第15話 雨野景太と天道花憐と回線切断

【雨野景太と天道花憐と回線切断】


 僕、雨野景太のゲームスタイルはぬるい。

 ストイックに技術を磨く根気はないし、高難易度ゲームには割合早い段階で心が折れるし、移り気だし、無思考で済む放置ゲーやクリッカー系が好きだったりもする。

 けれど、一つだけ勘違いしないで欲しいのは、決して「勝ち負けをつけるのが嫌い」なんて言っているわけじゃ、ないってことで。

「……また逃げられた」

 静止したスマホのアプリ画面を見つめて肩を落とし、額ににじんだ汗を拭う。

 陽射しの強い七月の朝。明け方まで降っていた雨のせいかひどく蒸す。

 簡素なバス停の日除けの下、一人、ゆらゆらとゆがむ車道の先を眼を細めて眺めてみる。普段ならばもう到着していいはずのバスの姿はまだ見えない。

 胸に張り付いた制服のシャツを指先でつまんでパタパタと空気を取り込む。

 こんなことなら歩いて登校すれば良かったかなと後悔するも、今更だ。

 僕は未だうんともすんとも言わないアプリを強制終了させると、再起動をかけた。

 少し前から暇潰しと気分転換を兼ねて、ゲームアプリランキングで見つけた脳トレ系ネット対戦アプリを始めたまでは良かったものの……どうにもこのゲームは「回線切断」が多くてならない。

「(……ゲーム自体は超面白いし、だからランキングも上位なんだろうけどさ……)」

 実際、脳トレゲーム部分は良くできている。数字を順番に押したり、軽い計算をしたり、間違いを探したり。単純だけに思わずムキになるゲームが、多少の対戦用アレンジを加えられて提供されており、思わず何度もプレイしてしまう。

 世界中とランダムでつながるネット対戦形式も悪くなく、勝っても負けても楽しくて理不尽感がない。そういった意味で、九割はよくできているゲームだと思う。

 ただ一点。

 回線切断対策が、一切ないことを除いては。

 アプリのちあがりを見守りながら、モヤモヤと考える。

「(そりゃ、負けたくない気持ちは分かるけどさ……このアプリ、戦績記録されるし)」

 実際、ネットを介する対戦ゲームにこの手の問題は昔から付きものだ。対戦中、敗色濃厚になった側が、ゲームの強制終了やネット回線の切断を用いてそもそもその対戦自体をなかったことにして、黒星がつくのを回避する手法、回線切断。

 当然、優勢だった側にしてみればたまったものじゃない。だから、昨今のネット対戦ゲームには相応の対策が施されている。一番オーソドックスなのは、回線を切った側が不戦敗とされ、結局は負けとカウントされてしまうシステムだ。そこまでじゃなくても、切断に多少のペナルティでもあれば、意図的な切断はぐっと減る。けれど……。

「(このアプリは、それが一切ないからな……)」

 勿論、世の中ガチな対戦ゲームばかりじゃないから、回線が切断されてもペナルティが課されないゲームも多い。けれどそういったものは、そもそもゲーム内容的に「負けてもマイナスじゃない」タイプのゲームだ。対戦を終えただけで報酬がもらえたり、敗戦のデメリットが一切なかったり。

 だけど、このアプリは違う。勝敗数が記録され、あまつさえそれがネットランキングに影響すると来た。そりゃランキング上位を目指すプレイヤーは、負けそうになったら切ってしまうというものだ。なぜなら、デメリットがないのだから。……相手を不快にさせる以外は。

「(…………負けるのは確かに面白くないけれどさ。でも、それでも……)」

 と、ぼんやり考え事をしている間にも道の先にバスの車体が見えて来た。

 僕は新しく対戦を始めることなく、アプリを閉じてスマホをしまうと、バスを待って車内へと乗り込む。――――と。

「…………っ」

 露骨に注がれた「いつもと違う注目」に、一瞬動揺し、足が絡まる。幸い軽くつまずくだけで済んだものの、周囲から注がれる視線に更に嫌なものが混じった気がした。

 僕はそそくさと前方の空いた席に座り込むと、深く呼吸を繰り返した。汗ばんだ体にエアコンの冷気が心地良い。

 バスが発進し、いつもの田園風景が流れていく。面白みの一切ない景色ではあるものの、それだけに僕の心も大分平常に――

「……ほら、来たぜ……」

「……マジかよ、あいつが……」

「……こういっちゃなんだけどさぁ……」

 ――後部座席方面からぽつらぽつらと漏れ聞こえて来る、明らかに僕をさかなにした会話。僕は一瞬びくりと肩を震わせるも、すぐに呼吸を整えて何事もなかったかのように窓の外を眺めた。ガラスに反射してうっすらと映る、えない軟弱少年の顔。血色が悪く、目の下にはうっすらとくまにじんでいた。

 ひどく感じの悪いわらい声が耳につく。……もしかしたら、これは僕の被害妄想かもしれない。が、少なくとも、不特定多数の人間から、品定めをするような居心地の悪い視線を浴びていることだけは確実だ。

 たまらず大きく溜息をくと、窓が一瞬だけ小さく曇り、すぐに消えた。再び映り込む覇気のない少年の顔。七月の暑気は僕に厳しく現実を突きつける。

「(……ま、どう考えても『釣り合っていない』よなぁ)」

 しょぼくれた童顔。貧相な体格。男気のない心根。著しく欠いた社交性。趣味は専らインドアで、「燃え」と「萌え」なら僅かながらに「萌え」を取ってしまうような生温い感性。芸能人カップルの結婚報告を聞けばまず最初に「いつ別れるかな」と考えるような底意地の悪さ。未だに異世界への召喚や転生の希望を捨てきれない中二病心。

 どこを切ってもまんべんなく出来の悪い金太郎飴みたいな高校二年生。それが僕、雨野景太だ。

 ……いや流石にそこまで悪くはないだろう。うん。卑下しすぎて自分でもフォローしたくなってきた。別に僕は極悪人だったりクズ人間というわけではない……と思う。けれど、その比較対象が「あの」天道花憐さんとなってしまうと……どうしたって分が悪い。

 天道花憐。音吹高校の……地元一帯のアイドルと言っていい、金髪きんぱつ碧眼へきがんの女子生徒。そのファンタジー世界から抜け出てきたような容姿が目をくのは勿論ながら、学業の成績や運動神経も良ければ、りんとした気質や他者への思いやりまで併せ持つってんだから、本気で天使みたいな女性だ。当然ながら男子の憧れの的であり、彼女に告白する男子生徒は後を絶たないが、また彼女がその全てを断わるものだから、余計にアイドル性は増していくばかりであり。

 …………さて、ここまで前置きした上で、一つ、衝撃の事実を告げるのだけれど。

 この天道花憐さん、実は僕のカノジョだ。

 ……待って。僕に通院を薦めるのは待って。気持ちは痛い程分かるよ。ちょっと危ない気配感じるもんね。そのうちワイドショーで「少年は被害者のことを『僕のオンナだ』などと主張しており……」と報道されそうなアレさだもんね。

 僕もそこは自分で非常に危惧していて、アレから何度も周囲に、自分と天道さんに起こったことの確認をとったのだけれど……どうやら、本当に間違いないようだ。

 つまり。

 僕と天道さんは、どうやら交際することになったらしい。

 ……自分に起こった出来事なのに「らしい」とかいう言い方をするあたりに、地獄のミ○ワキャラ的な嫌らしさを感じるかもしれないけれど、それもちょっと待って欲しい。

「(…………マジで僕、天道さんに告白したの?)」

 思わず目をつむって額に手の甲を当てる。……やはり何度思い返しても、イマイチ確信が持てなかった。

 いや、実際、僕は天道さんを呼びだしたし、彼女に面と向かって重大な「告白」をしようとはしていた。そこは紛れもない事実なんだ。

 だけど決定的におかしいのは……あの時僕が天道さんにしようとしていたのは、あくまで、「僕と友達になってください」という友達申請でしかなかったということだ。勿論「友達から始めてください」とかってニュアンスでもない。本当に心から……一緒にゲームの話とか気軽にできるぐらいの「友達」になってほしくて、あの日彼女を自分の教室に呼びだしたんだ。

 それがなぜかふと気付いた時には……僕と彼女は「付き合う」ことになっていて。

 …………

 な、何を言っているか分からないと思うけど、僕もどうなってるのか分からない。頭がどうにかなりそうだ。友達申請とか信用回復とかってそんなチャチな話じゃない、もっと恐ろしい領域に足を踏み入れたようであり……。

 いや、実を言えば、自分でも「ミス」の自覚がないわけではない。

 というのも、僕はここしばらく、彼女への友達申請の予行演習とばかりに、とあるギャルゲーをプレイしていた。で、その中で主人公の告白シーンを何度も繰り返し見たせいか、まるで上の句と下の句のように、女の子の前で「僕と」と来たら「付き合ってください」という言葉が刷り込まれてしまっていたところはあって。

