第5話 星ノ守千秋とすれ違い通信 前編

【星ノ守千秋とすれ違い通信】


「うっへぇ…………すごいな」

 パソコンに接続したゲームパッドを操作しながら、僕は思わず唸った。

 画面の中に映るのは、最新の美麗な大作ゲーム……などではなく。

 ありもの素材と定番のRPG的UIで構成され、どこか懐かしいドット絵で表現された、スーパーファミコン時代を彷彿ほうふつとさせる個人作成ゲーム。

 所謂いわゆる、フリーゲームというものだ。

 ネットで無料配布されている、多くは個人の趣味で創られたゲーム。中でも、現在僕がやっているのは最もポピュラーな、RPG制作ツールを利用して作られたアドベンチャーゲームの一つだ。

 画面構成こそRPGのそれであるものの、そこに戦闘や成長要素はほぼ無い。あくまで純粋に探索と謎解き、そしてシナリオを楽しませることが目的。フリーゲームとしてはよくあるタイプなのだけれど、それだけに、そのクオリティは実に玉石混淆ぎよくせきこんこう。で、このゲームの質はといえば……。

「ええと……ここで、これか」

 主人公である幼い女の子を操作し、アイテム欄から先程入手したアイテムである《死の鍵》を使って新たな部屋 《毒の間》に入る。――と、その先に広がっていたのは、壁一面に人の顔が埋め込まれ、うねうねとうごめきながら何語とも分からないうめき声をあげている空間だった。

「……おお、相変わらず頭おかしいな……」

 僕はごくりとつばを飲み込む。ちなみにこの「頭おかしい」は僕的に褒め言葉だ。

 実際、このゲーム……というか、この制作者さんが作るゲームは毎回、まったくもって理解不能だ。中盤までは普通に物語が展開するし、目立ったバグや誤字なんかもなく、ゲームとしては実に丁寧な作りなのだけど……。

 いかんせん、「超展開」が多い。

 しかもそんじょそこらの超展開じゃない。違うゲームが始まったのかと思う程に圧倒的に脈絡が無く、後でなんらかのフォローでも入るのかと思えば、まさかの、そのまま投げっぱなしジャーマン。前半のゲーム展開は一体なんだったのかとなる。

 そりゃ当然、大人気とはいかない。この人の作るゲームは、いくらなんでもあまりに人を選びすぎるのだ。ただ、二作目だけは作風が比較的マイルドで、異常な超展開も無く、意外な程普通にうまく着地していたため、一瞬だけフリーゲームの人気ランキングに食い込んだ。僕自身も、それでこの人を知ったわけなのだけれど……。

 その二作目以外は、一つの例外もなく全てが……よく言えば独創的。悪く言えば、

「ちょっと何言ってるかわかんないッスね」

 としか言い様の無い産物。誰かの悪夢をそのまま具現化したみたいな世界観だ。

 こういう作風はしかし、懐の深いフリーゲーム界じゃ意外とカルト的人気を誇ったりするものなのだけれど……なんていうんだろう。この人のそれは、そこまでの「とがり」さえも無いというか。

 作風としては、「序盤は普通に面白かった話が、中盤の超展開で崩れて、グズグズのままエンディング」というパターンの繰り返し。その特色たる超展開シナリオに関しても、別に考察する程の「深さ」みたいなのも伴わないので、イマイチ人と語る気にもなれない。

 ヤマなし、オチなし、意味なし、味気もなし、の四拍子(僕オリジナル評価「やおい味」)が揃った作風、それこそがこの作者――《のべ》さんの特色。

 けれど、僕はこの《のべ》さんの作るゲームが、妙に好きだった。

 理由を問われても、ハッキリ答えられない。前述したような欠点は本当に僕も欠点だと思っているし、超展開で「おいおい……」と辟易することもままあるし、下手すると低評価レビューの方にこそ共感する部分は多いぐらいで。

 だけど、それでも僕はやっぱり《のべ》さんの新作を楽しみに待っていたりする。

 ぼんやりと作者さんのことを考えながら主人公を操作し、おどろおどろしい《毒の間》を探索すると、壁の人面達が口々に喋しやべりかけてきた。

「ソフトバ○クのCMって、微妙にズレているよね」「アイスは美味しそうだけど歌は結構です」「どうして無闇に実写化するの?」「招待コード書き込みをレビューとは認めない」「今更大型DLCとか出されてもねぇ」「プレミアムってつけときゃ高値で許される風潮」「スポーツ能力と芸能力は全くの別モノ」「『今作ではネットとの連動機能を強化』ですか。はぁ」「お前がモテないのは、どう考えてもお前が悪い」

「そういう意味での《毒の間》かよ!」

 画面に独り言でツッコミながらも、なぜか思わずニヤッと笑ってしまう僕。

 そう、この感覚だ。全然上手く説明はできないのだけれど、僕はなぜか、この作者さんのゲームをやっている間、いっつも妙にニヤついてしまっている。

 クソゲーすぎてとか、そういう一周回った楽しみ方ともちょっと違う。もっとストレートな評価として、心から、この人のゲームの……世界観の居心地が、いいのだ。

 それは、たとえばテキストの言い回しだったり、グラフィックの選び方だったり、音楽のつけ方だったりっていう、本当に些細な部分の話なのだけれど。

 それらが、イチイチ僕にしっくり来ているというか。

 時折更新される簡素な開発ブログの内容から垣間見える人間性も非常に僕の共感を呼ぶもので、ここまで感性が合う人が世の中に居るものなのか、と驚くぐらいだ。

 きっと僕は、この作者さんの「人柄」とでも言うべき部分が大好きなのだろう。

 とはいえ、その年齢や性別は全くもって不明。ネット上ではよくあることだが、プライベートなブログ内容まできっちり精査してぼかしているあたり、相当な念の入り用だ。唯一分かっていることと言えば、この《のべ》というハンドルネームぐらい。

 当然、交流なんかあるはずもない。一応、時折こちらからブログのコメント欄に、新作の感想(基本褒め言葉だけ)やブログ記事への共感コメントを書き込むことはあるけれど、それにさえ、ただの一度たりとてリアクションが無い。だけど僕は《のべ》さんのそんな無骨なところも好きだったりするのだから、最早中々の末期信者だ。

「えっと、次は……こっちか」

《毒の間》を一通り探索し終え、改めて主人公を次の部屋に進めると、そこはなぜか深海だった。……普通に洋館を探索していたはずなのに、地下へ降りる描写さえなく、突然の深海部屋。呆然としながら、とりあえず周囲の探索を――

 ――と、次の瞬間、突如現れた巨大クラゲに食べられて死んでしまう主人公!

