王国西方、エルト地方──

 人里離れた深い森の奥地に、ぽつんと一つ、大きな屋敷がある。

 魔王を倒した少年──シオン・ターレスクの、今の住処すみかだった。

 優に二十人は暮らせる広い屋敷だが、現在ここに住んでいるのは、シオンと四人のメイドだけだ。

「……ん」

 屋敷の最上階にある寝室。

 ごうしやな作りのベッドの上で、シオンは目を覚ました。

 小柄な少年、である。

 顔つきは幼く、体つきもきやしや。年は今年で12となるが、同年代の子供と比較しても、身長は低い部類だろう。どこか生真面目そうな印象を受ける少年だが、しかしその幼い顔は少女とまごうほどにかわいらしい。

 かつこうは寝間着姿で──右手にだけ、黒い手袋があった。

(少し、寝すぎたか)

 窓から差し込む陽光に目を細めながら、シオンは寝ぼけ頭でぼんやりと考える。

になっても、睡眠だけはきちんと取らなければならないとは……我ながら、本当に難儀な生き物になったものだな──うん?)

 軽く自嘲しつつ、上体を起こそうとした瞬間、シオンはようやく気づいた。

 自分の体が、なにか柔らかなものに包まれていることに。

 それは温かく、いい匂いで、覚醒しかけた意識を二度寝へと誘いこもうとする。

 ひどく心地がいい。

 なにげなく、顔に触れていたものに反射的に手を伸ばすと。

 もにゅん、と。

 不思議な感触が手のひらにあった。たっぷりとした重量感があり、しっとりと柔らかい。片手では到底収まりきらぬほどに巨大で、それでいて弾力にも富んだ、表現しようのない感覚──

「あんっ」

 あえぐような声は顔のすぐ近くから。

「やだ、シオン様ったら……そんな、なんて大胆な……!」

 つやっぽいきようせいは、知っている女の声だった。

「ああ……シオン様の小さな手が、私のを……! い、いいですよ、シオン様。私の体でよければ、どうぞご堪能くださいませ。この体で主人を喜ばすことができるのであれば、メイドとしてこれ以上の幸福はありません……!」

「アルシェラ……──って、なっ!?」

 そこでシオンは、自分の身に降りかかっていた異常事態を完全に理解した。

 体を包み込むようにしていたのは──女体だった。小さな体を両腕で抱きしめられ、相手の胸に思い切り頭をうずめている。

 つまり、さっきから手でんでしまっているのは──

「う、うわああ!」

 跳ねるように女体から逃れ、ベッドから飛び降りる。

「あん……もう、よろしいのですか?」

 思い切り動揺してしまうシオンに対し、ベッドに横たわっていた美女──アルシェラは、ややほおを赤らめながら、少し残念そうにつぶやいた。

 彼女はシオンに仕えるメイドの一人であり、他の三人を束ねるメイド長でもある。

 垂れ目がちな優しい目元と、その目の下にある泣きぼくろ。薄紅色の艶やかな髪は、顔や肩にかかる。

 貞淑な雰囲気をまとう美女であるが、いやおうでも目を引くのは、パンパンに張り出した豊麗な胸部。寝間着としている薄手のドレスを、はち切れんばかりに押し上げている。

 温和そうな顔立ちと肉感的な肢体がアンバランスな魅力を演出し、人間離れした色香を生み出していた。

(お、おっぱいに触ってしまった……)

 思春期真っただ中にある少年の頭は、薄い布越しに触れた女性の胸部の感触で埋め尽くされてしまう。自分の小さな手ではまるでつかみ切れなかった、あまりに巨大な乳房。まだ手のひらにやわにくの感触が残っている気がするが──

