第16話 雨野景太と天道花憐と最高の娯楽 前編

【雨野景太と天道花憐と最高の娯楽】


「というわけで上原君、大至急デートとやらの『いろは』をイチから僕に教えて下さい」

「ノープランだったのかよ!」

 天道さんとの交際に関する顛末てんまつをざっくりと語り終えた僕に、上原君が思い切りベンチから立ち上がりつつツッコンできた。右手に持った缶コーヒーの中から、ぽちゃりと水音が響く。

 彼がいらった様子でわしゃわしゃと髪をいて僕の隣に座り直す中、僕は特に美味うまくもない紙パックの野菜ジュースをストローですすりつつぼんやりと景色を眺めた。

 夕陽に染まる放課後の公園。園内は買い物帰りの主婦や帰宅途中の学生が往来し、中央広場ではランドセルを置いた男子小学生達が追いかけっこにいそしむ微笑ほほえましい光景が展開され、そして噴水周りには――必要以上に近い距離で談笑を交わす、音吹おとぶき碧陽へきようのカップル達。

 そんな平和そのものの景色の中……公園外側の日陰になったジメジメとして人気の無いベンチに二人で座す、どこか顔に疲れのにじんだ高校生男子二名。

 上原君は広げた膝の間で、へりを持った缶コーヒーをプラプラともてあそびながら、大きく嘆息してきた。

「あまり邪魔の入らない場所で、天道とのことに関して折り入って相談があるとか言うから、こうしてわざわざ放課後の公園で話を聞いてみれば……。……結局最終的にデートの相談って、なんだよ。俺は話の流れ的にテッキリ別れを決意したとかって話かと」

「あれ? もしかして上原君的には、僕が天道さんと別れた方が良かった感

じ?」

「? いやそれは全然? っつーかなんでそう思うんだ?」

「あ……いや……別に、その、大して深い意味あっての発言じゃないよ、うん」

「? そうか? ならいいけどよ」

 上原君は不思議そうにしながらも、特段それ以上気にした様子もなく、缶コーヒーを一口あおる。……僕はその隣でホッと胸をで下ろした。

「(上原君の天道さんに対する感情って、やっぱりイマイチ読めないよなぁ)」

 アグリさんとかと違って、僕は自分の勝手な推理にそこまで確信を持っていない。なにせ、上原君も、天道さんも、二人とも僕からしたらこれ以上ないぐらいに尊敬出来る「いい人」なのだ。そんな素晴らしい二人が「かくみのカップル」なんてひどい発想をするものだろうか。が、一方で、そんな素晴らしい二人だからこそ、これ以上なくお似合いなんだよなとも思っており。

 結局僕の中で上原君と天道さんについては保留状態のことが多く……結果、そもそもコミュニケーションに関する手札が絶望的に少ない僕としては、二人との付き合い方を「現状維持」に設定するしかなかった。

 天道さんは心底尊敬出来る憧れの女性で。

 上原君は……僕の、今最も信頼する、大事な大事な友人。

 だからこそ、「天道さんと上原君が付き合っている疑惑」がある中でも、結局はこうして僕と天道さんのデートに関して相談してしまっているわけだけれど……。

 チラリと上原君の横顔をうかがう。最近彼はどこかお疲れの様子で、更にさっきもなんだかんだと文句を言っていた割には……いつの間にやら、真剣な表情で僕の相談に対する検討を始めてくれていた。

「デートの『いろは』と言われてもなぁ。流石さすがに他人に堂々とアドバイス出来る程俺も百戦錬磨とかじゃねえかんなぁ。言ってもとしか付き合ったことねぇし」

「でもそのアグリさんとはもう半年も付き合っているんだから、デートだっ

てそれなりにしているんじゃないの?」

「いやそう言われたらそうなんだが……」

 そこで上原君はどこか気まずそうにボリボリと後頭部を掻いた。

「前も言ったかもだけど、亜玖璃とはほとんど友達の延長みたいな付き合い方だからよ。デートっつっても、なんだ、ドラマや映画でよく見るような定番モノじゃなくて、他の友達交えて一緒に遊んだりが多いっつうか……」

「うわー……なんかむしろ逆にリア充っぽいね……」

「なんで引いてんだよ! っつーかお前のそのリア充に対する果てしない嫌悪感ってなんなの!? 男女複数人で盛り上がる人間を悪と定義するのをやめろ!」

「別に悪とまでは思ってないけど……。……上原君、十三日の金曜日とか、サメの出る海岸に遊びに行く時なんかは気をつけてね?」

「なんの心配だよ! られねぇよ!? リア充皆が不幸な目に遭うと思ったら大間違いだからな!?」

「……ふぅ。世の中不条理だね……」

「ちょっと浮かれただけで殺人鬼やサメに襲われる世界の方が不条理だわ!」

「こうなってくると、僕も天道さんという大物とお付き合いをする以上、普段は上原君に激しくいじめられているオタク野郎ナード設定ぐらいは付加しないとまずいかもだね……」

「いや、だから幸福と不幸のバランスとかとんなくていいから! お前なんで若干創作の世界に片足突っ込んでいる感覚なんだよ! 違う意味での中二病か!」

 僕は彼のそのツッコミに、フッとニヒルな笑みで返す。

「……平凡な男子高校生が美少女に声をかけられ、果てはいよいよ交際にまで……」

「確かに最近やべぇぐらい主人公感出してやがった!」

「でしょう? こうなったら身の回りの死亡フラグを丁寧につぶしておいて損はないと思うんだ」

 マジな目で語る僕に、上原君が「お、おう……」と若干引く。

「い、いや、とはいえ……大丈夫だって。お前の巻き込まれている物語は、どちらかというとラブコメ寄りの平和なものだって。殺人鬼出て来ねぇって。多分」

「……上原君、アグリさんに大事な伝言とかってないかな?」

「おい、だからといって俺の方に死亡フラグを立てるのはやめろ! たとえこの物語がラブコメでも、親友ポジあたりは結構危うい気がする。シリーズのマンネリを回避するためのカンフル剤として、意外な大イベントの犠牲にされかねない気がするぞ!」

