第4話 上原祐と強くてニューゲーム 後編

「よしっ、次何やろうかっ、上原うえはら君!」

 いつまで経っても元気のいい雨野あまのを、俺は思わずジロリとにらみ付ける。

「おい雨野。てめぇ、さっきから俺との勝負にかこつけて、この機会にと今まで気になっていたけど一人じゃ無理だったアーケードゲームに、片っ端から挑戦してやがんだろ」

「え? そ、そぉんなことないよー」

 視線をらして吹けもしない口笛を吹く雨野。俺はやれやれとあきれながらも、それ以上は抵抗することもなく、雨野と共に次のゲームを物色し始めた。

 実際、雨野とゲームするのは妙に楽しかった。別に上手うまいとかじゃ全然ないし、正直なところ亜玖璃あぐりに毛が生えた程度の腕なのだが、リアクションがいいというのか……心からゲームを楽しんでいる感があって、なんだかこっちまで空気にあてられてしまうのだ。

 そして、雨野とガッツリ遊んだことで、不思議と俺にも、彼がゲーム部に入らなかった理由が、朧気おぼろげながら理解でき始めてきていた。

「(実際なんつうか……妙に純粋だよな……亜玖璃も、こいつも)」

 一体、何が二人をそうさせているのだろう。正直驚く程共通点の少ない二人なのに、不思議と根っこのところで全く同じ「何か」を持っているように感じる。だけど……それの具体的な正体までは、つかめない。そしてそれが……なんだかひどく、もどかしい。

 俺を先導して、上機嫌にゲーセン内を徘徊はいかいする雨野を見やる。

「(俺も……こんな顔していたこと、昔、あったような……)」

 それがいつだったか、そして何に対してだったのかは、全然思い出せない。だけど彼の笑顔にこれほどまでに心がざわつくのは、なんらかの身に覚えがあるからなのだろう。

 雨野が、何かを見つけたらしく俺の袖をぐいぐい引っ張る。

「上原君! 次あれやろうよ、あれ! 是非ぜひ!」

「ああ? んだよ、ったく、しゃーねな、どれ――」

 ぶつぶつ言いながらも満更でもない返事をしようとした矢先――ふと、視線の先に、かなり目立つ金髪美少女の姿を見つけた。角度的には横顔だが、明らかに我が校の誇るアイドル、天道てんどう花憐かれんだ。ゲーセンの空気から浮きまくっていて、彼女に見とれたプレイヤー達がそこかしこでゲームオーバーになっている。……なんだあれ。

 そして彼女、さっきからキョロキョロと、何かを探すようにせわしなく視線を動かしている。……正直なんとなく察しのついた俺は、まだ天道に気付いていない様子の雨野に知らせてやることにした。

「おい雨野、あれ――」

「あっ、上原君っ」

「?」

 俺の言葉を遮るように、突然雨野が妙に緊張をはらんだ声をあげる。何事かと思って見ると、彼は俺の背中側……ゲーセン入り口の方を見ていた。その視線を追うように振り返る。――と、そこには……。

「あ……」

 仲良くゲーセンに入ってくる、音吹高校の制服を着た集団。

 よく見ればそれは、俺がいつもつるんでいるクラスメイトの、大樹だいき雅也まさや章二しようじ、それに美嘉と玲奈の五人だった。

 思わず、反射的にぎくりと体を強張らせてしまう。よく考えれば、別にクラスメイトの雨野とゲーセンで一緒にいたからって、俺には恥じ入るところなんか何一つないはずなのだけれど……咄嗟とつさの反応というやつだけは、どうしようもない。

 しかしそれは……雨野の笑顔を曇らすには、充分なリアクションでもあり。

 五人が気付く前に……そして俺が何かを言う前に、雨野は慌てて俺に背を向け、うつむきながら足を踏み出した。

「じゃ、じゃあねっ、今日はありがとね、上原君」

「っ、おいっ」

 俺は咄嗟に雨野を引き止めようとするも、時既に遅し。彼は拒むようにするりと俺の脇を抜けると、五人が来た方とは逆の、裏通りに面した出口の方に足早に去って行く。

 呆然ぼうぜんとそれを見送るしかできない俺と、自らの目の前を沈痛な表情で通り過ぎる雨野に、言葉を失い、声をかけそびれる金髪美少女。

 彼の去った出口の方を見つめてたたずんでいると、背後から、雅也達に声をかけられた。

「よっ、奇遇だなたすく! 俺達カラオケ帰りなんだよ! ほら、例の!」

「あ、ああ……あれか」

「そう、あれだよ! でさ、やっぱ今日も店員が酷くて……って、そういや、亜玖璃ちゃんは? 今日は一緒じゃねーの?」

「あ、ああ、今日は他のヤツと遊ぶって……」

「そっか。じゃあお前、ここで一人で遊んでたわけ? んだよ、寂しいヤツだなぁ!」

「いや……」

 否定しようとするも、皆が雅也につられてげらげらと笑いだしてしまったため、妙に言いだし辛くなる。俺が言葉を喉につっかからせていると、間を埋めるように雅也が勝手にべらべらとしやべりだした。

「でよ、皆でカラオケ行ったわけよ、今日も。そしたらさ、なんと前と同じ――」

 彼の、正直全く興味の湧かないカラオケ体験レポートを聞きながらも、俺は、胸の内に様々な感情をぶすぶすとくすぶらせ続けていた。特に……。

「(雨野のヤツ……なに、急に、ばっくれてんだよ……!)」

 自責やら後悔やらいらちやら全部ひっくるめた上で、まず一番に浮上してきたのが、そのどうしようもない、苛立ちのような感情だった。

 俺は思わず、雅也の話を遮るように声をあげる。

「わりぃ! 俺ちょっと、今急ぐから! またな!」

「え? あ、お、おう。またな?」

 雅也以下五人がキョトンとする中、俺は天道さんの前を猛烈な勢いで通過し、ダッシュで雨野の出ていった出口へと向かう。そのまま人通りの少ない裏通りへと出ると、俺は鞄をしっかり担ぎ直しながら、雨野が帰宅するなら向かうであろう住宅街方向にあたりをつけて、走り出した。

「(くそっ! なにしてんだっ、俺! 意味わかんねぇ! なにがしたいんだよ、俺!)」

 感情は全くまとまっていない。雨野に謝りたいのか、怒りたいのか。それどころか、このまま無計画に雨野を追っていいのかどうかさえ、分からない。

 だけど……こうしてモヤモヤしたまま燻るのだけは、絶対に勘弁だ!

