第11話 ゲーマーズとフライングゲット 起

【ゲーマーズとフライングゲット】


「ごめんなさい。私、貴方あなたとはいいお友達でいたいかなって」

「えー、なんだよぉ、もう!」

 三度目の告白が失敗したところで、僕は宙を仰いで駄々をねた。フラれたもののリアクションとしてはあまりに往生際の悪い、相手にも失礼な、みじめにも程がある態度だが……なに、気にすることはない。

 なにせ相手は、テレビ画面の中の二次元ヒロインなのだから。

 ……ある意味余計みじめな光景じゃないかとか、言わない。恋愛シミュレーションゲーム相手に一人で悪態つく男のどうしようもなさなんか、僕だって重々自覚している。

 しかしそう分かった上でなお、僕は悪態を止められなかった。

「一体僕の、何が気に食わないっていうんだよ……」

 腰掛けていたベッドへとあおけに倒れ、脇に放ったコントローラーをぼんやりと見つめながら、ラブコメにおいて当て馬のキザ野郎が吐きそうな台詞せりふつぶやく。

 この恋愛シミュレーションゲーム……「きんいろ小細工」を始めて、今日で五日目。これまで全五人のヒロインを、一日一キャラずつ攻略してきた。そうして、一番好みのヒロインこそを最後にとっておく僕が、満を持して臨んだ最後のヒロイン。金髪優等生フラウ・ヘブンリーへの、実に三度目ともなる告白の結果が……これである。

 僕はわしゃわしゃと頭をきむしりながら、うめき声をあげる。

「あー、もう、分かんない。選択肢のどこでミスってんのかが、全く分かんない」

 そもそも一周目の時点で、既に僕としては、彼女との会話シーンの全てで正解の答えを提示しているつもりだったのだ。だというのに……告白の場面でまさかの失敗。

 呆然ぼうぜんとはしたものの、その時点ではまあどこかの選択肢を操作ミスか何かで微妙にしくじっていたのだろうと軽く考えており、やれやれと細心の注意を払って挑んだ二周目で……またもやフラれ。

 ことここに至り、どうやら何かが根本的に間違っているらしいぞと気付いた僕が超前のめりで挑んだ三周目。クイックセーブ&ロードを使いこなして会話時のフラウの全選択肢に対するリアクションを精査し直し、他のヒロイン達には極力いい顔をしないよう心がけ、自分の中ではこれで絶対完璧だろうと告白に臨むも――あえなく撃沈。

 そりゃあ流石さすがの僕も、悪態をついてベッドにも寝転ぼうというものだ。

 バッドエンド時の妙に物悲しい、質素なエンドロールがテレビに流れる中、僕は大きく溜息ためいきをつく。

「(……どうしてこう、僕ってやつは……よりにもよって、この子に限ってさ……)」

 天井を見上げながら、雨野景太という人間の情けなさに腹を立てる。たかだか恋愛シミュレーションゲームごときに大袈裟おおげさな、と思われるかもしれないけれど……。

 その、実はこのフラウというヒロイン、どことなく、天道さんに似ているのだ。

「(……天道さん似のヒロインを勝手に最終ヒロインへと設定して、だけどそれにさえ素であえなく玉砕するあたりが、僕だよなぁ……)」

 実際このゲームの評判やレビューなんかを見ても、フラウのルートが難しいなんていう感想は皆無だ。つまり、他のユーザーは問題なくクリアできているのだろう。引っ掛かっているのは僕だけ。どんだけ女心への理解がズレ

てんだって話だ。……いや、違うな。天道さんへの理解が、か? だって他のヒロインは問題なく攻略できてるわけだし。

 状況が状況だけに、ここで攻略情報を見てしまうのもそれはそれで悔しい。かといって、既読スキップを駆使しても一周四〇分程度はかかるこのゲーム、何の策も展望もない状態で本日四周目に入る気力もなく。

