接続章 『別れと、そして再会』1-2


 目が覚めたとき、最初に飛び込んできたのは見知らぬ女性の顔だった。

 ベッドの上に寝かされていたラミは、驚きに体を揺らし、そして痛みにもんした。

 上体を腹筋で起こすも、すぐにバランスを崩してよろめいてしまう。

 左腕は添え木で固定されていた。痛まない箇所のほうが珍しいくらい全身ボロボロだ。

「な、──あっ、く……つうぅ──……!?」

「落ち着け。命数は回復しつつあるが重傷だったんだ、まだ無理はするな」

「──何、が……」

 全身の痛みが記憶を呼び起こす。

 何があったのか。そこでどんなことになったのか、全て。

「……っ、村は!? エイネは、みんなはっ!?」

「──落ち着けと言った!」

「ぐあ痛ったぁ!?」

 慌てたラミの頭に、女性の手刀がたたまれた。

 傷は狙わず、さりとて威力充分な一撃。堪らずラミは涙目になる。

「こいつ、にんを殴るか普通……!?」

「ふん。麻酔と思え。──そして安心しろ、村は無事だ。あれから三日がっている」

 女性は語る。思い返せば、最後の記憶にわずか残っている容貌だった。

 長い亜麻色の髪をまっすぐ下ろした女性だ。細身だが背は高く、鍛えられ引き締まった肉体をしていることがわかる。紫紺に近い色のそうぼうが、鋭くラミを射抜いていた。

 見覚えがある。今より一年も前のことだが、記憶はしっかり残っていた。

「──ジャニス=ファレル。守護十三騎ラウンドキヤンドルの第三席──」

「ふん。わしのことを覚えていたか」

 頷きもしないが、認める言葉だった。自身が王国最強の十三人の一角であると。

 その発言は、同時にもうひとつのことを示唆していた。

「てことは、アンタもオレを覚えて……?」

さかしいガキだな。言葉尻を捉えられるのは好かん。だがまあその通りだ」

「その通りなのに怒んのかよ……いやそれより、アンタが村を助けてくれたのか?」

 ジャニス=ファレル。リスリアの街で出会った老夫婦の実の孫。

 による演説の護衛にいた命数術師。その顔は今だって覚えている。

 そしてそのとき以上のことも、今は知っていた。

 ──目の前の女性が、王国最強の女性と呼ばれていること。

 確かにジャニス=ファレルならば、片獣の群れにも引けは取らないだろう。

「いいや」

 だが予想に反して、ジャニスは首を横に振った。

 なぜか色のない表情だった。無理に感情を殺しているようにも見える。

わしが助けたのはお前ひとりだけだ。村は、私がついた時点でもう救われていた」

「もう、救われて……?」

「悪いが疑問はお前よりわしのほうが多いんだ。お前にもきたいことがあるが──」

 ノックの音が、部屋に響いたのはそのときだった。

 ジャニスが薄く笑う。

「さすが──と言うべきかな。運命をわきまえている。いいぞ、入れ。小僧も起きた」

「失礼します」

「おにいちゃんっ!!」

 ふたつの声が、待ちきれないと言わんばかりに部屋の中へ飛び込んできた。

 片方はアウリだ。ベッドで上体を起こしているラミを見て、目尻に涙をめている。

「よかった……よかったよぅ。おにいちゃん、おおして……うぅっ」

「……そっか。アウリが、ファレルさんを呼んできてくれたのか。……ありがとな」

 だいぶ心配をかけてしまったようだ。殴り飛ばされても文句は言えない。

 耳も鼻も真っ赤にしてぐずる妹分をあやすように、ラミは動く右腕でアウリの頭に軽く触れた。無事であることを伝えるために。

「もう大丈夫だ。アウリのお陰で生き残ったよ。命の恩人だな」

「ばかっ! おにいちゃんの、ばか……あんなちやして、もう……っ」

 ぐすっ、と鼻を鳴らすアウリ。ともあれ、皆が無事なようで何よりだ、とラミは笑う。

 そして視線を、続いてはエイネのほうに向けた。

「────」

 エイネは不思議な表情でラミを見ている。

 喜ぶような、悲しむような。怒りもあれば諦めもある。様々な感情がないまぜになった不思議な表情だ。ラミにはその理由がわからない。