「(それじゃ、中学時代と一緒だ! 少しの勇気さえ出せず、自分から友達作ることも、親に本当の希望進路を言うことさえもできなかった、あの頃と!)」

 足を引っかけて飲食店の生ゴミポリバケツを危うくひっくり返しかけながらも、人通りの少ない路地裏を駆け抜ける。

 そうして、一分ほど全力疾走し、ビルの角を曲がったところで。ようやく、前方にしょぼくれたクラスメイトの背中を発見した。

「雨野!」

 思わず大声をあげて駆け寄る。と、彼はびくんと大きく反応した後、恐る恐るといった様子でこちらを振り返ってきた。そうして、息を切らせながら自分に近付いてくる俺を見て、不思議そうに首を傾げる。

「あれ? 上原君? ど、どうしたの?」

 小走りで自らも俺の方に寄ってくる雨野。俺は彼の前まで行き、しばらく無言で息を整えた後……とりあえず、強く睨んでたずねた。

「なんで、逃げたんだよ、お前」

「え? に、逃げたって、そんな大袈裟おおげさな……」

「逃げたろ」

 ヘラヘラとする雨野に、しかし余裕のない俺はピシャリと追撃をかます。これには流石さすがの雨野も少し機嫌を損ねた様子で、露骨に表情を硬くした。

 しばらく二人の間に沈黙が降り……そして……。

 雨野は、耐えきれないように俺から視線を逸らし、どこか卑屈な表情で、まるで自分に言い聞かせるかのように、ぶつぶつと陰鬱いんうつつぶやいた。

「だって……僕なんかが一緒にいたら、困るでしょ。……上原君、リア充だし……」

「――――」

 その言葉を聞いた次の瞬間には、俺は、思いっきり雨野の胸ぐらを掴み上げていた。

 血が沸騰しそうな程の怒りが、腹の底からぐつぐつと湧いて来る。

 ようやく分かった。俺は……コイツが、このクラスメイトが。

 反吐へどが出る程に、嫌いなんだ。

「う、ぐ……。なに……すん……上原……く……」

 苦しそうに雨野がうめく。しかし俺は構わず、正面に自らの顔をぐいっと近付けると。

 これまで雨野に感じていた、複雑な想いの、その全てを。

 一斉に、整理することなく、叩きつけてやった。

「っざけんなよっ、ひきオタ童貞野郎がっ! てめぇ何様だよ! 何が『リア充』だ! そんな言葉で……そんな言葉で、人をくくってんじゃねえぞ! ああん!」

「な…………に、を……」

 全く俺の言いたいことが分からないといった様子で、呻く雨野。……そんなの、俺にだってわかんねぇよ。だけど一度漏れ出した感情は、決壊したダムのごとく、溜まった全てを吐き出すまで止まらない。

「俺の今のリアルが充実してるように見えるなら、それはひとえに俺の努力の賜物だ! ガリ勉眼鏡野郎だった俺が、高校で必死で自分を変えたからだ! お前のリアルが充実してねぇのは、ただひたすらにお前の責任でしかねぇ! 違うか!? 少なくとも俺は、雨野、お前に、『リア充』なんてどっか人を見下した呼び方で括られる覚えはないぞ!」

「見下して……なんか……」

「いないとは言わせねぇ! いいかっ、お前はきっとどこかでこう思ってんだろ。『下らない人間関係を保つために努力するぐらいなら、一人で楽しくゲームして過ごした方が何倍も有意義じゃないか』って」

「……そ、それは……」

 雨野の表情が青ざめる。それはきっと、俺に胸ぐらを掴まれて頭に血液が行ってないから……という理由じゃないだろう。

 俺は、彼の胸ぐらを掴む右手を少し緩めて、続ける。

「ああ、そりゃ一理ありだ。そこだけは共感してやるよ。その時その時を楽しむスタンスは、俺だって同じだからな。けど、楽しみ方のレベルは段違いだ。俺は今やお前に『リア充』呼ばわりされる程度に青春を謳歌おうかしている。ダチと、カノジョがいる。だけどお前の高校生活はどうだ。ゲームがあれば楽しいだなんて、苦し紛れの妥協じゃねえか」

「…………」

 言いながら、じゃあ自分はこの高校生活に何も妥協してないのかと、自らに問い掛けてみる。……答えは出ず、ただ、不快な苛立ちだけがこんこんと湧き出てきた。

 俺は全てを振り払うように、今は雨野だけへと意識を集中する。

「……なぁ、雨野。お前、童話の『アリとキリギリス』って、知ってるか?」

「?……」

 俺の唐突な質問に、雨野は一瞬動揺を見せるも……すぐに、胸ぐらを掴まれたままながら、こくんと頷く。俺はニィッといびつに笑った。

「あれのキリギリスこそが、今の俺だ。要所だけを要領良くそつなくこなすことで、青春を精一杯謳歌し尽くす。で、いざ困ったことになったらテキトーに誰かに頼って、ちょろっと頭下げるだけで、最後には美味おいしいとこだけ持っていける。最高だろ?」

 必死で勉強に明け暮れて、ゲームだけが一服の清涼剤で、でも最後には結局なんの結果も残せなかった忌々いまいましい中学時代の自分。その姿が、目の前のオタク野郎へと重なる。

「その点、お前はどうだっ、雨野! ゲームが楽しい? それさえあればいい? 随分としょっぱい『逃げ』だな、おい! 俺は、お前のそういうところが……そういうところが、ずっと気に食わなかったんだよ!」

 昔の俺と、えらく似たところが。昔の俺とえらく似ているのに……違うところが。

 雨野が、苦しそうに呻く。

「そういうとこって……上原君、僕のことなんて全然知らないじゃ……」

「分かるさ! てめぇ程度の浅はかな人間のことなんて、今更聞く必要もねぇ! 雨野っ、てめぇは今日、天道からの折角の誘いを断わりやがったよなぁ! なんの努力もなくキリギリスになれるチャンスを……ゲームに対するスタンスの違いなんつうしょーもない理由で、簡単に放りやがった!