「な、なにをやってるんだ、アルシェラ!?」

 感触を振り払うように拳を握り締め、シオンは必死にぜんとした態度を作った。

 メイドに対する、主人としての態度を。

「どうしてお前が僕のベッドで寝ているんだ!?」

「どうしてと言われましても、昨晩は私が添い寝当番でしたので」

「え……あ、そ、そうか」

 平然と返され、納得するシオン。

 添い寝当番──この屋敷に住まう四人のメイド達は、日替わりでシオンと夜を共にすることになっている。

 いわゆるとぎ……というわけではない。

 ただただ、一緒に寝るだけのことだ。

「毎夜の添い寝を希望されたのは、シオン様であったはずですが? 一人では怖くて眠れないとのことで」

「ち、違うぞ! 怖いわけじゃない! ただ……えっと、誰かと一緒に寝た方が、睡眠の質が上がるというだけだ! じ、自己管理のために仕方なくなんだ!」

「うふふ。そうでしたね」

 ムキになって言い訳するシオンを、アルシェラは慈愛のまなしで見下ろしていた。

「でも……いくら僕の命令だからって、抱きつくことはないだろ? 僕は……その、隣で寝てくれるだけでいいんだから」

「申し訳ありません。シオン様のかわいらしい寝顔を間近で見ていたら……つい、我慢できなくなってしまいまして。でも、シオン様もまんざらではなかったのでは? 先ほどはずいぶんと情熱的に、私の乳房をみしだいていたと思いますが?」

「あ、あれは寝ぼけてただけで、だからっ、その……ご、ごめん」

 しおらしく頭を下げたシオンに、アルシェラは優しく微笑ほほえむ。

「謝罪などしないでください。私はシオン様にこの身の全てをささげた卑しきメイド……あるじたるあなたが触れてならぬところなど、この肉体に一片たりともございません」

「……嫌じゃないのか?」

 うつむいたまま、震える声でシオンは問うた。

「アルシェラは、怖くないのか? 僕が触っても──わっぷ!?」

 言葉の途中、豊かな胸が顔面に迫ってきた。

 優しく、温かく、慈しむような甘い抱擁──

「なっ……ア、アルシェラ!?」

「嫌なはずがないでしょう。シオン様が相手ならば、私はどんなことをされても平気ですよ?」

「わ、わかったっ、わかったから、離れろ……く、苦しい」

 強く抱きしめられたことで、顔全体に巨大な乳房が押しつけられる形となる。抵抗すればするほど深く沈みゆくようで、シオンは顔を真っ赤にしてもだえることしかできなかった。

「ふふっ。申し訳ありませんでした」

 惜しむようにゆるりとアルシェラが手を開き、シオンはようやくやわにくろうごくから解放された。はあ、と深く息を吐き出す。

(くそぅ……威厳もなにもあったものじゃないな)

 本当はもっとしく、もっと男らしい態度で振る舞いたい。

 しかし、まだまだ人生経験の足りないシオンには、年上女性の扱い方がよくわからなかった。威厳を出そうにもいつも空回りをして、アルシェラには手玉に取られてしまう。

 彼女だけではなく、他の三人も同様。

 自分の倍以上生きている女性とは、どういう風に接したらいいのか。

 やっと12歳になった少年は、年上メイドとの接し方を常々もんもんと悩んでいた。

「シオン様。そろそろ下に降りましょう。もう朝食もできていると思いますから」

「あ、ああ。そうだな」

「では、お召し物を替えさせていただきます」

「……アルシェラ。前から言おうと思っていたけど、いちいち手伝ってくれなくても大丈夫だぞ? 着替えぐらい、僕は一人でできるから──」

「なりません!」

 唐突に、アルシェラは声を張り上げた。

「なにを言っているのですか! シオン・ターレスクともあろうお方が、わざわざ自分で着替えるなんて、そんなもったいないこと──いえ、そんな品格をおとしめるようなをするべきではありません!」

「そ、そうなのか?」

「王族や貴族など、高貴な身分の者は、衣服を自分で着替えたりはしません。着替えの全ては従者の仕事だと耳にします。ならばシオン様も、当然そうすべきです。品格というものは、日々の習慣から身につくものですから」

「……わ、わかった。じゃあ、いつも通り頼む」

 鬼気迫る形相で熱弁され、勢いで押し切られてしまう。アルシェラは満面の笑みを浮かべたまま、「かしこまりました」とうなずき、シオンへと手を伸ばす。

 女の白い手が、寝間着を一枚ずつ脱がしていく。

 冗談みたいにせんじよう的な手つきで。

(うう……は、恥ずかしい)

 美女の手で服を脱がせてもらう。女慣れした男にとっては幸福以外のなにものでもないだろうが、しかし年頃の少年にとっては耐えがたい恥辱であった。

 シオンはギュっと目を閉じて羞恥に耐える。

 そのせいで、奉仕をするアルシェラの瞳に不純な欲にまみれた輝きが宿っていたことや、脱がせた寝間着の匂いを彼女がこっそりと嗅いでいたことには、全く気づくことができなかった。

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