サイクロプスの宴

その1

「太陽が九度沈み、十度昇る頃、サイクロプスが、サイクロプスが近くの洞穴に現れるであろおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 山羊に引かせた、ボロボロのくせに何故か壊れる気配はない台車。本物かどうかは怪しいがとにかく不気味な宝石の飾り帯と、黒ローブ。


 白猫の毛皮に裏打ちされた黒山羊の革製の手袋。牛の蹄を連ねた―――以前使っていた、ガラス玉製の眼球で作った品は見知らぬ子供に泡を噴かれたため、お払い箱にしたのだ―――ネックレス。


『何、その土蛙そっくりな顔』と、十数日前立ち寄った森にて、突然赤毛の娘に馬鹿にされた皺くちゃの顔。

 その中でカッと見開かれた、血走った目。


  相変わらず気合いの入った服装と恐ろしい表情で、旅の占いお婆は最悪の予言をした。その時、彼女に押しかけられていた村の面々は「やりやがったな、この婆ぁ!」と思った。


 芳しく、豊かで柔らかく、喜ばしい春のことである。

 実り豊かな畑の上に、彼女の叫びは轟々と響き渡り、消えた。


 予言はばあばの忠実な助手にして、彼女の若い頃に瓜二つな美人の孫娘、フェデーレの抜け目ない活躍によって、いつも通りに村中に広められた。


 山羊の上に乗り、村の子供達を連れて―――何故か彼女は子供達に人気があるのだ―――触れ回った彼女の声から、逃れられた者は誰もいなかった。


 元々、ばあばはサイクロプスの出ると予言された村の住人ではなかった。

以前、彼女は鶏舎と卵が名物の小さな村に棲んでいたのだ。だが、バジリスクに纏わるある一件以降、なんやかんやどうのこうのと重なって、ばあばは遂に故郷の村人達にキレられてしまったのである。


 最早、婆さんが災厄を言い当てているのか、呼び寄せているのかわからん。


 なんで、鶏が大群で空を飛んだり、鍛冶屋の髪が復活したりするんだっ!


 そう、彼らは怒った。ばあばに禿を予言されて以来文句を言い続けていた鍛冶屋は掌を返し、彼女を庇った。だが、圧倒的多数にもう何も言うなと叱られ、ばあばはキレた。


 彼女は老女とは思えないテキパキした動きで―――ちなみに、その実年齢は誰も知らない―――荷物を纏め、山羊の背中に括りつけた台車に乗せると、孫娘のフェデーレを連れ、旅に出てしまったのだ。


 占いこそ我が命、予言こそ儂の誇りとは、ばぁばの言葉である。

 

 彼女の予言は―――悪い意味で―――既に有名だった。

 ばあばが山を渡る度、その噂も遠く遠くへ共に流れて行った。だが、老人に冷たくするのも寝覚めが悪いと、行く先々の人々はばあばの訪れをそれなりに歓待した。のだが、遂にはこのザマである。


 しかも、ばあばの予言した洞窟は、元々人があまり近寄らない場所だった。


 それなのに、んなことを言われたら怖くて外を歩けんだろうがと、村人達はキレた。彼らはばあばに文句を言いにいったが、占いで出たものは仕方あるまいと追い返された。


 かくして平和だった山間の村は、一転してサイクロプスの恐怖に晒されることとなった。ちなみにサイクロプスとは一つ目で、禿げ上がった頭を持つ、獰猛な性格の巨人のことである。人間や家畜を食べることから、獣害の報告が多く、一般的な知名度も高い。


 だからと言って、突然、平和な村の近くに現れることがあるものだろうか?

やはり、これはばあばのせいではないのか?


