第四章 『旅の果て』3

 3


 ──騎士に憧れた理由は、いったいなんだっただろうか。

 ラミは思う。ありふれた憧れだったのだろう、と。

 騎士をはやす英雄たんならば、枚挙にいとまがない。聖人である神子よりも、騎士のほうが物語の主題に向いていた。というより、さすがに神子は登場させられなかっただけか。

 いずれにせよ、少年なら一度は憧れる職業──それが教会騎士クロスガードだ。

 あるいは勧誘の一環として、幼い頃から憧れを持つように仕向ける教会の広報の一環に踊らされていただけかもしれないけれど。だとしても、抱いた気持ちはうそではない。

 その根幹の想いは今だって変わってはいない。

 だけど──どうなのだろう。

 ラミは考える。

 ──果たして自分は、本当に、多くの民衆を守るため脅威と戦う騎士になりたいと今も思っているのだろうか?

 騎士に憧れた心はそのままだとしても、今、それより優先したいものが自分にはできてしまったのではないだろうか。

 星とか世界とか、名前も知らない誰かとか。そんな大きなもののために、自分は本当にがんばることができているのか。ラミは自信がなかった。

 ──エイネは、果たしてどうだろう?

 自ら望んで騎士になったラミとは違って、エイネには初めから選択肢がなかった。にもかかわらず、彼女はこうして神子としての戦いにその身を投じている。当然のように。

 だとすれば、確かに彼女は選ばれるべくして選ばれた者だ。

 自分にそれはできなかった、と今さらにして思う。目で捉えきれないほど巨大な何かのために命を投げ出す勇気をラミは持っていない。

 仮に命を懸けられるとすれば、それは、きっともっと身近な何かのため──。

「……辿り着いたね」

 と。エイネ=カタイストは短くそう告げる。

 ラミ=シーカヴィルタは頷いた。けれどその言葉の響きは、まるでここが旅の終わりであるかのように聞こえる。

 ゆえに青年は、そんな気持ちを鼓舞するために笑った。

「ここが北の果ての聖地か……はるかな昔、大戦争があったっていう。案外、見るところもない場所だな。もうちょっと、なんというか、厳かなところなのかと思ってたけど」

 これではただ寂しいだけの土地だ。旅の果てとは認められない。

 枯れた大地からは、命数の息吹を感じなかった。ここには命の感触がない。とうの昔に終わっていることを理解させられるような、何もない場所。

 二度とどうにもならない、ただ閑散とした荒野が広がる星の傷痕。

 聖地と呼ぶにはいささかばかり、神聖さに欠けているように思えてならない。

「また不敬なことを……まったくラミは、私のせいでだいぶ不良になっちゃったよね」

「自分のせいだ、とは思うんだな?」

「ラミにまで神子扱いされたら、どうしていいのかわからなくなっちゃうよ。だから私はいつも通りでいてね、ってラミに頼んだんだから。それを聞いてくれただけでしょ?」

 くすくすとエイネはころすように笑った。

 幼馴染みの少年が、ここまで、自分とともにあってくれたことを喜ぶように。

 ──このとき、もう自らの運命を受け入れていたかのように。

「さて、……もうそろそろだね」

 エイネが言って、その言葉にラミは首をかしげる。

「そろそろって、まだ入ったばかりだぞ。まだ北の山までは──」

「そうじゃないけど。うん、どうやら迎えが来たみたいだ」

 天から光が降り注いだのは、エイネのその言葉とほぼ同時だった。

 予感した、というより初めから知っていたかのような。

 一条の淡い光は、円形の筒のように空から降ってくる。

 ラミには、それがまるで道のように見えた。