 さっきはそれを、後悔しているような口ぶりだったけど、実際は違うだろ! 本当は……本当は、そんな孤高を貫く自分を、てめぇはどっかで

『カッコイイ』とさえ思っていやがるんだろう!」

「っ! そ、それは……」

 雨野の目が泳ぐ。俺は更に続けた。

「たった今俺のダチから逃げたこともそうだ! 勝手に悲劇の主人公ぶって満足しやがって! 俺は……俺はお前のそういうところが、たまらなく許せねぇんだよ!」

「…………」

 雨野の悲しげな視線が俺を捉える。……まるで、過去の自分に見つめられているみたいだった。俺は思わず、必要以上に感情的になってしまう。

「そもそも、ゲームなんてくだらねぇ娯楽になにマジになってんだよ、馬鹿らしい。いくら遊んでも、結局現実にはなんのメリットもありやしねぇ。それが、ゲームだろ。……ホントくだらねぇよ。ああ、そういう意味じゃ、お前の言ってたゲーム部ってやつが気に食わねぇってのは、俺も同感だ。無駄なことにばっかり力入れやがって。馬鹿みてぇ。そんなだから、天道のヤツもビジュアルはいいのに、最近の奇行でどんどん評判が落ちて――」

 と、そこまでベラベラと思いつくままに語った……次の刹那せつな だった。

「う、ぐっ!?」

 ――俺の胸ぐらが、雨野によって掴み返されたのは。

 見れば、今や雨野の目はおびえる者のそれから……すっかり、怒れる者のそれへと変化している。

 雨野は、自分も苦しいだろうに、慣れない様子ながら必死で俺の胸ぐらを掴み上げたまま……俺の目を、強く睨み返してきた。俺は、それに思わず感心する。

「(んだよ、そういう目もできんじゃんか。……で? 何にキレた? 自分がリア充をうらやむだけのクズ野郎だって指摘が図星でキレたか? 『天道の誘いを断わる僕カッコイイ』っつう図星を指摘されてキレたか? それとも……)」

 なんにせよ、俺には俺の信念があって告げた言葉だ。どんな反論が来ようが、一切引く気はないし、また、負ける気もしねぇ。

 俺が、今か今かと雨野の反論を待ち構える中。

 彼は俺の胸ぐらを掴む右手をプルプルと頼りなく震わせながら、半ば涙目で……しかし同時に必死でその瞳に気迫をたぎらせ、そして……。

 いよいよ、その、どうしても言いたかったらしい、俺への反論を――口にしてきた。

「アリさんを、馬鹿にしないでよ!」

「…………は?」

 あまりに予想外の彼の言葉に、怒りも何も忘れ、目を丸くして立ち尽くす俺。雨野の胸ぐらを掴む力も思わず緩む中、雨野は必死で、俺に詰め寄ってきた。

「た、確かに僕は、なんの努力もしていない、ゲームだけが趣味の駄目人間だよ! そんなの自分で最初から知ってる! だからそこに関して反論とか一切ない! すいませんでした! あとリア充発言もごめん! あれはホント、自分でもどうかと思う! しょ、正直その……上原君と遊べなくなってスネた結果の発言です! ホントごめんなさい!」

「え? お、おう……?」

 なんか胸ぐらを掴まれながらも、ほとんど全面的に俺の雨野に対するディスりを認めた上で、全力で謝られ始めてしまった。……なんだこれ。

 雨野の全力謝罪はまだ続く。

「あと、『天道さんの誘いを断わる僕カッケェ』に関しても、正直完全に図星すぎて胸が痛いです! 言われて改めて自覚して、びっくりした! うん、すごくうざいね、僕! それにそれに、天道さんの誘いを断わるとか、実際正気の沙汰さたじゃないとも思うよ! 友達できるチャンスを変なプライドのために棒に振るとか、僕はホント最低だよ! 馬鹿すぎるよね! 頭おかしいよね!」

「そ、そこまでは言ってねぇけど……」

 ここまで来られると、最早もはや卑屈云々うんぬんのレベルをゆうに通り越しており、こちらもすっかり毒気を奪われていく。

 思わず、こいつはどうしたもんかなぁと後頭部をぽりぽりく。――と、しかし、そこで雨野は俯き加減になり、トーンダウンした。

「……ゲームがくだらないものという意見も、まあ、百歩譲って認めるよ。うん……ゲームって、基本無駄だもんね。分かってる。だからこそ面白いとも思っているんだけど……くだらないって意見を、真っ向から否定する材料も、正直ないよ。認める。だけど……」

 一端言葉を句切る雨野。しばらく俯き……そして、次に顔を上げた時にはその瞳に強い意志だけを滾らせ、俺の目を、真っ正面から見据えてきた。

「だけど、そのついでみたいに、ゲーム部や天道さんまで馬鹿にするのは、許さない!」

「っ!」

 少し意外な……それでいてどこか正当性を纏った反論に、俺は言葉を失う。

 雨野はそこで、少し表情を柔らかくして、核心部分を話し出した。

「上原君の言うように、『アリとキリギリス』のキリギリスは確かに賢いと思うよ。その要領の良さには感心するし、正直僕も、すげーうらやましい生活だなって思う。僕だって本当は、キリギリスになりたいさ。当然じゃないか。でも……でもね」