「大丈夫大丈夫! 上原君は死なないって! だって上原君、すごく強くて優しくていい人だもの! そんな上原君が不条理に死ぬ展開なんて、あるもんかーい。あははー」

「本気で殺しにかかってきやがったなお前!」

「まあ……でも実際上原君、僕と違ってフラグとか全然気にしないんでしょ? いいんだよ、今後も自由に、アグリさんを含む複数人で山とかに遊びに行ってくれて」

「く……!? なんか知らんが確かに急に怖くなってきたぞ! 俺とアグリがイチャついている場面に、不気味な動きでぐいぐい近付いていく主観カメラ映像が思い浮かんでしまったぞ! おい雨野、てめぇ、これどうしてくれ

――」

「ど、どうしよう、上原君。調子にノッてボケてたら、なんか僕も、天道さんとデートしている時に死んじゃう気がしてきた。というかもう既に現時点で、本当は昏睡こんすい状態な僕の見ている夢オチ説まであるよ、これ! 幸福度がおかしいもの!」

「自業自得にも程があるな! ったく……ほらほら、そんな与太話より、さっさと真面目にデートのこと考えるぞ」

「そ、そうだね。死ぬにしても、天道さんかばって死ぬとかなら、まあ本望だしね」

「その納得の仕方はおかしいが、まあお前がそれでいいならいいや」

 馬鹿話が一段落したところで、上原君は改めて噴水方面のカップル達を見つめながら話し出した。

「話を戻すけど、マジで俺と亜玖璃もそんなにデートらしいデートはしたことねぇんだよ。それこそ二人でゲーセン行ったり、一緒に帰宅したりとかは日常的にするけどな」

「それは……。……僕なんかが口挟むのはおこがましいかもだけれど、その、いいの?」

 少しだけアグリさんが可哀想かわいそうに思えて、僕は思わず、そんな生意気な疑問を呈してしまう。すぐに上原君に怒られるのも覚悟していたけれど……不思議と上原君は怒ることなく……それどころか、ここ最近見なかった温かい笑顔までのぞかせていた。

「あー、まあ、ないと言われたらそれもそうだろうけれど。俺的には、結構気に入ってるぜ。二人一緒の帰宅時間」

「……一緒に遊ぶ余裕や時間が無い場合、それで妥協するってこと?」

 僕の質問に、上原君がなぜか笑う。

「結局は、好きな人と二人で仲良くしやべるだけの時間が、なにより幸せなもんなのさ」

「二人で喋るだけで、楽しい、ねぇ……」

 噴水周りのカップル達をまぶしそうに眺める上原君。……彼には悪いけれど、僕にはやっぱりそれは「妥協」に思えた。

「(……ゲーム感性なのかもしれないけれど……一緒にいる『だけ』よりは、なにかしらエンターテインメントのある状況の方がずっとずっと楽しそうなもんだけどな……)」

 ふと弟のことを思い浮かべる。彼は家族だから当然親しい間柄の人間なわけだけれど、ボンヤリただ一緒にぐだぐだ過ごしているよりは、何かしらゲームなりイベントなりが間にあった方が断然盛り上がるわけで。

 ……それは、カレシ・カノジョの間柄でも同じことじゃないのかな?

 僕のそんな疑問を悟ったのか、上原君が軽く苦笑いして「とはいえ」と続けて来る。

「心を近づけるための『初デート』となりゃ、ある程度はちゃんとしなきゃかもだな」

「そうなんだよ。さっきも話したけど、こっちから切り出した手前もあるしさ」

「ああ、それな。お前はホント……変な所で無駄に男らしいというか、キッパリしているというか……」

「え、そ、そうかな。なんかめられると照れるな――」

「冷静に見えて思ったより後先考えていないというか、穏やかなフリして案外感情優先の大馬鹿野郎っていうか……」

「全然誉められてなかった!」

「いやお前の決断それ自体はいいと思うぜ、俺。ただ、その肝心のデートに関して現状全くのノープランってのはどういうことよ。友人に相談するにしても……シナリオのたたき台ぐらい持って来てもらわないと、こっちも困るんだよねぇ、チミ」

 ベンチの背もたれに深く腰掛け、何かの監督かプロデューサーのごとく偉そうに振る舞う上原君。しかし言っていることはごもっとも。僕は膝頭を合わせて恐縮するばかりだった。

「申し訳ありません。その……勿論もちろん僕なりに多少は考えたのですが、やっぱり変な浅知恵のプランを提示しちゃうよりは、最初から上原師匠に入っていただこうかなと……」

「おいおい、自分のデートの土台さえ他人に提供して貰おうだなんて、正気かい、雨野っちゃんよぉ」

「雨野っちゃん……。……あ、いえ、そうですね、すいません。じゃあ、あの、恥ずかしいですけど……僕なりに考えた浅知恵デートプランをここで披露させて頂きます」

「おうおう、頼むよ雨野っちゃん。まあ最初だから恥掻くのは仕方ねぇけど、

なぁに、この交際歴半年の先輩たるハラウエちゃんが、しっかりと手直ししてやるってなもんよ」

「はい、よろしくお願い致します。では、僭越せんえつながら……」

「おう、よろ~」

 プロデューサーキャラが気に入ったのかすっかりテキトーに尊大な態度の上原君に、僕は、おずおずと……自分なりに一生懸命考えたデートプランを語った。

「えっと、映画やらウィンドウショッピングやら公園散策やらという定番デートは、どうにも、なにかこう僕達らしくないというか、くいかない予感が若干しまして」

 僕の言葉に目をパチクリする上原君。彼はプロデューサーキャラも忘れた様子で応対してくる。

「意外とけいがんじゃないか。そうだな、確かにそれらは無難なデートだが、互いの性質に合わないんじゃやっぱり駄目だ。しかしかといってお前、まさかゲーセン行って終わりとか言い出すんじゃ……」