 実際にそうだったのかもしれない。地上ではなく天の世界に住まう者にとって、これが唯一の人間界への経路であるというかのように──空から、ひとり分の人影が現れた。

 少女であるように、少なくともラミの目には映る。

 けれど。それが尋常の存在ならざることは誰の目にも明白で。

「──いらっしゃい、久し振りだね? うん、まさか本当にここまで会いにくるとは正直思ってなかったな。それもそんな状態で。ともあれまあ、歓迎はさせてもらうよ」

 空から降りてきた女性が言う。

 語りかけるのではない、ただの独り言のようだった。けれど確かに、ラミとエイネが、聞いていることは認識しているのだろう。美しく、少女は人の子へ笑みをかけた。

「……久し振り?」

 首を傾げたラミに、女性は言う。

「そうだよ。だって会ったでしょう? ま、あのときとは見た目が違うけど」

 エイネとラミより少し年上くらいか。それでも二十代には届いていないように見える。

 炎のような色の長髪が特徴的な女性だった。

 双眸は黒。まっすぐふたりを射抜く彼女の視線は鋭く、それでいて慈愛をはらみながらもどこか冷淡だ。厳しさと優しさを同時に含むそれは、母というより姉に近い印象か。

「立ち話もなんだと思うけど、どうする? 私に訊きたいことくらいあるんじゃない?」

 あっさりとしたものだ。

 少し考えてから、まずはエイネが口を開いた。

「……名前をお訊ねしてもよろしいですか?」

「名前なんて忘れたわよ」赤髪の女性はあっさりと肩を竦める。「名前で呼ばれることが、もうなくなっちゃったようなものだから。でも、そうだね──こうすればわかるかな?」

 言葉の直後、ぱちり、と女性は指を打ち鳴らした。

 同時。彼女のてのひらに炎が宿る。

 一瞬でそれは消え去ったが、あとにはどこから取り出したのか、煙草たばこの箱が載せられているのが見えた。彼女はそれを口にくわえると、指先に再び命火を灯して着火する。

 命火は次第に色を変え、通常の炎と同じ赤に近い色へと変わっていった。

 けれど彼女が初めに見せた命火は、煙草の先端の赤よりむしろ、そこから立ち昇る煙の色によく似た色で。

 ラミはぼうぜんと目を見開いた。

げつぱくの、命火。では、貴女あなたは──初代、様……?」

 その偉業のあかしたる月白の命火は、今も聖都の大燭台で煌々と燃え盛っている。

 かつて教典をもたらし、現代では全天教の実質的な創設者としても語られる《最も尊きはじまりのひと》。現在の社会の根幹を形作った英雄。

 天命が達成可能な難題であることを、その魂をもつて示した偉大なるはじまりの大灯師。

 ──初代神子。

 月白の命火を持つ《創炎》の大灯師。

 アーデルハイト=ヒーススター。

「こうして人間だった頃のごとをするのは久々だわ」

 特に美味うまそうな顔もせず煙草をむ女性。

 その様は人間らしく、少なくとも宗教上の偉人に会ったという感覚がまるでない。それらしい威厳ならば、まだしもエイネのほうが上だと思えるほど。

 それでも、その月白の命火の色は見間違えない。

 見たことがあるのは一度だけ。人によって命火の色は違うとはいえ、見分けがつかないくらい似たような色を持っている者だっている。

 だが、彼女が本物であるということを疑う必要はないだろう。

 天から降りてきたことを除けば、何か特別、超常的な力を見せてはいない。どこからか煙草を取り寄せた命数術も、やろうと思えばラミにだって使える初歩の《手得アポート》だ。

 それを人里離れたこの場所で、こうもあっさりやってのけたことに、純粋な命数術師としての実力をうかがわせている。自分の常識にある技術だからこそ、その性能がわかるのだ。

