第二章 『港町の事件』5-2

 突如として、宿泊している部屋の窓ガラスが割られたのだ。

 紛れもない攻撃であり、殺意の発露だった。砕かれたガラスが、濃い青に近い色のほのおを反射してきらきらと不思議な輝きを放つ。まるで、部屋中を乱暴に塗り潰すように。

 攻撃は、あえて言うなれば爆発による狙撃。

 直射状の小さな火種が窓ガラスを砕いて室内に飛び込み、そこで膨れ上がるように火の勢いを増す。文字通りの爆音、そして爆風が部屋中を青く彩り、死をく。

 音と炎が消える頃には、この部屋から命がうしなわれている──はずだった。

「……いきなりだなあ」

 呟くエイネは完全なる無傷。

 いや、彼女だけではない。ラミも、どころか部屋の内装ひとつひとつに至るまで、元の状態から一切の変化がない──ただひとつ、周囲に深紅の炎が散っていること以外には。

 エイネが命数術によって防御したのだ。

 爆発を防ぐのではなく、爆発による影響そのものを無に帰す術。およそ無限とも言える神子の命数だからこそ可能な、奇跡の再現であった。

 ラミはエイネに答えずに、直後にはとっくに窓から身を乗り出していた。

 今の攻撃が部屋にもたらした唯一の変化が窓の破壊であり、それはむしろラミの行動を助ける程度の意味にしかなっていなかったのだ。

 窓枠を蹴るラミ。その両足が、踏み込みと同時ににびいろの命火を散らす。

強化炎ブースター》だ。身体能力の補助となる命の炎であり、命数術師を強固たらしめる基本。

 また彼のにも鈍色の命火が灯っている。《遠視クリア》と《灯視トーチ》の同時発動により、距離を無視して術者を見つけ出す。──果たして襲撃者は、正面の建物の屋根にいた。

 術により、暗い夜でも青い炎の形がよく見えた。

 宙に身を乗り出したラミが、聖句を紡ぐ。

「《神のいばらは罪のあかし》──」

 同時、ラミの右手がほのかに輝く。

 鈍色の輝きも、命火であるなら不思議はない。

「──《は手繰るもの。其は導くもの。そして、其は戒めるもの》……ッ!」

 高く跳び上がったラミの手から、鈍色の命火がひものように伸びた。その先端が、高速で正面の屋根へと延び、自由落下するラミと建物とを繋ぐ。

 術名を《炎縄ソーン》と呼ぶそれは、自在に操ることが可能な炎でできた紐だ。屋根に届いた側の先端が、ラミを引き寄せるように縮んでいく。操作自由かつ伸縮自在な火炎の茨。