「え」

 あまりの理不尽さに一瞬ぎょっとしたものの、しかしこの程度の即死イベントはこの作者さんのゲームにはよくあることだ。焦らず少し前のセーブからやり直すのみと、黙ってタイトル画面を待つ。……が、しかし待てど暮らせどゲームオーバー表示がなされない。画面中央にはずっと、主人公を食ったクラゲだけが映り続けている。

「…………」

 まさかと思って、恐る恐る、パッドの十字キーを左に入れる。すると――

 ――巨大クラゲが一歩、左に動いた。

「そんな主人公交代ってあるかいっ!」

 熱狂的信者たる僕でさえも思わず画面へと怒鳴りつける。と、隣の部屋から弟の心配げな「お、お兄さん、どした?」という声。僕はそれに「な、なんでもない」とだけ応じ、再びゲーム画面に視線を戻した。

 確認のため、パッドのキーを上下左右に入れる。指示通りに動く巨大クラゲ。

 僕はしばし唖然とそれを見守るも、しかしすぐにニヤけた表情に戻って、ゲームを再開させた。

 そのまましばらくクラゲでゲームを進め……そしてふと、殆ど無意識にぽつりと呟く。

「ホント、一体、どんな人なんだろうなぁ……《のべ》さん……」

 勿論、ネット上での活動なんて、どこか作り上げた人格&匿名でやっていてなんぼだと分かってはいるけれど。

 それでも尚、やはり僕の《のべ》さんへの興味は尽きないのであった。



「おい雨野! すっげーつまんなかったぞ、《のべ》のゲーム!」

 ある日の朝。教室にドスドスと走り込んで来た上原君は、自分の席に寄ることもなく直接僕の席まで向かって来ると、いきなり中々の大声で文句を垂れてきた。

 僕はとりあえずニコッと笑って「おはよう」と爽やかな朝の挨拶を試みる。が、上原君はそれに応じることもなく、他のクラスメイトもざわつく剣幕で僕に詰め寄ってきた。

「お前が面白いって薦めるから、俺は信用してやったんだぞ! 確かに序盤の『ホラー探索モノ』段階は、そのばら撒かれた謎や伏線の数々を見て、期待に胸を膨らませたよ!」

「うん、普通に面白いよね、序盤」

「ああ! それどころか、中盤で突然ゲームが『釣りゲー』に変貌した超展開時でさえも、かなり動揺こそしたものの、『まあでも、雨野があんなに薦めるんだから、後半きっちり話が繋がって感動のラストに流れ込むんだろうな……』とかって自分に言い聞かせ、我慢してプレイを続けたさ!」

「おおっ。僕、上原君のそういうすぐ見切ったりしないとこ、美点だと思うなぁ」

 僕はできるだけ彼をなだめようと褒めてみるもその効果虚しく、上原君は「なのに……なのに!」とプルプル拳を震わせると、バンッと僕の机に手を置き、涙目で叫んで来た。

「最後は普通に巨大ブラックバスを釣ったおっさんがドヤ顔で魚拓と写真撮ってエンディングってどういうことだよ! ああん!? 前半の幽霊洋館の謎とか、どうなったんだよ!」

「いやぁ、ホント面白いよね」

「何が!? レベル高すぎるわ、お前の感性! 完全に駄作じゃねーかよ!」

「あ、うんまあね」

 けろりと答える僕。頭を抱えて悶もだえる上原君。

「そこは認めるのかよ! じゃあなんで俺に薦めた!? 悪意か!? 悪意なのか!?」

「とんでもない! 一割は善意だよ!」

「九割悪意じゃねーかよ! くそっ、返せよ! 『アメト――ク!』を見逃してまであのクソゲーをプレイした俺の夜を、まるごと返せよ!」

「あ、超面白かったよ昨日の『ゲーム好き芸人』」

「てめぇは見てんのかよ!」

 上原君に首をぎゅうぎゅうと絞められる。……ああ、でもなんて幸せなんだろう。完全に諦めていた高校生活において、こんな、友達同士っぽいやりとりができるなんて。夢みたいだ。ホント夢みたい……夢の様……辺り一面、こんなにお花畑が広がって……あれ、あっちに居るのは、写真でしか見たことのないひいおばあちゃん――

「って、ガチすぎるよ!」

 僕は慌てて上原君の手を振りほどく。と、彼は憤怒の形相で「ガチで怒ってんだよ!」と返してきた。そ、そうか、ガチで怒ってたのか。やばい、友達との距離感の測り方が完全に錆び付いている。

 僕は少ししゅんとしながら、上原君に謝罪した。

「ご、ごめんね。いや、確かに九割ぐらいの確率で合わないだろうなとは思っていたんだけど、こう、上原くんだったらもしや……と期待してしまって」

「ああん? ああ……まあ、元はと言えば、話の流れで俺がお前に『マニアックなオススメゲーム』を訊いたのが発端だしな……こっちもカッとしすぎて悪かったよ」

 言いながらぼさぼさと髪を掻き、上原君はドスッと僕の前の席に腰を下ろす。僕はスマホを机の上に置いて、もう一度上原君に「ごめんね?」と謝罪した。

 上原君は「もういいよ」と嘆息しながらも、すぐに「しかしなぁ」と続けてきた。

「あれに魅力を感じるっつーお前の感性、マジで微塵も理解できないんだが」

「あー……まあ、そうかもねぇ……」

 特に反論はしない。実際、ネットでも僕以外に《のべ》さんの作品を絶賛している人を見た事がないし。

 僕は苦笑いしながら応じる。

「いや実際僕も、本当に駄目なゲームだとは思っているよ?」

「だろう? 基本、お前のゲームに対する感性って、俺とそう外れてないじゃねーか。事実、お前のこれまで薦めてくれたものは、全部どんぴしゃで面白かったし。だからそこに関してはすげー信用していたわけよ」

「ありがとう」

 そう言われることほどゲーマー冥利みようりに尽きることはない。しかし、上原君は僕の机に肘を置きつつ僕をジトッと見つめてきた。

「でもだからこそ、アレを薦める意図がわからない。嫌がらせとしか思えねぇ」

「あー……そうだよねぇ……」

「お、おいおい、反論しねぇのかよ?」

 肩透かしを喰らった様子の上原君。僕はぽりぽりと頬を掻く。

「んー……まあ、ないね。なんていうか、魅力を言葉で説明できないんだよ、あれは。偉そうな言い方すると、分からない人は分からないっていうか。食べ物の好き嫌いと同じ」

「食べ物ねぇ……。俺に言わせりゃ、あれは好き嫌いとかのレベルじゃなくて、最早、食べ物かどうかさえ怪しいもんだと思うぜ。そもそも、ゲームとして成り立ってねぇ」

「かもね。でも僕は好きなんだ」

「……ブラックバス釣るヒゲのおっさんが?」

「そういうことじゃなくて。もっと、細やかな部分の全てというか、世界観というか」

「わっかんねぇなぁ……」

 上原君はそう言うと、椅子の背もたれに体重を預け、ぐらぐらとやりながら頭の後ろで腕を組んだ。……まあ正直、僕もこれ以上は説明のしようが無い。でも、あえてまだ用いてない、綺麗なたとえをするなら……。

 僕は「フッ」と微笑み、少しカッコつけて言ってみる。

「そう、これは恋みたいなものなのさ、上原君。理屈じゃないんだ」

「……童貞が、カノジョ持ちにドヤ顔で何言ってんの?」

「うぐっ」

 雨野景太の心に一億ダメージ! 僕は恥ずかしさのあまり赤面してしまった!