 ラミは自然と、膝を突くべく体勢を落とそうとした。隣のエイネも同じようにしようとしたところで、小さく神子──アーデルハイトは言った。

「いいわよ別にそんなことしなくて。神子の権威なんて教会が定めただけのものでしょ。それ以前、死人の私に地上の権力なんて必要ないもの」

 その言葉に軽く首を振って、立ったままエイネはこう訊ねた。

「……では、アーデルハイト様とお呼びしても?」

「ん、まあ好きにして。……そうね、あの頃はそんな名前だったわね」

 全体的に違和感だらけの相手だ、とラミは思う。

 空から現れたかと思えばだるげに煙草を吸い、フランクに話しかけてくる一方で自分の名前をおぼえていなかったとのたまう。どう応対すべきなのか逆にわからなくなってしまった。

「ありがとう、ございます。──お訊きしたいことが、いくつかあるのですが」

「どうぞ、二十三代エイネ=カタイスト。貴女あなたの問いに、私は答える用意があるわ。そのために降りてきたのだし。そっちの君も訊きたいことがあれば、どうぞ」

 善意というより、それが役割だからと軽く応じる様子のアーデルハイト。

 なんだか気が抜けてくる感覚だ。

 思ったよりも緊張しないで済んでいるのは、それが理由だろうか、とラミは思った。

 あるいは希望が湧いてきたからかもしれない──。

 目の前の存在は、エイネの目標である天命を達成し大灯師となった初代の神子だ。その彼女が今、損なわれるはずの人間性を保ったまま、しかも地上に降りてきている。

 これならば。

 あるいはエイネもいつか、普通の少女としての日々をまた望めるのではないか──。

 それがラミに口を開かせた考えだった。

「エイネが……エイネの体が、徐々に変わっていっているんです」

「みたいだね」

 あっさりと頷くアーデルハイト。彼女は本当に、ただ知っている真実をこうして教えにきただけらしい。ならばとラミは重ねて問う。

「どうにか、なりませんか?」

「どうにかって?」

「え、それは──だから、そう。エイネが今の自分を保ったまま、天命を達成する方法がないかということです。それがこいつの……エイネの目標だったんです!」

 だから彼女はここまで旅をしてこられた。

 だから彼は、こうして旅をしてきたのだ。

「……エイネには妹がいて、その、アウリっていうんですけど、そいつも神子なんです」

「らしいね」どこまで知っているのか、アーデルハイトは表情を変えない。「姉妹で神子というのは珍しいよ。一度だけ兄妹ふたりともってことはあったけど、結局これって本人の資質だからさ。可能性として、近い場所から神子が出るって普通あんまりないんだけど」

