1──神のまにまに 第二話

「くそが。じようだんじゃないぞ」

 せいやましろ、名をとうというこの不岐を治める王は、とどろく悪名とは裏腹にれいな顔立ちをしている。けれども、えた狼のようにかがやく銀眼だけが確かに不岐の王その人だと伝えているのだった。

 悪態をついて刀身をはらったが、血のいつてきすら空にうことはなかった。

 それもそのはずで、彼は何者もってはいない。足元に確かに男が倒れているにもかかわらず、だ。

 実に、みような光景であった。

「相変わらず、見事なお手前で」

いやか」

「いやいや、尊敬申しあげてるんですよ、我が君。血を流さずに戦力を無効化できるのならこんなに便利なこともないでしょうに。この局面においては」

 そうが肩をすくめたひように、右耳につけた大ぶりのみみかざりが揺れてかんだかい音をかなでた。瑠璃の軽い調子をそのまま音にしたような、はっきり言えばされているようで前から気にさわっていたのだが、今はくどくどと説教なんぞしている場合ではない。

 透輝は舌打ちを何とかこらえた。

 通常はおよそ人がおとずれようのない場所で、というかもはやけものみちすら消えかかっている山の中だ。ふらりと迷い込みまして、などという見えすいた言いのがれが通らぬ場所である。もっとも、兵を向けてはならぬ場所にわずかの手勢とともに山城の当主が自ら乗り込み、いく人か倒している時点ですでにどんな言葉もたわごとにすぎないことにはなっているのだが。

 まきしま

 山城に代々仕える一族のなかでももっとも古いと言われる槙島家のちやくなんであるこの男は、目に見えてだるそうな様子をかくさなかった。

 右耳につけた耳飾りもさることながら、着物はおよそ武を行使する者とは思われないほどに派手だ。透輝は一度たしなめたが、返ってきたのは以下のような申しひらきだった。

 いわく、『派手な格好をしていれば最初に俺がねらわれるでしょう。そうすればあんたはその間にげるなり策をろうするなりできますから、これは将来に対する一つの備えなんですよ』。

 単なるお前のしゆだろうとのどもとまで出かかったが、透輝はけんめいにも口にはしなかった。口のまわりすぎる瑠璃に正論をきつけたところで、ろくでもない言葉のれつけむに巻かれてしまうにきまっていることを長い付き合いの中で知りぬいているからだ。

 その変わり者は、透輝のきようだいである。もはや一心同体も同じだが、実は最近まで臣従するかどうか腹が決まっていなかったという。半年前、『あんたに仕えることにしましたよ』と改めて言われた時、平静を装うことにけた透輝ですらさすがに激しくろうばいしたものだ。

 透輝が山城の当主、つまり不岐の王として立ったのは一年前であり、瑠璃が臣従を表明する間、それこそ幼いころからずっと透輝のやりようを主君足るかどうか見定めていたというのだから、常人とは違う神経のありようなのであろう。

 人格的にどうなのかと思うことはあれど、こといくさとなると目の色を変える節がある男を、乳兄弟という以上に透輝はしんらいしている。

「殺していないだけで、もはや人としてあるかどうかもあやしいぞ。俺をおそれている連中が言うには、俺はたましいを斬るきつな王らしいからな。そのほうが神域をけがしている気がするが」

「血で汚さないのだから、神様とやらもそれ以上の文句はぜいたくってもんですよ」

「どういうくつだ、それは」

 これ以上はしまいだと透輝は瑠璃に手を振る。

 軽口のおうしゆうをしているようなゆうはどこにもなかった。

 宮をぐるりと囲むように弟のつきの兵がいる事実が、今さらながらにほうり出すことのできないじようきようだとわからせる。

 できるなら、おん便びんに事を運ぶつもりだった。

 なにせ、今の不岐はそれどころではない。

「右からあらくも、左からまだら、それぞれの国からたんたんと狙われている今のきんぱくした状況わかってんですかね、あのアホどもは」

 国境を山々に囲まれたこの不岐は、きれいな水と豊かな土地にめぐまれている。この豊かな国を奪おうとたくらむ荒雲と斑とは長い歴史の中でいくとなくやいばを交えてきた。

 きんちようかんり返してきた三国は、今また緊張が高まりつつある。

「荒雲はたいの王が立ったことで勢いづいている。斑は相変わらずよくわからんが、きなくささは今まで以上だ」

「荒雲はねぇ、今の王がどうにもあんたとあいしようが悪いんですよねぇ」

「そうだったか?」

 透輝はその昔あいさつにきた荒雲の王、かいらんを思いかべた。

 黒曜石のように輝く瞳の、美しい男だった。男にわく的という言葉を使うのもみような話だが、どうにもそうとしか言いようのないぼうだった。商業の盛んな荒雲らしい、貴重な絹糸で織られた着物に着られることのない藍は明らかに場をあつとうしていた。