 だから実際、百歩譲って僕が台詞を間違えたところまでは、まあ分かる。本来「僕と友達になってください」と言うべきところを「僕と付き合ってください」と言っちゃったような気もする。けれど、だとしたって不可解なのは……。

「(……どうして、天道さん側もOKしちゃってるんだよ……)」

 前髪をくしゃくしゃとかき乱す。

 何度考えても、そこが決定的に分からない。僕が馬鹿な告白をして盛大に散るだけなら良――くはないけれど、納得はいく。けれど分からないのは、天道さん側まで何故かこの告白を受け容れてしまっている点だ。

「(しかも彼女が公衆の面前でOKしてしまっている以上、あの場で僕が『あ、言い間違えました!』とも言い出し辛い空気になっちゃったし……)」

 そんなことをしたら下手をすれば天道さんにとてつもない大恥をかかせてしまうことになる。それだけは絶対駄目だ。そう思って彼女の様子を探ると、天道さんは天道さんで何か言いたげに口をあわあわさせており……けれど結局はそれ以上言葉を続けることもなく。

 そうしてその場はとりあえず二人、一旦周囲の混乱や注目を避けるようにそそくさと別れてしまった。それから一夜明けた現時点まで、僕と天道さんの間にやりとりはない。……カップルになっといてアレだけど、なにせ僕は彼女の電話番号やメールアドレスさえもまだ知らないのだ。

 で、当人達はこんな状態だというのに、そんなのお構いなしで学内には「天道花憐に彼氏ができた」というビッグニュースが駆け巡るわけで。……おかげで今や、僕らは外堀だけが息苦しい程に埋められているような状況だった。

 また、こういう状況で普段僕が真っ先に頼る人々……クラスで唯一の友達たる上原君や、恋愛相談役のアグリさん、喧嘩けんか相手のチアキといった面々が、これまたなぜか昨日の放課後は全員心ここにあらずといった様子だったため、全く頼りにならず。

 結果として現在「僕と天道さんが交際開始」という事実だけが一人歩き……どころか、一人猛ダッシュしてしまっている有様だった。

「(これが完全に根も葉もない噂だっていうんなら、そこまで問題視することでもないんだけれどさ……)」

 窓の外に見えて来た校舎を眺めて、何度目になるか分からない溜息を吐く。

 以前も天道さんにゲーム部へ誘われた時、軽く噂になったことはあった。けれどあの時は本当にそれだけだったから、噂なんて瞬く間に沈静化されたわけで。

 けれど今回は違う。実際公衆の面前で告白は行われ、事実として成立してしまっているのだ。だからこそ僕はこの件に関して、不躾ぶしつけな視線や嘲笑、ゲスな勘繰りや露骨な格差批判を受けた際……心がそれをうまく受け流せずにいる。

 ほら、たとえば誰かに何の根拠もなく「ばーか!」とののしられても多少イラッとするぐらいで済むけれどさ。バスや電車でウトウトしていてうっかり目の前のご老人に席を譲り損ねてしまった際に、周囲の乗客から「サイテー」と罵られたら、それは酷くこたえるでしょう? あれと同じだ。なまじ自分側に「被弾する箇所」があるだけに、たとえそれが多少行き過ぎた批判であろうと、完全には心が受け流せない。

 だから……。

「あーあ、俺も金髪美人の彼女とか超ほしぃーなぁー」

「おい、ばかお前、声でけぇってw」

「…………」

 バスの後部座席に座るお調子者男子のからかいと、他の生徒達による失笑や注目は……自分で思っていたよりも、ずっとずっと心に堪えたのだった。


「上原君。僕、今後リア充を無差別爆破するのはやめようと思うんだ」

「おう、なんの話か分からんが、とりあえず凶悪犯罪者が改心したようでなによりだ」

 朝の二年F組教室。遅れて登校してきた友人の上原君に開口一番その決意を告げると、彼は欠伸をしながらテキトーに受け流してきた。

 上原君はいつものように僕の前の席に陣取ると、周囲を見回して苦笑いを浮かべる。

「……まあ昨日の今日だから当然の話だが、とんでもねぇ注目浴びてんな、お前。こりゃ流石の俺でもたまらねぇわ。怖い怖い」

「そんな他人事みたいに……。こうなった一因は上原君にもあるんだよ? そもそも衆目がある中で友達申請しようって提案してきたの上原君でしょう」

「いやまあ、そりゃ悪かったとは思うけどよ。とはいえ、お前らが友達を飛び越えてカップル成立させるなんつーミラクル、俺が予想できるはずもねぇだろ?」

「う……そりゃまあ、想定外のことした僕ら二人が一番悪いんだけどさ……」

 言いながら、上原君の顔をジッと見る。……僕と違って相変わらず爽やかであかけた、目鼻立ちのくっきりしたイケメンだ。

「(天道さんは、この上原君のことが好きなはず……なんだけど、なぁ)」

 考えれば考えるほど、彼女が僕の告白を受けた意味が分からない。彼の気を惹くため……にしては、あまりに大胆すぎるというか、リスク大きすぎるしなぁ。うーん。

 僕が思い悩んでいると、上原君は上原君で、なぜか酷く重たい溜息を吐いた。

「……しかしこうなってくると、俺はいよいよ亜玖璃と何を話していいやら……」

「? アグリさん? 何かあったの?」

「何かあったも何も、だってアイツが好意を抱いていた相手が天道と――」

 と、そこまで溜息混じりに語ったところで、上原君は突然ハッとした様子を見せ、慌てて言葉を取り繕った。

「い、いや、なんでもねぇ」

「アグリさんが好意を抱いていた相手が天道さんと……なに?」

「お前相変わらずこういうの絶対聞き逃さねぇのな! なんでもねぇよ! えっと……じゃあな!」

「あ、上原君……」

 彼は椅子から立ち上がると、本来の自分の席へと戻って他の友人達としやべり始めてしまう。

 仕方ないので僕は周囲の注目から逃れるように窓の外へ視線をやると、ぼんやりと今の上原君の発言について考え始めた。

「(アグリさんの好きな人……つまり上原君が、天道さんと……?)」

 …………。……上原君が天道さんと…………その結果、カノジョのアグリさんと何を話していいか分からない……。…………。…………!

「(こ、これは、完全にアレだ! 天道さんと浮気したってニュアンスのアレだ!)」

 僕は思わず頭を抱える。

「(え、なにこれ、どういうこと? 前から疑ってはいたけれど……上原君と天道さんって、もう、なんか完全にデキてる感じなのこれ? となるとなに? え? 僕って今どういう立ち位置に置かれているわけ?)」

 べ、別に、僕なんかが嫉妬なんていう、恐れ多いことをするつもりもないのだけれど。えっと、一応昨日、公の場で天道さんのカレシにはなってしまったわけで。……これは一体……。……って、そうか!

「(つまり隠れみのかっ、僕との交際は!)」

 気付いてしまった恐ろしい事実に、僕は打ちひしがれる。い、いや、元々僕なんかを天道さんが好いていると思い上がっていたわけじゃないから、打ちひしがれるのはおかしいんだけど……とにかく、なぜか、ショックだ。なんか分からないけど酷く気が重い。

「(そ、そうだよね……表向きには僕と付き合っていることにしておけば、自然な感じで上原君と学校で絡めるもんね……)」

 お似合いカップルなんだから堂々と二人で付き合えばいいじゃんとは思うものの、そこは、上原君の現在のカノジョたるアグリさんに配慮してのことなのだろう。

「(いや、正直逆に残酷だとは思うけど……まあ、ある意味誰も傷付けない手段をとろうとしてくれている、のかな? うーん……)」

 普段の二人の温かく誠実な人柄を知る身としてはイマイチしっくり来ない推理で、全然確信までは至らないものの……少なくとも「天道さんが僕のことを本当に好きだった」よりはずっとずっと現実的な解釈でもあり。

「…………」

 思わずぽけーっとほうけてしまう。心に力が入らない。不思議と今や周囲の不躾な視線さえ気にならない。そんなことよりも、ずっとずっと、辛いことがあった気がして……でもそれがなんなのか、僕にはよく分からなくて。