 気まずい思いなら確かにあった。

 ほとんど喧嘩のような勢いで飛び出してきてしまったのだ。しかも、あれほどおおを切っておきながら、結局は大怪我を負っている。命を落とす可能性だってあった。

 そのせい、なのだろうか。エイネは黙ったまま、言葉を紡ごうとしない。

 喧嘩なんていつものことだし、ラミがバカをやったのだから、エイネなら叱り飛ばしてくるくらいが普通のはず。場の雰囲気に、我知らずラミは眉根を寄せる。

「──さて。ここからが重要な話だ」

 静寂を断ち切ったのはジャニスの声。

 彼女はエイネを見つめて、それから小さくこう言った。

「確認するが。──この辺り一帯に現れた片獣を討滅し尽くしたのは君だな?」

「うん。わたしがやった」

 エイネは否定せず、静かに頷く。

「名前は?」

「エイネ=カタイスト」

 ラミは、ジャニスの言葉を思い出していた。彼女が到着したとき、この村はすでに救われていたという。つまり、村を救ったのはエイネということだ。

 ──そこまで隔絶した力の差があるなんて、知らなかった。

「ごめん。──アウリ、ちょっと出ていてもらっていい?」

 エイネが小さく首を振って、アウリに向けて言った。

「え……?」

「おねえちゃん、この人と少しお話があるの。ラミの着替えとか必要でしょ? その間に用意しておいてくれないかな。お願い」

「……わかった」

 姉の頼みに、素直な頷きを返すアウリ。その表情は不安げだったが、結局は姉に従い、ラミを気遣ってから部屋を退出した。

 明らかに追い出している。それがわかったからこそ、ラミには意味が捉えられない。

 この仲のいい姉妹が、こんな風になっているところを見たことがなかった。

「いいのか?」

 ジャニスが、エイネにたずねる。様々な意味を、ひとつの言葉に込めた問いだった。

 エイネは迷わず、その意味を全て把握した上で首肯する。

「はい。……というか、いいも悪いもないんでしょ?」

 話について行けていないのは、この部屋の中でラミだけだ。

「……そうか。まあそうだな。とはいえ急ぐことはない、別れの時間くらいは許される」

「そこは、ほら。これまで隠れてたわけですし。わがままは充分ですよ、もう」

「なるほど。別にわしとしてはどちらでもいい。仕事が楽に越したことはないからな」

「──ちょ、ちょっと待ってくれ! いったいなんの話してんだよ!?」

 堪らずラミは声を上げた。目の前で交わされる会話の意味がわからない。

「別れの時間って……エイネが、王都に行くのか? なんでそんな──」

「──彼女が、たったひとりで片獣をおうさつしたからだよ、ラミ=シーカヴィルタ」

 答えたのはジャニスだった。彼女の視線が、鋭くラミを射抜く。

「それでわかるだろう?」

「……意味が、わかんねえよ……説明になってねえぞ」

「は、そういえばあのとき、お前は意識がなかったんだったな。だがこれで説明になっているよ、充分に。加えて言えば、こいつはわしまで殺すところだったんだ」

「……それは、だから事故じゃないですか。生きてるんだから怒らないでください」

 ここでエイネが会話に加わる。

 けれどその視線は、もうラミを向いてはいなかった。

わしでなければ死んでいたと思うがね」

「こっちも必死だったんです」

「……だから!」ラミはいらっていた。「それがいったいなんだ! はっきり言えよ!!」

 何に対し苛立っているのか。その答えを、きっとラミは予感していた。

 訊くまでもなく、ラミにはもう、頭のどこかで話の流れが理解できていたのだ。だけどそれを否定してもらいたい。

 けれどエイネは、とうにその運命を受け入れており。

 そして、ジャニスは同情から現実を捻じ曲げるような人間ではない。

「教会騎士が殉死するほどの戦場を、たったひとりで駆け、しかも一方的に敵を殲滅する戦闘能力。それを終えてなお、私を殺せるほどに残るばくだいな命数──そんなものは人間に背負えるレベルじゃないよ。だって無限で、無尽蔵ってコトだ」