 そう、村人達はばあばを憎んだ。彼らは顔を突き合わせ、占いが先かサイクロプスが先か―――それこそ卵が先か、鶏が先かというような―――答えの出ない難題に挑んだ。


 その間も、ばあばは知らぬ存ぜぬと、毎日元気溌剌で謎の香を焚いていたし、フェデーレは子供達を連れて、まぁなんとかなるんじゃないのと、山野を駆け回っていた。


 太陽が九度沈み、十度昇る頃、遂には、ばあばのせいなんじゃないのか派が勝った。

 結果、村人達はばあば暗殺計画すら練り始めた。物騒な話である。


 あわや、ばあばの命が風前の灯となった時だった。

 村に白い娘がやって来た。


                   ***


「お昼時にすみません、旅の者なのですが」


 そう聞いて、村人達は思わず顔を見合わせた。


 折りしも、ばあば暗殺計画を発動させようとしている直後のことだ。まさか、そん

な時に旅人が来るとは思いもしない。


 普段、村への客人といえば、定期的に来る行商くらいのものだった。しかも、彼もサイクロプスの噂を聞いたのか、見事に訪れなくなっている。


 何故、この村にと村人達は口々に尋ねた。


 少女は幻獣について調べ、得た知識を本に記すため、旅人の訪れないところも選んで渡り歩いているのだと応えた。更に、彼女は恐る恐る続けた。


「あの………ひどく殺気立っていらっしゃるようですが、何かあったのですか?」


 その言葉に、村人達は鎌や斧―――最早暗殺どころの騒ぎではない―――を背中にサッと隠した。それでも、少女の蜂蜜色の瞳は心配そうな光を湛えたままだ。遂には根負けし、彼らは彼女に事情を説明した。重ねて、ある忠告も加えた。


 サイクロプスは危険だ。お嬢さんは来た道を戻って、村から離れた方がいい。


 本来、彼らは親切な人間なのだ。だが、娘は目をぱちくりさせて首を横に振った。


「いいえ、ご忠告はありがたく思いますが、まだ帰るわけにはいきません。どうやら、丁度いいところにお邪魔ができたようです。私は幻獣調査員です。獣害の対処にならばお役に立てると思います」


 その瞬間の村人達の喜びようといったらなかった。


 彼らは手にした鎌や斧を放り投げ、抱き合って快哉を叫んだ。ばあばを迎え入れた段階で、実は村人達は気のいい連中だった。暗殺計画など、本心では実行したくなかったのだ。ちなみに、勢いよく吹っ飛んだ鎌や斧は、少女の影から伸びた黒色がやれやれと空中で回収をしていたが、その事実を浮かれた彼らは知る由もなかった。


 どうか私達を助けて欲しいと縋る村人達に、少女は応えた。


「サイクロプスはその生息域に絶対に侵入してはならない、『第二種危険幻獣』に指定されています。更に、その出現場所が人家に近い場合、『第一種危険幻獣』と同じ扱いとなります。私に任せてください………そのためにも、申し訳ないのですが、お酒を樽で頂けませんか?」


 娘の言葉に、村人達は首を傾げた。丁度、村の倉庫には祝い事のための葡萄酒が樽で保存されていた。十年に一度の夏祭りのために、遠方から買いつけておいた代物だ。とっておきの品だったが、背に腹は変えられないと、村人達は頷いた。


 よかったと頷き、娘は優しい微笑みと共に、サイクロプスへの対処を約束した。


 翌日、娘は―――一体どうやって運んだものか―――数個の樽と共に洞窟へ向かった。


 そして、彼女がいなくなってから十数分後、村人達は急速に顔を青褪めさせた。


 思えば、あの少女はまだ幼く、華奢だった。若くして、幻獣調査員となったのだから、相応の知識を持ってはいるのだろう。だが、一人でサイクロプスと戦えるとは思えない。


 もしや、自分達はひどいことをしてしまったのではないか。何故、少女一人に対処を任せてしまったのか。彼らはそう後悔した。だが、悩んでいても仕方がない。

後を追う派と追わない派に分かれ、村人達は喧々囂々と議論を始めた。結果、ジャガイモが飛ぶ激しい言い合いの末に、後を追う派が圧倒的多数による歴史的快勝を収めた。


 村人達は自分達でも嫌になるほどに、本来善良な性質だったのである。


 そして村人代表の勇敢な青年―――ちなみに独身である―――が、確かな心配と少女への恋心と、そろそろ結婚適齢期である事実に基づくちょっぴりの下心と共に旅立った。


 青年が該当の洞窟に辿り着いた丁度その時、、何を考えているのか、少女は洞窟の前に樽を並べ終えていた。青年は手近な茂みに隠れ、辺りを見回した。幸いなことに、近くにサイクロプスの姿はない。