「あ、はい、流石にそれもあんまりだなというのは了解しております。ただやっぱり、僕らが共通して盛り上がれるのはゲーム的なものだけという感じもしたんです。だから……」

 僕がそこまで言うと、なぜか上原君はがばっと身を起こして、「おいおい……」とちょっと色めき立った様子で僕を見つめてきた。

「まさか、いきなりの自宅デー――」


「だから、ちょっと前に出来た隣町の複合型アミューズメント施設『アラウンド1』あたりにお出かけして、軽く一緒に遊ぶぐらいが丁度いいんじゃないかって……」


「…………」

 上原君が両手で缶コーヒーを握りしめてうつむく。……もしや、言葉も出ない

程に酷いデートプランだったのだろうか? そ、そうだよね、ちょっとした娯楽施設一箇所で遊んでそれをデートと称そうだなんて、やっぱり浅はかな発想だったかも……。

 と、僕が不安になりかけたそのとき。

 いきなり残りのコーヒーを一息に全部ぐいっと呷った上原君は、直後、缶をベンチに置いてこちらを振り向くと、肩をガッとつかんで……真剣なまな しで、告げて来たのだった。

「雨野っちゃん……いや、雨野よ! もうお前に教えることは、何もねぇ!」

「卒業早くないですか!? 師匠!?」

「くぅ……俺と亜玖璃でさえまだ行ってない話題の施設『アラウンド1』をここで持って来るとか……お前天才かよ! リア充の申し子かよ! 完璧すぎるぜそのデート!」

「物凄いお墨付き貰ったけど、なんだろう、むしろ不安だ!」

 上原君に誉められたのはありがたいけれど、こうなってくると逆に、僕の中で「上原君、こう見えて案外リア充感性から遠いところにいるんじゃないか疑惑」が浮上してきた。……そういや元々根っ子の部分は真面目な努力の人だったな、この人……。それに半年交際しているカノジョとまだ全然何も無いあたりとかも考慮すると、下手するとそんじょそこらのおじいさんとかより余程お堅い感性なのかも、上原君。

 彼はどこかスッキリとした表情で、歯をキラリと輝かせて僕に手を差し出してきた。

「存分に楽しんでこい、雨野! お前のデートプランは完璧だ!」

「え? あ、う、うん、ありがと……」

 無理やり笑顔を作って、彼の手を握り返す。と同時に、強く振られる手。

 …………。

「(…………だ、大丈夫なんだろうか、僕の初デート……)」

 世の中には、友人に強く後押しされればされる程余計に不安になることもあるのだなと、僕はこの日、初めて知ったのだった。



 実際互いの都合がついてデートが行われることになったのは、夏休み直前のある日曜日のことだった。

「ふう……」

 バスから降りて待ち合わせの駅前に降り立った僕は、綺麗に晴れ渡った青空を仰ぎ見て思わず息を吐いた。

「(いやはや、まさかの快晴だ。……天道さんパワーかな……)」

 実を言うと僕、雨野景太は「雨男」というヤツだ。そういうのは大概気にしすぎなだけというか、「マーフィーの法則」的な「上手くいかなかった方を印象的に覚えているだけ」なのだろうけれど、僕の場合はそれを考慮してもやはり「大事な外出時の雨天率」が高い傾向にある。

 僕はバス亭から駅の方に向かって歩きつつ、もんもんと思考を進めた。

「(きっと小学校中学校の野球部時代に『雨で練習無くなれ』と本気で祈りまくっていたせいなんだろうけど……)」

 そんなしょーもない自説を、しかし案外信じている僕である。

 たとえ現実的な解釈じゃなくとも、自分の中で納得いく「根拠」があると、それだけで救われることっていうのは確かにあるのだ。ジンクス、という概念に近いかもしれない。理由も無く理不尽に雨に降られまくる人生よりは、自分の過去のらちな願いのせいで雨が降っていると解釈した方が、不思議とスッキリ諦めがついたりするわけで。

 そしてそれは、他のことにも言えた。

 冷房の効いた駅構内に入りつつ、斜め掛けにしたワンショルダーバッグのベルトをギュッと握り込む。

「(……僕は今、天道さんと付き合える『根拠』を求めているのかも……)」

 雨男たる自分への勝手な解釈と同じで。彼女と付き合えることが光栄で幸福なのは勿論なのだけれど、そこにイマイチ理由というか土台が見えないから、すさまじく不安になる。果ては「上原君との浮気の隠れ蓑」みたいなどうしようもない卑屈な推理まで採用しようとしてしまう始末だ。……ある側面においては、そう思う方が、まだ楽だったから。

「(けれど……今日は、違う!)」

 顔を上げ、決意を持って歩を進める。

 デートなんていかにも僕らしくないことを言い出したのは、これが理由だ。

 僕と天道さんの間には、やはり明らかに恋人としての「根拠」が見えない。

 けれどだからといって、一度結ばれたえんを……少なくとも僕側は凄く光栄に、大切に思えている縁を、「負けそうだから」と事前に断ち切るのだけは絶対に違う。

 そして一度試合をすると決めたからには、内容を楽しみ、勝ちに行く姿勢もとる。

 そうなるとまず最初にすべきは、やはり自分なりの「根拠」作りだ。不器用でも、全然ノウハウがなくても、完全に根がモブキャラぼっち野郎だって。それでも、頑張って彼女に歩み寄る努力ぐらいは、してみなきゃいけないじゃないか。

 待ち合わせポイントたる駅構内の大きな時計柱前まで歩きつつも、ポケットから取り出したスマホに視線を下ろして時間を確認する。午前九時。待ち合わせ時刻たる午前一〇時の、丁度一時間前だ。予定通り。

