第三章 『反天会』5-2
光が。
エイネには当たっていない。
それはまっすぐに教会へと降り注ぎ、けれど一切の破壊をもたらさないただの光だ。
少なくともラミの目にはそのように映った。
「っ──エイネ?」
現状への疑問に
その隣に立つ。
だが、エイネはラミを一切目に入れない。
ただ黙って顔を上げ、頭上に立つ天からの使いを見据えている。
「……エイネ。おい、どうしたん──」
「────」
「おい、聞けって! こっち見ろ、なんで何も言わねえで突っ立ってんだよ!!」
金髪の女性が動く様子はない。
だからラミは、エイネの肩に触れて力強く揺さぶり、声をかけた。
それに、エイネが初めて、何かに気づいたかのように呟く。
それが奇跡だということに、このときエイネだけが気がついていた。
「──そういうことだったんだ。だから、みんな──」
「エイネ? ちょっと待て、さっきからぼうっとしてなんなんだよ、いったい!」
「ん……ああ。なんだ、ラミ? いたんだ?」
そこでようやく、彼女はラミを振り返って微笑んだ。
感情の色が戻っている。なぜだか、酷く痛ましげな表情を浮かべていた。
「ああ、そっか。ラミが呼び戻してくれたんだね? 驚いたなあ」
「は……? なん、の……話、を」
「さすがはラミだよ。本当に……いつも私の想像を超えてくれる。でも、ごめん。たぶんあんまり持たないと思う。うん。けど、せめてラミだけは、私が守ってみせるから──」
だから、と。
混乱するラミに向け、酷くあっさりとエイネは告げた。
「──これで、お別れになっちゃうかも」
そのエイネの発言を、ラミは言語として認識することができなかった。
驚いたとかショックだったとか、そういうことではない。単純に意味がわからない。
それを、その言葉を──エイネが口にする日を想像しなかったといえば
最低限の覚悟はしている。それだけの旅だという認識はある。
だがそれを今、この場所で聞かされる意味がわからない。違う解釈があるかと考えてもわからない。本当に別れが来るとしても、それが
まだ何も成していないのに。
偶然、訪れただけの場所で。
なんの物語もなく全てが終わるだなんてこと、一度だって想像するはずがないのだ。
「っ──」
だが現実は、ラミの理解など
初めからそういうものなのだ。
どれほどの覚悟があろうと、幼き日からの誓いがあろうと、そんなことで現実が揺らぐことはあり得ない。決意も努力も鍛錬も達成も成果も、全てひと息に流される。
それが現実というものだ。
仮に失敗する未来に至るとして。そのときに、きっと何か大きな挫折や、超えられない壁にぶつかる──などと考えることすら現実に対して傲慢だ。最後まで足掻いて納得して終わることができるなんて、妄信できる根拠がいったいどこにあるだろう。
不条理に、無意味に、非常識に、未到達に──人は、終わる。
「────」
次の瞬間、エイネの表情が再び無に戻った。
彼女の言った通り、本当にただの一瞬だけ意識が戻っていたかのように。エイネは今、そうなっているべき状態で、ラミが呼びかけたからわずかだけ意識を取り戻したように。
奇跡があるとすれば、その刹那のためにもう費やしてしまっている。
そのまま──エイネは空を飛んだ。
「つば、さ……?」
ラミの理解は及ばない。ゆえにできることもない。
彼にできるのは、ただ目の前で進行する事態を見続けることだけ。
そして、戦いが始まった。
中空でぶつかり合うのは二色の火炎。
片や深緋の命火。エイネが生まれ持つ尊き純色に近き炎色。
片や
二色の炎の激突は
「若苗色、の……命火?」
「ええ。貴方も教会騎士ならば、その炎色が意味するところくらいはわかるでしょう?」
突然の声。その方向に振り返ってみると、そこにはひとりの女性が立っていた。
金色の長髪を持つ女性だ。その意味では少し、空を舞いエイネと戦っている翼の女性に似ているが、それよりは少しくすんで、人生に刻まれた労苦の度合いが見て取れる。
いや。それ以前に、ラミはその女性のことを知っていた。
「……なん、で……!?」
ラミが身構えるのを押し留めた理由は、それだ。
そして彼の知る限り、その女性はとうに亡くなっているはずの人間だった。
「ああ……貴方は、私の顔、見たことがあったんですね」
その通り。ちょっと教会に関係のある者なら、彼女の顔を知らないはずがない。
エイネが知らなかったのは、単に彼女が顔を見ることのできる機会を避けていたから。そして彼女が実際に会える立場になった頃には、彼女はもう星に還ったとされていた。
あの日、演説を行っていた彼女を見に行ったのは、ラミと、そしてアウリだけ。神子であると知られるのを避けるため、エイネは幼馴染みと妹に同行しなかった。