「だから、それが……」

「それが小僧、お前にわからないはずがない。仮にも命数術師なんだろう?」

「…………」

「──それが、彼女が神子であることを証明するのに、充分すぎる事実だということが」

 神子。全天教会によって認定される、聖人。文字通りの神の子。

 それがエイネだと、ジャニスは言った。

「ま、待てよ、おかしいだろ。エイネが神子? んな……そんなわけねえだろ!」

「なぜだ」

「なぜ、って。ちょっと命数が多いくらいで神子ってほうが暴論ってものじゃ──」

「──なら証拠があればいいな。エイネ、しやつこんを見せろ」

 現実を認めないラミに、ジャニスはあくまで事実を前提として語る。

 話を振られたエイネのほうが苦笑してしまうくらいだ。

「あっさり言うなあ。結構、恥ずかしいんだけど……まあラミだし、いっか」

 部屋の入口付近に立つエイネが、自分の服の襟元を左手で掴んで引き下げる。

 あらわになった鎖骨の下、左胸の上の辺りに──ラミも見たことがない、火傷やけど痕にも似た紋様が、らくいんのように刻まれていた。無論、先の戦闘で負った傷ではあり得ない。

 それが《しやつこん》。神子の証として肉体の一部に刻まれる、神から与えられた証明印。

「瞭然だろう? いくら術を使おうと減らない命数。高い適性。何より胸元の灼痕が神子である確かな証だ。……それを、このとしまで隠し通しおおせたことも異常だがな。ふん、いかに莫大な命数を扱えようとも、それを万全に支配しきれるかは別の話だ」

 命数術を扱うと、己が命数を消費する。

 命数術とは神の奇跡の代行である。地上において神に代わり、奇跡を発露せしめる行為。だが当然、そこには対価としての、あるいは権利としての命数が求められる。

 その例外に当たる存在は、この地上に神子しかあり得ない。

 疑いの余地はなかった。

 ──ラミの幼馴染みの少女は、間違いなく神子なのだ。

「全天教のご長老衆も喜ぶだろうさ。つい先頃、第二十二代神子シシュー=シルバー様が星にかえられたばかりだからな。新しい神子が発見されるタイミングとしては良好だろう。いや、あるいはだからこそなのかね──まあいいが」

「おい……おい、待てって。おい」

「何、心配はいらん。しばらく時間はかかるだろうが、そうだな、面会くらいならいずれ私が取り計らってやる。それくらいの権限は持っているんだ、感謝しろ。ま、でなくとも遠巻きに見る機会くらいなら──」

「──待てって言ってんのがわかんねえのかよ!」

 ついに、ラミはえた。

 堪えることなどできなかったし、堪えるところではそもそもない。そう思ったから。

「さっきからじようぜつにペラペラまくててんじゃねえぞ! 何勝手な理屈でエイネの未来をお前が決めてんだ! エイネもエイネだ、お前もなんか言えよ、なんで黙ってんだ!!」

