第12話 ゲーマーズとフライングゲット 承
雨野 景太
「…………。……い、行った? ほらあまのっち、様子見てよ!」
「ちょ、
席の下からそぉっと顔を
そうこうしていると、アグリさんもまた確認のため、そぉっとテーブルの下から顔を出し、外の様子を覗うかがった。
『…………』
そのまま二人、ファミレスの床に膝立ちの状態でしばし放心して過ごす。……と。
「…………お、お客様?」
『あ』
顔と声を引き
「…………ご、ごゆっくりどうぞー」
僕らへの不信感を露骨に表情へと出しながらも、できるだけ関わり合いになるまいとでもするかのように、そそくさと去っていく店員さん。
僕とアグリさんはそんな彼女をにっこにこと見送った後……その姿が厨房の方に消えたところで、どっと息を吐いた。
『はぁ』
互いにテーブルへと突っ伏す。そこでふと視線の先に自分のコーヒーカップを見つけ、僕は「あ」と声をあげる。
「カップとかそのまんまでしたけど……大丈夫でしたかね?」
テーブルに上半身を預けたままで
「亜玖璃達の姿さえ見られてなければ、それでいいんじゃない?」
「ああ、それもそうですね……」
そんな言葉を交わしつつも、二人、心ここにあらずといった様子で天井を見上げる。
なぜなら……。
「(上原君、完全に黒だぁあああああああああああああああああああああ!)」
これ以上ないってレベルの、浮気の証拠現場に出くわしてしまったのだから。
「(天道さんは最高にいい女発言からの、流れるように別の女子への頭ぽんぽんって……ちょっと手に負えなさすぎるよ、上原君……! キスマイBU○AIKU!? ランキングだったら毎回上位食い込めるポテンシャルの持ち主だよ!)」
一方、アグリさんは
「ゆうていみやおうきむこうほりいゆうじとりやまあきらぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺ……」
「まさかの復活の呪文!? っていうかアグリさん、一体なに世代!?」
「? なんの話? 亜玖璃はただ、無の状態で心の奥底から湧いてくる言葉を呟いていただけだけれど……」
「どういう確率の偶然ですかそれは!」
ショックを受けた際のリカバリ手段としてナチュラルに復活の呪文が口から漏れるという、ゲーム業界の申し子みたいな人が僕の目の前にいた。奇跡だ。ただ悲しいかなこの人、ゲームに全く興味がない。無駄奇跡だ。
復活の呪文効果か、ようやくまともに戻った亜玖璃さんが、ぬるくなった
「はぁ……ここまでの場面に出くわすと、もういっそ
「ああ、確かに。信頼と
「ちょっと、ひきオタぼっちがわかった風な口を利かないでくれる?」
「はいすいませんでした」
僕は背筋を伸ばして座り直す。最近僕は人間関係について一つ学んだことがある。それは、いくら多くの時間や体験を共有しようとも、互いの心の距離がまるで近付かないという間柄が、世の中には往々にしてあるということだ。
RPGにかぶれた僕なんかはつい、長い時間を共に過ごしただけで仲間の絆やら友情やら信頼関係って育まれるものだと考えがちだったのだけれど。
「あまのっち、新しいジュース」
「はいただいま。……あの、どれをお持ち致しましょう?」
「…………」
「あ、そうですね。ここで何を選ぶかがセンスの見せどころですよね。失礼しました」
――この力関係は、一生このままな予感がある。間違っても恋仲になったり、互いを無二の親友と認め合ったり、みたいなことにはならないのだろう。これが僕とアグリさんの距離感の限界値。
僕はドリンクバーでフルーツミックスジュースを調達して戻ってくると、アグリさんの前にそっと差し出した。
「ミックスジュース、ね。……して、その心は?」
「甘酸っぱいものが飲みたい気持ちかなと」
「十二点」
「低い!」
「必ずしも気持ちに連動したものが飲みたいとは限らないのが、乙女心なんですー」
そんなことをのたまいながらも、ちゃっかりストローでミックスジュースを吸い始めるアグリさん。僕は着席しながら
「で、結局正解はなんだったんです?」
「スターバッ○スのキャラメルマキアート、ショートで」
「無理難題にも程がある!」
「そういう発想の貧困さが、ゲームの下手さに
「リア充ギャルが知った風な口を利かないで頂きたい!」
これに関してだけは僕も怒る! が、アグリさんは僕の言葉などどうでもいいといった様子で、窓の外を眺めながらストローでミックスジュースを吸っていた。
僕は一つ
しばらく互いに無言で窓の外を眺めつづけるも……ふと、アグリさんが独り言のように言葉を漏らす。