 扱いこそ難しいが、使いこなすことができれば汎用性に富み強力な術である。

 それを用いて、ラミは難なく襲撃者と同じ屋根に立った。

 屋上に立っている、濃青の命火を持つ襲撃者は──けれどじんも動かない。

 目深にフードを被った、黒いローブの男だった。強化された視力が暗闇でも顔を捉えているが、見覚えのない人間だった。

 何より不自然なのは、その表情に一切の感情がうかがえないこと。

 襲撃に失敗したろうばいがなければ、追い詰められたことによる焦燥もない。怒りがなく、悲しみもなく、こちらを殺そうという殺意ですらもまったく見えない。

 ただただ機械的に、男はラミへと距離を詰めてきた。

 逃げもせず、まるで殺せと命じられたことだけを達成するための人形のように。

 ──だとしても、ラミのやることは変わらない。

 ラミは自分から男へと逆に近づき、その懐へと潜り込んだ。男のうでに青の《強化炎》が浮かんだが、ラミから見れば拙い動きだ。先手を取るように鳩尾みぞおちへ掌をたたむ。

「────ッ!?」

 男の顔が、ほんの一瞬だけ痛みによるもんで歪んだ。

 直撃する寸前、とつに後ろ側へ跳ぶことで勢いを殺したようだが、それでもダメージは免れなかったらしい。すぐに表情を消すも、意志があることは見て取れた。

 元より、さもなければ命数術は使えないだろうが。

「──なぜオレたちを襲う? こちらが何者かがわかってるのか?」

 再び距離ができたため、試しにラミはそう訊ねてみた。

 答えはない。全霊で感情を押し殺し、男は無表情を保つように押し黙っている。

 瞬間、背後でわずかに赤いりんこうきらめいた。

 エイネの命火だ。ラミとは違い、瞬間移動する形で彼女もこちらの屋根に渡ってきた。そんなレベルの命数術は、もちろんラミでは使えない。

「答えてはもらえそうにないね」

「……なら倒すしかないな」

「手加減してよ? 彼の目的は聞き出さないとマズいから……ってラミ!?」

 男の命火が勢いを増したのは、その瞬間だった。

 青い炎が、ほとんど彼の全身を包み込む勢いで吹き上がったのだ。

 エイネもラミも、さすがにそれには驚きを隠せない。

「おい、お前、やめろ──死ぬぞ! 命火が制御できてない!」

 いな、それは正確ではない。

 文字通り、男はふたりを巻き込んで自爆するつもりで命火を暴走させているのだ。

 命数術には、生まれ持った命数を用いる。

 おのが運命を削って行う術なのだ。運命みらい全てを投げ出すのなら、自分の限界を超えた術も一度限りは使えるということ。

 いかに本来は熱を持たない命火といえど、制御できなくばおのが命を焼くのは当然。

「──く、ラミ……!」

「建物ごと防御してくれ、エイネ! オレがあいつを止める!」

 ラミの即座の判断に、エイネは考えることなく従った。幼馴染みらしい信頼だった。

 幸運だったのは、男の力量が低かったこと。自爆するにも瞬時に術を行使できるほどの技量には欠けており、ラミの《炎縄》で縛れば止めることもできたことだ。

 そして──不運だったことは。

 ラミがその場所に到達するよりも早く、男の背後から別の誰かが現れたことだった。

「……ッ!!」

 暴走が加速させられる。

 間に合うはずだった手が届かないことにラミは気づいた。

 刹那の判断が足を動かし、彼は後ろに跳ぶ。──その直後に爆発が起こった。

 術による爆発だ。攻撃の意志をまとい、指向性を持ってまっすぐ真横──ラミとエイネがいる方向に伸びる爆発。ラミは倒れ込むようにそれを回避し、

「──っ!」

 エイネがそれを防御した。

 防御の命数術により構築された炎の壁。いっそ熱線じみた爆発を、エイネの赤い命火が完全に防ぎ切った。無傷で対応しきったふたりの視界が、やがて晴れていく。

「よもやここまで使えないとは」

 声が、した。

 感情のない声だが、さきほどの男のように塗り潰した隠され方ではない。無というより冷徹による、それは理性と計算を感情に優先させる者の声だ。

「勝手に先走った挙句に犬死にとは、これだから狂信者は嫌いなんだ。そう思わないか、シェルナ?」

「は。そいつはアタシに対する皮肉ってヤツ? ま、だとしてもいいけど。どうでも」

 人影はふたつ、男女ひとりずつ。

 命数を使い切り、己が命火に焼き殺された男。その死体が、倒れる音がした。

 ふたりはその後ろにいる。ふたりが姿を現す瞬間を、濃青の命火の男が暴走させられる瞬間を──ラミは確かにその目にしていた。

 女のほうが、紫紺色の命火によって男を連れてこの場に現れた。その一点だけで、術者としてはラミの遥か格上なのだと知れる。片や男のほうは、女に連れられ現れるや否や、暴走していた男に手を触れた。