 たけるラミ。当然だ、こんなところで別れを強制されるなど堪ったものじゃない。

 だってラミは、まだエイネに謝ることすらできていない。

 叫んだせいで全身が痛む。未熟さを突きつけるように筋肉が悲鳴を上げた。

 だとしても、ここで黙っているわけにはいかない。また会える、なんて言葉は信じられなかった。今ここで、今生の別れを済ませろと言っているに等しいのだ。

 だからせめて、ラミは、エイネに否定してほしかったのだ。

 拒否してほしかった。神子ではないと言ってほしい。それが無理でも、せめてこのまま連れ去られてしまうことにはあらがってほしかった。

 そう願うラミに向けて、エイネは、ここで初めて言葉を向ける。

「ねえ、ラミ。──ラミ=シーカヴィルタ」

「あ……な、なんだよ、エイネ」

「──君は、いったい誰に向けて偉そうな口を利いているのかな?」

「な──に」

 愕然とした。想像していなかったのだ。

 まさかエイネが、長い付き合いの幼馴染みが、自分を他人のように突き放すなんて。

「私は神子だよ? 聖人だ。その喋り方は不敬だと思うんだけど」

「……本気で、言ってるのか……?」

「当たり前じゃない。ていうか普通に答えるけどさ、私が嫌だとかなんだとか言っても意味ないじゃん。これはもう決まってること──生まれたときから決まってたことだよ。そもそも、ラミが私に戦えって言ったんだよ? だからバレちゃったのにさ」

「────っ!!」

 違う。そうじゃない。そんなつもりはなかった──。

 弁解することなら簡単だ。事実、ラミはエイネに戦いを強要しようだなんて一度だって考えたことはない。彼があのとき腹を立てたのは、ほかでもない自分自身に対してだ。

 だが結果論、そのせいでエイネは教会騎士の前で力を振るわざるを得なくなった。

 自分のためではなく。村を──そして何より、ラミを守るため。

 たった一体の片獣に殺されかけていたラミが、何を言えた義理だろう。強い個体だったことなど言い訳にはできない。ただ、ラミの力が足りなかっただけの話だ。

 そんな彼に。

「君に──今のラミに、私と対等に口を利く権利があると思うの?」

「……!」

 それを聞いたラミにはもう、何かを言おうという気がなくなっていた。

 その通りだからだ。エイネの言葉に、間違っている部分なんてひとつもない。

 実に正当な理屈だった。

 これまでエイネが身分を隠して、この村にいたことのほうがおかしいのだ。神子になるからといって、絶対に危険な目に遭うと決まったわけでもない。いや、惑星せかいのために力を振るう義務と引き換えに、強大な権力を得ることを思えば、むしろ幸せかもしれない。

「は。ずいぶんとまた厳しいことを言う。気に入ったよ」

 ジャニスはどうもうに笑った。性格に合ったのだろう。

「ていうか、ジャニスも私に不敬じゃない? これでも神子なんですけど」

「神子は神子だがな。地位は教会に認定されて初めて付随する。それまではただのガキに過ぎん、わしへりくだってやる必要は見受けられんな」

「……なるほど。それは確かに、その通りだ」

 エイネは愉快そうに笑った。

 少なくとも性格的に、ふたりは馬が合うのだろう。神子になった以上は、守護十三騎の一員と友好を深めておくに越したことがない。

「さて、話は以上だ。──何か言っておきたいことはあるか、ラミ=シーカヴィルタ」

「──ないよ」

 ラミは小さく、そう答えた。

 この場で言葉を発することにはもう、意味がない。

 理解はしているのだ。ジャニスはわざわざこの場所で話を進めてくれた。それは彼女なりの気遣いで、ここでみついても彼女の厚意を無下にするだけ。

 そもそも命の恩人に対し、ラミは敵意など抱いていない。

「さて。ではコトは早いほうがいいな。さっそく村のおさと教会の代表にでも話を通しに行こう。ついて来い、エイネ──遅くとも三日後には村を出立する。使いのこうは手配してあるから、到着し次第、村をつ。その先は鉄道の旅だ」

「へえ……鋼騎に乗るのも列車に乗るのも、私、初めてだよ。ちょっと楽しみかも」

 そんな会話を繰り広げながら、ふたりは部屋を後にする。

 ジャニスはもう、ラミを見ていない。そのまま足早に寝室を去った。

 けれど、エイネは最後にラミを振り返って。

「──またね、ラミ」

 そう、別れの言葉を切り出した。

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