 雨野の声が、一転して硬く鋭いものへと切り替わる。

「いくらキリギリスが賢くたってさ……彼にはそれでもやっぱり、今一生懸命働いているアリさんを馬鹿にする権利なんか、ないはずなんだよ」

「! それは……」

 構えていたはずなのに。あんなに自信満々だったはずなのに。

 反論の言葉が、全く出て来ない。

 口を金魚のようにぱくぱくする俺に、雨野は更に必死に、怒濤どとうの如く続けてきた。

「僕みたいなぬるい駄目人間の批判はいいよ。本当にその通りだと思う。上原君に言われて、自分が如何いかに最低か、改めて思い知ったよ。アリどころかダニだね、全然何の努力もしていない僕は。上原君に何か言う資格なんて、これっぽっちもない。本当にごめんね。でも、だけど……だけど……だからって!」

 雨野は、こんな時に限って、一切どもることもむこともなく、真摯しんしに俺に訴える。

「たとえそれが『ゲーム』っていう『くだらない』題材であっても! 何かに心から一生懸命打ち込んでいる人達のことを……天道さんやゲーム部の皆のことを、僕やゲーム批判のついでに、大して深く知りもしないで、軽々しく馬鹿にしていいはずなんかない!」

「……く」

 やばい、何も言い返せないどころか、雨野の言葉に完全に納得している俺がいる。

 そうだ。つい、調子に乗って何もかもを口汚くののしってしまったけれど、本来俺の雨野への苛立ちは勝手なものだし、百歩譲って雨野批判は良くとも、天道やゲーム部、それにゲームの価値を無駄におとしめる必要は、なかったはずだ。

 俺がすっかり意気消沈していると、雨野はいまだ俺の胸ぐらを掴みながらも、すっかり優しい顔になり、温かい声音で続けてくる。

「特に天道さんは、本当にいい人なんだよ。こんな僕なんかを二度も誘ってくれてさ。可愛いとかっていうのは勿論だけど、優しくて、行動力があって、その上ゲームの才能まであってさ。実際天道さん、凄く頭もいいのに、わざわざ音吹に来たのはゲーム部に入るためなんだよ。そんな彼女は、僕にとって、はつこ――じゃなくて、本当に尊敬できる人でさ。だからこそ、僕への批判は全面的に受け容れて何度でも謝罪するけど……」

 一拍置いて、彼は改めて俺を見つめ直し、告げてくる。

「天道さん、ひいてはゲーム部を馬鹿にする発言だけは、絶対に撤回してもらいます」

 雨野の、少しのおびえがありながらも、しかしそれ以上の信念に満ちた、真っ直ぐな瞳。

 そんな目を向けられてしまったら……もう、ずっと胸に燻っていた雨野への苛立ちなんか、どっかに行っちまわざるを、えないわけで。

「(ああ……なんだ、こいつ……過去の俺なんかとは、やっぱ、全然違うじゃねえか。過去の……いや、今の俺よりも、もう、とっくに、ずっと……)」

 俺は一つ嘆息すると、雨野のすっかり緩みきった手を胸ぐらから外させ、制服の皺をパンパンと叩いて伸ばしながら謝罪する。

「……悪かったよ。ゲーム部や天道のことに関しては、謝る。……っつーか、その……お前への暴言に関しても。なんか……変につっかかって、悪かったな。この通り」

 腰を折り曲げて頭を下げる俺。雨野はわたわたと焦った様子で手を振る。

「上原君……う、ううん! 全然、そんな! 僕のことに関しては、こっちが悪いよ!」

 こっちが謝っているのに、ぺこぺこと頭を下げ、逆に縮こまる雨野。……ったく。毒気抜かれるなぁ、ホント。

 俺は一つ嘆息すると、気を取り直して、ギャグ混じりにツッコんでやることにした。

「しっかし、天道直々の誘いをキッパリ断わった張本人に、ゲーム部語られてもねぇ」

 俺の言葉に、雨野は目を丸くし。そして、顔を真っ赤にして頭を掻く。

「あ、そ、そうだよね! えと……じゃあ……えっと……ええと、ええとねぇ……」

「……ふっ」

 なにやら代わりの言葉を探して慌てる雨野に、思わず笑みをこぼしてしまう。すると雨野もそんな俺を見て、どこか安心したように、声を出して笑った。……ああ、なんだ、こうして腹割って話したら、なんてことない、ミステリアスでも理解不能でもなんでもない、等身大のクラスメイトじゃないか。俺は何を勝手に苛立っていたんだか。

 しばらく互いに笑い合ったところで、俺は「じゃあ……」と切り出す。

「俺はゲーセン戻るけど、雨野、どうする? なんだったら、改めて皆と一緒に……」

 俺の罪滅ぼしを兼ねた、少し気を遣った提案に、雨野は苦笑する。

「いやそれは流石にハードル高いって。家でやりたいゲームもあるし、今日は帰るよ」

「そっか。……じゃあ……えと、また学校でな」

「あ……。う、うん! また学校で!」

 ただの別れ際にするクラスメイト同士の普通の挨拶あいさつにさえ、心底うれしそうに微笑ほほえむ雨野。……くそ、雨野のこういうとこは、やっぱ苦手だ。気恥ずかしくて直視できない。

 俺は素早く彼に背を向けると、ゲーセンに向かって歩き出す。

 が、数歩進んだところで……。

「あ、そういえばさ!」

 背後から雨野に声をかけられ、振り返る。少し離れた所で雨野が、なにやら面白いことを思い出したといった様相でくすくすと笑っていた。

 なんだよ気持ちわりぃなと少し引きながら訊ねると、雨野は笑いをこらえながら告げてくる。

「さっきの、アリとキリギリスのネタ。あれ、なんか上原君、渾身こんしんたとえと言わんばかりに、満を持してドヤ顔で繰り出してきたけどさ。正直あれ、全然上手うまくいってないよ?」