「……だ、だけどエイネは、アウリには──妹には普通の暮らしをしてほしいからって! その理由で旅をしてきたんです!」

 残りの天命は四つある。

 つまりこれまでの通りに考えるのなら、最低でも四人の神子は命をてて戦わなければならない。エイネがひとつで終わってしまっては、同じ重荷を妹に背負わせてしまう。

 彼女が旅に出た動機のひとつに、それを避けたいという考えがあった。

「美しい姉妹愛ね。人間らしいっていうのかな──そういうのは嫌いじゃないよ」

 アーデルハイトは端的に言う。

 感情が動いているようには見えないが、無機的というより、単にそういう性格なのだと窺わせる気がした。言葉通り、感心していることは嘘ではないように思える。

 ならばと、強くラミは言い募った。

「何か──何かありませんか!? 進行を止める方法とか、何か──」

 そしてアーデルハイトは、これまでと変わらず、ごく端的に事実を答える。

「ないよ」

 あっさりと。ただ事実だけを彼女は告げる。

「というより前提が違うから。天命を達成する──普通の人間なら、生まれてきた理由を果たすとか、そういうことを考える言葉なんだろうけど。それがあるとするのなら──」

 人には生まれてきた、生きるべき理由があり。

 与えられたそれを果たすことこそが、正しい命の使い方であるのなら。

「──神子の天命は人間からの進化だから。己が命数を完全に統御下に置いて、人間から一段階、上の存在に至る。そうして神の使徒となるのが、天命を果たすって意味だから」

「…………っ」

「君が言っているのは──そうだな。りんを使わずにアップルパイを作る方法はあるか、とかいう話。だから、そんなものはない、が答えだよ。問いとして成立していない」

 下手くそなたとえ話の意味なんて捉えられていなかった。

 ただ絶望だけを事実として突きつけられている。神子が果たすべき天命が使徒へと至ることならば、確かにそうだ、この問いは前提からして間違っている。

 エイネが天命の達成と、元の生活に戻ることを──同時に果たす日は来ない。

 絶対に。

「で、でも確かに、あのとき会った使徒は、自分でしやべって──」

「──だから、それは私」

「は……!?」

「なんでなのかな? わかんないんだけど、どうしてか全員、使徒になると自我が薄れて抜け殻になっちゃうんだよね。今のところその例外は私だけでさ。だから空っぽになった使徒の肉体っていうものの中に、私を入れてるだけ。あとは演技だよ」

 アーデルハイトは事実だけを言葉に変える。

 このままでは遠からず、エイネの意識は完全に消滅して、残ることさえないと。

「神子が果たすべき天命とはひとつ──使徒となること。それだけ。ほかにはないの」

 そこまで言うと、アーデルハイトはエイネに視線の向く先を移した。

 これまで黙っていたエイネは、その視線をまっすぐに受けて目をらさない。

「それが貴女の使命。果たすべき天命。神子は神の子というけれど……どうなんでしょうね。あんまり、私はそうも思わないんだけど。ま、さっさとその身体からだ、私に渡してよ」

「な──!?」

「もともと人間ってそういうものでしょ? 神の被造物。なら、もらったものを返すだけ」

 あまりと言えばあまりな物言い。

 それを、ほかでもない教会の創設者が言うのだから、ラミには言葉がなかった。

「自由な意思なんて、初めから認められてはいないんだから。神子の役割は例外なく使徒へと至り星の礎となること──貴女だって、とうにそれは理解していたのでしょう?」

「……うん。その通り、ですね」

 小さく呟いて、それからエイネはラミを振り返った。

 少女は──笑っていた。

「……エイネ」

 小さく名を呟いた幼馴染みに、済まなそうな表情でエイネは答える。

「まあまあ。これはわかってたことだよ。それが嫌なら最悪、使命から逃げるしかない」

 それを聞いて、アーデルハイトがわずかに苦笑を見せた。

「逃げるって。仮にも初代様を前に、あっさり言ってくれちゃうよねえ」

 少女は、自分の大先輩を見つめて答える。

「できれば私も、それはしたくありません」

「そう?」

「この惑星は死にひんしている。初代様──アーデルハイト様はそれを救うために、神子の使徒となり得る才を世界に伝えた。星を救うためには十人の使徒が必要で、それを集めるために全天教会と、それが尊ぶべき教典を後世に残した。そうですね? 星を救うために必要な使徒の数は十……自分だけではどうしても足りなかった」

「ええ」アーデルハイトはただ頷く。「加えて言えば神子──つまり《体のどこかに灼痕を持つ者》が現れるという仕組みそのものも私が作ったものよ。私の術で才ある者に灼痕が渡るようにしているだけ。適性ある人間が現れると、自動で灼痕が現れるようにしたの。そして教会は、神子を見つけて保護し、かつ旅に送り出すために作っておいた機構。自分自身で鍛える以外には、使徒に至る方法がないのだから。仕方ないわね」

「……神子とはいえ、必ずしも天命を果たして使徒になり得るわけではないから──」

「その通り。あくまでその可能性があるというだけ。だから基本的には、なれない人間には絶対になれないし、なれる者でも可能性は決して高くない。貴女以前の二十二名の内、たった六名しか果たしていないのだから」