 おそらく、この男が暴走を起こさせた原因だろう。

 それを止められそうになったと同時、姿を現して暴走を加速させる判断に切り替えた。

 転がりながらも受け身を取って、エイネの前でかばうように立ち上がるラミ。その一切を無視するかのように、新手のふたりは会話をしていた。

「そんなつもりはないが……お陰で見つかった。厄介な、ここでコトを構える気は俺にはなかったのだが、そうも言っていられそうにない」

「どの口が言うのかねえ。初めから、そうするつもりだったクセして」

 淡々と呟く男と、それに呆れを滲ませながらも適当に答える女。

 どちらにしろ異様で、だからこそ不気味だ。鉄火場にいるという気がしない。

 それでも、この状況で問わないわけにはいかなかった。

「──お前ら、何者だ?」

 そして。問わねばならないラミと異なり。

 明確に襲った側であるふたりが、それに応じる理由などなかった。

「ラミ=シーカヴィルタと、エイネ=カタイストだな。ああ、答えずともいい。意味などないからな、こんな問いには」

 それでも応じた男が、一歩を前に出た。

 その足で、犠牲となった見知らぬ男を踏みつけながら。

 悪意からの行いではなかった。炭化した死骸など地面をう小虫も同然であり、避けずとも潰せるのだからわざわざ意識しない、ということなのだろう。おそらくは煙草たばこの火をすときのほうが、まだしも念入りに踏むはずだ。

 あまりに色のないそうぼうが、わかりたくもないその認識を見ている側に伝えてしまう。

 黒髪に、そして赤眼。夜が醸し出すわずかながら言い知れぬ不吉さを、まるで衣として纏っているかのような雰囲気があった。体格は細身で、威圧感などないというのに。

「しかし実際、どうするべきなんだろうな。こういう場合」

 男の小さな呟き。無論、それはラミやエイネに向けられたものではない。

「……どうもこうも、としか答えようがないね」

 斜め後ろに立つ女が面倒げに答えた。男とそう変わらないほどに長身の女で、美しいと評していいだろう整った容貌とは裏腹に、表情も格好もひどく活力に欠けた印象がある。

 そろって二十代、と言ったところか。若く見えるが、ラミたちの言えた話ではない

「答えを必要としていない問いを、わざわざアタシに投げないでよ。何度も言ってる気がするけどね。はあ、それでもわざわざ答えてあげてる、こっちの身になってほしいよ」

「……その前に、こっちの質問にも答えてほしいもんだがな」

 言って、それからラミは首を振った。

 どうせ答えない──いや、そもそも目の前の人物は、果たして言葉が通用する相手なのだろうか? その点からして疑問だった。

 同じ人間だとは思えないほどに、目の前のふたりは明らかな異物だ。話をしているだけで気分が悪くなってくる。同じ言語を使っていても、意思の疎通ができていない。

「答えないならいいさ。こちらの権限でお前らを捕らえる。悪いが拒否権は与えないし、抵抗するなら攻撃も辞さない。現行犯だ。大人しく、こちらに従う気はあるか?」

「ないな」

 男は答えた。

 それだけはきっと、男にとってもする意味のある返答だったから。

 そして、その答えがあればラミにとっても充分だった。

「……だったら」

 命火を──おこす。

 術者としては遥か格上。だがラミは、そもそも命数術師としての才能を買われて騎士になったわけではない。非才の身で、騎士の最高位に立っていること自体が非凡の証明だ。

「ラミ、注意して……無理に今戦わなくていい」

「……何……?」

 会話を騎士ラミに任せていたエイネが、そこで言った。

 後半を、辛うじて聞き取れるかという小声で。それにラミは目を細める。

 どういうことか。正義感以前に職務として、少なくとも騎士であるラミに、ここで目の前の犯罪者ふたりを逃すという選択肢はない。ではなぜエイネはそんなことを言ったのか。

 細心の注意を払ったまま、意識を集中して対応策を思考するラミ──そのときだった。

「──飛び降りろっ!!」

 突然の声が響く。この声にはラミだけでなく、謎の男女も驚いた様子を見せる。

 対応に差があった理由はふたつ。

 ひとつは、ラミとエイネに声の主の心当たりがあったこと。もうひとつは、謎の男女のほうに逃げ出すふたりを追いかける理由がなかったこと。

 ラミとエイネは、声のした方向へと即座に駆け出し屋根を飛び降りた。

 直後、下の道から飛んできたはくいろの炎が、ふたりと入れ替わりになるように屋根へと着弾する。

 それは攻撃ではなく、炎によって視界を誤魔化すためのもの。残された男女は、それがわかっていたからだろう、落ち着き払った様子のまま去っていくふたりを見送った。

「──逃げられたな」

「そうね。正直、助かったよ。できれば、ここで戦いたくはなかったから」

 すでに戦闘の気配で、うまたちが集まり始めている。

 それらにとがめられることがないように、やがて屋根からは誰もいなくなった。

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