 少女は誰かに向けて―――その様は、まるで自分の影に話しかけているようにも見えた―――語り始めた。


「お疲れ様、クーシュナ………まだ、この洞窟は綺麗ね。それに、サイクロプスは通常山肌に自分で住処を掘るのに、元からあった自然の洞窟を利用しているみたい。相当慌てて引っ越してきたのね………きっと、この麓の斜面が雨で土砂崩れにあったせい」


「ならばまだ家畜や人間を貪ってはいないわけだな。今のうちに捕獲してやるとしよう」


 低く、陰鬱な声が、それに似合わない朗らかな調子で応えた。


 今の声は一体どこから聞こえてきたものかと、青年は首を傾げた。少女に助力する男がいるのならば、それは彼にとってはやや都合が悪いのだ。だが、さて、どうしようかと青年が悩む間もなく、娘は口を開いた。


「すみませ―――――――――――――――――――――――――――――んっ!」


 見事かつ、間抜けとしか表現しようのない大声だった。


 当然と言えば当然だが、地面を揺るがしながら、洞窟の奥からサイクロプスが姿を見せた。腰に獣の毛皮を巻き、獰猛な筋肉を湛えた巨人が、ギラギラと一つ目を光らせる。


 青年はサッと茂みに身を隠し、恐怖に震えた。このままでは彼女は食べられてしまうに違いない。助けに飛び出すか、飛び出さないか。村での癖で青年は脳内会議を始めた。


 その結論が出かけた時、彼は自分の上にぬっと黒い影が射していることに気がついた。


 サイクロプスが青年を覗き込んでいた。

 情けない悲鳴をあげ、彼は少女と共に捕らえられた。


                    ***


「あらあら、まぁまぁ、ついてきてしまったのですか? えっ、私が心配で? なんということでしょう………お気遣いに感謝します。でも、大丈夫だったんですよ?」


 そう、少女は洞窟の床にぺたんと座ったまま応えた。


 何が大丈夫なものかと青年は思った。何せ、ここはサイクロプスの棲家の中だ。大ピンチにもほどがある。だが、少女は呑気に辺りを見回し、うんうんと頷いた。


「あぁ、やっぱり、家畜小屋を造るのも間に合っていませんね。ご存知ですか? サイクロプスは自分の洞窟の奥に、石板で入り口に蓋をできる、家畜用の空間を造るんです。でも、まだできていないようなので、他に被害は出ていない状況のようで安心しました。よかったよかった」


 少女が呑気に言う間にも、サイクロプスは洞窟の隅に積んだ何かに、のっそりと手を伸ばした。武骨な掌が一頭の羊を掴みあげる。


 ぱちぱちと瞬きをして、少女は小さく跳び上がり、悲痛な声をあげた。


「あぁ、羊さんが」

「もう死んでおるな………どうやらはぐれ羊のようだ。運がない奴よ」


 謎の声の言う通り、羊は既に死んでいた。毛刈りを長く免れていたのか、その毛は通常よりもじゃもじゃしている。村から逃亡し、森の中を生き抜いていた一頭なのだろう。


 死体の首をバキバキと折るとサイクロプスはその血を飲んだ。他にも食糧があるなら一旦は大丈夫か、と青年は胸を撫で下ろした。だが、サイクロプスはぽいっと羊を捨てると二人を見て舌舐めずりをした。食う気満々じゃないかと、青年は短い人生を嘆いた。