「(とにかく天道さんに恥じない振る舞いをしないとな! まずは、五分前行動どころか十五分前行動、いや三十分前行動あたりしてきそうな彼女よりも更に先に待ち合わせ場所へいることで、僕なりの誠意を見せつけ――)」

 そう、僕がほくそ笑みながら、待ち合わせ場所へと歩を進めたその時だった。

「あれ、雨野君? 驚いた。随分と早いのね」

「…………」

 覚えのありまくる声にギクリと体をこわらせ、ギギギと顔を上げた僕の視線の先で穏和に微笑むのは……せいなブラウスを身にまとったれんな金髪美少女様。僕の、カノジョさん。

 僕はひくひくと顔をひきつらせながら、彼女に声をかける。

「お、おはようございます、天道さん」

「はい、おはようございます。……こほん。えー、本日はお日柄も良く――」

 なぜか古式ゆかしい挨拶を始めようとする天道さんに、しかし僕は続けて質問を投げかける。

「あの……今日の待ち合わせ時刻って、午前十時にここで、良かったですよね?」

「? ええ、そうね。それで間違いないわ」

「……今は、午前九時、ですよね」

「ええ、正確には午前八時五十八分ね」

「……えと……だとすると、天道さんは、何時にここに来られたのでしょうか?」

「はい? 私? ええと、確か……」

 天道さんは何かを思い出すように口元へ人指し指を当てると……駅の天窓から差し込む光に美しいブロンドをきらめかせながら、さながら天使の様に微笑んで返してきたのだった。


「午前七時五十七分だったかしらね」


「あー……そうですかぁ…………そうかぁ……」

 まさかの「二時間前行動」とは。

 僕は思わず天窓から空を仰ぎ見る。…………なんか、生きてて、すいません。

「雨野君? どうかしました? あ、それにしても雨野君、今日は凄く早かったですね! 私びっくりですよ! 雨野君ってやっぱりホント真面目な……って」

「…………」

「……あ、雨野君?」

 雲一つない空の下、美しく柔らかい少女の声を聞きながら……僕は一人、「天道花憐さんと付き合うということ」の真の意味をみ締め、ほんのりと瞳を潤ませたのだった。



 駅から一五分おきに出ている無料送迎バスに揺られること約三〇分。

「へぇ、思ったより大きいのね」

「ですね……」

 駐車場に降り立った僕と天道さんは、巨大なアミューズメント施設をおのぼりさんの如くほけーっと見つめ、そんな感想を交わし合う。

 同じバスから降りた人々が軽く天道さんに視線を送りながらも、続々と建物の方へと吸い込まれていった。

「じゃ、じゃあ、行きましょうか」

「え、ええ、そうね」

 僕と天道さんはぎこちないやりとりを交わしつつ、二人、並んで歩き出す。…………若干、微妙な距離を空けつつ。

「(ぼ、僕、上原君や家族とかと一緒に歩く時って、どれぐらいの距離感で歩いていたっけ?)」

 はやそんなことも分からなくなる程緊張する僕。見れば、天道さん側もなにやらそわそわと落ち着かない様子だった。本当はこういう時、誘った側がしっかりしないとなんだろうけれど……いくら考えても、何が正解なのか分からない。

「(ラブコメ作品だったら男らしく手をつなぐのが定石っぽいけど……流石に現状、全然そういう心の距離感でもないしなぁ……)」

 いやまあ、それ言い出したらそもそも恋人なのがおかしい状況ではあるのだけれど。

 実際、ここまで来るバスでも……二人でモジモジしている間に席取りに失敗し、一人席に縦に並んで座る結果となってしまったし。おかげで大した会話もなかったわけで。

「(ここにきて、上原君の言葉が身に染みる……。……最初は、グループ交際みたいなので良かったんじゃないか?…………いや、でも、僕が一緒に遊べるメンなんて……)」

 ふとここに、天敵ワカメ女、浮気三昧疑惑男子、女性陣に並々ならぬ敵対心を燃やすギャル、の三名が同行している情景を思い浮かべる。…………。

「(な、なんか違う! 僕の思ってるリア充グループ交際の雰囲気と、なんか違う!)」

 なんだこの想像しただけでこちらを刺してくる修羅場的オーラは! 和気あいあいとしたリア充集団とは対極すぎるだろう! 僕の交友関係、今どうなってるのこれ!?

「雨野君? どうしました?」

 一人でうなっていると、天道さんが心配そうに声をかけてきてくれた。

「あ、ああ、いや、なんでもないです。ただこう、ぼっちを脱したとはいえ、自分の現状の交友関係が果たして本当に正解なのかという疑問がふつふつとですね……」

「交友関係……ああ、ゲーム同好会のことかしら」

「え? ああ、まあ、大体そんなようなものですね」

 もっと言えばそこにアグリさんも入るんだけど。

 と、天道さんはなにやら少し意地悪な笑みを浮かべてきた。

「あら、なにやら後悔しているのでしたら、ゲーム部はいつでも貴方あなたを歓迎しますよ、雨野君」

 そう言って顔を覗き込んで来る天道さん。……あぁ、カワイイ……。じゃ、なくて!