 朝のHR開始を告げるチャイムが鳴り響く中、僕は窓の外の白樺しらかばを眺めながらぼんやりと考える。

「(…………告白、撤回させて貰おうかな……元々ミスなんだし…………は

ぁ……)」

 片想いの初恋さえも満足にできていないのに……その相手へ今や「別れ」の切り出し方を考えなきゃいけない自分が、酷くみじめだった。

「(…………まずい、本気で胃が痛い)」

 三時限目の授業を終えたところで、僕は思わず腹部を手で押さえながら席を立った。

 ちらりと上原君の方を見る。彼は、どうやらいつものように周囲に集まってきた友達の会話に忙しいようだ。

「(よし、今のうちだな)」

 ずっと迷惑かけ通しの彼に、これ以上無用な心配はかけたくない。僕はそっと気配を消して教室を出ると、一路保健室を目指した。

「(しょうがない……胃薬貰ってこよう……)」

 目立つことがとにかく嫌な性質上、保健室にもあまり積極的にお世話にはならない僕なのだけれど、流石にガチな体調不良で必要以上に遠慮する理由もない。それにこの症状は明らかに胃酸過多。荒れた胃を修復する薬を一包貰えばそれで済む話なのだ。

 少し気を抜けばふらつきそうになる中、うつむき、床を見つめながらも、なんとか気力だけで廊下を歩く。

 ――――と、突然その視界に新品同然の綺麗な上履きが飛び込んできた。

「っと」「あっ、すいませんっ!」

 気配には自分なりに充分注意していたつもりだったのだけれど、人とぶつかりかけてしまった。

 僕は咄嗟とつさに謝りながらも、一度頭を上げて相手の顔を確認――

「……あ」「……あ」

 ――したところで、思わず、静止してしまった。

 輝くブロンドがふわりとなびき、大きく輝くブルーの瞳が僕を映す。

 ――天道花憐。

 学園のアイドルどころか地元一帯の頂点的存在にして……今や僕のカノジョさんたる女性が、そこにいた。

『…………』

 お互いフリーズしたようにただ顔を見合わせたまま、ただただ時間だけが経過していく。

 ……何を言っていいのか、まるで分からなかった。

「(お、おはようございます? こんにちは? ご機嫌如何ですか?……違う、そうじゃなくて、でも、あれ、僕って天道さんとどう接してたっけ? っていうかいや、まずなにより昨日のことを……どうするんだ? 何を言うつもりだ僕。や、違う、なんにせよ、まずは、そう、挨拶から――)」

 一瞬のうちに様々な思考が巡った末、僕は「おは――」と口を開きかける。

 が、その瞬間――僕はようやく、周囲からの凄まじい注目に気が付いた。

「――――っ!」

 気付けば……廊下のその場に居合わせた生徒全員が、僕らの成り行きを、固唾かたずを飲んで見守っている。……駄目だ、余計に、言葉が、喉に引っ掛かる。なにより……。

「……あ、雨野君? 大丈夫? 顔真っ青――」

 天道さんが心配げに僕に手を伸ばしてくれる。なんて……なんて優しい人なのだろう。僕は自分のことだけでこんなに一杯一杯なのに。自分だって、同じ状況のはずなのに。それなのに、こんな駄目な僕なんかの頬に手を――

「っ! あ、っと、すいません天道さん! 僕ちょっと、今、急いでいるので! えっと、その、また!」

 天道さんの手を思い切り避けるようにして一度引き、直後、そそくさとその脇をすり抜けてる僕。

 天道さんが戸惑いながらも……どこか寂しげに、ぽつりと声を漏らす。

「え? あ、え、ええ……また……」

「(ごめんなさい、天道さん!)」

 彼女に対するあまりに失礼な行動に、自分で心底辟易へきえきしつつも。

「…………」

 僕は、天道さんの背後でシャッターチャンスとばかりにスマホを構えていた女生徒を軽く視線で牽制けんせいすると、急ぎ足で保健室へと向かったのだった。


 結局薬が良く効いて胃痛自体はすぐに収まったとはいえ……やはり掛け値なしに、僕の高校生活始まって以来最も辛い一日だった。

 天道にカレシができたんだってよ、雨野って子らしいわよ、見てみようぜ、いいわね、おいおいアレかよ、なんかガッカリね。

 他者からの期待と落胆を何度も繰り返し受ける恐怖。

 ただ羨望の眼差しを受けるのとも、ただ馬鹿にされるのとも違う。他人の「失望」というのは、ある意味人の心に最もダメージを与えるものなのだと、僕は今日初めて知った。

「(今後、美少女複数人にモテまくるラブコメ主人公を見る目が変わりそうだよ……)」

 彼らって実は凄まじく強靱きようじんなメンタルしているんじゃないだろうか。よくもまぁこういう視線に囲まれながら「たはは、困ったなぁ」ぐらいで済ませられているものだ。

「……お前、痩せた?」

 放課後、HRを終えて机にぐったりと体を預けていると、肩に鞄を提げた上原君が心配そうにやってきた。僕はゆっくりと彼を見上げて、にこぉっと力なく微笑む。

「一周回って、リア充は、むしろ爆発した方が幸せなんじゃないかと思い始めました」

「末期にも程があるなお前。あと、一つ言っておくと、今のお前の状況はリア充業界でも屈指の難易度を誇るタフな上級者用コースだ。素足に革靴履ける御仁でもなきゃ、その状況で通常営業なんざ、とてもとても」

 上原君と二人、大きく嘆息する。僕は身を起こし、気分を切り替えるように彼に訊ねた。

「あれ、今日はゲーム同好会は……」

「ああ、流石にやめとこうぜ。互いに気力が尽きすぎている」

「? 互いに?」

 僕の理由は言わずもがなだけれど、上原君側には何かあったのだろうか? 僕の状況を心底心配して……という風でもなさそうだけれど。

 僕は首を傾げるも、上原君はなにやら答えてくれる気が全くないらしく、少し不自然なぐらい強引に話を進めてきた。

「っつーことで星ノ守にもさっきメールしといたんだけどよ。けどあいつ、今日はお前と二人でちょっと話したいことあるんだってよ」

「チアキが僕に? 珍しい……というか気持ち悪いね。なんだろ……」

「大方、今のお前の状況に関連したことだろ? その話、俺も多少興味あるけど……」

「なんで上原君が?」

「いや、やっぱいいわ。今は俺、お前らのラブコメを心から楽しめる気がしねぇ。普通に帰るわ。雨野、星ノ守の連絡先、知ってたよな?」

「え? ああ、以前上原君に無理やり交換させられたから一応……」

「じゃ、あとはお若い二人でご自由に。じゃーな」

「え、あ、うん、ばいばい……」

 上原君のどこかしょぼくれた背中に手を振る僕。……? どうしたんだろ、上原君。冷たいわけではないんだけど、素っ気ないというか、ぎこちないというか。やっぱり、僕と天道さんが付き合うの、嫌なのかな? うーん、よく分からない。

 僕はポケットからスマホを取り出すと、少し躊躇ためらいつつも、チアキに無題で「どこで会う?」とだけメールした。すぐに返ってきたメールには簡素に「図書室で」とだけある。僕は嘆息し鞄をつかむと、人の視線を避けるようにそそくさと移動を開始した。

 音吹高校の図書室は利用者が極めて少ない。この荒れた学校ではそもそも本に興味あるような殊勝な生徒が少ないのに加え、厳しいことで有名な進路指導の教師が高確率で出没することもあって、たまり場としても非常に利用しづらいのだ。

 また、開放時間が妙に限定的なので、僕みたいなぼっちの生徒の避難場所としても、安住の地とは言い難い。

 しかしそれだけに、開いてさえいれば人が少なくて静かという非常に快適な「穴場」ではあり。

「(そんな図書室を指定してくるあたりが、僕と同類のチアキだよなぁ……)」

 安くて長時間粘れるファミレスや喫茶店にばかり妙に詳しいアグリさんとは対極だ。

 カラカラと滑りの良い戸を開く。カウンターの中から図書委員と思しき三つ編みの女子生徒が眼鏡をキラリと光らせて見て来たものの、僕が無害そう(騒ぎそうもないぼっち野郎)と見てとると、何も言わず自らの手元に視線を落とした。何やら読書中らしい。

 僕はそっと戸を閉め、室内に歩を進めながらチアキを探す。机の並ぶ一帯には、数人ノートを開いた生徒がいたものの、ざっと見たところチアキの姿はなさそうだった。

 仕方ないので、書架の並ぶ方面へと足を向ける。

「(……久しぶりだな、図書室来るの。……ああ、天道さんや三角君とゲーム部見学行く時に待ち合わせで使って以来か)」

 元々読書は嫌いじゃない。嫌いじゃないけど、僕の中でゲームよりは優先度が低い。そのため積極的に図書室を利用する人間ではないものの、この独特な魔力を伴った静けさ自体は非常に好きだ。

 紙の匂いとページをめくる音だけが木霊する、世間の喧噪けんそうから隔絶された空間。

 こういった場所での読書は、ゲームとはまた違った没入感をもたらしてくれる。……完全なる、「一人」に、なれる。

「(……何か、読もうかな……)」

 ふとそんな気分になった僕は、たまたま脇にあったライトノベル棚から一冊手にとって、パラパラとページを捲ってみた。少し古めのラブコメ作品だ。表紙イラストの美少女には時代が感じられ、中の紙も薄茶色に変色している。