「……はぁ」

 僕は大きく溜息をつき、ゲーム機の電源を落とすと。

 そのままベッドの上で、ぐでぐでと、作業感たっぷりにソシャゲを始めたのだった。


「雨野、それを恋愛相談とは言わない」

 にべもない友人の対応に、僕は「いやいやいや」と慌てて取りすがる。

 水曜日の放課後。ゲーム同好会の活動と称した定例の駄弁だべり時間を迎えると同時に、勇気を持って相談を切り出してみた僕に対する上原君の反応は、実に冷たいものだった。

 僕は別クラスのチアキが合流するまでまだ時間があるのを確認すると、相談を続けさせてもらう。

「そんなこと言わないでさ。こ、これも天道さんとお近づきになるための、僕の涙ぐましい努力の一環だと思って。ねぇ?」

 必死で縋る僕を無視し、どうでもよさげに小指で耳をほじくる上原君。……ぐっ。

「ほら、リアルカノジョ持ちの上原君なら、恋愛シミュレーションゲームの攻略法ぐらい、ちょちょいのちょいでしょ? 意地悪せず教えてよ、上原君」

「……雨野」

「なに?」

 そこで上原君は突然大きく嘆息すると、「やれやれ」と首を振り……そうして、胸の前で腕を組んで、何か僕をとがめるような雰囲気で切り出してきた。

「俺は今から、お前らオタク共にとって少しショックな事実を突きつけさせて貰う」

 その言葉からなんとなくいやなものを察した僕は、慌てて顔を背けて叫ぶ!

「あ……ご、ごめんやっぱり相談いい! 聞きたくない!」

「恋愛シミュレーションゲームってやつはな――」

「あー、あー、あー、きき、聞こえないー」

「――実際、全くもって現実の恋愛をシミュレーションしては、いない!」

「言わないでぇ!」

 残酷な真実を突きつけられて、ガクガクと震える、草食系を装った対人恐怖症男子。

 上原君は僕をひどく憐れんだ目で見下しながら続けてくる。

「だから俺は、カノジョ持ちだが――いや、カノジョ持ちだからこそ、恋愛シミュレーションゲームのアドバイスはできない。なぜならそれは似て非なるどころか……そもそも全くの別物だからだ!」

「ぎゃあああああ!」

 薄々感付いていたことを改めて告げられ、ガックリと机に項垂うなだれる僕。

 ……僕は呻くように呟いた。

「じゃあ……じゃあ、僕がこれまでゲームで培ってきた対異性の経験値って……」

「すまないな雨野。実は恋愛シミュレーションゲームで得られる経験値で上がるのは、創作ヒロインへの対応レベルだけであって……現実の異性への対応レベルは、一つたりとて上昇していないんだよ!」

「な、なんだってぇー!?」

「逆もまたしかりでな。だから俺からお前にアドバイスできることはないんだ。恋愛シミュレーションゲームの腕前は、お前の方が遥かに上なのだから。よ、シミ充!」

「なんて不名誉な称号なんだシミ充! ぼ、僕はシミ充じゃないやい!」

「ちなみに雨野、お前高2現在まででクリアしたギャルゲー本数は?」

「えーと……四〇本ぐらい?」

「おめでとう雨野」

 突然上原君にスッとルーズリーフを差し出される。見れば、シャープペンで今日の日付と僕の名前、そしてデカデカと書かれた「シミ充」の文字。なんか証書発行された。

 がくりと肩を落とす僕に、上原君は「まあ冗談はさておきよ」と続けてくる。

「実際俺に聞かれても分からんって、それは。俺、ギャルゲーやらねぇし」

「ま、またまたぁ。そんな恥ずかしがらず、素直に白状して楽に――」

「いやホントに。ガチで。っつーか雨野よ。男なら誰でも通る道とかじゃ絶対ないからな、ギャルゲー。お前のその価値観は明らかにオタク統計を元に成り立っているぞ」

「じゃ、じゃあ一体、普通の男子は女の子への欲求をどこへ吐き出すと――」

「AVだろ普通」

 僕は一瞬眩暈めまいを覚えるも、すぐに気を取り直すと、今度はやれやれと、さも嘆かわしげに息を吐いた。

「……イマドキの日本の青少年ってやつは、一体どういうつもりなのかね……」

「いやいやいや、その言葉そっくりそのままお前に返すわ」

「エロゲーならまだしもさ……」

「いや、だからお前の感性ズレてるって。っつうか純粋とかとも違うのな。ある意味においてはお前の嗜好しこうの方がハードだぞ」

 あきれたようにそう言った後、上原君はせき払いして話を本線へと戻す。

「そもそも、何を意固地になってんだよ雨野。俺にアドバイス求めるぐらいなら、もう素直にネットで攻略情報見ろや」

 そのごもっともな意見に、しかし僕は「いやぁ」と照れて頬をぽりぽり掻く。

「ああいうアドベンチャー系のもの……特にヒロインとの恋愛なんかが主題のものって、多少のヒント貰いながらでも自分で選び取るのと、逐一攻略見ながらやるのとじゃ、感情移入度が全然違うって言いますか……」