 僕は頭を掻きながら、それに苦笑いで返す。

「か、勘弁して下さいよ。人が悪いなぁ、もう」

「ふふっ、私は結構本気なんですけどね?」

「そんなこと言ったって、天道さんだって知っているでしょ? 僕のゲームの腕前」

「そこはほら、私が徹底的に指導していくということで」

「……………………。……………………。………………えーと、お、お断わりします」

「あらあら、今回は結構考えましたね」

 くすくすと天道さんが笑う。僕は思わず頬をあかくしながら反論した。

「すいません。なんだか以前より、天道さんと一緒の部活、というのに魅力を感じてしまった、あきれる程に意志の弱い自分がおりまして……」

 以前あれだけキッパリ断わっておきながら、情けない。まったく、僕という男は……。

 そう一人で自分の人間的浅さに落胆していると、なぜか天道さんはぷいっと顔を背けてしまった。

「そ、そうですか。わ、私と一緒の部活に前より魅力を……。……そ、そうなんですね」

「? 天道さん? あ、す、すいません、また誘ってくれたのにこんな……」

 今日はデートだというのに、僕はなにカノジョさんの誘いをバッサリ切り捨てているんだ! こじらせ男にも程があるだろ! 断わるにしても他の言い回しとかあったんじゃないか、などと僕が激しく後悔していると、天道さんは慌てた様子でこちらを振り向いた。心なしか、頬が少し紅い。

「い、いえ、そんな、全然! 私は今ので充分満足です、はい! お腹一杯!」

「は、はぁ。満足……ですか」

 僕が部活勧誘を断わることが満足って……そ、それはそれで、なんか傷つくな。

 一人で勝手に傷心していると、天道さんが話を切り替えるように切り出し

てきた。

「あ、も、もう入り口ですよ、雨野君!」

「は、はい、そうですね」

 言われてハッと意識を本日のデートへと切り替える。

『アラウンド1』は、今や地方を含めかなりの規模で全国展開している複合エンターテインメント施設だ。一つの建物の中に、ボウリング、カラオケ、アーケードゲームは勿論、最近だと卓球・バスケ・テニス・バッティングなどといったスポーツエンターテインメント施設まで併せ持った、遊園地とはまた違った意味での、完璧な娯楽空間。

 しかも最近出来たこの店舗に至っては、田舎だけに土地代が安いからか無駄に全国最大級の規模を誇るらしく、いよいよ「無い娯楽は無い」ぐらいの勢いらしい。……いや、これ完全に公式HPの受け売りなんだけどさ。

「(まあ、つまるところ完全なリア充御用達施設なわけだけれど……)」

 その「僕に全く向かない感」に若干されながらもエントランスに入って行く。と、中は案外悪い雰囲気ではなかった。日曜の午前中という時間帯からか、娯楽施設の内容傾向からか、どちらかというとリア充うんぬんよりは家族連れが目立つ。

「(ああ、良かった……)」

 僕はほっと胸を撫で下ろす。というのも、あまりに同年代だらけの場所すぎると、天道さんの負担(注目による)が大きくなるかもしれない、という危惧があったからだ。

 その点、家族連れが多いこの状況だと、勿論ちらりとは見られるものの、今のところタチの悪いやからに悪質な絡まれ方をする心配等はなさそうだった。

「(美人のカノジョが不良に絡まれたところをさつそうと助けるカレシ、れ直すカノジョ……みたいな展開は僕には荷が重すぎるもんな……)」

 これが上原君あたりなら、とても似合うのだけれど。…………。……はぁ。

「(って、デート中に勝手に沈んでどうする僕! それは駄目だろ!)」

 僕が決意を新たにしていると、天道さんが僕を振り向いて不思議そうに小

首をかしげる。

「? どうしたの雨野君、そんな、バキの登場人物が高揚した時みたいないびつな顔して」

「気にしないで下さい。僕なりの覚悟のあらわれです」

「うん、なにやら凄く格好良いテンションで言ってくれているところ申し訳ないけど、そんな顔のツレはいやです。出来ればもっとフラットにして下さい」

 天道さんのしんらつな指摘を受けて、僕は更に表情をねくり回したものの……まるでうまくいかない。結局数秒で疲れてしまい、どっと脱力して「いつものゆるい雨野景太」に戻ったところで、天道さんが「それがいいです」と笑ってくれた。……僕はなんだか照れてしまい、頭を掻く。……なにこれデートみたい。いやデートなんだけどさ。

 二人で受付まで進み、料金表やらアトラクション一覧を見ながら、さて何をしたものかと検討する。

 まず、天道さんが「ふむ」と顎に手を当てつつ提言してきた。

「まずアーケードゲームコーナーでたっぷり遊ぶのは決定事項と致しまして」

「決定事項ですか」

「それ以外に私の積極的にしたいことは特にないです。あとは雨野君、決めて下さい」

「思っていた以上のゲームっ子ですね!」

 僕のツッコミに、天道さんが照れ臭そうに笑う。

「いえ、友達と遊ぶ時などにはそれなりに私も周囲に合わせた要望言うのですけどね」

「そうですよね。天道さんは基本的にリア充の頂点ですし……」

「勝手に頂点へ設定されている件はさておき。でも……その……」

 そこで天道さんはスカートの前で組んだ手を若干もじもじさせつつ、潤んだ瞳で僕をちらりと見て告げてくる。

「……雨野君相手には、その、素直な本当の自分でいようって、思っていま

して……」

「天道さん……!」

 その言葉に僕は……僕は…………。…………僕は、猛省する!

「(なんてことだ! デート初っぱなからいきなり怒られてしまうとは!)」

 だって、天道さんの交際に対するスタンスを考えると、この発言ってつまり――

「雨野よ。交際しているとはいえ、貴様はまだまだこの私にとっては友達以下のウジ虫が如き存在なのだ! 身の程をわきまえろ! 恥を知れ!」

 みたいなことだろう。きっとそうだ。やばい、今日僕、ちょっと浮かれすぎていた!

 僕は慌てて、ビシィッと天道さんに敬礼した。

「僕、まずは天道さんと極めて表層的な心の通わない会話が出来るよう、一生懸命に頑張ります!」

「うん、ごめん、私には雨野君が今何を言っているのか全く分からないのだけれど。既に心が、驚く程に通っていない気がするのだけれど」

「こ、光栄です!」

「私は遺憾ですよ!」

 なぜか天道さんが大きくためいきいてた。……む、これはもっと頑張らないとかな!