「あ、ああん? んだコラてめ、ケンカ売って――」

「だってさ」

 恥ずかしさのあまり腕まくりをして引き返そうとする俺に、雨野は、相変わらずニヤニヤとしたままで……ふわりと、その理由を告げてくる。

「友達やカノジョといるために、今も一生懸命努力している上原君ってさ。甘い汁だけすすって喜ぶキリギリスとは全く真逆の――凄く真面目で愛らしい、アリさん側の人じゃん」

「――――」

 思わず動きが止まってしまう俺。雨野はそんな俺に、「じゃあねー」と軽く声をかけると、そのまま背を向けてさっさと去って行ってしまった。

 俺はしかし、そのまましばらくぽかんと立ち尽くす。そして……。

「……はっ、はは……そうか……なんだ、結局今もアリだったのか、俺。……はははっ」

 なんだか無性におかしさが込み上げてきて、その場でゲラゲラと笑う。

 ……不思議と今は、中学時代の俺が、一緒に笑ってくれている気がした。

「……さーて、と」

 ひとしきり笑い終えたところで。ここ数年来で一番の、えらく爽快な気分と共に、振り返って来た道を戻り始める。そうして十メートル程歩いたところで、俺はビルの角を曲がった。――と。

「…………」

「…………(ぽー)」

「…………」

 ……期せずして、ビルの陰にそっと隠れる金髪美少女――天道花憐を見つけてしまった。しかし彼女の方は、すぐそばにいる俺にさえ全く気付かず、酷い風邪でもこじらせたかのような熱に浮かされた表情で、ぼんやりと、ずっとどこかを見つめ続けている。

 彼女の視線の先を追ってみる。……明らかに雨野の帰っていった方向だ。……うん。

「(あー、やべ。えらいの、見ちまったなぁ……)」

 俺はすぐにその状況の「一大事」に気がつき、思わず鼻の頭を掻く。

 なんせ……それは……誰が、どう見たって……。

「(我が校のアイドルが、完全に恋に落ちていらっしゃるぞ、おい……)」

 頬をあかくして瞳を輝かせながら男の去った方を見つめる純情乙女が、そこにいた。

 大方、俺に続いて彼女も雨野を追ってきていたのだろう。目的は当然ゲーム部への勧誘。だがそこで、彼女は期せずして俺と雨野の口論を目撃し、そして……。

「(これまでかたくなに誘いを断わっていた雨野が、実際は自分やゲーム部のことを必死で考え、想っていてくれてた、なんて場面を見たらなぁ。そら、そうなるわな)」

 まさか現実に、ここまで分かりやすい「劇的に恋に落ちるヤツ」がいるとは。俺と亜玖璃みたいなのが普通とまでは言わんが、まあ、実際近頃の恋愛なんて、普通もっとぬるーっとした始まり方するもんだろう。それがまさか、我が校のアイドルに限って……。

 俺はしばらくその珍しい光景を堪能した後、しかしこのままほうけた彼女を路地裏に放置して去るのも忍びなかったため、仕方なく声をかけることにした。

「おーい…………天道?」

「…………はひっ!?」

 俺が肩に手を置くと、彼女は露骨にハッとして、俺を確認し、そして流石の頭の回転の速さで自分の状況を認識すると……顔を急激に真っ赤にして、俺にわめきだした。

「べ、べべ、別に、雨野君のことなんて、なんとも思ってないんですからね!」

 恋するツンデレ乙女が現れた! 彼女はまだ自覚していないようだ!……あほらし。

「あ、はーい。わっかりましたー。じゃ、お幸せにー」

 俺はテキトーに告げると、ぺこっと一礼して、その場を去――

「ちょちょ、ちょっと待ちなさい!」

「ぐへ」

 ――突然襟首を掴まれた。普通に死ぬかと思った。げほげほとむせかえる俺。

 しかし天道は、全く俺を心配する素振りもなく続けてくる。

「あ、貴方あなた、今、な、何がわかったって!? お、お、お幸せにって、一体……」

「けほっ、けほっ。……あー……。うん、雨野とお前、俺は意外と似合うと思うぞ?」

「な――」

 しゅぼっと今まで以上に赤くなり、湯気を出す天道。よし今だ。

「じゃ」

 俺はしゅたっと手刀を切ると、素早くその場から離脱した。幸い、今度は天道が追って来ることもなかった。……ふぅ。

「(……なんかあの超絶美少女に追われても意外と嬉しそうじゃない雨野の心境、今若干理解できたかも。あれは確かに面倒な女だ。ある意味亜玖璃以上に)」

 俺はゲーセンへの道をぽてぽて歩きながら、腕を組んで黙考する。

 そうして、再びゲーセンへと辿たどり着く頃。俺は一つ、あることを心に決めていた。

「(よしっ、雨野への嫌がらせもかねて、あの二人の恋は無駄に応援してやろう!)」

 ――俺の充実した高校生活に、また一つ、新たな青春娯楽が増えたのだった。



「あ、祐ぅー!」

「あれ? 亜玖璃?」

 雨野と別れた後、ゲーセンに戻って雅也達とぐだぐだ駄弁だべり、流石ににそろそろ解散しようかという頃、突然亜玖璃がやってきた。驚いていると、彼女はぴたっと俺の腕にくっつきながら、説明してくる。

「友達と遊び終わって帰る途中だったんだけど、もしかしたら祐いるかなって!」

「ああ……そう」

 雅也達のニヤニヤした視線にい辛さを感じながら、やれやれと応じる。……女のこういう直感みてぇなのって、時折超怖いんですけど、俺。別に浮気の経験もねぇけどさ。今後の恐怖の片鱗へんりんを感じるっつうのか。

 そのまましばらく亜玖璃も含めて雑談したものの、流石に時間が時間だからと、すぐに解散となって雅也達が帰っていく。

 で、俺はといえば……亜玖璃に「一回! ねぇ、一回だけー!」とねだられ、またもクレーンゲームの前に連行されてしまっていた。

 俺は、げんなりと肩を落とす。

「勘弁しろよ……俺今日、どんだけゲーセンで金使わされてると思ってんだよ……」

「えー? なに、亜玖璃以外の誰かに、ぬいぐるみ取ったのー?」

 突然ぷくーっと頬を膨らませる亜玖璃。……あれ? 珍しいな、こいつのこういう、嫉妬みたいなの。だって、俺と天道がお似合いだって素で言えるヤツだぜ? うん?