 で、内容はと言えば……これまた王道の、冴えない主人公が転校生の美少女に気に入られたり、同居することになったり、幼馴染の女の子に嫉妬されたりする話だ。決して深く感動したりする類の話ではないけれど、やはり読んでいて楽しい気持ちにはなるし、不思議な安心感がある。要は「萌え」を愛する僕の好物だ。けれど今は……。

「(この主人公の彼は……現実問題、本当に幸せなのだろうか?)」

 創作で楽しい部分だけ読ませて貰っているからいいけれど、実際この主人公は「美少女達に好かれる」というたった一つのご褒美のためだけに、数多くのものを失っている。たとえばこの一巻の展開で、諸事情あって質に入れられてしまったヒロインの思い出の髪飾りを主人公が必死に一ヵ月バイトして買い戻す展開があるのだけれど。これ、読者としては気持ちいいことこの上ないけど、実際この「一ヵ月バイト」というたった六文字の中には、主人公の色々な犠牲が隠れているわけで。

「(僕だったら……趣味のゲーム時間や、ゲーム同好会での楽しい一時を、一ヵ月完全に失っているようなものだよな……)」

 今までだったら、そんなこと深く考えもしなかった。当然だ。あくまで創作、ファンタジーなんだから、読者としては実際それでいいのだ。何も間違っていない。

 けれど……自分の身に半ばファンタジーじみた出来事……「地元のアイドルと交際が始まる」なんてことが降りかかってしまった以上、考えざるを得ない。

 僕は、本当にこのままで、いいのか、と。

 言い間違いから始まった交際をズルズルと続けていいのは、楽しい部分だけピックアップできるエンタメ創作内だけの話であって。現実には……それに付加した辛いことが多すぎるのではないか。確かな覚悟もなく続けるべきことでは、ないんじゃないか。

「(……言い間違いだったと素直に吐露して白紙に戻すのが、誠意、なのかな? いや……どんな事情があったところで、告白の撤回とかいう最低行為に誠意もクソもないんじゃないのか? でも……)」

 まるで、ゲーム部への誘いを断わった状況の再来だった。今、僕の日常と異常が天秤にかかっている。ということは、あの時の自分に倣うなら実際僕はやはり――。

「ケータ?」

「っ」

 突然声をかけられて、僕はびくりと振り返る。と、そこには……不思議そうに僕の様子をうかがう、ワカメ頭オタク女子――星ノ守千秋の姿があった。

 彼女は不審そうに僕の顔と手元を交互に眺める。

「えとえと、その、ラブコメラノベの表紙見つめてそんなにシリアスな顔している人、自分、初めて見たのですが……」

「え? ああ、べ、別に大した意味は……」

「まさかまさか、ケータ、今の自分をラブコメ主人公と重ねてアンニュイな気分に浸るなんていう、凄まじくキモイ行為にふけっていたんじゃ……」

「ぐ……!? ま、まさかぁ」

 ぴゅーと口笛を吹きながら、書架に本を戻す。……背中にチアキからの冷たい視線が突き刺さっているのがよく分かる。……ここはさっさと話を切り替えなければ!

「さ、さて、チアキ、僕になんの用事かな?」

「ケータのラブコメ主人公気取り疑惑についてです」

「嘘つけ! なに掘り下げようとしてんだよ! 相変わらず性格悪いな!」

「性格悪いとは失敬な。自分はケータ以外に悪意を向けたことなんて、数える程しかありませんよ! 特に上原さんの前ではそれはそれは可愛い乙女モードですよ!」

「人はそれを猫かぶりと言うんじゃないかな!」

「まるで自分をケータの前でだけ本音出すツンデレヒロインみたいに言わないで下さい! 逆です! 素は素直で純情な乙女で、ただケータ相手の時だけ、獰猛どうもうな虎の着ぐるみをまとっているだけなのです! がおがお!」

「なんでだよ! 脱げよ!」

「脱がせるのはケータ側の仕事ですぅ!」

「いやいやそこは自分から脱いでこそ――――」

 とそんなやりとりの途中で、図書室のカウンターの方から大きな咳払いが聞こえてきた。そこで、自分達が一部だけ聞くととんでもないやりとりを交わしていたことに気付き、顔を真っ赤にして身を縮こまらせる僕ら。僕とチアキは相手から見えない位置取りにもかかわらずぺこりと頭を下げる。……たった今激しい喧嘩を演じておいてなんだけど。基本的には気弱なのだ、僕らは。

 しばらく二人でしょんぼりした後、すっかりテンションダウンしながらも、それが故に落ち着いて、人の滅多に来ない図書室隅へと移動してから僕は切り出す。

「それで、実際どうしたのさ。チアキが僕に二人きりで用事だなんて」

「え、あ、そのその、えーと……」

 と、なぜか自分から呼びだしてきたクセに気まずそうに視線を泳がせるチアキ。

「? どした? えーと、なんか込み入ったゲーム制作相談とか?」

「い、いやいや、そういうんじゃなくて。その……恋愛方面というか……」

「ああ、やっぱり僕と天道さん絡み? でもチアキには特に関係も……」

「あるんです!」

「わ」

 突然ぐいっと前のめりに迫ってきた彼女に、顔が近くて僕は不覚にもドキリとしてしまう。と、とはいえ、あれだ。そ、そう、たとえば相手がおっさんでも、いきなりこの距離に近付かれたら動揺するだろう。だ、だからこれは、僕がチアキを意識しているとかじゃ、断じてない。チアキ側だってそうだろう。そうなのだけれど……僕らは互いに頬を染め、俯きながら少し距離を取った。…………なんだこの気まずさは。

 チアキはこほんと咳払いをすると……目をキラリと光らせて本題を切り出してきた。

「ケータ、ちゃんとあの時起こったことの意味、分かってますよね?」

「意味? え? まあ……そりゃ、当人だからね」

 何を言われているのかイマイチ分からなかったものの、チアキにあまり弱みを見せるのはしやくなので、しっかりと目を見返して頷いてみる。すると彼女もまた真剣な様子で「ですよね……」とひとりごちてから続けてきた。

「ありがたいですよね……天道さんの……『厚意』」

「え。いや、う、うん、そりゃ『好意』はありがたいけれど……。そ、そんな、ハッキリ言わなくても……」

 状況が混沌としているとはいえ、改めて「好意」だなんて言われると、流石に照れる。

 が、チアキは他人事なせいか、まるで躊躇ためらうことなく強く迫って来た。

「いえいえ、ここは変に勘違いしないよう、ハッキリさせとかないといけないところですよ、ケータ。天道さんの告白受領は、あくまで『厚意』なのだと!」

「い、言わなくていいって!『好意』だってのは分かったから!」

 なんだこの辱めは! カップルや新婚いじり的なアレか!

 僕がほとほと困り果てていると、チアキはなにやらハッとした様子で引き下がる。

「そうですか。確かに、言わずもがなのことをクドクド言われるのはうざいですよね。そこはすいませんでした。配慮がちょっと足りなかったかもです」

「い、いや、別にいいけど……」

 なんなんだ一体。何をしにきたんだこの女は。……ああ、嫌がらせか。そりゃそうか。

 僕が納得していると、チアキはなぜか爽やかな表情で続けて来る。

「それにしても、まさに『神の一手』でしたよね、天道さんのアレは」

「は、はぁ……まぁ、ある意味、そう、なのかな? 劇的ではあったけど……」

「あれのおかげで、ケータを食い物にしていた女に強烈な牽制を入れられたわけですからね……いや、見事ですよ……自分、れちゃいそうでした」

 目をキラキラさせて天道さんへの憧れを語るチアキ。……いやそれはいいんだけど……。

「? 僕を食い物にしていた女に牽制?」

 それは、何の話だ。僕が首を傾げていると、チアキが「しまった」という顔をした。

「え? あー……いえ、なんでもないです。ごめんなさい。じ、自分、ケータの敵ですけど、ただ無闇に恋愛話で傷付けるつもりだけは、ないのです。そこは信じて下さい!」

「はぁ。……えーと、それで、僕が食い物云々うんぬんって話は一体……」

「気にしないで下さい! えとえーと……ケータが幸せだったなら、それはそれでいいんじゃないかな! うん! 思い出を無駄に汚す必要ないと思う! い、いいじゃない! アグリさんは素敵な方でした! ただ、ケータのカノジョではなかった! それでいいじゃないですか! 何か問題あります!?」

「? は、はぁ、確かにアグリさんは僕のカノジョじゃないけど……」

「そうですか! ケータも既に、そこまで区切りがついていましたか!」

「そりゃつくでしょ。事実としてカノジョじゃないんだから……」

「ですよね! いやいいと思いますよ、自分! そのスパッと爽快な切り替え!」

「いやスパッと爽快に話を切り替えまくっているのはむしろそっちじゃ……」

 舌をペロッと覗かせて親指をぐっと立てて来るチアキに呆然とつぶやく僕。……えーと、こいつって、こんなキャラだったっけ? いや、チアキは僕との関係性はぐいぐい変わるから、彼女の口調が安定しないのは今更なんだけどさ。