「そ、そういうことじゃないの! もっと純粋な心の繋がりの話をしているの! そ、そりゃ、上原君はカノジョさんとその……ゴニョゴニョな繋がりもあるかもだけどさ」

「へ?」

「え?」

 僕の言葉に、なぜか上原君はキョトンとした後……少し間を置いて、僕に負けず劣らず顔を赤くし始めた。そのまま、プイッと視線を逸らす上原君。……まさか……。

「えっと……上原君って、確か、今のカノジョさんと既に半年ぐらい付き合って……」

「ああっ、うんっ、大事だよな心の繋がり! それが全てだよなっ、ああ!」

「…………」

 あれぇ? もしかして上原君って、すっごい軽そうに見えて意外と――。

「そ、そんなことより、お前の方はどうなんだよっ、お前の方は!」

 突然、照れをごまかす様に上原君が訊ねて来る。僕は思わず首を傾げた。 

「僕? いや、だから、《のべ》さんとはなんの交流も……」

「そうじゃなくて! 天道とだよ、天道!」

 突然出て来た意外な人物の名前に、本気でキョトンと首を傾げるぼく。

「天道さん? え? 天道さんがどうかした? ゲーム部との交流ってことなら、たまに廊下とかで三角君と会ったら挨拶と軽い世間話ぐらいはするけど……」

 三年生とは会うこともないし。当然、元々雲の上の存在たる天道さんなんて……。

「天道さんとなんかは最早、ちょっと落ち込む程に接点無いよ?」

 何を今更、といった感じで僕は答える。すると上原君はなぜか、露骨に呆れた様な表情を見せた。

「お前それ……マジで言ってんのか?」

「え? マジだけど……もしかして、僕から当たって砕けてみろとかって話?」

「いやそうじゃなくて。……あれから天道、よく見かけるだろ、お前」

「? あ、うん、そりゃ一方的に見かけはするよ。変に一度交流したせいか、前より更に視界の端に見つける様になっちゃったし。あー……女々しいかな、僕」

 自分で自分のキモさに気付いて、ちょっと落ち込む。僕はどこかでまだ、天道さんに未練とか、可能性でも感じているのかもしれない。中二病にも困ったものだ。

 僕が情けない微笑を見せると、上原君は更に呆れた様子を見せた。

「お前……鈍感じゃねぇけど、自分への自信がなさすぎて、感性少しズレちゃってんのな」

「? ズレ? えっと……あ、《のべ》さんのゲームに対する見解の話?」

「いやその話じゃなくて天道の……。まあいいや。それはそれで面白いし。でも、あんまりすれ違いすぎて、そのまま離れすぎんなよな」

「? すれ違い? ああ、大丈夫、最近ゲームから離れてた上原君は知らないかもだけど、3DSのすれ違い通信対応距離って、思っているより長いんだよ」

「……あそう」

 上原君はさして興味無さそうに応じる。……なんだろ、イマイチ会話が噛み合っていない気がするぞ。これが、オタゲーマーとリア充の埋めがたい溝というヤツなのだろうか。

 ――と、ふと気付くと、スマホにソシャゲの救援要請が来ていた。上原君に一言入れてチェックすると、やはり《MONO》さんからの要請だった。軽くクエストをこなしつつ上原君と会話を続けようとすると、彼は少し興味を持った様子で画面を覗き込んできた。

「あ、上原君、もしかしてこれ興味ある? だったら招待出すから――」

「ああいや、違ぇよ。俺が興味あるのは、そっちだよ、そっち。その……なんだっけ。天道からの誘い断わった一要因の……」

「ん? ああ、《MONO》さんのこと?」

「ああ。顔やプロフィールの分からない相手と妙に心の交流あるってのは、なんかこう、運命感じるだろ」

 上原君は意外とロマンチストらしい。僕は苦笑しながら応じる。

「相手が美少女とかだったら夢あるけどね。まあ、でも僕は《MONO》さんに関してだけは、おっさんとかでも全然いいかな」

「え……お前、もしかしてそういう趣味の……」

 上原君が割と本気で引いている。僕は慌てて取り繕った。

「ち、違うよ! ただ僕は、ゲーム話が楽しくできるなら、相手の性別なんて正直どうでもいいっていうか……むしろ男性の方が、気負わず喋れるかなって」

「ああ……なるほどね。……ホント、お前はゲームが全てだな……」

「そんなことないよ。僕だって、空から美少女落ちてこないかなと常に思ってるよ?」

「それはそれでゲーム感性すぎる」

「かといって、と○メモみたいに自分のパラメーター上げに勤しむ根性とかは一切無いけどね! 棚ボタかつ、相手からの無条件の好意を期待しています!」

「クズすぎんだろうお前!」

 上原君は呆れた様に深く嘆息すると、僕のスマホ画面をボンヤリと見つめ、そして救援要請クエストをこなし終えたところで、ぽつりと、切り出してきた。

「……ところで、お前のそのハンドルネーム的なの、なんで《ツッチー》なの? 俺はてっきり、雨野だから《レイン》とか、そんなのつけると思ってたけど」

 その質問に、僕は少し、こういうの見られるのって恥ずかしいなと照れながら応じる。

「正直、RPGの勇者にレインとかケータとかつけちゃうことはあるけどね。でもネット関連って、なんか自分とはもう少し遠くにしたくて……」

「あー、なんか気持ちはわかるわ」

「で、母の旧性が《土山》だから、ツッチーで。あと、《ヤマさん》とかも使うよ」

「へー……。……なんかこう、話題としても微妙に発展しづれぇ由来だな。つまんねぇ」

「ほっといてよ!」

 上原君はまたもやれやれと溜息をつく。そして……。

「やっぱりお前らのラブコメを楽しむには、まず雨野側にリハビリが必要みてーだな」

「はい? ラブコメ? リハビリ?」

 なんの話だろうか? 目をぱちくりする僕に、上原君は妙に真剣な眼差しを向けてくる。

「よく考えてみりゃ、俺でさえ天道はハードルが高ぇもんな。そこにつけて、今のお前じゃ……たとえ天道の方から積極的に来てくれたところで、ここまでパワーバランスが偏っている関係、すぐに瓦解するのがオチだ。お前が……あまりに虫ケラすぎる」