 俺は少し疑問に思いながらも、財布から百円硬貨を取り出しつつ説明する。

「ちげーよ。男と、無駄にゲーセン中のゲーム巡りしてただけだよ」

 俺のその言葉に、今度は亜玖璃が「ええー!?」とやたら残念そうなリアクションをする。

「見たかった! 亜玖璃も、祐が色んなゲームするとこ、見たかったぁ!」

「はぁ? いっつも見てんじゃねーかよ。何を今更……」

 クレーンゲームに百円を投入する。……亜玖璃は、まだむくれていた。

「むー……亜玖璃以外の人と……ゲーム……」

「(……なんか今日は妙に虫の居所悪ぃなぁ、こいつ)」

 なんて珍しい。いっつも馬鹿みたいに何も考えずニコニコしてやがるのに。

 ……でも確かに、俺の感情の揺れ動きという意味では、カノジョである亜玖璃といる時より、雨野と過ごす時間の方が遥かに大きかったかもしれない。そういう意味じゃ、嫉妬の意味が分からないでもないが、別にそこまで詳しく亜玖璃に説明もしてねぇしなぁ。

「(ホント俺……なんで亜玖璃と付き合ってんだろうなぁ……)」

 嫌いとかじゃないし、可愛いとも思うんだが……それでいいのだろうか。別にBL的な意味では全然ねぇけど、本来ただのクラスメイトたる雨野とあんなにバチバチやりあった後だけに、カノジョにちゃんと腹の内見せてない感が、妙に引っ掛かる。

 俺はクレーンゲームの中を見回す。今日の亜玖璃は、例のキモいネコの別バージョンをご所望らしい。またタグにひっかけたいところだが、それには慎重を要する。

 俺は時間をかけて状況を確認しつつ……手持ち無沙汰ぶさたに、なんとなく、亜玖璃に質問してみた。

「なぁ、亜玖璃」

「なぁに、浮気者の祐さーん」

 まだ怒ってやがる。なんなんだ、今日のこいつは。俺は構わず、質問を続けた。

「お前ってさ……俺の、どこにれて、告ってきたわけ?」

「え?」

 ようやく怒りを忘れたように、ぽかんとする亜玖璃。そういえば、こんな話をしたのは初めてだったかもしれない。付き合い出した初期の頃は気になっていたものの、自分からそんな質問をするのは恥ずかしく。で、いざ親しくなってからは、むしろなぁなぁになりすぎて、そこへの興味を完全に失ってしまっていた。

 ぬいぐるみへのあたりをつけた俺は、慎重にボタン操作を始める。まずは縦方向。

「祐を好きになった理由? あれ、まだ言ってなかったんだっけ?」

「ああ」

 よし、縦方向は完璧狙い通りだ。あとは横だが……。

 一度、亜玖璃の方を見る。……相変わらず何も考えてないような、例の、ゲームしている時の雨野に似ている、ぬるーい笑顔してやがった。恋愛話になって、機嫌が完全に回復したようだ。……単純なやつめ。どうせ俺に惚れた理由も、顔が好みだったとか、そういうことなんだろう。

 俺はクレーンゲームの方に意識を戻すと、そっと横ボタンに指をかけた。

「祐を好きになった理由はねぇ。当然、祐がカッコ良かったからだよ!」

 ほぅら来た。結局はやっぱ、上手く仕切り直した高校デビューのおかげ。そういう意味じゃ、俺の努力が間違っていなかったことの証明でもあるわけだが……。

 俺は自分の予想が当たったことへの満足と、同時になぜか多少の落胆を覚えながら、横ボタンを押下してクレーンを移動させていく。……よし、もう少し、もう少し行ったところでストップすれば、丁度ブツの真上――

「中学時代、亜玖璃にぬいぐるみ取ってくれた祐が、超カッコ良かったからだよ!」

「――――」

 完全にぬいぐるみの真上を通り過ぎ、端まで移動してしまうクレーン。亜玖璃が「あー、なにやってんのさ、祐ぅ!」と抗議の声を上げる中。

 俺は、最早無駄にした百円のことなんかどうでもよく、ただ、ぼんやりと、亜玖璃の方を見つめてしまっていた。

 ぷんぷんと俺の不甲斐ふがいなさをなじる亜玖璃に、俺は、ぽつりと訊ねる。

「お前と俺が……中学時代に、会って、た?」

 俺の質問に、亜玖璃はクレーンゲームの方に視線をやり、悔しそうにしながら割とテキトーに答えてくる。

「会ってたよー? あ、その頃の亜玖璃、黒髪おさげに丸めがねの地味っ子だったから、今と全然違うけどね! でも祐も変わったから、お互い様だね!」

「え……え?」

 黒髪おさげの地味っ子? 俺が……ぬいぐるみを取った?