 それにしてもこの会話は一体なんだ。僕が食い物云々の話はどこにいったんだ。……いや、あれか。これは僕やチアキ特有の、会話スキルが絶望的が故の話が飛ぶ現象か。好きなゲームの話をする時、とにかく先を言いたくて言いたくて、一本ちゃんと説明し終わる前に他の類似作品名とか出しちゃって相手を戸惑わせるアレか。

「(チアキのことは嫌いだけれど……まぁ、なんか彼女なりに気遣ってくれているみたいだし、僕にもその手の傾向はよくあるから、とりあえず、話を合わしておくか)」

 僕はそう決意すると、にこっと珍しくチアキに対して微笑みかける。

「ありがとうね、チアキ(なんかよく分からないけど)」

「え!? あ、え、い、いえ、そ、そんな、自分なんて……」

 途端、チアキはなぜか頬を紅くし、あせあせと前髪をいじり……それこそ、上原君に対する時みたいにもじもじし始める。

「あの、べ、別に、ケータのためなんかじゃないんですからね――って、ああ、この言い回しアレすぎです! えとえと、その、実際は自分なりにケータを想ってのことなんですけど――って、ああっ、素直な言い回しの方がやっぱりアウト気味っぽい!?」

「お、落ち着きなよ、チアキ」

 目をグルグルさせて頭を抱えてしまうチアキ。……なんだろう。これまでは憎々しさだけが勝っていたけれど、改めて彼女のこういう側面を見ると……僕はやっぱり、落ち着く。人間味が感じられるから、だろうか。

 チアキは素早く深呼吸を繰り返すと、目をキリッとさせながらも頬の赤みは引ききらないまま仕切り直してきた。

「とにかく、ケータがちゃんと分かっているのなら、自分はそれでいいんです」

「うん、分かってる分かってる。僕はちゃんと分かっている。全部分かっている」

「まったく、敵である自分にまで心配かけさせないで下さい」

「うんうん、こればっかりは僕も反省です。今後は注意しようと思います」

「本当ですよ。とにかく、天道さんの『厚意』を無駄にしないように!」

「は、はい、えと……『好意』は無駄にしません!」

 自分で「好意」とか言うのは流石に恥ずかしかったものの、そう言わないとこの話が終わりそうもなかったため、テキトーに合わせておく。まあチアキにも、上から人間関係についてアドバイスしたい時があるのだろう。僕はぼっちを僅かながらでも先に脱出した先輩として、それを温かく見守ろうじゃないか。……わけは分からないけど。

「じゃ、じゃあ……今日はその……この辺で」

「え? あ、うん、じゃあね、チアキ。ありがとう、色々!」

「っ! ど、どういたしまして……」

 ぺこりと頭を下げて、そそくさと去って行くチアキ。僕は彼女の背をぼん

やりと見守りながら……ふと、あることに気が付いた。

「(あ、今日は一切ゲームの話をしなかったな……チアキと僕)」

 互いに、ゲームの話題しかもたなかったぼっち同士のくせに。ゲームにしか共通項の無かった、二人だったのに。…………。

 …………いや、別に、だから、何ってわけでも、ないんだけど。……うん。



「あまのっち爆発しろ」

 開口一番、アグリさんが得体の知れない飲み物を手ににらみつけてくる。

「…………すいません」

 僕はとりあえず謝罪しつつ、テーブル席の反対側へと腰を下ろした。

 いつもの、不定期で開催されるアグリさんと僕の放課後り会。

 今日はいつにも増して唐突にアグリさんにメッセージアプリで呼び出され、ほとんど自宅付近まで下校していたにもかかわらず急いでこの低価格帯ファミレスへと馳せ参じた次第だったのだが……理不尽にもというか、むしろいつも通りにというか、アグリさんは実に不機嫌そうだった。

 僕は自分の飲み物をドリンクバーに取りに行くこともなく、背筋を伸ばして彼女と向き合う。……強く脱色した髪色や小麦色の肌といったギャルギャルしい要素を多分に持ちながらも、それらに負けない程整った顔立ち。要は美人さんであり、僕みたいなオタク野郎とは通常絶対接点がないタイプなのだけれど……それでも不思議と、彼女と二人でお茶をするというこの状況を僕が光栄に思ったことは一度もない。

 理由は……まあ、説明しなくてもいいかな。多分、これからのやりとりとか見て貰えれば、自ずと伝わるかと思う。

 僕は、しばらくの沈黙の後、この数ヶ月で僕なりに学んだ「当たり障りの無い会話の切り出し方」を試してみることにした。

「えっと、今日は暑かったですね――」

「ハッ、そりゃお熱いでしょうね新婚さんのそちらは。末期なうちと違って」

「…………」

 いきなりかまされて閉口する僕。……カノジョまでできたのに、僕の「対異性コミュニケーション力」はまだまだらしい。というか、不機嫌な女性相手には「近付かない」が一番妥当な選択肢だという気さえしてきた今日この頃だ。

 とはいえ、今回はもう遅い。僕は席に着いてしまった。ここから無闇に帰宅しようとするのは、腹が減った熊に背中を見せるようなものだ。辛くても、目を合わせて対峙たいじしながら、ジリジリと逃亡手段を探らねば。

 謎の液体(恐らくドリンクバーで色々ミックスしたもの)をストローで淡々とすする不気味なギャルを目の前に、僕は途方に暮れながらもなんとかコミュニケーションを試みる。

「た、確かに僕、人生初交際始まったみたいなんですけど、まだまだ分からないことだらけですので、今後ともアグリさんにはご指導ご鞭撻べんたつの程頂ければと……」

「ハッ! 熱々の初々しい新カップル様に、亜玖璃が……交際を半年以上経てなお大して関係の進展もなく、けれどそれを『自分を大切にしてくれてるのね』なーんて解釈していたら、そのカレシが現在絶賛浮気三昧ざんまい中と判明したこのたいのピエロ亜玖璃様が、地元一の美少女をゲットしたリア充キングあまのっち様に何かアドバイスできることなど、あればよござんすけどねぇ!」

「なんかホントすいませんでした」

 テーブルにゴンッと頭をつけて謝る。……まあ実際、アグリさんと上原君のカップルを応援すると約束していた以上、僕にもそこの責任はあると思うし……。

 ――と、流石にこのあたりでアグリさんも八つ当たりをやめ、「いいよ、もう」と腕を組んで困り顔で苦笑した。

「ごめんごめんあまのっち。気にしないで。二割冗談だからさ」

「案外冗談成分少ないですね!」

「そりゃそうだよ。……流石のアグリも、祐の浮気が確定した状況でまで、ヘラヘラはできないよ……」

「そ、そうですよね。えと……でも、確定って?」

「ああ、あまのっちにまだ話してなかったっけ。えっと、あまのっちには悪いのだけれど、例の告白イベントの時、亜玖璃、祐の様子をうかがっててさ。それで……」

 そのまま、昨日のアグリさんの思惑と結果報告を聞く。亜玖璃さんらしく色々話が脱線してややこしくはなっていたものの、要は、天道さんやチアキといった女性達が集まるあの状況の中、アグリさんは「上原君はきっと浮気相手の方を見るはず」と考えていたらしい。で、結果として……上原君は、アグリさんの方を見た。

 一見ハッピーエンドっぽいのだけれど、アグリさんの推理には続きがあって。というのも、あの状況下で上原君がカノジョのアグリさんの様子こそを窺う……それも「気まずそうに窺う」というのは、むしろ、「複数の女性と浮気しているが故、浮気相手単体の様子よりも、カノジョの様子こそを優先的に窺った。つまりナンパ野郎の思考」らしい。

 僕的にはその推理は流石にちょっと走りすぎかなと思ってそう指摘したものの……。

「アグリもそう思っていたけど、でも、実際あの時の祐の目はガチで泳いでいたんだよ! 物凄く激しい動揺が見られた! 自分のカノジョと目が合ってあそこまで動揺する理由なんて……むしろ他に思いつかないけど!?」