「ほぅほぅ、つまり天道との友好の道は自らの手で切り開きたいと。男だねぇ」

 僕は図星を突かれてドキリと心臓を跳ね上がらせながらも、慌てて否定する。

「ち、違う違う、なに言ってんのさ、これはゲームの話! ゲームの話だって!」

 そう取り繕いながらも、確かに今の僕は現実をゲームへと必要以上に重ねて、勝手に迷路へと迷い込んでいるフシはあるよなぁと反省する。

 本当に色々なことが情けなくて溜息をつく僕に、上原君は面倒臭そうに頭を掻いて話を仕切り直してきた。

「っつーか、ゲームのヒロイン攻略に現実重ねて悩むぐらいなら、いっそ、素直にがっつり現実の方で悩もうぜ。その方がずっと賢明だ」

「? つまり、どういう意味?」

「だからよ。……そろそろお前、天道本人にアプローチかける時期なんじゃねぇの?」

「え……」

 上原君の言葉に、僕は目を丸くする。

「なに言ってるのさ上原君。今の僕じゃ天道さん相手にミジンコすぎるから、今まともに人と……特に女の子としやべれるよう、特訓中なんじゃないか。忘れたの?」

「忘れてねぇよ。むしろ忘れてないからこそ、提案してんだよ」

「どういう意味?」

「……どういうって……はぁ。だって、お前さぁ……」

「ん?」

 上原君は「まだ自分で気付いてねぇのか」とでも言いたげな表情で僕を見つめ。

 そうして……その、核心に迫る言葉を告げてくる。

「お前もう、女の子どころか、あの天道とさえ割かしまともに喋れてるじゃねえか」

「――――え」

 言われて思考が一瞬フリーズする。その隙に上原君は更に続けてきた。

「星ノ守なんて言わずもがなだし、その……なんか知らんけど亜玖璃とも喋れてるみてぇだし。あと……ほら、なんかこの前天道とバッタリ会ってメダルゲームしたとかって話あったじゃんか?」

「う、うん、確かに一緒にメダルゲームしたけれど……」

 一体何を言っているんだ上原君は。僕みたいなモブキャラ野郎が、あの天道さんとまともに会話なんて……なんて……。……………………。

「割としてた!?」

「気付くの遅くね!?」

 椅子を鳴らして立ち上がり、カッと目を見開き叫ぶ僕に、上原君もまた驚きながら返してくる。

 た、確かに。一緒にメダルゲームした時は、いつものように緊張していたし、恐れ多いという気持ちも強かったけれど、コミュニケーション自体はちゃんと成り立っていた気がする。まあ、だからといって、良い雰囲気とかでもなかったけどさ。なんか結局勝負事になっちゃったし。っていうか僕あの時もがっつり負けて醜態さらしてたよなぁ。うん。

 僕がそんな追加情報を口にすると、上原君は「いや、だからさ」と気怠けだるげに首筋をむ。

「勝ち負けがどうとかじゃなくよ。特に部活だから等の理由もなく二人で一緒に遊べている時点で既にお前と天道、『友達』へのランクアップ条件は十分すぎるんだっつーの」

「う、うーん、そうなのかなぁ?」

 正直なところ、天道さんと心の距離が近付いているだとかは、考えたこともなかった。毎回ずっと僕側がテンパって、どうにかこうにか対応するだけで終わっているし。

 一応「知り合い」ではあるから喋ったり行動共にしたりはするけれど……じゃあ、それ以上の何かがあったかというと、そんなことはない。っていうかむしろ、「また嫌われたかも」と思うような場面の方が多く思い当たるぐらいで。

 それに天道さんが僕なんかと親しくしてくれる理由は……恐らく、上原君とお近付きになりたいからなのだろうと、僕はにらんでいるわけで。

 将を射んと欲せばまず馬を射よの論理で近付いてきている相手とコミュニケーションが成立したところで、それを「親しくなりかけている」と判断しちゃうのは如何いかがなものか。