「うん、何の話か分からないけど、とりあえず、ケンカ売られていることだけは分かった。ちょっと表出なよ上原君。マリ○パーティで勝負だ!」

「お前のケンカ方法ぬるいな! まあ落ち着けよ雨野。お前は勘違いをしている。俺はただ……天道に比べて、お前は本当にミジンコ以下だよなぁ、という話をしているだけだ」

「うん、そこのニュアンスは全然勘違いしてなかったよ! じゃあマリパで勝負――」

「え、お前、じゃあ自分が天道と対等に釣り合ってるとか思ってたわけ?」

「あ、すいません、確かに僕、天道さんに比べたらダニのフン以下でした」

 初めてできた友達から突きつけられた残酷な現実に、ずーんと落ち込む僕。ことここに至り、上原君は少し焦った様子でフォローを入れてきた。

「いや別に、俺はお前を落ち込ませたいんじゃねーんだよ。さっきも言ったように、リハビリ……つまり、徐々にぼっち状態から引き上げてやりてぇと思ってんだ」

「え!? つまりそれって、いよいよ僕を上原君のカノジョや友達に紹介とか――」

「…………」

 なんかリアルに、超気まずそうに目逸らされた。…………。

 上原君が咳払いして続けて来る。

「い、いや、お前だって、実際それはハードル高すぎんだろう」

「まあ確かにそうなんだけどね」

 実際さっきのは半分ギャグだ。この僕が上原君のグループで楽しく喋っている光景なんかはとても想像できない。人付き合いには歩み寄りの努力が必要だと思うけど、でも、互いに努力や苦痛なばかりの友達付き合いってのは、やっぱりおかしい。

 でもだったら上原君は一体僕に何をさせたいのだろう。

 僕が全く想像もできずにいると……上原君は、どこか意地悪そうに笑い、しかし極めて軽いテンションで、サラリとその提案を告げて来た。

「お前と同じ、ゲームが趣味の大人しい――《女の子》と、喋ってみようぜ、雨野!」

「…………」

 その、リア充発想のあまりの恐ろしさに、僕は震えと目眩めまいを禁じ得なかったのだった。



「よし、狙いはA組の、《星ノ守千秋》だ、雨野。どうもお前と同類の、ゲームが好きなオタク系ぼっち女子らしい」

 放課後。HRが終わるや否や、独自のリア充ネットワークで早速女の子情報を仕入れてきた上原君が僕の席へとやってきた。

 僕は露骨にげんなりとした態度で、上原君をめ付ける。

「朝も言ったけど、絶対嫌だよ、そんな、ナンパみたいなの……」

 しかし、上原君も負けじと顔をしかめて、僕を睨み返してきた。

「おいおいなに言ってんだお前。友達作る最初の一歩なんて、誰だって基本は完全な他人同士が喋るとこから始めるんだぞ。そりゃ多少はナンパみたいにもなるだろう」

「そ、そりゃそうだけど……。……だ、だとしても、なんで異性なのさ!」

「え? だってそりゃお前、最終目標は天道との――」

 そこまで言って、上原君は何かハッとした様子で頭を掻く。

「あー……いや……そうだ。だってお前、男に関しては、既に三角とかいう、ゲーム繋がりの知り合いいんだろう? 俺とだって喋れているわけだし」

「それは……そう、だけど」

 でも、三角君は「友達」と言い切るには正直ちょっと遠いからなぁ。偶然会ったら喋るだけで、互いにわざわざ連絡を取り合う間柄でもないし。

 しかしそんな微妙なニュアンスなど知る由もない上原君は、饒舌じようぜつに畳みかけてくる。

「ほら、RPGだって、同じ敵ばっかり倒してたら取得経験値減ったりするだろう? あれと同じだよ。新しい敵に挑んでこそ、大きな成長が得られるんだ、雨野」

「なんか、その『よしよし、ゲーム好きの雨野に対して、RPGのたとえを用いて上手いこと言ってやったぞ』感が如実に滲み出たドヤ顔が超腹立つんですけど」

「お前なんでそういう卑屈なとこでだけ鋭いんだよ! いっそ普通に鈍感な主人公よりマイナスな特性だぞそれ!」

「僕はどうせモブキャラだしぃ。上原君みたいな主人公キャラじゃないですしおすし」

「うざっ! ぼっちオタクこじらせた童貞野郎うざっ! あのなぁ、そんなことだとお前、いつまで経っても天道に――」

「? 天道さんに?」

 なんでここで天道さんの名前が出てくるのだろうと、思わず首を傾げる僕。

 すると上原君は、一瞬「しまった」という表情を覗かせた後、視線を逸らして……。

「……て、天道に、《おおなめくじ》呼ばわりされたままだぞ!」

「僕、裏で天道さんにそんな呼ばれ方してたの!?」

 ショックすぎる! 特に雑魚モンスターの中でも最弱でありながら愛らしさのある《スライム》ではなく、わざわざ《おおなめくじ》をチョイスしてくるあたり、明確な悪意と軽蔑を感じる!

 僕は愕然としながらも、上原君に応じた。

「そ、それは流石に落ち込むね……。せめて《おおねずみ》ぐらいにまでは格上げして貰いたいね……」

「お、おう、だろう? その基準はよく分からんし……まあ、正直嘘だけど……」

「え? なんだって?」

「いやなんでもねぇよ」

「嘘だって聞こえたけど」

「そこは難聴系主人公でいろよ! なんで聞こえてんだよ! ラブコメとして成り立たねぇよ! フラグも自覚の上で折ってくし! お前ホント主人公適性ねぇな! 無駄にイベント引き寄せる主人公 《特性》だけはたんまりあんのに!」

「な、なんで今、僕怒られているの?」

 もしかして、何か聞き間違えたのだろうか? まあそうだよね。上原君が、わざわざそんな嘘つく必要ないもんね。それに、すぐに「嘘だけど」とか呟く理由も……良心の呵責とか以外ないもんね。うん、反省。

 僕は気合いを入れ直すと、改めて、真剣に上原君の目を見つめた。

「わ、分かったよ、上原君。流石に《おおなめくじ》はあんまりだ。だから僕、上原君を信じて、リハビリしてみる! その……星ノ守さん? って人と、喋ってみるよ!」

「お、おう! 分かってくれたか、雨野! じゃあ、早速――」

「うん! じゃあ上原君、是非僕に彼女を紹介……」

「――早速、星ノ守ってヤツに声かけてみてこいよ、雨野!」

「……へ?」

 上原君は、なぜか肩に鞄をかけ、こちらにシュタッと手を上げる。……あれぇ? これじゃまるで、いつものバイバイの挨拶みたいじゃ……。

「俺、亜玖璃とゲーセンで遊びながらも、成功祈ってるからな! じゃあな!」

「…………え?」

 呆然とする僕を尻目に、上原君は、見ればいつの間にか教室の外に来ていたカノジョさんと思しき、小麦色の肌をした可愛い女生徒……アグリさんとやら(なぜかいつも遠目から僕を睨んで行く)と共に、さっさと教室を離れていってしまった。