 当時、まだ父が存命でれいぐうされた嫡男にすぎない透輝に、彼はまるで透輝こそが不岐の王であるように接した。無視されることが当たり前だった透輝は驚き、そして藍に対して僅かばかりの好感すらいだいていたのだ。

 だというのに、相性が悪いとは身に覚えがなさすぎる。

「まじでか。あんたほんとに自覚がないんですね。あんなにあおりまくっていたのに」

「煽る? なんだそれは」

「うっそ、まさかの無自覚! じゆじゆつがどうたらとかこうしやくたれる荒雲の王にあんたがよりにもよって、くだらねぇ~って一刀両断したじゃないですか!」

 言ったか、そんなこと?

 透輝はしばし脳内をさぐって、はたと気がつく。

「くだらないとは言っていない。俺には必要ないし、神とやらにけいとうする気持ちはじんもないが、やりたきゃあくまであたえられた領分で勝手にやればいいと言っただけだ」

「それを要約すりゃあ世間いつぱんでいうところの『くだらない』の一言になるんですよ! 言われたあちらさんは、めちゃくちゃ顔が引きつりまくってたじゃないですか! 俺は後ろで聞いていて頭かかえましたよ」

「そういうつもりじゃなかったんだがな。俺は言葉が足らんらしい」

 ぜんぜんそうじゃないと思うとかなんとかだつりよくした様子でつぶやいた瑠璃を無視して、引き続きあの時のことを思い出していた。

 荒雲の王は不岐とちがい、血脈による王のけいというものがない。せんを問わずその時代において一番の呪術の使い手が王として立つ。特に藍は歴代の中でもくつの才能を持つらしく、そしてその才能に相応ふさわしい野心も持ち合わせていた。荒雲の神たるてんりゆう使えきするだけにとどまらず、不岐の神である天狼にまで興味を示していたのだ。

 天狼のひめにぜひ目通り願いたいとわれたが、そちらの領分でする限りは勝手にやればいいが不岐に手をばすのならえんりよ願う、ということをたんてきに返したにすぎない。

「ま、なんにしても事実として今の三国は、はちゃめちゃにやばいって感じですね」

「だからだ。国の外がこんな状態であるなら、あのいつぺんとうの我が弟殿どのさんだつなどたくらむはずがない。ここで内乱を起こせば不岐がどうなるかなぞ、だれにでもわかることだ」

 簒奪を企むのなら、国の外がおんであるのが一番のころ合いだ。なぜなら外に意識が向いていて、国内の兵はおろそかになる。王の周りも自然とうすになるのだから、そこを突くのが一番容易たやすい。もちろんこれは王位を得たたんりんごくから狙われるもろつるぎでもあるのだが。内乱で弱った国は隣国からしてみれば食べごろの果実同然だ。

 このたびほん人と目されている透輝のじつてい、惟月はそういうことを企む種類の人間ではない。

 ひたすら真面目で、国のために自身が存在していると信じて疑わない男である。仮に王位を望んだとしても国をあやうくする方法をとるとは考えにくかった。

 だからわからない。

 兵どもは確かに惟月の手の者たちで、そしてみなかたくなだった。透輝という主には絶対に従わぬという強いがいがみてとれたのである。であれば、たおすしかない。こうして、いやがおうでも幕が切っておとされてしまった。

「あんたがそう思いたがるのは勝手ですが、状況見る限りうわさどまりじゃなさそうですけどね。弟殿が天狼の姫と簒奪を企んでいる、というのは」

「……惟月」

 今度こそ、透輝ははっきりと舌打ちをした。まんしきれるものではなかった。

「神なんぞにすがってまで玉座が欲しいか」

「欲しいでしょうね、もとはといえば弟殿のものだった」

 あっさりとこうていしてみせた瑠璃に、透輝はじゆうめんを隠そうともしなかった。

 父の一存によってはいちやくされかけた透輝が玉座を得ることができたのは、当人たる父がきゆうせいしたからこそだ。惟月は透輝の臣となることに何ら不満はなさそうにみえた。