 ただ、こういう事情は上原君本人に話せるものでもなく、結果として上原君からは、僕と天道さんがそこそこ上手うまくやれているように見えているのだろう。

「(もう、これだから美少女の恋心に気付かないラブコメ主人公野郎ってのは……!)」

 うんうん唸る僕に、上原君はなぜか心底呆れた様子を見せる。

「……そもそも、お前の中で『友達』のハードル高すぎねーか?」

「う……」

 天道さんの恋心云々うんぬんはさておき、それは一理あるかもしれない。かもしれないが……。

「でも、そうはいっても相手は天道さんだよ?」

「天道だろうがお姫様だろうが、結局は一人の人間なんだぞ」

「でも僕は天道さんにとって、ミジンコというか、おおなめくじだから……」

「だから部活勧誘断わった直後の時点ではそうであっても、今やもうそんなことねーんだって。お前、別に天道に嫌われてねぇって。嫌いなやつ、散歩に誘うか?」

「知り合いと偶然街でばったり会ったら、社交辞令的に誘うことはあるかと」

 と、なぜか上原君が「マジかよこいつ……」と頭を抱え始める。なんか僕の交友関係についてはいつも上原君の方が深く悩んでくれている気がするなぁ。…………じーん。

「……僕、上原君が友達になってくれて、今とっても幸せだよ」

「なんでお前はいつも俺にばっかり甘い台詞を吐くわけ!?」

 なんか顔をあかくしつつもドン引きされてしまった。そうか、男の友情って、

もっと無骨じゃなきゃ駄目だよな、うん。無骨な……男の友情……。……

……。

「上原君、一緒にお風呂でも入る?」

「ガチかよ! お前もうそれ、ガチのやつじゃねぇかよ!」

 上原君が前方の椅子やら机やらをグイグイ押しのけながら、壮絶な勢いで僕から離れていく。教室にまだ残っていたクラスメイト達数人からの視線が集まってしまった。

 僕らは慌てて取り繕うべく、周囲を見回しながらぺこぺこと会釈を――

「って、あれ、チアキ?」

 ――その途中でふと教室の入り口にワカメ女子の姿を見つけて声をあげる僕。

 上原君がギョッと目をく中、チアキはなぜか頬を染めて僕と上原君を交互に観察し、そして……。

「あ……あのあのっ! じ、自分、ちょっと用事思い出したので……えとえとっ、そのその……さ、さようならぁー!」

 ぴゅーっと足早にその場から去っていってしまう。

 僕にはイマイチ彼女の反応の意味が分からず、首をかしげる中。上原君はしばし口を金魚の如くぱくぱくとさせた後……突然、周囲の目にも一切構わない様子で、全力で叫んだ。

「このまま逃がしてたまるかよぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 そうして、僕らがびっくりしている間に高速で自らの席に戻って鞄をひっつかむと、「今日の同好会終わりっ!」とだけ僕に言い残し、チアキの後を追うように必死で走っていってしまう。

 僕は状況にまるでついていけず、廊下を走る上原君の足音が聞こえなくなった辺りでようやくハッと気を取り直すと。すごく大事なことに気付いて思わず呻いた。

「あぁっ、しまった……! これは、完全にあれだ……!」

 自分のことはてんで駄目でも、他人の恋愛を見る目には少し自信がある。

 僕はごくりと唾を飲み込みつつ、顎の下で手を組み、確信を持って呟く。

「上原君とチアキの恋愛模様が、かなり深い段階まで踏み込んでいる証……!」

 女が頬を染めて走り去り、男が「逃がしてたまるか」と全力で追うなんて、もう、勘違いのしようもない決定的場面じゃないか。っていうか末期?

「ああ……もう、どうしたものやら……!」

 僕はしばし頭をくしゃくしゃと掻きむしると。

 非常に気は重かったものの……仕方なく、まずはアグリさんへと連絡を取ることにしたのだった。


天道 花憐


「ですから、何度も言いますが貴方とお付き合いはできません。……はい? お試し期間程度でも、ですか? なんですかそれは。雇用関係以外の人付き合いに、そういう発想を持ち込むこと自体に正直私は嫌悪感をおぼえます。

 『お試し』だなんて……相手に、そして自分に失礼だとは思わないのですか?

 ……いえ、ですから先程も言いましたでしょう。私は誰ともお付き合いなどしてはいないと。……だったらいいじゃないかって……。……はぁ。呆れましたね。

 私の言ったこと、多少なりとも理解されていますか? この際なのでもう一度ハッキリと結論から申し上げますね。

 私は、貴方と、お付き合いをする気はありません。

 ……は? 近々行われるトーナメントで優勝したら?……はぁ。分からない人ですね。

 私をなんだと思っているのですか。人を大会の副賞におとしめて楽しいですか。

 貴方のボクシング能力が高いのは大変結構なことです。素直に尊敬致します。

 だけどそれと、私の恋愛感情は、全くの別問題です。そうでしょう?

 試合を観て欲しい? 私のためにささげる? いえ結構です。はい、結構です。いえ、ボクシングが嫌いとかではありません。単純に、現時点で私が、わざわざプライベートの時間を割いてまで貴方の試合を観に行きたいと思わない、というだけの話です。だってそうでしょう? まだ知り合いとも呼べない人の試合をどうして休日に観に行くのですか。

 はい? だったらせめて、友達から始めてくれないか……ですか?

 ……いえ、それもどうでしょうね。そもそも、貴方の言う友達って、なんですか? 恋人が駄目だったから、仕方なくワンランク下げて……という意味での友達、でしょう?