 ……つまり……僕は、これから一人で、見知らぬ女生徒に、声をかけにいくと。単純に、仲良くなるために。……ふむふむ、なんだ、そりゃつまり……。

 一人ぽつんと席に残された僕は、鞄をぎゅっと握りしめながら、思わず、呟く。

「え、それって最早、フツーに、ナンパっていうんじゃ……」

 …………。

 その、リア充発想のあまりの恐ろしさに、僕は震えと目眩めまいと――

 ――追加で吐き気と頭痛、おまけに石化までをも、禁じ得なかったのだった。



「(やばい、お腹がぐるぐるしてきた)」

 廊下に出てA組に向かう道すがら、思わず下腹部をさする。まるで鉛を流し込まれたかの様な鈍痛。しかしこればっかりは、正露丸や胃薬でも治らないだろう。

「(なんで僕、ここまでしてナンパにトライしようとしているんだろう……)」

 下駄箱ではなくA組へと勝手に向かう足が、自分でも解せない。特に強い決意があるわけではないし、本気で嫌なのに、僕の足は一向に立ち止まる気配を見せない。

 それでも歩きながらも必死で理由を考えていくと、いくつか、動機らしきものに思い当たった。

「(まず、上原君からの提案だっていうことが大きいんだよなぁ。ようやくできた友達だし。しかも彼なりに僕のこと考えてくれての提案だし。あと……タイミングの悪いことに、今日は彼に合わない《のべ》さんのゲームをやらせてしまった負い目もあったし……)」

 きっと彼は、明日登校してきたら、いの一番に僕に結果を聞きに来るだろう。その際、「結局チャレンジさえしませんでした」という回答では、友達としてあまりに不甲斐ない。せめて、「A 組行ってみたけど、すれ違いで帰っちゃってたよ」ぐらいは言いたい。

「(あとは……天道さんのこともあるのか……)」

 それが大きな理由の二つ目だ。

 彼女の厚意を無碍むげにしてしまったことは、まだ僕の中で結構じくじくとしていて。そんな最中に再びゲーム関連の人間関係発生チャンスが湧いたこの現状、そこは、逃げちゃいけない気がしたというか。それに上原君の話を呑みにするわけじゃないけど、もう一度天道さんに会って謝罪するとしても、《おおなめくじ》呼ばわりされている様な関係性では話にならない。少しぐらい、マシな僕にならないと。

 あと最後に、先の二つに比べればほんの些細な気持ちなのだけれど……。

「(単純に、ゲーム好きな子と喋りたいっていうのは、あるもんなぁ)」

 上原君と接して改めて実感したことだけど、やっぱり人とゲームの話をするのは楽しい。切磋琢磨せつさたくまとか、上等な情報交換とかじゃなくて……ダラダラと、どんなゲームが好きとか、面白かったとか。そういう「なんでもないゲーム話」をする時間の、なんと幸せなことか。

 ふと気付くと、少しだけ腹部のぐるぐるが収まっていた。……うん、これなら、いけそうだ。頑張れ、雨野景太。別に、悪い事しに行くわけじゃないんだ。高校デビューを成功させた上原君を見習って、堂々と行こうじゃないか!

 胸を張って猫背を矯正しつつ、どうにかA組前まで辿り着き、ごくりと唾を呑む。

 放課後のため戸は開け放たれており、あと一歩踏み出せば、中に居る生徒達の視界に入る距離。……今思い出したけど、僕、そもそも他のクラスへちゃんと訪問するのも初めてだ。……足が震えてくる。

「(だ、大丈夫! 放課後なんだし、そんなに生徒も居ないだろうし、天道さんと違って、僕なんかが教室入っても誰も注目なんかしやしないさ! うん! サッと行こう!)」

 僕は心を決めると、強く一歩を踏み出し、入り口から室内の様子を窺った。思った通り、室内の生徒はまばらで、かつ、わざわざこちらに注目する様な人も殆ど居ない。

 僕はほっと胸を撫で下ろしつつ、改めて室内を見回すも、その矢先――

「あ」「あ」

 ――金髪碧眼きんぱつへきがんの超絶美少女と目が合ってしまった。ことここに至り、僕はようやく、そこが……二年A組が、天道さんも在席するクラスであったことを思い出す。

 クラスの真ん中あたりの席で、他の生徒に囲まれている学園アイドル。彼女の驚いた様な表情を受け、他の生徒達の視線がじわじわと僕へと集まり出す。……やばい。

 僕と天道さんに関する噂はこのクラスでも多少伝わっていたのか、室内がにわかにざわつきだした。僕は思わず後ずさって半身を隠してしまう。

 すると、いつもりんとしている印象の天道さんまで、妙に動揺した面持ちで僕から視線を逸らしたかと思うと、なぜか慌てて髪をさっと整え、一度こほんと咳払いしてから、いつも以上のすまし顔を作った。

「(? ええと……あれは、どういう反応なんだろう?)」

 上原君の言う通り、《おおなめくじ》認識が故の対応なのだろうか。見れば、天道さんは「雨野君のことなんか全く気にも留めてませんよー」と言わんばかりの露骨な態度で周囲と雑談を続けながらも、しかし時折チラチラとこちらの様子を目だけで窺ってくる。

「(な、なんだなんだ? どう解釈したらいいんだろ、あれ)」

 と、とりあえず、なんか凄く気まずいことだけは確実だ。天道さん自身もさることながら、彼女がそんな珍しい反応をすることで、むしろ取り巻きの方達の方がピリピリした様子を見せ始めている。……僕、最近どんどん敵増えてくなぁ。

 落ち込みながらも僕は、これからどうしたものかと思案する。

「(ま、今日は目的が違うわけだし……うん、触らぬ学園アイドルにたたりなし、だよな)」

 素早くそう結論して、改めて室内へと踏み込み、辺りを見回して星ノ守さんを探す。が、当然ながら「大人しいゲーム好きの女の子」程度の情報だけで特定できるはずもない。

 僕は少し躊躇ためらいながらも、思いきって、一番近くに居た女子二人組へと声をかけてみる。

「あ、あのぉ……」

「は、はい……?」

 必要以上にびくびくと反応される。少し落ち込むものの、これは僕がキモいとかじゃなくて、注目されているからだと自分に言い聞かせて、勇気を持って相手の目を見る。

 ――と、しかし、僕が質問するよりも先に、もう一人の女生徒の方から、先回りして質問されてしまった。

「も、もしかして、天道さんに用事なのかな?」

「え?」

 彼女のその質問に、教室内の女子数名が軽く黄色い声を漏らす。天道さんの様子を窺うと、彼女は相変わらずすまし顔ながらも……僕の方にさっきよりも激しくチラチラと、妙に期待を含んだ様な視線を送ってきていた。

 僕はその意図を測りかねながらも……慌てて苦笑混じりに手を振り、天道さんにできるだけ迷惑をかけぬようにと、少し力んで激しめに否定する。

「あ、違います違います。僕、天道さんには一切興味も用事もないですから!」

 瞬間、教室中央からゴンッという鈍い音が場に響き渡る。何かと思ったら、なんと天道さんが机におでこをぶつけていた! え、なに!? なんで!?

 僕のみならず教室全体に動揺が走る中、天道さんがゆっくりと顔を上げ、何事も無かったかのようににこぉといつものアルカイックスマイルを周囲に振りまく。……なんか怖い。ど、どうしたんだろうか、彼女。もしかして体調悪いのかな?