 神子とは、それほどまでに限られた存在だということ。

 いや。あるいは人間の中に、その可能性を持って生まれてくる者がいるだけ奇跡だったのかもしれない。そうでなければ、この惑星はそのまま滅ぶほかなかったのだから。

 抗える可能性が人類に残されていただけ、恵まれているのかもしれない。

「でも仕方ないでしょう? さもなければこの星は、間違いなく滅んでしまうのだから」

 その寿命によって。

 どうにもならない世界の仕組みに、それでも抗おうというのだ。

 多少の犠牲は受け入れなければならないことくらい、当たり前の話である。

「ほ、ほかに方法は──」

 食い下がるようにラミは言った。アーデルハイトはやはりまるで変わらない様子のまま。

「あると思うの、本気で?」

「……っ」

「ほかの方法なんてこの世にない。存在しない。これだけが唯一確実にこの惑星を救える方法で、なら私は何百年かけてでもそのために動く。そのために在る。それだけ」

「……エイネ、帰ろう!」

 気づけば、ラミはそう言っていた。

 言葉に振り向くエイネは、薄く微笑んでいる。彼女は言った。

「それはできない。私がやらなければ、ほかの誰かに──妹に、押しつけるだけだ」

「っ……でもオレは!」

 エイネを犠牲にして生きる世界に、価値を見出すことなんて無理だ。そう思えた。

 ご大層なことが言いたいわけではない。救えるのなら、滅ぶよりずっといいことも理解している。だとしても、それはエイネが犠牲にならずに済む方法があるならだ。

 確かに使徒としては生きていけるかもしれない。

 だがそれは肉体だけの話だ。エイネの意識が消えて、それをアーデルハイトが動かすというのなら、もはやそれをエイネと呼ぶのはまん以外の何物でもない。

 違う。そうだ、それは違う。

 ラミは、そんな運命をエイネにあげたかったわけではない。

 なんだって構わない。どこにだってありふれている、けれど、神子であるというだけで望むことのできなくなってしまう、さいな人としての幸せを与えてやりたかった。

 だって、ラミは知っている。

 エイネがそれを本心では望んでいるのだと気づいている。

 でなければ旅の中、ああも寂しそうに人々の営みをのぞいていたはずがない。それが尊いものだと知っているからこそ、守るためにエイネは旅に出たのだ。

 その神子に与えられる終わりが、人間性を喪って無限に生きることであっていいはずがない。それでは神子だけが永遠に報われない。望むものを手に入れることができない。

 いや──いや違う。

 それさえ結局はおためごかしだ。

 ──ただ自分が、誰より大切な幼馴染みを喪いたくないというだけなのだ。

 それはわがままなことなのだろうか。許されない願いなのか。

 たったひとり大好きな少女が犠牲になることを、世界のために許容すべきなのか。

 だとするなら──そんな世界を、ラミは優先してやるつもりがない。

「ラミ」

 と。それでもエイネは、あくまで笑みを崩さない。

 犠牲になる可能性が高いことくらい、最初からわかっていたことなのだから。

「それでも私は神子なんだ。神子であることを、やめるつもりはないんだ」

「なんで……どう、して……?」

「別に大した理由はないよ。ていうか理由がどうこうなんて話じゃないでしょ?」

 誤魔化しだ、とラミは直感した。

 エイネが理由もなくそんなことをする人間だとは思えない。きっと、何かそこに理由があるはずなのだ。アウリのためだとか、あるいは旅で出会った人々のためとか──。

「まあまあ。──わたしもね、別に見も知らない誰かのために犠牲になろうってわけじゃないよ。そこまで人間できてないこと、ラミならとっくに知ってるでしょ?」

 ──結構、性格悪いんだから。

 そんなことをエイネは笑いながら呟くと、再びアーデルハイトに視線を戻した。

 そして、言う。

「ラミに先に訊かれてしまいましたが。わたしからもひとつ質問があります」

「何かな?」

「確認したいことはひとつだけ。──わたしが使徒になれば、? ということです」