「た、確かに……」

 アグリさんの剣幕に押されたのもあるけど、それ以上になんだか理屈にかなっている気がして、結局は僕も納得してしまった。

「(……うん、上原君がアグリさんと目が合って激しく動揺する理由なんて……確かに、何か後ろめたいことがある、ぐらいしか思いつかないかも)」

 僕が黙り込んでしまうと、アグリさんが両手で謎ドリンクを握り、大きく嘆息した。

「はぁ……。なんだかあまのっちと関わりだして以降、亜玖璃、下り坂を転げ落ちるばかりだよ……」

「ひ、酷いですね。人を疫病神か何かみたいに……」

「でも、実際天道花憐も星ノ守千秋も、あまのっち経由で祐とつながったようなもんじゃん」

「う。い、いや、でも、どっちに関しても僕をきつけたのは上原君……」

 と、そこまで言ったところで、今度は僕の推理……「僕が上原君の浮気の隠れ蓑に使われている説」が後押しされてしまったのを感じて、ずーんと落ち込む。

 そんな僕の様子を見てキョトンとした顔で理由を訊ねてきたアグリさんに事の次第を説明すると、今度は……アグリさん側が、何か気を遣った様子であせあせと喋り出した。

「あ、で、あも、あまのっちのことはアレだよ。祐、本気で友達だと感じていると思うな、うん!」

「……そうでしょうかね。もしかしたら、いいように使われているだけだったんじゃ……」

「い、いやいや、そんなことないって。だってあまのっちって、実際全然本来の祐の友達タイプじゃないもん!」

「……………………ぐす」

「ああっ!? いやそうじゃなくて! だ、だからこそ、そんなあまのっちとの交流が、ニセモノなはずないっていうか……」

「……でも隠れ蓑に使うなら、友達として一切思い入れのない相手を選びますよね……」

「ぐ!? そりゃそうかもだけど……。…………」

「…………」

 沈黙が降りるテーブル。負け組達の晩餐ばんさんにも程があった。もはや、同じ男に振られたオンナの集いみたいになっている。

 が、アグリさんはなにやらイライラとした様子でテーブルをドンッと叩く。

「ネガティブ思考うざい!」

「それ今のアグリさんが言います!?」

「と、とにかく、あまのっちは大丈夫だよ! あまのっちは、いいやつだもん! ホントにいいやつだもん! 絶対、祐は大事な友達だと思ってるって! 亜玖璃を信じて!」

「そ、それを言うなら、アグリさんだってそうです! 僕から見て、アグリさんは凄くいいカノジョさんです! 可愛くて優しくて面倒見よくて一途で……だから絶対、上原君の気持ちはアグリさんにありますよ! 僕を信じて下さい!」

 そのまま二人、瞳に強い意志をたぎらせながら、ぐぬぬと睨み合う。そうして……しばらく経過したところで、なんだか可笑しくなって、二人、思わず噴き出してしまった。

「まったく……傷のめ合いにも程があるね。まあ、楽しいからいいけどさ」

「まったくです。まあ世の中厳しいんで、いいんじゃないですか、この負け組会でぐらい、傷の舐め合いしてたって」

「負け組会って。色々ツッコミたいことはあるけれど、特に、昨日美少女と付き合うことになった男子の口から出る言葉では絶対ないじゃん。それで負け組なんて言ってたら、ガチで殺されても仕方ないレベルだよ?」

「いや、それなんですけどね……」

 僕は嘆息混じりに、今日という一日の話をする。と、アグリさんの目には徐々に憐れみが浮かび始めた。

「……まあ、確かに、あまのっち的にはキツイ相手かもねぇ、天道花憐」

「ちなみに、アグリさん達は付き合い始め、からかわれたりしました?」

「うん、友達とかに相応にはねー。けれど、あまのっちみたいに全然関係ない人にまで注目はされないよ。あまのっちだって、全く知らない生徒同士のカップル見たって、別段何とも思わないでしょ? たとえ見た目的に美女と野獣カップルだったってさ」

「確かに。……やっぱり、天道さんがカノジョっていうのが特殊なんですね……」

「まあ、音吹での天道花憐じゃね……単に綺麗ってだけの女でもないしね……」

 言って、ストローでちうーと謎の液体を啜るアグリさん。

「……って、まずっ!」

「今頃気付いたんですか!?」

「う、うん……。これまで全然味感じてなかった。恐ろしいね、恋の悩み」

「そ、そうですね……」

 本当に怖い。うまくやれば、世界一の激辛料理とか完食できるんじゃなかろうか。

 アグリさんはそのままヤケクソみたいに「えいや」と謎ジュースを飲み干すと、そそくさとドリンクバーに向かい、新しく口直しの烏龍茶うーろんちやを調達してきた。ついでにと、珍しく僕の分まで持って来てくれる。

 二人、烏龍茶を飲んでホッと一息ついたところで、アグリさんは「で?」と切り出してきた。

「あまのっちは結局どうしたいの? やめたいの? 天道花憐との交際」

「そ、それは……」

 ぐっと答えに詰る。アグリさんはどこか気楽な様子で続けてきた。

「あまのっち的には、そもそも言い間違いで始まった交際な上に、天道さんの気持ちは祐にあって、浮気の隠れ蓑に使われているという解釈なんだよね?」

「まあ……そうですね。確信しているって程じゃないですけど……」

 天道さんや上原君がそこまで酷い人だとは到底思えない。けれど、人にはそれぞれ「仕方のない事情」ってのが色々あるのも事実なわけで。

 とはいえ……そこをおもんばかりつつ天道さんと表面的な交際を継続できる程、僕も器用な人間じゃない。

 僕は烏龍茶のグラスを握り込んでしばし俯いた後……改めて真剣にアグリさんの目を見て、相談を持ちかける。

「やっぱり、ちゃんと言って別れるのが『誠意』なんですかね?」

 僕のその、核心に迫る質問に対し。

 アグリさんはと言えば……すっかりファミレスのソファーに背中を預け、片手で烏龍茶を持ってストローを口にしながら、極めて軽く答えてきた。

「さあねー。亜玖璃そんな状況になったことないから、正解とかわかんないわー」

「で、ですよねー」

 そりゃそうだ! っていうかこの状況になった人なんて、世の中にそうそういるはずがない。僕は何を他人に期待しているんだ、まったく……。

 ぼくがしょんぼりと肩を落としていると……突然、アグリさんはぽつりと続けてきた。

「でもまあ……少なくとも、その答えが『誠意』とかには、亜玖璃は思えないかなぁ」

「え? ど、ど……それは、どういう意味で……」

 何かとてつもなく重要なことを言われた気がして、思わず訊ね返す。

 しかしアグリさんは「さあ?」と素っ気なく首を振った。

「ただ、なんとなくの亜玖璃の感想。それ以上に説明とかしようもないし、だから、十分後に同じ質問されたら全然違う答え返すかもしんないって気もする」

「そんな無責任な……」

「そもそもあまのっちの恋愛に亜玖璃が責任取る必要なくない? っていうか、恋愛相談には乗るけどさ。そういう大事な核の部分まで、あまのっちって、他人の意見で決めるつもりなわけ?」

「!」

 ドキリと心臓が跳ね上がる。…………そうだ。何を甘えてんだ、僕は。よしんば傷の舐めあいまでは許されても……アグリさんに何でもかんでも依存するのは違うだろう。

 僕はアグリさんの目をしっかりと見返すと……一度、深々と頭を下げた。

「……ごめんなさい。今の相談は、聞かなかったことにして下さい」

「ん、よろしい、及第点」

 アグリさんと二人、にこっと微笑み合う。

 それから僕らは、しばらく全く恋愛に関係のない雑談を繰り広げると。

 約十分後には、一切の後腐れもなく「じゃ、また」とすっぱりと別れてそれぞれの帰途へと着いた。

 家に着くと、夕飯までの間は、いつものように弟と軽く対戦格闘ゲームをして過ごした。

 ただただ、何も考えずに、ぼんやりと。

 戦って、負けて、戦って、負けて、戦って、負けて。

 そうして、数十分後。

「…………ああ、そうか」

「? どうしたのさ、兄さん」

「ん、いや、なんでもない。次は負けないぞ」

「はっはー、目下七連敗中の人の台詞とは思えませんねぇ」

「うっさい」

 本当に驚く程の日常でしかない、そのゲーム風景で。

 不思議と……僕の中で、自然と天道さんとの交際に関する結論が、出たのだった。


天道花憐


「あ、雨野君が放課後に私を呼び出し……ですか?」

 私がぜんと訊き返すと、隣を歩く星ノ守さんは少し緊張気味にこくりと頷

き返してきた。

 朝の音吹高校二階廊下。登校してすぐ思いがけず星ノ守さんに声をかけられた私は、周囲の注目を避けるため二人で教室を出ていた。そうして人通りの殆どない実習室群前の廊下に差し掛かったあたりで本題に入ったはいいのだけれど……。