 なのに、なぜ今さら。

「弟殿がなにを考えているにしろ、探るのはあとですよ。言えるのは天狼の姫と弟殿が本当に通じていたら王位を得る正当な理由になりかねないというわけで、とにかくこの状況を治めることです。ごちゃごちゃ考えるのは後回し、ですね」

 瑠璃があしもとの兵をごろりと転がした。彼はなにもまちがっていないというふうに気を失っている。

 じゆん、という言葉がよく似合う。透輝がくだらないと切って捨てる天狼の姫──神とやらに大義を見出みいだしているのだ。

 それがひどくかんさわる。

「あとどれくらいいる」

「それが妙な話なんですがね」

 瑠璃が声を落とす。

「山にいるのはせいぜい五十人かそこらのはずですが、俺たちが倒したのは今の一人」

 それもこの一人は何かからげてきた、といった風だった。

「残りは俺のが何人かやっていますが、それにしたって半数もない」

「逃げられた、と?」

「逃げられてはいないです。死んでいるんですよ」

 死体がころがっているのだ、と瑠璃はこともなげにいった。

 瑠璃がここへ連れてきたろうとうは十名。暗殺にけた者たちで、ちょいとばかりとくしゆであった。それでも、こんな死体はみたことがないという。

「どうやったんだか知りませんがね、血のあとがない。だのに、死んでいるんです。俺たちのやりようとはまったくもって違うわざですね、あれは。言うなれば、我が君のわざに近い」

「そうかよ。その死体はいくつだ」

「ざっと二十名弱」

「ほぼ半数だな」

「あんたと同じ、あやかしのたぐいなのかもしれませんね」

 その能力ゆえに透輝が周りから人でないと恐れられていることを知っていて、瑠璃は時々わざとこういうことを言う。

ほうか」

 鼻を鳴らした途端、

「山城殿とお見受けいたします」

 とうとつひびくが姿が見えない。へいたんな女の声であった。

「ほら、やっぱりあやかしですよ」

 こわいこわい。そうはやしたてる瑠璃だが、立ち姿にすきはない。どこから声の主が現れようともしとめることのできるようになっている。

「我ら宮の者にございます」

 けんのんひとみを向ける先に、許しをうがごとく姿が現れた。

「このような姿をさらすことをお許しください」

 一人の黒装束の女であった。

 深い傷を負い、息があらい。あらゆるしよから流れる血をぬぐわぬまま、顔だけは右手でおおい決して見られまいとかくす様がみようであった。

ほかにもいるようだけど?」

 瑠璃が透輝の前に立って油断なくちんにゆう者を見下ろしている。得物に手をかけ、隙あらば殺す構えだ。

「本来であれば我らすべての存在を明らかにし、お願い申しあげるところですが、お許しください。我らはあなた方とは交わることのない者ゆえ」

 名も、姿もじようも明かすことができないという。ってくれと言わんばかりである。案の定、気の短い瑠璃は臨戦態勢だ。

「言っている意味がわからないんだけど、あんたさぁ」

 き打ちに斬って捨てる気配を察して、さすがに透輝はかたに手をかけ制止する。

「もういい、瑠璃。よくわからんが事情があるのだろう。それに、時間がなさそうだ」

 目の前の女はひんである、といっていい。

 そして場合によってはこちらに殺されることもやむを得ないというかくもあるのだろう。言われて、瑠璃は大人しく身を引いた。つかから手がはなれるのをかくにんして、女はひざをついて頭を下げた。