「それでも亜玖璃は、祐が大好き」
「…………」
僕は何も答えず、更にもう一口コーヒーを
「……どうしたもんですかねぇ……」
「どうしたもんかねぇ」
僕の
中でも、一番簡単な解決策が「想いを捨てる」なあたりが実にいやらしい。
また上原君が根っからどうしようもない男だってんならまだしも……。
僕は、一つ溜息をついて切り出した。
「友達をかばうわけじゃないですけど……でもその、上原君、悪気はないんだと思いますよ? 決してアグリさんを傷付けようとしているわけじゃないっていうか……」
「そんなの、あまのっちに言われるまでもないよ」
そう笑ってアグリさんは本当に誇らしげに語り出す。
「祐はすごく面倒見のいい人だから。だから亜玖璃も好きになったんだし……あまのっちをはじめとした他のライバルも引き寄せちゃうんだよね」
「さらりと僕を上原君のヒロインに数えましたね」
「え、違うの?」
「…………。……すいません、恐ろしいことに、即座に否定できない自分がいました」
僕は上原君にオトされてるっちゃ、オトされてる。上原君に他のゲーム友達とかできたら、「キィー! 誰よあの子!」となる自信はある。っていうか若干現在もチアキに対してその感情があることを認めよう。ちくしょう、あのワカメめ。僕の「ゲーム詳しい友達ポジ」を奪いやがって……。
「あまのっち、あまのっち、
「はっ! すいませんアグリさん。それでなんでしたっけ。僕の選ぶゲーム音楽神曲ベスト1000の途中でしたっけ」
「そんな話はしてないし興味もないし永遠にしないで欲しい」
「まずクロノ・ク○スをどこに置くかって話になってくると思うんですが……」
「ならない」
「個人的にはファイナル○ァンタジー13の楽曲全般とかも入れていきたく……」
「あまのっちあまのっち、ちょっと、一言いい?」
「なんですかアグリさん。僕、ゲーム話に関してはちょっとやそっとのこと
じゃやめませんよ! 僕のゲームに対する情熱を
「きもい」
たったの三文字で見事に心を折られた僕は素直に黙る。謝罪さえ口に出さず黙る。ちょっと泣きそうになりながら黙る。カップを持つ手をふるふるさせながら黙る。
そうこうしていると、突然、近くの席から中学生男女六人組のはしゃぐ声が聞こえてきた。男子三人、女子三人。正直似合ってないだぼついた服を着た男子が立ち上がっておどけているのを、女子達が「やだもー」などと笑ってぺしぺし
「……………………」
「あまのっちあまのっち、そんな泥水みたいな目をしない」
「え、僕、そんな目してました?」
「してたしてた。憎悪と嫉妬とあとニート感満載の目をしていた」
「ニート感は余計ですけども……まあ確かに、負の感情には満たされていました。すいません。ただ、女子とファミレス来る学生とか、滅んでしまえと思います」
「本音だだ漏れだよあまのっち。っていうかまさに今キミ、
「え……。…………。…………」
「え、なにその心外そうな目。こっちが心外なんですけど」
アグリさんが不満そうに
「いえ、すいません。なんだろう、僕が思い描いていた『リア充ファミレス』とは、現状があまりに違い過ぎたもので」
「なにその新出の単語『リア充ファミレス』」
「そのまんまです。僕の中で、主にファミレスではしゃぐ中高生あたりに使います」
「なにそれ。あまのっちだって、亜玖璃以外の友達とファミレスぐらい……」
「…………」
「なんかごめん」
なんか謝られた。僕は一つ溜息をついてから続ける。
「なんだろう、単純に男女できゃっきゃしやがっての嫉妬もあるんですが、それ以外にも、『ファミレスで金使える程財布に余裕あるのかよ感』とか
『家でメシ食えよ感』とか色々ありまして、合わせ技で、ファミレス来る学生へのヘイトが
「言い掛かりも甚だしいね!」
「僕は一生、ああはなれないと思います」
「いやだからキミ今、可愛い女の子とファミレスで
「…………」
「だから心外そうな顔すんな。こっちが心外だよ!」
そうは言いつつも、アグリさんは中学生集団をちらりと見て、「まあ」と息を吐いた。
「あまのっちの言うことも、分からないとは言わないよ。実際亜玖璃だって、中学時代はどっちかといえばあまのっち側のタイプだし」
「でしょう!」
「でも、実際今のあまのっちがそうであるように、必ずしもファミレス来る学生皆がいけすかないわけじゃないと思うけど。たとえば、あの集団の端っこの席の女の子」
くいっと顎で軽く中学生集団の方を指す亜玖璃さん。ちらりとそちらに視線をやると、愛想笑いを浮かべている少し地味めな女の子がいた。