 一瞬、ラミにはエイネが何を訊いているのかすら理解できなかった。

 当然だろう。だってそれは前提だ。そこが覆っては、神子が犠牲になる理由すらも初めからなくなってしまう。

 十名の神子が天命を達成すれば星は救われる。

 それは、この世界の大前提だ。今さら疑うようなことではない。はずだった。

「────────」

 それでも。

 アーデルハイトは、初めて即答では答えなかった。

「……そっか。貴女だけは一度、使徒から人間に戻ったんだったね……それでシステムを理解しちゃったのか」

「はい」エイネは頷いて。「使徒十人分の力を合わせれば、死に行く星を素材として新しい惑星を生み出せる。それが救星の本当の方法だと私は知りました──だから考えました」

「ふぅん……さすが、頭が回るのね。歴代最高と言われているだけはあるわ」

「アーデルハイト様を差し置いて呼ばれることではありません。それよりも、これが私の勘違いであると信じてお訊ねします」

「……どうぞ」

「今、この星で生きている人間を、私は救えますか?」

「そうね……ええ、いいわ。答えましょう」

 初代大灯師アーデルハイト=ヒーススターは。

 それが、ここまで辿り着いた後輩への褒美であるとばかりに、こう答えた。


「──いいえ。今の人類は、何があろうと絶滅するわ」


 十名の神子が天命を達成することで、この惑星を救うことができるようになる。

 そう。星は救える。そのために神子は戦ってきた。

 だが誰も、ひと言だって、共に人類が救われるとは言っていないのだ。

 勝手に勘違いしただけ。

 星さえ無事なら自分たちも存続できると勝手に思い込んだ。

「現生する人類にこれからという未来はない。星とともにその命を終わらせるのが世界の役割。その先の惑星に、今の人類は誰ひとり残らないわ──使徒を除いて、だけれど」

「どう……して」

「星が死ぬんだから当然でしょう。私たちに残された方法はひとつ、新しい星を創り出すこと以外にないじゃない。──幸い、今はまだ、この母星の命数という材料がある」

 人類という生命は、もうとうに終わりを迎えた種なのだ。今はただ、その余生を数百年ほどこなしているに過ぎない。人間は、進化の仕方を間違えてしまっている。

 それが真実だった。

 アーデルハイトはさらに重ねる。

「未来のない終わった者たちに、続く先を邪魔されるわけにいかないでしょう。そもそも人間が、本当に星にとって必要な種であるはずがないわ。──人間なんて、星にとってはがんでしかない。その切除は延命に必要なものだと思うけれど」

「……嘘、だろ?」

 がくぜんとするラミの隣で、エイネは顔を上げた。

 空を見るように、だが瞳は閉じて。的中してほしくなかった可能性の正解を知る。

「滅ぶこの惑星を素材にして、新たな惑星を創り上げる。けれどその過程で、今の人類は全員が死ぬ──そういうことなんだね。新しい星に人類の居場所は存在しない」

「たった十人でも、生き残りがいるだけマシでしょう」

「それは全部、貴女なんでしょう?」

「今は凍ってるだけ。いつか帰ってくるわ。それに貴女なら、あるいは意識が完全に神の視座に至っても、まだ自分を保てる可能性はある」

「……だとしても十人だ」

「別に何も間違ったことはしていないけど。元より、ないはずの希望よね?」

 その通りではあるのだろう。

 母なる大地。全ての生命が住まう惑星。

 それが死ぬというのだ、地上の生命だって巻き添えになって当然。そこに偶然、惑星を生かす方法が見つかったからといって、人類がそれに乗ろうなどとは烏滸がましい話だ。

 理屈では、確かにそうなるのかもしれなかった。

「……残酷な話だ。絶対に助からないのに、みんな未来に希望をのこそうといている」

「どうせ避けられないのに? 最後は明るく生きるほうが救われるかもしれない」

 与えられた希望がかりそめだとしても。

 それをだまされたと憤るのはこちらが勝手に訊いたからに過ぎない。知らないまま生きていられるのなら、避けられない滅亡を前に絶望へ沈むより、よほど救いはある。そう思う人間だって、決して少なくはないだろう。