 生憎あいにく私は、そういう友達を欲しいと思ったことがありません。

 あと正直なことを言わせて貰えれば、私は……ほぼ初対面の貴方にこういうことを言うのが失礼だとは百も承知の上で、あえて、率直に言わせて貰うのですが。

 私は正直、貴方と友達になりたいと、思えません。 

 価値観が違う……というよりは、ソリが合わない気がする、という感じでしょうか。友達とは必ずしも趣味嗜好が合致している必要はないですが、た

だ、その人の人間性を好きになれそうかどうかは、極めて重要だと思います。

 その意味において、残念ながら今回の告白における貴方の言動を聞くだに、私はどうも貴方を一人の人間として、今のところは好きになれそうにありません。

 以上のことから、私は貴方とは今後も――――って、あら?」

 ふと気付くと、わざわざ他校からいらしたボクシング部の安藤さんとやらが、私の視界から消えていた。

「噂通り、感じ悪ぃ女だな! ああやだやだ!」

 悪態をつきながら、みしみしと文化部棟の床板を鳴らして去っていく安藤さん。

 溜息をつきながら彼の背中を見るとはなしに見送っていると、ふと、突然背後から肩を叩たたかれた。

「お疲れさまでした、天道さん」

「? あら、三角君。早いのね」

 幾分驚きながら振り返ると、部活仲間の三角瑛一君が、相変わらず爽やかな顔に、今日はどこか気まずげな苦笑を張り付かせてたたずんでいた。

 その表情と彼の言葉のニュアンスから状況を察した私は、少し恐縮してたずねる。

「……見てた?」

「ええ。申し訳ないとは思いましたけど……とはいえその、ここ、部室に続く廊下なんで不可抗力と言いますか……」

「そうよね。いえ、こちらこそ、通路ふさいでしまってごめんなさいね」

「いえ、告白終わるのを待っていたのはボクぐらいなんで、別にいいんですが……」

 そう言いながら、三角君は何か言いたげに頬をぽりぽりと掻く。私が「なに?」と促すと、彼は少し躊躇ためらってから切り出してきた。

「天道さんってその……結構、キツい断わり方するんですね……」

「え? ああ……」

 私は苦笑いしつつ廊下の壁に背を預け、消耗した気力を多少なりとも回復させながら応じる。

「恋愛のプロ気取るみたいでアレなんだけど、その、こういうのって、曖昧に答えるのが一番駄目なのよ。相手に気を遣ってやんわり断わろうとすると、変に希望持たせちゃって余計に罪深い状況に陥りがちなものだから……」

 それは私がこれまで多くの告白を断わってきた経験から導き出した結論だ。

 三角君はどこか感心した様子で腕を組んで呟く。

「ははぁ、なるほど。だから天道さん、あの人に関しても、あんなにも……ちょっとボクまで泣いてしまいそうになるぐらい、ドギツイ全否定かましてたんですね」

「う」

 その言葉に、私は思わず詰る。……私は彼に、おずおずと訊ねた。

「三角君。さっきの私って……そんなにキツかったかしら?」

 気まずげな私を見て、三角君がぱちくりとまばたきをする。

「え? ええ、キツかったですけど……でも、そういう意図でやってるんですよね?」

「それはそうなんだけど……。……もしかしたら私最近、日々告白を断わる中で、必要以上に攻撃的になっていたんじゃないかしら、と」

 私としては、真摯しんしな相手には真摯に、軽いヤツには手厳しくという感じであたっているつもりだったのだけれど……他者から見てもドギツイとなると、いささか問題かもしれない。

 三角君は困った様子で「うーん……」と後頭部を掻くと、先程の告白風景を思い出しながら告げてきた。

「正直彼は、はたから見ていたボクでもどうかと思う人ではありましたけど……」

「で、でしょう? ちょっとアレな人だったわよね、彼」

 よし、私は間違っていない。私はちゃんと正解の対応ができて――

「でもそれ以上に、相性悪かったとはいえ好意を抱いてくれている相手にま

で、基本返答が全部否定から入る天道さんって、鬼だなぁという印象が強かったですね」

「うぐっ!?」

 ぐさりと胸に矢が刺さる。……た、確かに、そうかもしれない。あの安藤さんとやらと付き合う気は全く無かったし、正直好きになれそうな人柄でもなかったけれど……だけど、それでも、自分に好意を抱いてわざわざ告白しに来てくれた相手ではあったわけで。