「(あれ……そういや……)」

 そうだ、そんなこともあったかもしれない。中学三年の、夏頃。受験勉強の疲れから逃れるようにこのゲーセンに入った時。なんとなくクレーンゲームに挑戦して、ぬいぐるみを取ったはいいものの……サイズ的にそれを持ち帰って母親に見つかるとまずいよなぁと扱いに困り果てていたら、それをジーッと物欲しそうに見ている、地味で大人しそうで明らかにゲーセン慣れしてない、可愛い女の子がいて。それで俺は……。

 亜玖璃が、こちらを振り返って笑顔で続けてくる。

「あの時から、亜玖璃ずーっと祐が好きだったんだー。あれからも、ちょくちょくこのゲーセンで祐を探してさぁ。祐、たまーにこのゲーセン来ては、なんだか凄く楽しそうに一ゲームだけやって、帰ってくの。亜玖璃、そんな祐がすんごく好きで」

 極めて軽く語る亜玖璃。しかし彼女のテンションに反して、俺は、頭をガツンと殴られたかのような衝撃にとらわれていた。

 だって……だって、それじゃあ、こいつは……亜玖璃は……今の俺じゃなくて……。

「同じ高校入ってるのは知ってたんだけど、クラス見に行ったら、なんか祐、すっごくイケメンさんに変わっててさ。で、友達に訊いたら、祐は軽ーい感じの女子が好きだっていうから……亜玖璃も頑張ったんだー。あ、今は気に入っているけどね、この格好!」

 いひひーと、相変わらず馬鹿みたいに笑う亜玖璃。

 俺は、そんな彼女の笑顔を……笑顔を――

 ――なぜだか、急激に恥ずかしくなってきて、直視できなくなっていた!

 心臓が、バクバクバクバクと高鳴り出す! 思わず口元を手で覆い、亜玖璃から視線を逸らすも、彼女の笑顔が脳にこびりついて全然離れない!

「(なんだこれ!? なんだこれ! なんで俺、こんな、今更亜玖璃なんかに、心臓が破裂しそうになる程緊張して……! ちゅ、中学時代からずっと見てくれていた? あの頃からの俺を……本当の俺を、好きになってくれていた?……こ、この、亜玖璃が?)」

「? 祐ぅ? どしたのー?」

 きょとーんとした声で訊ねてくる亜玖璃。ちらりと彼女を見やる。

 ……ずきゅーん。

「(やべぇっ、なんだこれ。あ、あ、亜玖璃ってこんな可愛い顔してたっけ! ?)」

 すっかり、今までどうやって亜玖璃に接していたのかが分からなくなる。

 俺は思わず、亜玖璃から逃げるようにその場を離れた。

「きょ、今日はここで解散! あ、亜玖璃も、早く帰るように!」

「ええー! 祐ぅ、送ってくれないのー?」

「お、お前の家、商店街に面しているんだから、夜道でも危ないことなんか全然ないだろ! じゃあな!」

 俺は亜玖璃の不満げな声を背に足早にその場を去ると、熱を帯びた顔を冷ますように、ずんずんと街を歩く。

 そうして、しばらく進んだところで。ふと、ショーウィンドウに映った自分を見やると、そこには……。

「(……げ)」

 さっきの天道と全く同じ、腑抜けた、真っ赤な顔をした人間が――

 つまりは、完全に恋に落ちた純情青年の顔が、これ見よがしに映っていやがった。



 激動の金曜日から、土日の連休を挟み、月曜の朝。

 諸事情あって俺が目の下にクマを作って登校し、気怠けだるく二年F組の教室に入ると、早速雅也達が「うーっす!」と元気に声をかけてきた。

 俺は欠伸あくびを噛み殺しながらも、それに「うぃー」と軽く応じ、自分の席へと向かうと鞄を机の上に置く。

 ――と、ふと教室の片隅を見やると、携帯ゲーム機をいじっていた雨野と目が合った。

 どうしたものかと迷ったのも束の間、ヤツがまたも俺に変に気を遣った様子でさっと何事もなかったかのようにゲーム機へ視線を落としたのを見て、カチンと来る俺。

 ……よし決めた。

 章二がいつものように俺の席からどこうとするのを制し、俺は……五人が不思議そうに見守る中、雨野の方へと近付いて行く。珍しい俺の行動に、雅也達どころかクラス中が少し注目する中……俺は雨野の机に、強めに手を置いた。

 びっくりして視線を上げ、ゲーム機に接続したイヤホンを外す雨野に、俺はにこりと笑って告げる。

「よぅ、おはよう、雨野」

「お……おはよう、上原君」

 と、そこで雨野は、ようやく俺が不機嫌な理由を察したらしい。「あは……」と気まずそうに笑うと、ぽりぽりと頬を掻いた。

「で、でも僕みたいなのがいきなり爽やかな挨拶も……ねぇ? キャラってあるし……」

「……はぁ」

 俺は空いていた雨野の前の席の椅子いすの背もたれに尻を置いて、「まあな」と応じる。

「お前が元気に俺に『おはよう!』とか言ってきたら、それはそれで少し引いたけど」

「酷い!」

 雨野ががーんとショックを受けた様子を見せる。実際、雅也達は少し動揺した様子で俺達の動向をのぞいているし、クラス全体の空気もなんか乱れていた。

「(ま、そうなるわな)」

 天道の来訪に続いて俺までこれじゃ、雨野が変に注目されても仕方ない。少し悪いことをしたかもなとバツが悪そうにしていると、雨野はしかし、妙に嬉しそうな笑みを俺に向けて来た。

「でもありがとね、上原君。この前は、一緒にゲームできてすっごく楽しかったよ!」

「…………」

 相変わらず、亜玖璃に似た無邪気な笑顔にどこか救われる俺。

 そこでようやく、この二人の共通点が少し分かった気がした。

「(無条件にすっげぇ好きなもんが、いつもすぐ傍にあるんだな……こいつらには)」

 それは、雨野にとってのゲームであり、亜玖璃にとっての――。…………。

「? どうしたの上原君? 顔赤いけど」

「な、なんでもねぇよ! そ、そんなことより、雨野に訊きたいことあってだな……」

「え? あ、そうなの? な、なんだろ……」

 少し緊張して背筋を伸ばす雨野。……何か俺にまた厳しいことを言われるとでも思っているのだろうか。……それはそれでやり辛い。

 俺は少し沈黙した後……しかし、いつまでもこうしてちゃ始まらないと、意を決して、雨野に尋ねた。

「……パラダイム・オブ・ファンタジアの五章のボスが倒せねぇんだけど……」

「え?…………あ、ああ!」

 ちらりと視線の端で雨野を見やる。彼は……ちょっとどうかと思う程に、笑顔を輝かせていた。ぐいっと前のめりになる雨野。

「あれはねっ、普通に戦っても無理なんだよ!」

「負けイベントってことか? いやでも、負けたら普通にゲームオーバーに……」

「ううん、そうじゃなくて、特定の順番で技当てなきゃ駄目なんだ」

「え? ……あ、ああ! なんかそんな会話、序盤であったな!」

 思わず俺も興奮したように机に手を置く。やべぇ、今すぐ試したい! そもそもアレは久々に俺が徹夜してまでのめりこんだRPGだ! 先に進む方法が分かった今、正直、授業なんか受けてられるかって気持ちが超つえぇ!