「たとえばあの子だって、どちらかと言えばあまのっちみたいな感性なんだと思うよ。でもあまのっちと違って、ちゃーんと周囲のノリに合わせることで、キミの言う『リア充ファミレス』に参加できている。立派なもんだよ。努力の子だ。で、あまのっちは、ああいう子も滅べと思うわけ?」
「それは……」
僕が答えに窮していると、亜玖璃さんはニカッと笑う。
「今のあまのっちや、あの子がそうであるようにさ。ぱっと見だけじゃ分からない事情っていうのが、世の中にはごろごろしているんだよ」
「亜玖璃さん……」
僕はこの人の意外な「大人さ」に少し感動してしまい、瞳を思わず潤ませる。
しかし……。
「うぇーい! 見て見て、ヘソ出しヘソ出し……ヘソ出しからの~、ギリギリライン!」
「やだもー、サイテーwww」
「やはり滅べと思います!」
「あまのっちあまのっち、声でかいって!」
「ほら見て亜玖璃さん! 亜玖璃さんが擁護していた地味めのあの子、やっぱり実はそこそこノッてますよ! ほら! 全然遠慮せず興味津々で男のヘソ突いた! きー!」
「分かったから! 分かったからあまのっち、こじらせないの!」
「こじらせてません! 僕が正義です! 絶対正義です!」
「それをこじらせているって言うの!」
いきり立つ僕を、アグリさんがどうにかこうにかなだめすかしてくれる。
そうして、僕が鼻息荒いままながらも、どうにか落ち着いて深くソファに着席したあたりで……。
「あははっ」
アグリさんがケラケラと楽しそうに笑い出した。
僕がムスッとしている間も、彼女はひとしきり一人で笑い。
そうして、ふと、目尻に浮かんだ涙を指先で拭いながら告げる。
「ありがとね、あまのっち」
「な、なんの話ですか」
少しドキリとしながら、視線を
「別に、なんでもないけどさ」
「そうですか」
「そうですよ」
僕とアグリさんはそんな言葉を交わし、お互い窓の外を眺め続ける。
一体何分そうしていただろうか。何かを振り切った様子のアグリさんが、突然「さてっ!」と大きな声をあげる。
「亜玖璃と祐のことはさておき、そっちの方はどうなのさ、あまのっち」
「そっちの方とは?」
「決まってるでしょ。天道さんのこと」
「…………」
何も答えず額に汗を
「……あまのっち、やる気あるの? 自分からばんばん動かないでどうすんのさ」
「そう言われましても……」
しゅんと落ち込むと同時に、ちらりとアグリさんの様子を覗う。彼女はどうやら本気で
「あまのっち今なんか失礼なこと考えてない?」
「とんでもない。アグリさんは世話焼きで優しいなぁと思っていただけです」
「そう。だったらあまのっち、そろそろ
「前言撤回。鬼ですか」
見合いをしつこく勧める親戚の叔母さんのうざさって、こういう感じなのかなぁと想像しながら返す僕。
アグリさんはやれやれと肩を
「あまのっち。亜玖璃だって、元々すんごい地味っ娘だったところから、努力して自分を変えて、最後には自分から祐にアタックすることで、今の地位を得たんだよ?」
「彼氏にばんばん浮気未遂をかまされている今のこの地位をですね、分かり――」
思いっきり頬をつねられた。ラブコメっぽい優しいあれじゃなくて、ガチで痕が残りそうなレベルのヤツ。怖い。女性怖い。
涙目で頬をさする僕を、アグリさんが睨みつけてくる。
「つまり、どんなに自分を磨いたところで、それだけじゃ何も変わらないってこと!」
「いや、ときメモだったら、パラメーター上げただけでフラグ立つヒロインも……」
「あまのっち。冷静に考えて。現実において、男のビジュアルが良くなったり、成績上がった途端に露骨にすり寄ってくる女子って……あまのっち、どう思う?」
「少なくとも僕は友達になりたくないタイプですね」
「で、あまのっちから見て、天道さんはそういうタイプ?」
「断じて違います!」
ダンッと再びテーブルを力強く叩く僕。アグリさんはどこか
「じゃあもう分かるでしょ? あまのっちがどんなに自分を磨いたところで、結局最終的にはやっぱり天道さんに直接接触しないと、意味がないんだよ」
「言ってる理屈は分かりますけど……」
そりゃ天道さんと喋りもせずに、天道さんと仲良くなることはできないだろう。
だけど、だからって、この僕が……最近どうにか人と、あんまり噛まず普通に喋れるようになったかなー感のある(つまりはリハビリが終わった程度の)僕が、音吹高校の頂点に君臨するような女性に話しかけていいものなのか。
それは、スライム狩ってレベル3ぐらいになった自分に満足してそのままラスボスにまで挑もうとしている身の程知らずな勇者と、同じことなんじゃないのか。