 つまり考え方の問題だ。

 不可避の絶滅に苦悩し続けるより、存在しない希望を抱くほうが選ばれた。かつてそう選択した者がいて、秘されていた事実をこちらが勝手に暴いただけの話。

 人類は滅ぶ。新しい惑星を作る素材として、犠牲となって全滅する。

 神子も死ぬ。ただその肉体だけが、新人類として新しい惑星に残る。

 ──それが救星の真実だった。

「確かに……間違ってはいないんだろうけれどね」

 エイネは軽く首を振った。

 彼女は絶望していなかった。

「なら私は、それに加担することを選ばないことにする」

「……神子としての責務を捨てるというの?」

 ほんのわずか、ラミにはそれを言うアーデルハイトが驚いているように映った。

 勘違いなのかもしれない。そもそも話が衝撃的すぎて、頭が追いついていないのだ。

「全ての神子が旅に出るわけじゃない。人民を守るのも立派な神子の役割だ」

 エイネはそう答えた。

 彼女は言う。──それならば、自分が命を懸ける理由はなくなる、と。

 アーデルハイトは静かに、澄んだ瞳でエイネを見ていた。

「神子の役割に、私が決めたそれに使途へ至るという以上のものはないわ。それは後世、教会を継いだ者が勝手に決めたことでしょう?」

「教会を作ったのも貴女ですよ、アーデルハイト様。少なくとも今の世はそうなっているし、仮に認められないのなら初めから全ての真実を明かしておくべきだった」

「……それでは、誰も動こうとしないわ。それが人間でしょう?」

「ええ。そして私も同じ理由で、もう神子としての責務を果たすつもりはありません」

 わずかに首を振るエイネ。

 彼女は今、自分が神子であるという立場を捨てようとしている。

「だって──私は、人間なのですから」

 エイネ=カタイストは、そう断言してみせた。

 不謹慎かもしれない。だがラミは、人類という総体が救われないという事実より、ただエイネがここで旅を諦める選択肢を選んでくれたことがうれしかった。

 北の果てまで、わざわざ来た甲斐かいはあったのかもしれない。

 もちろん、この旅が成功だったとは言えないだろう。目標はその起点から達成できないことが決められており、結果を見ればラミとエイネは無様に失敗した──いや、挑戦さえできなかったと見るべきなのかもしれない。

 だが決して意味がなかったわけでもないとラミは思う。

 これは酷く自分勝手な考え方だ。

 何も解決していない。解決することができないとそもそも突きつけられたに過ぎない。

 だがラミは、いつかの未来に訪れる滅びになど興味がなかった。エイネと同じで、そこまでできた人間ではない。そんなもののために、命を懸けては戦えないのだ。

 遠い先の未来より、ラミは今を、エイネと生きたいだけだったから。

 だから。

「……わかりました」

 と、アーデルハイトは言った。

 小さくうつむいて。──だから。

 だから彼は、何も理解してはいなかったのだ。エイネでさえそれは同じだった。

 自分たちの命数うんめいが、そんなことを決して許すはずがないという事実に。

「では仕方がありません。──ここで強制的に使徒になっていただくとしましょう」

 アーデルハイトの言葉はそれまでと変わらない響きで届いた。

 彼女はあくまで事実しか言っていない。だからその適用に一切の抵抗を持たない。

 事実なのだから。

 そうなっているのだから、これは仕方のないこと。

 結局、ラミがアーデルハイトに見出した人間性なんてその程度だ。彼女はそれを喪っていないからこうなのではない。ただ、初めから持っていないだけでしかなかった。

 ラミの反応は間に合わなかった。

 エイネでさえ、予期していても防ぐことはできなかった。


 次の瞬間、──白い光の矢がラミ=シーカヴィルタの体を貫いていった。

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