 それに対して、私なりの誠実さが故とはいえ、基本否定の言葉からばかり入っていたのは、やりすぎだったかもしれない。

 三角君が微笑を浮かべながら私にアドバイスを送ってくる。

「先に『告白を断わる』っていうことが念頭にあるせいなのかもしれませんけど、今回天道さんの言葉って基本『いえ』から入っていましたよね?」

「ああ……言われてみれば、そうかもしれないわ」

「恐らくは、クセになっているんじゃないでしょうか。とりあえずまず否定から入って、理由を述べるその形式」

「……ああ……」

 思い当たるフシがありすぎた。……そうだ。告白を断わるのが日常化して以降、私はついつい「初手否定安定」の思考に染まりがちだったかもしれない。

 三角君が柔らかく微笑ほほえんで続ける。

「それがクセになりすぎると、あんまり良くない気がしますよ。本来先に自分の気持ちがあって、その上での否定なのに、そこの順番が逆になっちゃいかねないっていうか」

「まず否定ありきで、そこに後付みたいに自分の気持ちを寄せちゃうかもってこと?」

「そういうことです」

「それは確かに……人として好ましくないことね」

 それは、最近私が自分……天道花憐という人間に対して抱いている問題意

識と、少し通ずるところのある話だった。

「(雨野君にゲーム部断わられた時とか如実だったけど……私ってどうも、かたくなすぎるところがあるのよね。臨機応変さが足りないっていうのかしら)」

 何事に対しても「こうだから、こうであるはず」と勝手に規定しすぎているというのか。

 雨野君はゲームが大好きだから、ゲーム部への誘いを断わらないはず。

 ゲームを真に楽しむっていうことは、つまり勝ち負けにこだわらないということのはず。

 告白を断わるのだから、とりあえず全部否定から入った方がいいはず。

 そうやって自分という人間のやり方を決め尽くした結果、一見完璧人間には見えるようになったが……一方で柔軟さが失われ、想定外の事態に対処できなくなった。

「(……雨野君に入部を断わられた時の、みっともない私がそれの典型よね……)」

 あの時のことを思い出すと、今でも頬が熱くなる。それもこれも全部、私の頑なな生き方のせいだ。

 すっかり反省して落ち込んでしまっていると、少し慌てた様子で三角君がフォローを入れてきた。

「いえ、あの、別にその生き方を根本から変えろみたいな話ではなくてですね。その、なんていうんだろうな、ちょっとした心がけで充分なレベルの話というか……」

 三角君はしばし宙を見上げ、そして何か名案を思いついたといった表情を見せる。

「もう少しだけ、感性に従って素直に対応してみたら、いかがでしょう?」

「感性に従って?」

「そうです。天道さんってボクから見ると、良くも悪くも常に『これぞ理想の天道花憐』ってよろいまとっている印象なんですよね。ゲーム部でこそ多少脱いでいるんですが」

「ああ……」

「人との会話も、まず鎧で処理してから、改めて中身の天道さんが考える感じっていうんでしょうか? だから、そこを逆にできればいいんじゃないかなと思います」

「つまり……まずは、素直な気持ちで会話して、取り繕ったり補足するのは後からでいいってこと……かしら?」

「そうですね。天道さんの場合は、それぐらいでいいと思います」

「……なるほど」

 私が顎に手をやりふむふむと納得していると、三角君がなにやら呟いた。

「…………そうしないと、いつまでっても雨野君との溝埋まりそうにないですし……」

「え? なんですって?」

「いえ、なんでもないです。…………こういうの聞こえないあたりも、雨野君とホント真逆の人なんだよなぁ……あぁ、前途多難だなぁ……」

 また三角君がなにやら言っているけれど、私にはサッパリ聞き取れなかったので、きっと私に関係のないことなのだろう。

 私達は話が一段落したところでゲーム部の部室へと向かうと、いつものように各々おのおのゲームの特訓へと励みだした。が、しかし……。

「まず素直な気持ちありきで。素直な気持ちありきで。素直な気持ちありきで。なんでも否定から入るのをやめる。否定から入るのをやめる。否定から入るのをやめる……」

 私は部活でゲームに興じている間も終始、ほとんど無意識にそんなことをぶつぶつと呟き続けたのだった。


上原 祐


「すす、すいませんっ、自分、なにか早とちりしていたみたいで……」

「まったくだぜ」

 恐縮する星ノ守の隣で、俺はやれやれと息を吐いて脱力する。

 夕焼けに染まる校舎を背にして、現在俺達は繁華街へと続く道を並んで歩いていた。

 いつもは校舎前からバスに乗る星ノ守だったが、今日は何やら買い物があるらしい。だったらと俺も同行し、歩きながらBL疑惑を解いて今に至るのだが……。

 俺はちらりと隣を歩く少女の横顔を盗み見て、心の中で嘆息する。

「(……結局、今日も星ノ守と二人で行動しちまってるよ、俺。おっかしいなぁ)」

 本来ならカノジョである亜玖璃とこそ放課後一緒に遊ぶべきだし、事実ちょっと前まではイヤになるぐらい、毎日一緒だったというのに。

 それが、最近はどうだ。亜玖璃への恋心を自覚した途端、今度は彼女といられる時間が激減し、なぜか雨野や星ノ守と絡む時間ばかりが増えていく始末だった。

「(神の嫌がらせとしか思えねぇ……)」

 俺は信心深い人間じゃないが、それでもこの馬鹿ばかげた状況には、運命を操る誰かの悪戯いたずら心を感じずにはいられない。

「(そしてその神様にしても、結局何をどうしたいんだか。運命の糸は明らかに雨野と星ノ守の間で結んでやがるのに、行動を共にする機会自体は、雨野と天道、俺と星ノ守みたいな組み合わせで起こしやがるんだもんなぁ)」