 しかしとりあえず天道さんが起きたことで、場の空気は持ち直した。

 そのタイミングを見計らって、女子が、思い出した様に僕に尋ね返してきてくれる。

「え、えと、天道さんに用事じゃ、なかったんだ? 噂でてっきり……」

 その質問に、僕はこくこくと頷き、頑張って笑顔を浮かべて、応じた。

「うん。天道さんじゃなくて、今日は、全く別の女の子に会いに来たんだ」

〈ゴンッ!〉

 さっきよりも更に壮絶な打撃音が室内に響き渡る! 見れば、天道さんの額が若干机にめり込み、そこから蒸気らしきものさえ立ち上っていた! て、天道さん!?

 最早その場に居合わせた全員が息を呑む中、彼女はまたもゆっくりと、いっそ能面を思わせる歪な笑顔で起き上がると……周囲のクラスメイトに「ちょっと失礼」と声を掛け、席を立ち……そしてあろうことか、ニコニコと、僕の方へ歩いてきた!

「(うぇぇ!? な、なんで!? なんで天道さん、僕の方来るの!? 前回が前回だけに、超気まずいんですけど! まだ《おおなめくじ》脱してないんですけど!)」

 全く予想だにしなかった状況――セーブポイント周辺で経験値稼ごうと思ってたらいきなりボス戦入っちゃったみたいな状況に、混乱しまくる僕。

 A組生徒達が大注目する中、天道さんは僕の前まで来ると、にっこりと更に口角を上げて、声をかけてきた。

「お久しぶりね、雨野君」

「お、お、お、お久しぶりです、天道さん……」

 ガチガチに緊張する僕。なぜか冷や汗が止まらない。いっそ、初対面の時より更に彼女への苦手意識が酷くなっている。あの時から、浮かれて舞い上がる気持ちとかを根こそぎ持ってかれて、最早ダークな方面の想像しかできなくなっているのが、今の僕だ。怖い。

 まるで教師に校則違反でも見咎みとがめられたかの様に直立不動の僕。

 天道さんはそんな僕に、にっこりと余裕の……しかし、なぜか若干緊張をはらんでいるようにも見える表情で、訊ねてきた。

「それで、A組になんの御用かしら? お、女の子に会いに来たとか聞こえたけど……」

「あ、はい。ちょっと、A組の女生徒を探してて……」

「……そ、そう」

「? はい」

 なぜか一瞬立ちくらみする天道さん。……やっぱり体調悪いのか?

 しかし彼女はハッと何か思いついた様子で表情を明るくすると、どこか勝手に得心した様子で、妙にテンション高く確認してきた。

「あ、ああ、あれよね! 真面目な雨野君だものね! きっと委員会の仕事とか、そういうあくまで事務的な用件で、うちのクラスの女子を訪ねて――」

「ああ、いや、そうじゃなくてっ」

 なんか勘違いされているっぽいことに僕は慌て、特に頭の中で言葉を取り繕うこともなく、思わずストレートに目的を明かしてしまう。

「その子と仲良くなる目的で、勇気を出してA組に来ました! 天道さん関係なく!」

「…………(くらーり)」

「て、天道さん!?」

 天道さんが笑顔のまま、なぜかスーッと後ろに倒れていく! 僕が慌てて抱きかかえる様に背中を支えると、クラス中から黄色い声が飛んだ。いやいやいや、今はそんな反応している場合じゃないよね!? 天道さん、これ、どう見ても病気じゃないか! なんか、今や彼女、距離の近い僕を見つめて顔真っ赤にしているし! それどころか、口は空気を求める金魚の様にパクパクと……。

「っ! ~~! ぅ~~! す、す……」

「す?」

 なんか天道さんが言っている。僕が首を傾げ、耳を澄ませると、彼女は……。

 彼女は涙を瞳にたっぷりと溜めつつ、突然、大声で叫んできた!

「すけこましぃぃぃぃぃい!」

「うぇぇ!?」

 僕を突き飛ばし、ダッと教室から駆けだしていく天道さん。……あれ、なんだろう、若干デジャブを感じるぞ。なんだこれ。

「(それにしても……今なんて言ってたんだ? スケボマシーン?……なんの話?)」

 いきなりかつ至近距離からの涙声だったせいか、イマイチちゃんと聞き取れなかった。いや、ホントは正直「すけこまし」と聞こえた気がしたんだけど、そんなの僕相手に出る言葉じゃ絶対ないしなぁ。うーん……実際のとこが気になる。

 とはいえ、周囲に尋ねてみようにも、なんかさっきから凄い刺々とげとげしい視線を受けていて、とてもそんな空気じゃない。……もしかして、僕が、天道さんと痴話喧嘩でもしたと思っているのだろうか。実際は、ただ天道さんが凄く体調悪かっただけなのに。……まったく、そういうとき気遣えないクラスメイトって、どうかと思うよ!

 僕は「人の気持ちをちゃんと察せない鈍感主人公的感性」に少し怒りを覚えながらも、しかしおかげですっかり緊張も抜けたため、改めて女生徒に尋ねる。

「あ、それであの、僕、《星ノ守千秋》っていう人探しているんですが……いますか?」

 僕の質問に、女生徒はあんぐりと口を開いて、意味不明なことを言う。

「て、て、天道さんより、星ノ守をとるんですか!?」

「? はい? えと……はい、天道さんじゃなくて、星ノ守さんです」

 なんで天道さんが出てくるのか分からなかったものの、とりあえずそう答えておく。

 なぜか、またクラス中がざわついた。……なんだなんだ。

 女生徒は、どこか感心した様子で僕を眺め回す。

「ほ、本当に、星ノ守でいいわけ? 天道さんのアレを見ても?」

「? いや、ですから、僕が用事があるのは、あくまで星ノ守さんだけなんですって」

 なんか流石にイライラしてきたぞ。まったく、何かと言えば天道さん天道さんって。そりゃ彼女が人気者なのは分かるけどさ。それに、なんだよ、さっきから僕が喋る度に黄色い声のボリュームが増えてくこのクラス。天道さんの体調、心配しなよ! まったく!