 雨野は、凄く楽しそうに笑っていた。

「あれ、ホント分かり辛いよね。僕も正直ネットで攻略見ちゃった」

「あー、俺もそうしようかと思ったんだけどよ。なんか、見たら負けな気がしてなぁ。一回見始めたら、もう抵抗なくなるんだろうけど……その初回がなぁ」

「あ、分かる! 場合によってはネタバレ食らうしね」

「そうそう! 詳しくストーリー書いてなくても、ダンジョン名だけで意外とネタバレなケースとかあんだよな!」

「そうなんだよ! あれもうちょっと気をきかせて欲しいよね。って、見る方が悪いっちゃ悪いんだけど。そもそも攻略情報の検索過程で軽くネタバレ食らうケースもあるし」

「あるある! 『キャラ名 スペース、裏切り』での検索候補出てきちゃったり!」

「ありすぎる!」

 わいわいとゲーム話に花を咲かせる俺と雨野。が、二人同時に、クラスメイト達が若干ざわついているのに気がつき、照れて、こほんとせきばらいする。……って、あれ?

「…………」

 見れば、教室の入り口から金髪美少女が覗いていた。俺の方を見て、なんか妙に悔しそうに歯噛みしてやがる。

「(ははーん……大方、雨野をゲーム部へ誘うのを諦めて、でも『この私が、友達いない彼に軽くゲーム話でも持ちかけてあげようかしら』なんてナチュラルの上から目線で教室に来てみたら、まさにこのタイミングで、見事に俺に『ゲーム話仲間』のポジションを奪われていたとか、そんなこったろう。……面白すぎるぞ我が校のアイドル)」

「? 上原君、どうかした?」

「ああ、いや、また天道がいたからよ……」

「え?」

 俺に促され、雨野が教室入り口を見やる。と、天道は慌てた様子でサッとその場から去って行ってしまった。雨野がキョトンとする。

「えと……な、なんだろう、今の。僕……もしかして、天道さんに超恨まれてる?」

 どうやら自分がゲーム部への誘いを断わったことを気にしているらしい。俺は思わず笑った。雨野が首を傾げて俺を見る。

「いや、なんでもねぇよ。お前らは面白いなぁって」

「お、面白くないよ! 他人事だと思って! ああ、天道さん怒らせちゃった。あ、謝らないと……」

 おっと、それはまずい。もっと……もっと、面白くなってくれないと!

「ああ、いいよいいよ、天道なんて。あっちから直接話しかけてくるまで、放っておけ」

「なんか上原君、急に天道さんに厳しくない!?」

「え? いや厳しいっつうか、こういうのはもう少しらした方が効果的っつうか……」

「じ、焦らし? 効果的?」

 雨野は相変わらずちんぷんかんぷんなようだ。俺はくつくつと笑った後、椅子から尻を離して立ち上がる。

「まあ気にすんな。えと……じゃあな、雨野」

「あ、うん。じゃあね、上原君」

 雨野はにこっと笑って俺を見送った後、再び、楽しそうにゲーム機へと向かった。

 …………。

「あー……えーと、おい、雨野……」

「? あれ? どうかした、上原君」

 雨野に背を向けたまま、俺は首筋をみながら、今思い出したみたいに声をかける。

 ……本当は、これこそが、本題のクセに。……どうにも照れ臭くて。

 俺は少し間を置いて……それが本題だとはバレないよう、雨野に、そっと訊ねた。

「また、ゲームの話、聞きにきてもいいか?」

「え……」

 ちらりと顔だけ振り返らせて彼の様子をうかがう。すると雨野は……雨野は、あの、ゲームをしている時の顔の最上級みたいな、幸福そうな微笑みと共に、力強くうなずいてきた。

「うん! 大歓迎だよ! またね、上原君!」

「……おう」

 手をひらひらと振って、雅也達の元に戻る。……そこからは結局、いつも通りの俺達だ。何も変わらない。俺はクラスの中心で騒がしく過ごし、雨野は相変わらず一人で、教室の片隅でゲームにいそしむ。友達と呼べるのかさえ分からない、微妙な関係。亜玖璃とだって、二人の彼氏彼女という関係自体は今更何も変わっちゃいない。

 ゲームに関してだって、俺はそこまで再評価なんかしちゃいない。相変わらず、俺の中じゃ友達付き合いや他の娯楽の方が、遥かに優先度が高い。雨野とは違う。

 ……だけど。

「? 祐、どうした?」

「え? 何がだ?」

 ぼんやりといつものように駄弁っていた最中、突然、大樹が俺に声をかけてきた。

 普段から妙に賢いところのある彼が、今はどこか不思議そうに俺を見つめている。

「いや、なんか、今日は機嫌が良さそうだなって。いいことでもあったか?」

「いいこと? いやそんな大したことは別に……あ」

「何か思い当たるフシが?」

「ああ、あったわ。ホント馬鹿みてーに些細ささいなことなんだけどさ」

「? なんだ?」

 首を傾げて訊ねてくる大樹に、俺は……。

 俺は、はにかみ混じりで返したのだった。

「最近、ゲームが面白おもしれぇんだよ」

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