 その瞬間、少女はにこりと微笑んだ。


「こんにちは、サイクロプスさん。美味しいお酒はいかがですか?」


「うあっ?」


「どうぞどうぞ、美味しい美味しい葡萄酒ですよ?」


 不思議なことに、少女の影がぐいっと伸び、入口から巨大な樽を運んできた。酒場の熟練した店員なみの滑らかな動きで、黒色はそれをサイクロプスに差し出した。

パカンッと樽の蓋が開けられる。芳醇な葡萄の香りが漂った。


 手を伸ばし、サイクロプスは樽を掴んだ。だが、まだ躊躇っているらしい。彼は恐る恐る、とぷんと指先を酒につけ、一舐めした。その瞬間、一つ目がキラキラと輝いた。


 どうやら気に入ったようだ。


 サイクロプスは勢いよく樽を傾けた。大量の酒を一気飲みし、彼は口元を歪める。食前酒を終え、さて今度こそ食うぞとばかりに、サイクロプスは青年と少女に向き直った。


 瞬間、黒い影がすかさず次の樽を差し出した。


「さぁ、どうぞ。まだまだありますよ」


 迷いながらも、サイクロプスは樽を受け取った。彼はそれをぐいっと飲み干す。その前に再びひょいっと樽が出された。白い少女は手拍子と共に明るく言う。


「まぁ、お強いんですね、サイクロプスさん。さぁさぁ、まだまだどうぞ」


 樽を受け取り、サイクロプスはぐいと煽った。また樽が出され、美しい声が響く。


「さぁさぁ、どうぞどうぞ、一気一気」


 やがて、サイクロプスは全ての樽を開けた。さて、今度こそ食べるぞというように、彼は少女に手を伸ばす。だが、不意にその指先は止まった。


 何故、とサイクロプスの顔を確かめ、青年は思わずあっと声をあげた。

 その一つ目は、眠そうにとろりと溶けていた。それでも、サイクロプスは何とか食事をしたいと手を伸ばす。だが、眠気には敵わないのか、彼は大欠伸をした。


「あ…………あっ、あっ、ねっ、むっ、い」


 濁った声で言うと、サイクロプスは入口を塞ぐように床の上に座り込んだ。彼は大いびきをかいて眠り出す。


 どうするんだ、これでは逃げられない。青年がそう言う前に、少女は一つ頷き、立ちあがった。彼女は鞄の中から、何やら複雑な文様に染められた布を取り出した。


「これを、こうしてっと」


 恐れることなくサイクロプスに近づくと、少女はそれをぺたりと一つ目に貼った。


「幻獣調査官が開発した札です。これで、この子は人にも幻獣にも安全な洞窟に運ばれるまで目覚めません。後は、こうして」


 その足元に、黒い影がサッと広がった。サイクロプスは一瞬で飲み込まれる。

 呆気に取られる青年に、少女は胸を張って告げた。


「巨人族はお酒を好みますから、こうしてたくさん飲ませてあげると、安全に捕獲をすることができるんですよ! ちなみに駆除するしかない場合は、残念ながら目を潰すことになります………その場合、事前に自分の名前は『誰もおらぬ』だと、彼に名乗っておいてください。多くの場合、傷つけられたサイクロプスは仲間に助けを求めます。ですが、そう言っておけば、犯人の名前を聞いた仲間達は、敵は『誰もいない』のかと勘違いをして立ち去りますから………けれども、最終手段を講じる前に、なるべく幻獣調査員に連絡、然るべき対処を頼むようにしてくださいね。この度はお疲れ様でした」


 少女はにこりと微笑んだ。その笑みを見て、青年は嫁にするには、彼女は心が強すぎることを悟った。この少女と、夫婦喧嘩をして敵うとは全く思えない。


 こうして村の騒ぎと青年の恋心は、あっさりと終わりを告げたのだった。


「それでは失礼します。犠牲者が出る前に、サイクロプスが見つかってよかったですね」

 

 そう、少女は笑顔で旅立った。村人達は総出でさようならと手を振って見送った。

 そして、彼女の残した言葉により、村にはある議論が巻き起こった。


 曰く、結局、占いばあばは人の味方なのか、敵なのか。


 村人達は喧々囂々と議論を始めた。だが、その結論を待つことなく、ばあばはこっそりと荷物を纏め―――フェデーレが旅立ちを教えた子供達にだけ見送られながら―――再び旅に出た。


 占いこそ我が命、予言こそ儂の誇り。

 儂のせいかどうかなど、全く知るものかとは、ばぁばの言葉である。


 その結論はまだ出ていない。


 ただ、この一件以来、村では「弱い者が知恵を回して、強者を簡単に倒すこと」の意として、「サイクロプスの宴」という言葉が使われるようになったという。


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