 あと、最近は雨野と亜玖璃もか。……なんだこの男女の入り組みよう。どこの青春白書だ。

 ふと気付けば、俺の中にいる真面目な中学時代の七三分けの俺が、こっちを見て鼻で笑ってやがった。いや、中学時代の俺よ。分かってるよ、今の俺だって。男女複数人の恋愛模様が入り交じった状況下でわちゃわちゃやっているパーティーピーポーなんざ、早くリゾートビーチで殺人鬼やら化物ざめにでも襲われちまえとは思うよ。

 だがここで改めて状況をよぉく見てほしい、昔の俺よ。すぐに気付くだろ

う?

 この最早もはや何角形だか分からない恋愛模様の登場人物――全員、ファーストキスさえもまだだという事実に。

 北野た○し映画風に言えば、「全員、童貞」だぞ。なにこの、みうらじ○ん的世界観。あ、そうそう、童貞って、元来女性にも使える言葉だったって知ってたか、昔の俺。

 ……おい、そんな目で見るなよ、中学時代の俺。俺達の恋愛は青春白書や高校白書どころか、今や中学生日記レベルじゃねぇかとか言うな。失礼だろ。……中学生日記に。

 とにかく現在の俺達は、昼ドラばりにドロドロに入り組んだ関係を「さわ○か3組」レベルの恋愛ステップで再現するという、本当に馬鹿げた状況下に置かれているわけで。

 頭痛がしてきて額に手をやると、異変に気付いた星ノ守が心配げにのぞき込んできた。

「う、上原さん、大丈夫ですか? なにか病気とか……」

「ん? ああ、いや、なんでもねぇよ。ただ……ふと、世界の残酷さに打ちひしがれていただけで、さ」

「ああ、やっぱりなにかしら発病はしているみたいですね」

 星ノ守が勝手に納得してうなずく。最早誤解を解く気にもなれない。

 周囲の景色が徐々に賑わう街中へと移りゆく中、ふと、俺はここ最近ずっと気になっていた話題を切り出してみた。

「ところでお前さ、最近雨野のことはどう思って――」

「早くカプ○ン製のヘリにでも乗ってくれないかなと思っています」

「相変わらずる気満々のご様子で」

 運命の恋は、やばいぐらいに後退一直線のようだ。どうにも上手くいかない。

 星ノ守は雨野の話題が出た途端、露骨に機嫌を悪くした様子で続けてくる。

「まったく、あのケータに『アグリさん』っていうすごく可愛かわいいカノジョさ

んがいるっていうのが、自分はまるで納得できません」

「あ、ああ、その件は確かに、俺も全く納得できてねぇんだけど……」

 星ノ守とはまた違う意味で。俺はそう続けようとするも、彼女は「ですよね!」と鼻息荒く同意を示すと、そのまま会話の主導権を持っていってしまった。

「ほんっと、世の中おかしいですよ! っくぅ、今でもケータが惚気のろけ話をした時の、あの無駄な自信に満ちた表情を思い出すと、自分、悔しくて悔しくて!」

「……そ、そっか。……な、なぁ、星ノ守。それってやっぱり聞き間違いとかじゃ……」

「あんなにカノジョを堂々と自慢する男、自分、初めて見ましたよ!」

「…………」

「? あれあれ? どうかされましたか、上原さん。元気無さそうですね?」

「いや……なんでもない。うん。……話、変えようか」

「はぁ、いいですけど……」

 不思議そうにする星ノ守。俺は大きく息を吐いて心を整えると、今度は違う方向から攻めてみることにした。

「じゃあ星ノ守さ、天道のことはどう思う?」

 俺の質問に、星ノ守はウェーブのかかった毛先を指でもてあそびながら応じる。

「天道さんですか。んー……どうとかれましても。クラスメイトですけどあまり接点ないですし……ほら、自分なんかその、彼女に比べたらゴミみたいなものですし……」

「ああ、そういう自己認識までホントそっくりなのなお前ら」

「あのあの、でも、尊敬はしてますよ、はい。一応ゲーム好きという共通点がありますから、いつか自分もお友達になれたらなんて、そんな想いも多少は……って、でもでもっ、これは流石に恐れ多いですよね! わわっ、忘れて下さい!」