 あまりに想定外だった星ノ守さんの用件に私が動揺していると、まだ私相手に硬さの取れない人見知りの彼女は、髪先をくるくると指でいじりながら答える。

「そ、そそ、そうなんです。ケータ、あの、天道さんの連絡先を知らないからって、自分に朝、メールで伝言を頼んできていて」

「そ、そうなの。……まあ確かに、本人来ると今はアレよね」

 昨日の不意打ちバッティングを思い出す。……そして、顔色の悪い、雨野君を。

 ずきりと胸が痛む。私はそれを誤魔化すように話を続けた。

「えと、それで雨野君の用件は……」

「あ、そこまではちょっと。でもまあ……その、やっぱり交際に関することじゃない、ですかね?」

「そ、そうよね。そりゃそうよね」

 ドギマギとしながら応じる私。……交際宣言から既に二日。本来なら真っ先に二人で色々話さなきゃいけないというのに、私は相手の連絡先を知らないことや忙しさを言い訳に、彼と話し合うのをずっと避けてきてしまっていた。

 理由は二つ。一つめは……情けない話だけれど、単純に恥ずかしいからだ。雨野君と交際についての話をしようとしたら、私はきっと赤面してパニクってしまう。……今だって彼のことをちょっと考えただけで頬が熱くなるのだから、これは確実だ。

 そしてもう一つの理由というのが……。

「…………雨野君、やっぱり、交際は取り消したいとか……なのかしら」

「? はい? えっと、それはどういう?」

「あ、いえ……」

 首を傾げてくる星ノ守さんから、思わず視線を逸らしてしまう。

 ……実際のところ、私は、雨野君の告白は何かの手違いなんじゃないかと疑っていた。

「(だって……おかしいもの。彼が私を……だなんて)」

 その、えと、百歩譲って、私の返事の方はいい。前日に聞いた飲み屋の挨拶が頭にこびりついてしまっていたりとか、三角君のアドバイスとか……まあ色々な要因のせいでかなり早まった馬鹿な回答してしまったとはいえ、その、まあ、気持ち自体に嘘はないというか……こほん! とにかく、私側の話はいいのよっ、ええ!

 でも問題は、雨野君の方だ。彼が私にあの状況で愛の告白をしてきたというのが、どうにもしっくり来ていない。

「(正直、手違いや言い間違いだったと言われた方が筋が通るし……なにより……)」

 ちらりと星ノ守さんの様子を窺う。私の隣を緊張した様子でカチコチになりながら歩く……私から見ても抜群に可愛く、そして雨野君に良く似た感性の女の子。

「(私よりもずっとずっと……彼女との方が仲よさげなのよね……雨野君って)」

 私が不安げに見つめていると、彼女は何を思ったのか、にこりと少しぎこちないながら微笑み返してきてくれた。……?

「えとえと、大丈夫ですよ天道さん! 天道さんの気持ちは……真意は、自分が見る限りちゃんとケータに伝わっていると思います、はい!」

「ええっ!?」

 わ、私の気持ちが雨野君に伝わっている!? そ、それって、つまり……。

 顔がどんどん熱くなってくる。私は星ノ守さんから視線を逸らすと、こほんと咳払いし、顔を見られないよう先を歩きながら話を締めた。

「と、とにかく呼び出しの件は了解したわ。えーと、放課後に……」

「ゲームショップです。『例のゲームショップ』と言えば、天道さんになら伝わるとありましたけど……」

「ああ、そうね。私と雨野君の間でゲームショップと言ったら……一つしかないわ」

 私が彼に最初に声をかけた、あの場所。……まだ私が、彼をどこかで下に見て、どこか浅い作りものめいた「天道花憐」で声をかけてしまった……あの、少し苦い場所。

「あ、分かって貰えたみたいでよかったです。えと、ゲーム部活動のことを考慮して、夕方の五時半ぐらいでどうかとのことですけど……」

「OKよ。丁度良いわ」

「あ、じゃあそう返しておきますね。……っていうか、自分が天道さんにケータのアドレスとか教えた方がいいですかね?」

「いえ、それは……遠慮しておくわ」

 確かにその方が効率がいいのだろうけど……なぜだろう、彼女を通して雨野君の連絡先を聞くのは、なぜだか気が引けてしまった。

 星ノ守さんは特に気にした様子もなく「そうですか」と引き下がると、話を続けてくる。

「ちなみに放課後のゲームショップを指定したのは、流石にあの告白の時みたいに衆目のある中じゃなくて、二人で、落ち着いて話したかったからだそうです」

「……そう。落ち着いて……ね」

 その言葉に、これまで多少なりとも浮ついていた気持ちがいよいよ完全におさまる。

「(あの、雨野君だもの……ね)」

 まだまだ浅い付き合いながらも、彼のことはそこそこ知ったつもりだ。

 私はなんとなく雨野君の結論を察しつつ、星ノ守さんを振り返った。

「了解です。放課後、改めてちゃんと二人で話し合うわ……この交際について」

「はいっ、それがいいですよ!」

 ちゃんと状況が分かっているのか分かっていないのか……星ノ守さんの無邪気な笑顔は、今の私には酷く眩しく思えた。

 放課後、ゲーム部活動を終えてゲームショップへと急ぐ。

 普段ならばこの時間には、昼休みに次いで「告白お断りタイム」が入ってきたりすることが多いのだけれど……先日の雨野君との交際宣言以降、様子見するかのように男子からの呼び出しはパタリと消えていた。

「(まあ、ある意味では今日も『告白お断りタイム』なのだろうけれど……)」

 これまで男子の好意を無碍むげにしてきたことへの罰かしら、なんて皮肉なことを考えながら足早に歩を進める。

 時間的な余裕はあったのだけれど、気持ちがそわそわと落ち着かなかった。ある意味、先日の昼休みよりもドキドキしている。……分かっていても、覚悟できていてもなお、拒絶の予感は私の心をむしばんでいく。

「(どうして……頭ではちゃんと理解できているのに、こんなにも胸が締め付けられてしまうのかしら)」

 自分というものの管理をこれまでキッチリこなしてきた女、天道花憐としてはあるまじき状況だった。ゲーム大会でのひりつくような対戦経験の中で、緊張を飼い慣らす術も、不安を克服する精神力も、その全てを習得しているはずなのに。どうして……どうして、それがここでは、活かせないのか。

「はっ……はっ……」

 夏の蒸し暑さも手伝って、息が切れる。汗がにじむ。……おかしい。こんなの、私じゃない。天道花憐らしくない。

「(駄目よ、落ち着かないと。こんなに余裕のない顔……雨野君に見られたくない)」

 ゲームショップ目前まで来たところで、はたと立ち止まって鞄からコンパクトミラーを取り出し、髪を整える。が……いつまで経っても満足がいかない。普段なら妥協できるところができない。自分がどんどん可愛くなく思えてくる。私は、もしかして周囲に持ち上げられすぎて、自己評価が高くなりすぎていたのではないか。告白が止んだのは、雨野君どうこうじゃなくて、単純に私の人間的な魅力が落ちたからじゃないのか。

 普段なら考えもしない不安が、次から次へと心を満たしてく。自分が自分じゃないようだった。こんなに弱い自分を、私は、知らない。

「…………」

 そのうち、私は、髪型を整え終え、汗が引いても……一歩も、前に進めなくなっていた。

 ジリジリという虫達の鳴き声。アスファルトから立ち上る熱気。田舎の空いた道路を飛ばす、乾いた泥の付着した車達。時折ふわりと鼻につく排気ガスの匂い。

 待ち合わせ時間はもう迫っている。なのに、ゲームショップへと足が進まない。怖い。

「(……怖い?)」

 自分の感情に、自分で愕然がくぜんとする。同時に……いよいよ自分自身への信頼が完全に失墜したのを感じた。

「(もう……私は…………私は、雨野君の前に立つことができそうも――)」

「あれ、天道さん?」

「っ!?」

 突然背後からかけられた声に、私は――ぞくりとする。驚きよりも先に、恐怖が来ていた。……好ましく思っていた男の子の声だというのに……雨野君の声だというのに、今や私は……私は……。

 背後から、足音が近付いて来る。

「どうしたんですか、天道さん? そんなところで……あ、もしかして体調が――」

「なんでもない!」

「!」

 自分でも驚く程大きな声が出てしまう。幸い周囲に他の通行人の姿はなかったものの……雨野君の足音は驚いた様子でぴたりと止まってしまった。

 私はなんとか取り繕おうと、うまくれつの回らない舌で言葉を紡ぐ。

「ちがっ――なんでも、なくて。体調、悪く、ないわ。大丈夫。でも、えと……ただ……」

「……天道さん?」

 雨野君がこちらに周り込もうとしてくる気配。私は思わずびくりと肩を震わせ、彼から顔を逸らすように背を丸めた。雨野君の足音が再度止まる。……今度こそ、言い訳はできない。雨野君に対し、拒絶めいた態度を、今、私は、とっている。