 そんなわけで、憮然ぶぜんとした表情で、断固として、今の僕の眼中にあるのは星ノ守さん一択なんだと主張する僕。なぜかどんどん盛り上がるクラス。……意味が分からない。

 女生徒は、人の恋路を茶化す親戚のおばちゃんさながらの表情で、教室の隅っこ……F組だとまさに僕が座っている席の辺りを指し示した。

 促されるままに視線をやると、そこには……。

「(これって……す、凄いな、上原君の情報網……)」

 イヤホンをさした携帯ゲーム機に視線を落とし、今教室で行なわれていたやりとりなど一切お構いなしといった様子でゲームに熱中し、ニヤニヤと幸福そうにしている――。

 ――誰かさんそっくりな、華やかさの欠片もないモブキャラ女子が座っていた。



「(まるで、この前の再現だな、これ……)」

 生徒達からの視線を一身に浴びた生徒が、教室の片隅でこっそりゲームを楽しむ生徒に真っ直ぐ向かっていくという、この構図。

 ただ一つ違うのは、僕が、天道さんとは比べるべくもない小心者であるということで。

「(天道さんって……いっつもこういう視線の中に居るんだな……)」

 その事実に、今更ながらに感心する。少し前の僕は、天道さんに少し接触されたってだけで、その注目度でノイローゼになりかけたのに……。天道さんは、それ以上の注目を受けながらも、常に、堂々とした佇まいで。

「(……ホント、知れば知るほど遠く感じるなぁ。あれで、更にちゃんと自分の好きなことまで貫いているってんだから、真の意味で、雲の上の人だよ……。……僕も、少なくとも《おおなめくじ》ぐらいからは脱却しないと)」

 天道さんのことを想うと、最近の僕は不思議と身が引き締まる。浮ついた憧れじゃなく、一人の人間として、彼女は心から尊敬に値する人だと知ったから。……同学年だけど。

 僕は心を強く持つと、視線に負けじと、星ノ守さんの前まで向かった。

 彼女は相変わらず、イヤホンをつけた上でゲーム画面に視線を落としている。

 それを、机の前に立って見下ろす僕。

 …………。

「…………こ、こほん!」

「…………」

 ……やばい。全然気付いてくれない。ゲームにガッツリ集中していらっしゃる。

「(ど、どうしようかな。いきなり異性の肩に触れたりするのも……なぁ……)」

 正直なとこ、僕は、自分から人に声を掛けるのがひどく苦手だ。それどころか、電話やメールでさえ、そうそう自分からはしない。……ついつい、「迷惑じゃないかな」とか考えちゃうのだ。さっき勢いを借りて女子に星ノ守さんのことを尋ねたアレが限界。

 しかも、この星ノ守さんと来たら……。

「(なんか……ゲームに本気でどっぷりだから、すっごい声かけづらいなぁ……)」

 自分がゲームをよくやるだけに、理解できる。真剣に世界観へ入り込んでいる時の、外的要因による強引な引き戻し程、興が削がれちゃうことはない。

 見れば、星ノ守さんはかなり前のめりの無理な体勢になってゲームを覗き込んでいた。ワカメを思わせる程ウェーブのかかった長髪が、邪魔な日光を遮る様に手元のゲーム機を覆っている。

「(もう、これでもかって程一人の世界だよ! なんて声のかけづらい!)」

 僕も教室でゲームをしているけれど、流石にここまでじゃない……と、思いたい。いや、上原君に言わせたら「超そっくり」とか評されそうだけど。

 さて、ここまで集中している星ノ守さんに、ゲームを中断させるのも忍びない。実際、用事といったって、「仲良くなりましょう」みたいな戯言たわごとだし。

 僕は星ノ守さんの前の席の椅子を引っ張り出すと、背もたれに肘を置いて横座りした。正直あんまり勝手に人の席とか座れない僕だけれど、もう座席の主は帰宅しているみたいだし、今だけは特別だ。

 そぉっとゲーム画面を覗き込む。幸い正面側にはワカメ髪があまり無く、視界良好。

「(あれ、先週出たばかりの《イージスⅧ》じゃん。僕も丁度やってんだよなぁ……)」

 画面では、2D調のデフォルメされた主人公キャラが剣を振り回して敵を倒しつつフィールドを探索していた。所謂いわゆるアクションRPGというジャンルだ。

 ネタバレ食らうのだけは勘弁だなぁと思いつつも恐る恐る確認すると、僕

より少しだけ遅れた進行度だったのでホッと胸を撫で下ろし、改めて彼女のゲーム進行を見守る。

「…………♪」

 近くで見ると、彼女は思った以上に楽しそうだった。髪の隙間から僅かに覗く口は、実に油断した、楽しそうな半開き状態だ。……正直ちょっと気持悪くもあるのだけれど、僕としては、本当に同志という感じがして、なんだか非常に嬉しかった。

「(なんだろう……人が笑顔でゲームしている姿が、僕、好きなのかも)」

 幸せそうな星ノ守さんの表情を見たせいか、僕の緊張もすっかり和らいでくる。

 そのまましばらくの間、僕はただ彼女のゲーム進行を黙々と見守り続けた。

 主人公がフィールドを突き進み、雑魚を狩り、ダンジョンを隅々まで探索していく。

 そうしてふと気付くと、いつの間にやら夕陽が満たす教室に、僕らは二人だけになっていた。鞄はまだ数個残っているから、たまたま無人のタイミングなんだろうけど……。

「(う……声をかけるなら、今が一番のチャンスだよ……なぁ……)」

 周囲の視線がないこの状況なら、ナンパのハードルが大分低い。……って、いやいやいや、ナンパとかじゃないしっ!

 しかし困った。変な風にならないよう、話の切り出し方は慎重を期さないと。

 とりあえず、結論を先送りして、再び彼女のゲーム画面に視線を落とす。と……。

「(あ、いよいよボス戦か。長かったなぁ。このダンジョンは、イマドキのゲームとは思えない程に不親切なんだよな。敵強いし、セーブポイントが入り口付近にしかないし)」

 ゲームの大詰めたる場面を迎え、僕の中からすっかり星ノ守さんに声をかけなきゃとかナンパがどうとかって気持ちが吹き飛ぶ。

 星ノ守さんは、緊張で唾をごくりと嚥下えんげした。確かに、ここで負けたら、この放課後プレイしていた分がほぼパァだ。しかも、見たとこ星ノ守さんはあまり積極的にレベル上げをしておらず、ダンジョン内の雑魚にも若干苦戦する惨状。プレイスキルの方も僕と似て、ゲーム慣れはしているものの、そこまで巧いというわけじゃない。

「(あのボスに勝てるかどうかは、五分五分かなぁ。僕は星ノ守さんよりレベル上げして挑んだからまだ楽だったけど、それでも苦戦したしなぁ)」

 ボス部屋を前にして、一旦立ち止まる星ノ守さん。僕も思わず背筋を伸ばす。

 そうして、たっぷり五秒ほど待った後……いよいよ、星ノ守さんはボス部屋へと踏み出した。仰々しい警告表示の後、巨大な岩石巨人が主人公の前に立ちはだかる。

『(……ごくり)』

 二人、全く同じタイミングで息を呑む。

 まずは攻撃パターンを見極めようと、ボスから距離を取る星ノ守さん。アクションRPGにおける初見ボス時の定石とも言える行動だが、しかし……。

〈ザスッ!〉

「っ!?」

 イヤホンからも僅かに漏れる程のSEと共に、洞窟の壁から岩の槍が突きだしてくる。このボスの嫌らしい能力の一つだ。岩でできた壁やオブジェクトに近付くと、そこから殆ど回避不能な速度の槍を発生させて攻撃してくる。