「──第二十二代神子、シシュー=シルバー聖下……!」
「やめて」
ラミの言葉に、女性──シシューは表情を歪める。
それまでの丁寧語を崩して、本当に嫌そうに彼女は言った。
「神子はもう廃業したの。その肩書きでは呼ばれたくない」
「は、……廃業って」
「言葉通りよ。神子になって命を投げ出すなんて、バカげているとは思わない? ねえ、ラミ=シーカヴィルタ。神子の幼馴染みで、騎士になってまで旅を支える、キミ。キミになら、わかってもらえるかなって思うんだけれど」
「何、を……」
「だって、あの子が大事なんでしょう? ──死ぬと決まっている運命なのに」
それは酷薄な、
けれど口にするシシューの表情は、本当に心からその事実を悲しんでいるかのよう。
「見てみなさいよ。もう、手遅れだから」
シシューはそう言って視線を上、戦うふたりの女性へと向けた。
ラミの思考は停止している。だから言われるがままに、その視線を追いかけた。
「──凄まじい戦いでしょ? バカらしくならない? キミがどれほど鍛えたところで、守護十三騎と呼ばれるまでになったって、どう足掻いてもあの領域には及ばない」
火炎が舞う。
二色の火炎は宙を踊り、高速で交錯しながらお互いの命数を削り合っている。地べたを這うことしかできない人間に、それを止める方法などあり得なかった。
確かに、それはラミがどれほど鍛えようと、絶対に到達できないひとつの終着点。
「……アンタは、オレを……」
「もちろん知ってるわよ。後輩のことですからね、一応。まあ貴方じゃなくて、あの子が後輩なんだけど。……それも、間に合わなかったみたいだから、今となってはよね」
「間に合わないって……さっきから何言って?」
「──なら訊くけど」
端的に。
シシューはラミに目線を戻し、試すかのように問う。
「キミの知る神子に──エイネ=カタイストに、あれだけの戦いがこれまでできた?」
「……それは」
「そうよね、わかるわよね。いくら神子でもここまでの能力は普通、持っていない。ではなぜエイネ=カタイストは、あそこまで逸脱した炎を扱うようになったのか」
その答えは。
ごく、単純なもの。
「──人間をやめたからにほかならない」
「人間を、やめる……って」
「言葉通りだけど? だって神子よ。神の子ども。それが成長すればどうなるかくらい、言葉の上だけでも自明でしょう。神の子どもはいずれ神になる。……当たり前の話よ」
そこまで語ったところで、シシューは小さく首を振った。
まるで悔いるように。その上で、後悔を踏み越えて先へ進もうとするように。
「本当は、私が戦うはずだったんだけどね。さすがに勝ち目がないわ。早々に撤退する」
「お、おい、待て! アンタは、エイネがどうなってるのか、知ってるのか!?」
知った口を
けれど現状に答えを出せる者がいるとするなら、それこそ目の前の彼女──シシューを除いてはほかにいないのだ。ラミにはもう、それ以外に
「前兆に心当たりは? ないということはないと思うけど」
果たして、シシューはそう言った。
「前兆って……なんのだよ?」
「彼女の肉体が、人間ではないものに作り替えられているという前兆よ。たとえば感覚の変化……味覚がなくなるとか、痛覚に鈍くなるとか。感情もそう。意識を保っていられる時間が短くなって、眠っている時間が長くなってるとか……その手のことあったでしょ」
「──そ、れは……っ」
だが確かに、言われてみれば心当たりがなかったとは言えない。
食事を作るのをラミに任せるようになったり、鋼騎での移動時間を眠って過ごしたり。
けれど、その
「へえ……あるんだ、心当たり。よく見てること」
そんなラミに、シシューはどちらかといえば同情的な態度だった。
なんの慰めにもならないとしても。シシューは確かに、感心を
「ま、気づけなくても無理はないと思う。旅に出るような神子はだいたいその変化を隠すし、そもそも本来なら、こんな急速に進行するようなこともあり得なかった。その前例と出会ったりしなければね。もう少しくらいは……人間として生きられたはずなんだけど」
「────」絶句。
ラミにはもはや言葉がなかった。
だが。そんな絶望さえ、シシューに言わせれば安いというもの。
「それが神子ってものでしょう? 初めから。わかってて旅に出たんじゃないの?」
「……オレは、」
「何かもわからないような天命を果たすために……なんて、嘘に決まってる。神子は初めから、戦うことでその肉体を人間ではないものへ、
「……だから」と、力なくラミは問うた。「だから、あんたは神子をやめたのか。旅をして天命を果たした先に、自分ではないものに変わる未来しかなかったから」
その問いに、けれどわずかな間を開けてから。
ことのほか強い口調で、かつての神子は否定を発した。