 だというのに雨野君はいつものように優しく……けれどどこか憂いを帯びた声で、私に訊ねてきた。

「天道さんは……やっぱり僕のこと、嫌いだったり、しますか?」

「ち、違う! そんなんじゃないわ! そんなんじゃないの……」

「だったら、どうして、僕を避けるんですか?」

「……それは……。…………。……あ、雨野君こそ」

「はい?」

 追い詰められた私は、思わず、ハリネズミが毛を逆立てるように、彼へ攻撃的な言葉を投げてしまう。

「あ、貴方こそ、私との交際をやめたいって思っているんでしょう?」

「…………」

 雨野君の言葉が止まる。……違う。こんなこと言いたいわけじゃない。違うのに……もう、自分が、自分で、制御できない。

 私は彼の答えも待たずにまくしたてる。

「い、いいのよ。そりゃそうよね。分かるもの。きっと雨野君、昨日も今日も地獄みたいだったでしょう? あんな酷い顔見れば、察しがつくわ」

「あれは……」

「いいの! 自分でも分かっているのよ。これだけ色々な人の好意を切り捨ててきた私と交際するっていうことが、どれだけ重いことか。いっそ私自身なんかよりもずっとずっと酷い視線の中にいることでしょうね。そんなの、いやになって当然よ。ええ」

「…………あの」

「いい。言わなくても分かっているわ。取り消したいのよね? 当然よ。ええ。私の返事のことなら、気にしなくていいわよ。あの返事は……う……嘘では……ないけれど……で、でも、ほら、私側も勢いで返事しちゃったところあるから、全然深い意味とかはないし、重く捉えないで貰って差し支えなく……」

 違う違う違う。こんなことが言いたいんじゃない。どうして自分から彼を突き放すのよ、天道花憐。本当は、そうじゃないのに。本当は……本当は……。

 悔しくて、涙が出そうになる。けれどそれだけは本当に絶対駄目だと、私に残されたギリギリの理性が押しとどめる。

「…………」

 雨野君が、再び私の前に周り込んでくる気配がする。私はそれが怖くて、思わずぎゅっと下を向いた。……私の前に来た雨野君のローファーだけが視界に入る。洒落てもいない、さりとて汚れてもいない、小さめで恐らく安物の……だけどどこか彼らしい靴。

 彼はその足をどこか落ち着かない様子でムズムズと僅かに動かしながらも、正面から私に語りかけてきた。

「えっと……その、まず、良かったです」

「……なにが……」

「あ、いや、その、少なくとも凄く嫌われているとかじゃないっぽいと分かって」

「そ、それは……勿論。嫌いなわけ、ないじゃない」

「あ、ありがとうございます」

 照れて動揺したのか、再び彼の足がムズムズと動く。……相変わらず感情

が分かりやすい。彼のそういうところが、私はホント……。

 と、そんなことを考えていた矢先のことだった。

「その上で、僕から折り入って……不躾なお願いがあるのですけど……」

 その言葉と共に、突然打って変わって、彼の足のそわそわとした動きがピタリと止まる。瞬間……私もまた、悟る。

「(ああ……いよいよ、みたいね)」

 その現実を突きつけられた途端、これまであんなにみっともなくバタバタしていた心がいでいく。処刑台に上げられたような心持ち。もういてもどうしようもないのなら、せめて、最後にみっともない振る舞いだけはしたくない。

 私は……ようやくキッチリと覚悟を決めると……スッと顔を上げた。

 そうして改めて見た、夕陽を背にした雨野君の顔は……その顔は――

 ――無邪気な、照れ笑いに彩られていた。

「あの、もしよければ、僕と、デートしてくれませんか?」

「――――え?」

 私は思わず呆けて首を傾げてしまう。……今、何を言われているのだろう、私は。

 私の反応を不安に思ったのか、雨野君はわたわたと補足してきた。

「あ、いえ、日取りとか天道さんの都合つく日でいいですし、行きたい場所とかやりたいことも、何かあれば要望してくれていいですから、はい!」

「えっと……それは一体……どういう……」

「え? いや、どういうも何も、ですから、デートのお誘いなんですけど……」

「……そ、それは分かりますけど、どうして私を……」

「へ? い、いや、だって……」

 雨野君は少し赤らんだ頬をぽりぽりと掻くと、照れ臭そうにおずおずと告げてくる。

「だって僕ら、これから交際していくんですよね?」

「――――――――」

 私は、思わず目を見開く。……信じられなかった。だって……それって、つまり……。

 私がぼんやりしている間にも、雨野君は笑って続ける。

「あの、確かに天道さんの指摘通り、僕的にこのお付き合いには辛いものが沢山ありますよ。人の視線は気になるし、割と露骨な嫌がらせもあるし……」

「そう、よね……」

「それに、うえは――その、か、彼相手じゃ分が悪すぎるっていうか……まあ、カップル格差的にも、どう考えたってやっぱり僕の敗色は濃厚なんでしょうけど……」

「(彼?)」

 なんの話だろうと一瞬疑問に思ったものの、雨野君の話はまだ続いていたため、口は挟まない。

 彼は……初めて、一切臆することなく私としっかり目を合わせると。

 にこりと笑いながら、その決断を告げて来た。

「でも、だからって、白黒つけずに回線切断するのは、ゲーマーとして違うかなって」

「回線切断……」

 すぐにそれがネット対戦の話だと察しがつく。そして……それの、意味するところも。

 彼の照れ臭そうな……けれど以前部活勧誘を断わった時と同じ、確固たる信念に満ち満ちた瞳が、私を映す。刹那――

「あ……」

 ――私は、改めて、決定的に、自覚した。自覚して、しまった。

「(駄目だ、私、この人が凄く好きだ)」

 そしてそんな彼が、今まさに、私との交際を続けてくれると宣言してくれていて。

 …………。

 …………!

「……う」

「? 天道さん?」

 途端、これまでどん底だった心が嘘の様に晴れていく。……っていうか、晴れ渡りすぎて、もはやお花畑だ!……こ、これは、まずいわ。これじゃあ、さっきとはまるで逆の意味で、天道花憐という人間が完全におかしくなってしまうじゃない!

 私は慌ててぷいと彼から顔を背けると、私の中に残された僅かな「天道花憐」を用いて、必死で対応した。

「い、いいですよ! しましょう、デート! ええ、そうね! 交際しているのだから、デートの一つぐらいはすべきでしょうね、ええ! 本来私の休日はゲーム技術の研鑽けんさんに忙しいのですが、まあ、交際する者の務めですものね、デートは! 仕方ありません!」

「務め……仕方ない……」

 あ、なんだか雨野君がずーんと肩を落としている! ち、違うの! でもその……ごめんなさい雨野君! なんか私、一歩でも自分からそちらに踏み出したら、もう歯止めが利かない気がする! ここが、私の理性のボーダーラインっていう気がするのよ!

 雨野君はそんな私の心境を知ってか知らずか、しばらく苦笑いしていたものの……ふと真面目な表情に戻って居住まいを正すと、腰を深々と折り曲げて頭を下げてきた。

「えっと、じゃあ、その、少し遅くなりましたけど……これから、ふつつかものですが、できるだけ末永く、よろしくお願い致します」

「え? あ、いえいえ、こ、これはご丁寧に。こちらこそ幾久しく……」

 私もそこはきちんとせねばと、しっかりと腰を曲げて対応する。…………。

 …………さて、と。

 私は勢い良く顔を上げると、彼に思い切り人指し指を突きつけて叫ぶ!

「と、とはいえ、節度はキチンと守るようにね! 交際にもまたステップというものがありますからね! ええ!」

 というか、キミに変に責められると、私の方がもたないですから! ええ!

 そんな私の内心にも気付かない様子で、雨野君は酷く緊張した様子で背筋を伸ばす。

「で、ですよね! はい、肝に銘じておきます! とにかく自制に次ぐ自制の日々を心がけますです、はい! こ、交際しているからって、変に勘違いとか、自分への自信とか持ちません! げ、ゲームの神に誓って!」

「そ、そうね! それぐらいで丁度良いでしょう、ええ(そこまでじゃなくていいのに!)」

 私は腕を組んでうむうむと満足げに頷くと、シュタッと手を上げ、颯爽さつそうと彼に別れを告げる。

「じゃ、じゃあ、今日はこの辺で解散ということで!」

「は、はい! ど、道中お気をつけて、天道さん!」

 遂にはビシィっと敬礼までし出す雨野君。……えーと……。

「う、うむぅ!」

 対処に迷った私も、とりあえず敬礼で返してみる。……って、な、なんか違う! 私の思ってた交際となんか違う! これ、完全に上下関係が厳しい運動部の先輩後輩のノリだ! けれど、今更この対応を変えてとも言い出せない。なぜなら……。

「(彼に少しでも距離詰められたら、本当に自制効かなくなるものぉぉおおおおお)」

 雨野君に敬礼で見送られながら歩き……しかし、途中から、色々耐えきれずダッシュで夕陽に向かって駆けていく私。……な、なにこれ。なんなのこれ。

 と、とにかく。

 なにはともあれ。

 こうして、私、天道花憐と雨野景太の交際は、この日、改めて、正式に再スタートを切ったのだった。

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