 僕はしばらく敬礼を続けた後、改めて壁掛けのフロアガイドを見て検討を再開させる。

「で、では、どうしましょうか、上官」

「誰が上官ですか、誰が。ですから、雨野君のしたいことでいいと言っているでしょう」

「なるほど……。…………。…………。…………くぅ!」

「うん、ごめん、雨野君、なんで貴方そんな脂汗ダラダラかくほど追い詰められているのかしら。一応言っておくけど、別にこれで貴方の評価が決まったりはしないからね?」

「……すいません天道さん。僕みたいなモブキャラぼっち弱気野郎にとって、『ツレに自分のしたいことを言う』というハードルの高さたるや……!」

「……雨野君って、狩りゲーで自分の取りに行きたい素材言わないタイプでしょ」

「ああ、いえ、それに関しては全然違いますね」

「あら、そうなの? 意外。でも雨野君って確かに言うときは言う人かも

――」

「いえ、そもそも一緒に狩りゲーしてくれる人がいないタイプです」

「…………」

「…………」

「……よし、とりあえず館内ぶらついて、気の向くまま遊ぼうか、雨野君。ね?」

 なんかえらい優しい眼差しと声のトーンで言われた。相変わらず天使みたいに可愛い人だけれど、なんでだろう……その慈愛に満ちた顔が今は全くもってうれしくない!

 ま、まあ、なにはともあれ。

 こうして僕らの《アラウンド1》デートはようやく開始されたのであった。



 天道さんが「さて、アーケードゲームは勿論メインディッシュとして……」とか至極当然みたいなテンションで言い出したため、とりあえず僕らはゲームを後回しにして、館内をフラフラする中で目についた比較的空いている施設から利用していくことにした。

 まずはバッティング施設。ワンボックスだけ空いており「雨野君お先どうぞ」とニコニコ笑顔の天道さんに促された僕は断わるに断われず、昔から妙に似合わないヘルメットをかぶってバッターボックスへと入った。

 それらしく数回素振りをして表情を引き締めながらも、心中で溜息をつく。

「(苦手なんだよなぁ……バッティング)」

 僕は実際運動音痴だ。単純にセンスが無いのは勿論なのだけれど、何よりもメンタルの部分が絶望的。緊張しいで、臆病で、弱気。

 そもそも低いパフォーマンスが緊張で更にがれた上、相手の攻撃意志には敏感におびえ、こちらが攻撃する際にはえらく気を遣う。サッカーでは高確率で足がもつれ、剣道では防戦一方、野球のバッティングともなると……こちらに向けて放られるボールが怖くて怖くて仕方ない。

「(不幸中の幸いなのは、僕が以前野球部だったという余計な経歴が天道さんに知られていないことかな。これなら変に期待されることも――)」

 そんなことを考えて構えていると、背後から天道さんの声援が飛んできた。

「あ、以前部活で三角君から聞いたのだけれど、雨野君って確か野球部だったのよね?」

「(三角くぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅうううううううううううううん!)」

 相変わらずなんなんだあの爽やか友人は! 確かに以前うちで一緒にゲームしたとき、色々雑談した中でそんなこともポロッと漏らしたかもだけど! よりにもよって、そんなこぼれ情報をわざわざ天道さんに伝えているってどういうこと!? 本人が完全に善意でやってくれたのであろうことはヒシヒシと伝わって来るのだけれど……なんて間の悪い!

「頑張って、雨野君!」

「は、ははは、はい!」

 頬を引きらせながら応じる。そうしてガチガチの中突然マシンから放られた第一球に対する僕の成果は――驚く程の振り遅れによるあまりに間抜けな空振りだった。

『…………』

 天道さんどころか……彼女に注目していた他の家族連れさん達までなにやら「あちゃぁ」というリアクションを見せる。……やばい、冷や汗掻いてきた。緊張がどんどん高まってくる。そんな状況で続けざまに来た二球目も当然……空振りなわけで。

 思わずうなれる僕。気まずそうな天道さん……どころか、周囲の他家族の優しいお父さんお母さん達。そして、無邪気が故に残酷な小学校低学年とおぼしき男子兄弟。

「かっこわるーい!」「ぜんぜんだめじゃーん!」

 キャッキャと笑う坊主頭の少年達を、そばにいた両親が慌てて「こ、こら」とたしなめ、こちらになんとも言えない笑顔で謝罪してくる。……僕はそれにぺこりと一礼しつつ、しかしすぐにでもやってくる三球目に向かって構えた。

 そこから見事に切り替え、多少なりとも天道さんや周囲に見直して貰う

――――ことは、当然のように出来なかった。

 三球目、四球目、五球目を連続で空振りし、ここまでの失敗を取り戻そうと大振りになった結果、六球目、七球目と余計駄目になっていく。

 ワンプレイが全二十球だから、既に三分の一を空振ったことになる。……やばい。

 と、八球目を僕が待つ中、隣からカンッと小気味の良いヒット音が響いた。見れば、いつの間にやら隣のバッターボックスに、さっき僕を笑った少年達の兄の方と思しき方の坊主頭君が入っている。どうやら初球から見事にヒットを飛ばしたようだ。

「……へへっ」

「!?」

 わざわざ一度こちらを見て、ニヤリと微笑む少年。更に彼は僕の後ろの天道さんにまで視線を送る。こ……この坊主!

「にーちゃんやれぇー!」

 彼のバッターボックスの入り口では小柄な弟が元気に兄を応援していた。気付いたご両親がオロオロと心底申し訳なさそうに僕に目配せしてくるので、僕は僕で「いえいえそんな」的な会釈を何度も――

〈バスン!〉

「あ」

 ――しているうちに、ついにはバットを振ることさえなく八球目のストライ

クを取られてしまった。

 隣のバッターボックスで兄坊主がケラケラ笑い、そのまま、なんなくカコンとヒットを飛ばす。子供が故にパワーこそ無いながら、明らかにその野球センスは僕のポテンシャルを圧倒的に上回っていた。

「ほ、ほぅ」

 僕の中で火がつく。こうなったら、僕は――多少なりとも彼より体格がいいのをかして、ホームランを狙うしかない! これで年長者の面目躍如だ!