「(初見時は絶対食らうよなぁ、これ。また最初はただの罠を疑うから、他の壁際に移動して、もう一発貰いがちだし)」

 そんなことを考えていると、案の常、星ノ守さんももう一発貰っていた。あまりに自分と同じ行動パターンすぎて思わずくすっと笑ってしまう。

 ふと思い返してみると、確かにこれまでも星ノ守さんのプレイは驚く程に僕の思考と一致していた。僕は弟のゲームプレイだとか、ネットの実況プレイだとかも見るけど、ここまで「僕と思考が同じ」人は見た事が無い。実際このゲーム、そこそこ自由度が高くて、武器選択やパラメータ振り、技取得も任意なのだけど、その配分まで殆ど一緒だ。

「(ああ、あと、最初はオブジェクトからも槍が出るとは思わず、もう一発貰うか)」

 僕が考えると同時に、やはり星ノ守さんが一発食らう。

「っ~!」

 星ノ守さんの表情に焦りが滲み始める。今ので主人公の体力はもう半分程度。そしてこのゲーム、基本的にボス戦時は回復手段が乏しい。アイテムは使えず、魔法でのみ回復ができるのだが、消費MPがやたらに多く、詠唱時間も多め。

 それだけに、レベルアップによる攻撃力や最大HPの成長は非常に重要であり。

「(やばい、これ、厳しいかも)」

 彼女よりレベルが高かった僕でも、ボスの撃破はギリギリだった。となると、僕と殆ど同様のプレイスキル&スタイルたる彼女の勝率は……極めて低い。

「(さて、覚悟を決めて懐に潜り込んでガシガシ攻撃当て始めたのはいいけど。あの理不尽にダメージ判定の広いブレス攻撃は……あちゃぁ、やっぱり食らうよねぇ)」

 まるで僕の分身かと思う程に同じミスをする星ノ守さん。

 彼女は今日の冒険時間がパァになることを恐れてか呼吸が荒くなり始めるも、それでもプレイは慎重かつ緻密で、一度見た攻撃はきちんと余裕を持って回避しながら、攻撃を叩き込む。ボスのHPがガリガリと削られ、巻き返しが図られていくが、しかし最早主人公の方はあと一撃食らうとゲームオーバーの体力。

「(殆ど僕と同じ状況の再現! ただ僕の場合はレベルが上がってたから、もう一撃食らってもギリギリ耐えて倒せたけれど……彼女の場合は……)」

 手に汗握るとは、まさにこのこと。

 僕は今や大分身を乗り出して、星ノ守さんと殆ど額をくっつける勢いで画面を覗き込んでいたものの、相変わらず彼女は集中していて気付く様子が無い。

「(星ノ守さん、一度見た攻撃は上手いことかわせているけど……。このボス、体力が減ると新しい攻撃繰り出してくるんだよな……)」

 それは、一度見てしまえば回避の容易い攻撃なのだが、やはりこれまた所謂「初見殺し」というやつで……少なくとも僕はそれを食らったわけで。

「(くそ、ここまで来てゲームオーバーなんて、たまったもんじゃないぞ!)」

 僕も一緒にゲーム進行を見守ってきたせいか、感情移入度がハンパない!

 ちらりと星ノ守さんの表情を見やる。この緊張感を楽しんでいる様子もあるけど、しかし、やっぱり……。

「(そうだよなぁ、厳しいゲームバランスも醍醐味だいごみの一つとはいえ……冒険時間を大幅に無駄にするのは、できれば避けたいところだよなぁ)」

 しかも彼女の場合、何か事情でもあるのか、あまり快適とは言えない、衆目もある教室でのプレイだ。実際A組の生徒達から彼女に向けられる視線は、やはりそれほど心地良さそうなものではなかったし。そんな状況での冒険が無駄になるなんて……悲しすぎる。

 そしていよいよ、その時がやってきた。

 岩石巨人が両手を万歳する様に上に振り上げ、力を溜め始める。

「!?」

 全く初見の攻撃パターンに、ギョッとする星ノ守さん。それもそのはずで、基本的にこの岩石巨人の攻撃は、右手の攻撃は左に、左手の攻撃は右に、という特定パターンで回避が成立する。

 しかしここに来ての「両手振り上げ」は……回避のパターンがいくつかパッと頭の中には浮かぶものの、これぞ正解だという確信は絶対持てず、結果……。

「(無難に距離を取ろうと後退し始めたか! 僕もそうした! だけど――)」

 いよいよ岩石巨人のエネルギーチャージが終わる。

 星ノ守さんは一瞬躊躇ためらうも、操作スティックを大きく下に入れると、緊急回避ボタンを押して後方にステップ――

「前にっ!」

――する直前、僕は思わず叫んでいた!

「っ!」

 刹那、星ノ守さんは咄嗟とつさにスティックを逆に前へと倒して前転。岩石巨人の股下へと潜り込んだ! と同時に、巨人の両手は地面に叩きつけられ、その衝撃波は同心円状に画面全体へと拡大していく。

 そう……巨人の股下という、唯一の安全地帯を除いて。

「今だ! いけいけいけいけいけ!」

「っ! ~~!」

 僕が声を出して応援する中、大きな攻撃直後で隙だらけの巨人に、星ノ守さんは猛烈にボタンを連打して攻撃を叩き込みまくる! そうして、いよいよ巨人の硬直時間が溶け、次の攻撃活動にうつろうかというその瞬間――

『!』

 ――遂に、ボスの体力が削りきられた。

 一瞬の静寂の後、派手に爆発四散する岩石巨人。

 そうして、クリア表示がなされた瞬間……僕らは、思わず立ち上がり。

 ハッと互いに目を目を見合わせ、思わず、叫んだ。

『っったぁぁ!』

 僕の右手と星ノ守さんの右手がパァンッとぶつかる。

 改めて見れば、頭を勢い良く上げた星ノ守さんは、意外とあどけない顔立ちをした可愛らしい女生徒だった。が、すぐにワカメみたいな前髪がばさりと落ちてくると、途端に元の……なんだか得体の知れない雰囲気に戻ってしまう。 

 あ、なんか少し残念だな。もっとちゃんと顔見たかった……って。

『…………』

 気付けば、僕らは互いに手を合わせて見つめ合ったまま、呆然としていた。

 彼女の左耳からぽろりとイヤホンが外れ、漏れ出したゲーム音がシャカシャカと静かな教室になり響く中。

 星ノ守さんは……蚊の鳴くようなか細い声で、訊ねて来る。

「…………あのあの……え、ど、どちらさま、ですか?」

「あー……え、えーと……」

 彼女視点で考えてみれば。

 ゲームへの没入からいざ現実に回帰してみると、そこには、いつの間にやら無人の教室で自分とやたら気安く手を合わせている、ニヤニヤとした、完全に初対面の男。

 この、最早ナンパがどうとかってレベルじゃない、「事案発生」と報じられても全くおかしくない、あまりに踏み込みすぎた出逢い方に際し。

「…………えーと…………えーとですね…………その……あの……。……えと……」

「…………」

 彼女のピンチを見事に救った僕のゲームブレインは……しかし今や、些細な攻略情報の一つさえも、提供してはくれないのだった。

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