僕がそんな疑問を口にすると、アグリさんは腕を組んで溜息をついた。
「じゃああまのっちは、何レベルまで上げたら満足なのさ?」
「え? そりゃ……まあ……なんとなくですが、六十レベルとか?」
「で、今のあまのっちの成長速度で、そこに至る日はいつ来る予定なわけ?」
「…………」
思わず閉口する。確かに、そんなの待ってたら、高校生活は終わってしまう。
アグリさんはどこか
「あのさ、あまのっち。人生はゲームじゃないよ」
「そうですね。とはいえゲームは人生と表現するにも値する素晴らしい娯楽だと――」
「うるさい黙れ」
「はいすいません」
「あまのっち。人と人との関係って、何レベルとかって数値化するようなことなのかな? 好感度を規定のポイント稼いだら、その時点からはい友達って話でもないでしょ?」
ドキリとした。やっぱりアグリさんはこういうところが鋭い。上原君にはよく「アホの子」とかって
「あまのっち。この世界じゃ、1+1は2じゃないんだよ」
「はい」
真剣な目で語るアグリさんに、僕も真剣な
そうしてたっぷり間を置いた後、人間関係の師匠・アグリさんは、満を持して僕にその言葉を言い放ってきた。
「1+1は…………ラブなんだよ!」
その瞬間、僕はこれまで厳かだった空気が急激に霧散していくのを感じた。
「…………はぁ、ラブですか」
「ラブだね!」
……やっぱり上原君の言う通りかもしれない。なんだろう……こう、本人名台詞のつもりなんだろうけど、イマイチ響いてこない感が凄い。足りない子感が凄い。
あとなんか微妙に
ただ本人は非常にドヤ顔なので、僕は機嫌を損ねないよう、曖昧な笑みで返しておいた。
アグリさんが一人で
「ゲームと違って、恋人はいつの間にかできたりはしないんだよ」
「いやお言葉ですがアグリさん、
「うっさい! ならなおのことでしょ! あまのっちも、動かないと!」
「いやそもそも大前提として、僕は天道さんと友達に……いえ、一人の人間として認めて
「同じことだよ。どっちにしろ、彼女と直接交流しないと何も始まらないじゃない」
「……そうなんですけど……」
僕はもじもじと
とはいえ、このままでは話は堂々巡り。アグリさんも決して譲る気はないだろう。
仕方ないので僕は、少し話の軌道を逸らすことにした。
「えーと、アグリさんって、上原君にはどんな感じで告白したんですか?」
「え? それ聞いちゃう? 聞いちゃうわけ? まいったなぁ。えっとねぇ……」
「(うーわ、しまったなぁ)」
はにかみながら肩にかかる毛先をくるくるといじり、照れ照れと明らかに大長編の
彼女はその後本題に入るまでたっぷり三〇分以上前置きに使った後で、ようやく、話を告白の場面へと進めた。
それまでずっと「脳内テトリス」に興じていた僕も心を現実に戻し、彼女の話に耳を傾ける。
「それで、勇気を振り絞って祐を呼び出した亜玖璃は、彼にこう言ってやったのさ!」
どこか誇らしげな面持ちで、アグリさんは告げる。
「『上原君、付き合ってー』って」
「…………へ?」
僕は思わず気の抜けた反応を漏らす。アグリさんはそれを「聞こえなかった」とでも解釈したのか、もう一度告げる。
「だから、『上原君、付き合ってー』だよ、あまのっち」
「……それはその……本当に?」
とも言えるその言葉の簡素さに、僕は
しかしアグリさんは僕の問いにこくりと頷いて続けてきた。
「だって、祐はとにかく軽い女の子が好きなんだって聞いていたし。それに、たとえそうじゃなくたって、結局同じような言葉にはなったと思うな」
「そんな、大事な告白をいくらなんでもシンプルすぎじゃ――」
「逆だよあまのっち」
「え?」
アグリさんはそこで、同年代とは思えない程に大人びた笑みを見せる。
「大事な気持ちはいつだってすごく単純で、だからこそ、自然と口から
「…………」
何も答えられずいる僕に、アグリさんは珍しく優しいエールを送ってくれる。
「だからあまのっちも、本当に心から天道さんと友達になりたい、お近づきになりたいと思っているなら……そんなに気張りすぎなくたって、自然と言えるよ、素直な気持ち」
「……そう、ですかね?」
僕はいつだって天道さんを怒らせてばかりだ。でもそれはもしかしたら、僕が駄目人間だからじゃなくて……僕が、アグリさんとは逆に、自分の好意を押し殺そうとしすぎているせいなのかもしれない。
「アグリさん、僕……」
空のカップを両手でぎゅっと握りしめる。そうして僕は、カップの底の底に
決意に満ちた顔で、尊敬すべき友人のカノジョへと宣言したのだった。
「僕、明日、ダメもとで天道さんに挑んでみようと思います!」