 そう息巻いた僕は、こちらの様子をうかがって来る兄坊主の視線にギンッと本気の視線で返すと、残りの打席に全力で挑み、そして結果――。

「……お、お疲れさま、雨野君。…………どんまい」

「…………すいません……」

 ――全二十打席中、見逃し一、空振り十六、ファール三(うち一つボックス内で跳ねて僕のふとももに直撃し坊主達の爆笑を誘う)という……さんたんたる結果を残して、ボックスを出たのだった。

 隣のバッターボックスからは少年がカコンカコン軽快にヒットを飛ばす音が響き続ける中、がっくり肩を落とした僕に天道さんが声をかけてくる。

「ま、まあ、あれです。そう、雨野君のゲームスタイルと同じです! 結果がどうあれ、本人が楽しかったならそれが一番――」

「…………」

「――世の中、時に悲しいだけのことも、ありますよね」

 視線をそっとらしてそんなことを言う天道さん。いや、僕的にはむしろその光景が一番悲しいのですが、それは……。

 と、そんなことをしているうちに隣のボックスから少年が満足げに出て来た。

「へへへっ、楽しかったぁ!」

「すごいねにーちゃん! ぜんぶうってたよ!」

「おう、こんなのラクショーだぜ! うてないほうがおかしいレベル!」

「ぐっ!?」

 兄坊主が僕の方を流し目で見ながらそんなことをのたまう。ご両親がその頭を小突きながらこちらにペコペコ頭を下げてくれているものの、僕と兄坊主はそれに全く構わずバチバチと視線を戦わせていた。……そ、そうか、これこそがライバルという存在――

「じゃあ雨野君、次、私やってみますね!」

「はーいどうぞどうぞ――って、え?」

 ふと気付けば、天道さんが意気揚々とバッターボックスへと入っていってしまっていた。まさか彼女までバッティングに興じると思っていなかった僕は慌てて入り口フェンスにつかみ寄る。

「え、て、天道さんもやるんですか!? この流れで!?」

 僕と違って妙に似合うヘルメットを可愛くかぶりながら、天道さんがこちらをちらりと振り向く。

「はて? 流れ、ですか? 良く分かりませんが、雨野君のプレイを見ていてムズムズしてしまったので、私も少し興じてみようかなと思ったまでですよ」

「あ、ああ、いや、天道さんが楽しむのはいいんですけど、でもこれちょっと、その、天道さんのポテンシャルや性格的にどう考えても……」

「あ、もう始まるみたい。じゃあね、雨野君」

「あ」

 そう告げて、ゲームに臨むときと同じ絶大な集中力を伴って前方をにらみつける天道さん。

 それから約五分後。そこには……。

「ふぅ、ホームランが十三本しか出せないなんて。これは精進しないと駄目ね」

『…………』

 そこには十三本のホームランと、七本のヒットを出してなお不満そうにボックスを出て来る天道さんと……そして、彼女と僕を交互に見る家族連れ

の皆さんの姿があった。

『(い……いたたまれない!)』

 場に明らかにそんな空気が漂う。ふと気付くと、坊主頭少年がいつの間にか僕の背中の腰辺りに、何か慰めるように手を置いてきていた。

 僕がちょいと泣きそうになる中、天道さんが全く悪気のない笑顔を向けてくる。

「やっぱり簡単そうに見えて難しいのね、バッティングって。実に奥が深いわ」

「そ、そうですね……」

「でも、意外と面白くてびっくり。限られた球数の中でハイスコアを目指すこの感覚……私、凄く好みだわ!」

「そ、そうですか。それは良かった……」

 僕の、男(カレシ)としての面子を完全に潰した自覚などまるでない様子ではしゃぐ天道さん。……僕本人としてはまあ、彼女が楽しそうならそれでいいかとも思うのだけれど……周囲の皆さんがあまりに同情的な視線を僕に向けてくるので、むしろそれこそがいたたまれなくて仕方ない。小学校時代に友達とふざけていたら、真面目な女子に「ちょっと男子ぃ、雨野君いじめるのやめなよー」と言われた時と同じたぐいのみじめさである。

「じゃ、じゃあ、他行ってみましょうか!」

 僕はこの場からの退出を天道さんに促す。彼女は少し不満そうだった。

「え? ああ……そうですね。でも、もう一回やりたい気持ちも多少……」

「れ、連続して占有するのは良くないですよ、ええ!」

「あ、それもそうね。うん、行きましょうか」

 なんとか彼女に納得して貰って、バッティング施設を去る僕ら。

 ……最後にちらりと背後をうかがうと、なにやら坊主兄弟が、僕らの方を見てケラケラと実に楽しそうに笑っていたのだった。



 結局『アラウンド1』におけるスポーツ系施設の利用風景は、一事が万事こんな感じだった。卓球でも、ダーツでも、ビリヤードでも、ボウリングでも。

 まず僕がへっぽこプレイをして、天道さんが気まずそうにフォローを入れる。しかしそれでいて彼女、勝負事となると真剣そのものな性質なので、その全てに全力で臨み――そうして僕をコテンパンにする頃には、僕への気遣い云々はすっかりどこかに行き、完全に自分との勝負の世界に入って一人、悦に入るなりミス部分の検討なりをしている。