「……もうお前、雨野と付き合えよ。ガチで。お似合いってレベルじゃねえ

ぞ」

「? えーと、この会話の流れでどうしてそういう結論に?」

 本当に分からないといった様子で首を傾げる星ノ守。まあそうだわな。分からないわな。かといって説明する気も起きねぇ。今俺が何言ったって、こいつらの互いの好感度に何の影響も与えられないであろうことは分かりきっている。

 しばらく無言で歩いていると、今度は星ノ守の方がそわそわと切り出してきた。

「う、上原さんこそ、どう思っているんですか? その……天道さんのこと」

「ん? 俺の……天道への印象?」

 意外な質問に俺が目をぱちくりとさせて訊ね直すと、星ノ守は恥ずかしそうにうつむきつつも、小さくこくりと頷いた。……はて、質問の意味がイマイチ見えないが……。

 いや、待てよ。これはもしや……。

「(雨野に好意を寄せる者として、無意識下で天道をライバル視しているが故の発言か?)」

 星ノ守はなぜか亜玖璃を雨野のカノジョと誤解(……だよな?)しているようだが、その一方では、敏感な乙女心センサーが、天道こそを真のライバルとして捉えているのかもしれない。

 だとしたら……俺がここで取るべき対応なんざ、たった一つだ。

 俺はピタリ立ち止まり、充分に星ノ守の気を引きつけると。

 ニヤリと不敵な笑みを見せ――そうして、ここぞとばかりに、思いっきり、彼女の対抗心をあおってやることにした!

「天道花憐は最高にいい女だと思うぜ。男なられないわけがない!」

「っ、やっぱり、上原さんは天道さんのことを……!」

 なにやらショックを受けた様子で顔を青ざめさせる星ノ守。

「(お、これは中々いい反応なんじゃないか? 雨野を意識している証拠だな)」

 彼女の様子を見てそう確信した俺は、思わずほくそ笑んでしまう。

「ふふ……」

「っ! そんなうれしそうな上原さんの笑顔……自分……自分、初めて見て……」

 よろよろと、なにやら想定以上のリアクションを取る星ノ守。なんだよおい、すげぇいい感じじゃんか。やっぱり本音ではめっちゃ意識してたんだな、雨野のこと。

 俺は満足すると、落ち込む彼女の頭にぽんぽんっと手を置いて励ましてやった。

「まあ元気出せよ星ノ守。俺から言わせりゃ、お前だって充分いい女だぜ。天道にだって全然負けてねぇよ」

「はぁ……どもです……。まぁ上原さんが幸せなら……って、え!? ふぇぇ!?」

 俺の言葉に頬を真っ赤に染め、慌てて離れる星ノ守。……っと、しまった。こういう引っ込み思案な女子に、髪とはいえ軽々しくタッチするのはまずかったか? いや、星ノ守を元気付けようと思った時に、彼女は普段から髪質にコンプレックス持っているみたいだったから、それをフォローする意味合いも含めての髪で行為だったのだが……。

「(亜玖璃が普段からベタベタするタイプだったこともあって、最近の俺は女子との距離感が少しおかしくなっていたかもしれん)」

 俺が反省する最中も、目をぐるぐると回し、そのうち頭から湯気でも噴き出すんじゃないかというほど体温を上昇させていく星ノ守。そうして、遂ついには彼女の中で何かが許容限界に達したらしく、鞄を胸にぎゅうっと抱いて思い切りぺこりと俺に頭を下げると……。

「じ、じじっ、自分、今日はこれで失礼します!」

「あ、おい、ちょっと――」

 俺が止める間もなく、ダッシュで走り去って行ってしまった。……天道といい、最近の美人はダッシュで去るのがトレンドか何かなのだろうか。全○坂的な。

「……はぁ」

 なんだかどっと疲れて溜息をつく。そうして、何気なく振り返った時に初めて、そこがファミレスの真ん前の歩道だったことに気がついた。

「(やっべ、もしかして今の、客に見られてたかな?)」

 いや、見られていたどころか、道に面した席の客なんかには会話まで聞こえていたかもしれない。そう思うと途端に恥ずかしさが込み上げてきたものの、一見した分には心配なさそうだった。目の前のテーブル席にはグラスやらコーヒーカップが置かれていたものの、客当人の姿がない。既に帰ったか、ドリンクバーにでも行っているのか……どちらにせよ、今のやりとりは見られていなさそうだ。

 俺は安堵あんどの息を吐くと、さて、これからどうしたものかと今後の予定を検討しつつ、さっさとその場を後にしたのだった。

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