「おこころづかい痛みいります。実は山城殿にお願いがございます。どうぞ、ここはお退きあれ」

 ちらりと見上げた手の隙間からのぞく瞳が透輝を射る。何の疑いもなく、命のすべてをほうり出すような決意が宿っていた。

 こういう目をするやつは、危ない。そして、これをとうそつするものはもっと危ない。経験則から透輝はさとっていた。

「いきなり現れて退けと言うか」

「我ら、不岐の王を傷つけることはいたしませぬ。そういうふうにできておりますゆえ。けれども、あなた様が土足で神域をらすことは認められませぬ。お退きあれ」

 なるほど、天狼の姫の手の者か。

 てんがいくと、ますます退くことはできぬと透輝はうすく笑った。

「俺は、ここのひめぎみに用があるのだが?」

「姫宮さまが山城殿どのに用あらば、招かれることもありましょう。ただ、今はその時ではありませぬ。お退きあれ」

「そちらが俺に用あるのではない。俺が姫君に用があるといっている」

 透輝のそんなもの言いに、女が何か言い返そうと口を開いた途端、

「ならば僕が相手になろうか?」

 かんだかい子どもの声がしげみの奥から響いた。女ははっとして、その身をあっという間に隠した。

「女ときて今度は子ども? 次から次へと現れるね。というか、どういう仕組みなの、ここは」

 やれやれと瑠璃がたんそくするも、軽口はそれ以上続かなかった。

「……山犬?」

 ぼうぜんと透輝が口にした言葉にちがいはない。茂った草をかき分けて現れたのは白の毛並みが美しいいつぴきの山犬だった。金にかがやく瞳でこちらをにらみ、

「退いてくれる? 昼の者ども」

 そうしてけものそのものの顔をゆがめて器用に笑った。

 瑠璃は目の前の光景をぎようしたまま、確認する。

「透輝、俺の目と耳がどうかしてなければ、えらく達者にしゃべる犬っころが存在してるんだけど?」

「安心しろ、俺にも見えているし聞こえている」

 さすがの透輝もしゃべる山犬を目の前にしておどろきを隠せなかった。それでも瑠璃よりは取り乱さずにいる理由は、あつとう的に瑠璃がさわぎすぎているからだ。

 わけのわからない現実を前に瑠璃はさけぶより他なかった。

「なんでもありか! この不思議山は!!」

「もう、静かにしてよね」

「お前が俺をどうようさせてんだよ、犬っころ!」

「だから退いてってば。こちらはとこの世界、お前たちの世界とは理が異なる場所なの。というか、僕は山犬じゃない! はくという立派な名がある!」

「犬、同じことを何度も言わせるな。俺は姫に用がある」

 山犬ごときにたしなめられ、透輝はかたまゆを上げてげんを示してみせた。琥珀はひるむことなくたんたんと警告を口にした。

「そちらこそ何度も言わせないで。退いてもらえなかったら、不届きな兵ども同様にねむってもらうよ」

 眠ってもらうとはずいぶん上品な言い方をしたものだ。瑠璃のいう奇妙な死体の出どころは、この美しい獣にちがいなかった。

 透輝が確信を得たことが分かったのだろう。琥珀はどうもうきばしみなく見せた。

なんぴとたりとも、姫宮さまのおんけがすことは許さない。退け」

 なにを言っても退けとり返す宮の者たちに、さすがに瑠璃のにんたいは限界をむかえたようだった。小さく耳打ちされる。

「透輝、やるぞ」

「任せた」

 言うやいなや、透輝はけだした。

「あ! 待て!」

「犬っころの相手は俺だ」

 背後で瑠璃がえるのを聞きながら、とにかくやみくもに走った。

 天狼の姫とやらをはいじよせねばならない。

 そのただ一つの確信をいだいて、透輝は走った。

 あれほどもうしんされる主君は、それだけで害悪となる。

 やつらはこちらを傷つけることはできないと言った。その意図はよくわからないが、うそを言っている様子もなかった。

 おそろしくだいたんなことをしていると思ったが、別段不安はなかった。

 自分の命がかかわっている決断を下すとき、透輝はいつも体の表面が熱くなっているのがわかる。が、通う血は恐ろしいほど冷たいのだ。

 いままでけに勝ってきた。今回とて例外ではないはずだ。

 今さら神を恐れるようなことはない。

 ならば神のむすめらえたところでなにほどのこともあらん。

とこの姫、か」

 山奥にひっそりとの光をけるようにある宮にこもりきりの神の姫を、そう呼ぶ者たちもいるという。人々が神と人を線引きするように、同じ不岐という国にありながら王の支配が届かぬただ一人の女でもある。

 鹿な話だ。自らの国で例外などあるものか。

 人は人によって裁かれるものだ。

 それが、この人の世の間違いのない道理である。

「夜に引導をわたして日のもとへ引きずり出してやる」

 惟月の心をさぐるよりもことがずっと単純になったことに、透輝は自然と笑っていたのだった。

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