 しかもまた悪いことに、例の坊主兄弟を伴った家族連れも高頻度で同じ場に居合わせ、子供達が僕と張り合ってスコアを上回ってはキャッキャとはしゃぐ始末。

 結果「デート」としては落第点にも程があったものの、しかし……。

「それにしても雨野君! ここ、凄く楽しいわね!」

「は、はぁ、それは良かったです……」

 一通りスポーツ系の興味ある施設を回り終え、館内フードコートで二人、昼休憩がてら軽食を取り終えたところで。

 天道さんが突然、少し興奮気味にそう切り出してきた。

 僕は苦笑いで応じながら、まあ彼女が楽しいならそれで充分だよなと納得し、氷が溶けて薄くなった烏龍ウーロン茶を啜る。

 天道さんは少し落ち着いた様子で、それでもどこか上機嫌に続けてきた。

「不思議ね。学校の体育で同じ事をしてもここまで高揚したことはないのだけれど」

「ああ……それはなんとなく気持ち分かります。あれですかね。義務でやるのと、自発的にやるのとの違いですかね」

「ええ、それは勿論あるのでしょうけど……」

 言いながら、なにやら僕をちらりと窺い見る天道さん。僕が首を傾げると、彼女はなぜか少し慌てた様子で、アイスレモンティーを口にした。

 なんだか天道さんが気まずそうにしているので、僕は話題を変えることにした。

「さて、これからどうしましょうか。そろそろアーケードゲームとかします?」

「え? あ、ええ、そうね。でも詰め込んで遊んでいたせいか、まだ案外時間あるわよ」

「ですね。とはいえスポーツアトラクション系のめぼしいところは大体……」

 僕はかばんから入り口で貰った館内案内図を取り出すと、テーブルに広げる。対面側の天道さんに文字がちゃんと見えるようにとマップを回転させていると、天道さんは「あ、いいわよ」と告げて、僕の隣に来るよう椅子を移動させてきた。

 思いがけず接近した彼女の髪から、ふわりと優しいかんきつ系の匂いが香る。

「(う……)」

 僕は照れて、少し身を離してしまった。……そのいい香り自体がどうこうより、相手の匂いさえ感じられてしまう距離、というのがどうにも慣れない。

 しかし天道さんは僕のそんな心中を見透かしてかもしくは天然か、ぐいっともう一度距離を詰めてきた。……僕は流石に観念して、出来るだけこのドキドキを気にしないよう、館内図の方に集中する。

「えっと。そう、あの、めぼしいところは大体行った気がするんですけど」

「ええ、そうみたいね。……あれ? でも雨野君、こっちのフロアって……」

 天道さんがそう言って指差したのは、連絡通路で繋がった別館の方だった。確かにこの『アラウンド1』には大きな別館がある。しかし、そこの大きな建物にあるスポーツ娯楽施設はただ一つ。それというのも……。

「えっと、アトラクション系のプール、ですね。ウォータースライダーが

あったり、波があったりするアレです。でもこれは……」

 実際僕も勿論その目立つ存在は知っていたのだけれど、最初から選択肢として完全に排除していた。……だって……。

「(そもそも似合わないっていうのは勿論だけど。流石に天道さんに水着姿になって貰うのはまずいだろう……)」

 ただでさえ多くの視線を集める女性が、その上水着姿なんて……正直なところ、浮ついた気分より、嫌なトラブルの予感の方が先に立って仕方ない。それに実際プールに行ったところで、天道さん好みの「遊び」もあまり無いだろうし。

 そんなわけで僕が普通に却下しようとしてると、天道さんが何気ない調子でしれっと告げて来た。

「折角だから冷やかし程度にでも見て来ましょうよ、雨野君」

「ええ!?」

 思わず椅子をガタリと鳴らす。天道さんは不思議そうに首を傾げていた。

「どうしました? 何か問題でも?」

「いや、何か問題もなにも……」

 どうして、注目を受けそうな本人がそう無防備なのか。僕がぜんとしていると、天道さんは僕側のその心配にようやく気付いたのか、「ああ、なるほど」とつぶやき、少し悪戯いたずらっぽく笑った。

「雨野君は、私の水着姿を他の人に見られたくないと、そういうわけですか」

「い、いや、まあ、そういう言い方すれば、そうなんですけど!」

「え? あ、そ、そうですか。……半ばジョークだったんですけど……」

「え?」

 天道さんが頬を紅くして俯く。僕も思わず赤面しつつ、慌てて取り繕った。

「あ、いや、そ、そうじゃなくて! というかいっそ僕なんかにさえ見せないべきというか、出来るだけ人目につかない場所に大事に封印しておくべき存在というか……」

「私の水着姿は超古代兵器か何かですか」

「人の心にある種の闇をもたらす存在ではあることは確かです」

「じ、自分のカノジョの水着姿にそこまで言いますか!? 酷いですよ雨野君」

 少しむくれる天道さん。ああ、ぷくっとしたほっぺたもかわいい。……じゃなくて。

「し、しかしながら、やはり、大きな戦争の引きがねになりかねないものを、そんなおいそれと容易たやすく持ち出すべきではありませんよ、上官」

「だから誰が上官ですか、誰が!……はぁ。いい? 雨野君。私は、そもそも必要以上に自分を抑えるのを良しとしない性格です」

「それは僕も今日一日で痛い程身に染みております」

 主に勝負事で無慈悲にコテンパンにされながら。

 天道さんが腕を組んでうむうむとうなずきながら続ける。

「ですから、人に注目されるのを恐れ、自分のしたいことをそっと控える。……これほど私の主義に反する行動もありません」

「リア充の頂点なのに、殆どイチからゲーム部作っちゃう人ですしね」

「そうです。ならば答えは一つでしょう。……たとえ結果的に人類が滅ぼうとも、私が雨野君とプールデートを楽しみたいと思ってしまったのだから、もうそれは仕方ない」

「超古代兵器どころか最早魔王の風格ですね! 思想が完全に人類の敵のそれですね!」

「ごちゃごちゃ五月蠅うるさい人ですね。仕方ない。じゃあ雨野君。もう、私は、シンプルに一つだけ質問することにします」

「はい、なんでしょう」

「こほん。雨野君、貴方は……」

 天道さんはそこで一拍置き。僕の目を真剣に見つめながら……問い掛けてきた。


「貴方は、私とプールデート、したいですか、したくないですか」

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