悪竜と毒姫

その2

                  ***


 苔むした湿った大地を踏み、フェリ達は道を急いだ。


 古い木々がどっしりと根を張った森は、密に広がる枝葉で黒く染まっている。視界の悪さに加え、枝から垂れ下がった蔦や、棘を隠した茂み、不気味な茸の群生も行く手を阻んだ。足を運ぶ度、獣の体臭のように濃密な森の香りが肺を満たす。

 

 だが、辺りに動物の姿はなかった。妖精の輪もないことから、フェアリー達も不在のようだ。


 それは強力な幻獣―――竜種―――がこの一帯を支配している証でもあった。


 冷たい空気は微かに霧がかっている。進めば進むほど、警告するように大気は白く濁り、じっとりと重さを増していった。だが、しばらく歩くと木々の影は消え、不自然に他の植物も一掃された。


 突然、視界は開ける。


「これは………」


 三人の前には、森を真っ直ぐに横切る不思議な道が広がっていた。剥き出しになった地面の上には草すら生えていない。だが、人間の手によるものにしては造りが荒すぎた。


 布を揺らしながら軽く身を屈め、クーシュナは訝し気な声をあげた。


「なんだ、この不自然な道は?」


 霧の中に延びる奇怪な直線は、真っ直ぐに森の外へと続いている。

 掌を額に掲げ、その先を伺いながら、ギルバートは口を開いた。


「先程、村の方から教えてもらいましたが、この道は深い渓谷まで繋がっているそうです。弟の竜が岩山を飛び出し、慟哭しながら這い進んだ痕だとか………彼が進んだ方向とは逆に、この道を真っ直ぐに森の奥へと歩けば、竜の住処に着くとのことです」


「なるほどな………こうして痕が残っているとは、単なる伝説と言い切ることもできないわけか。馬鹿にはできんもんだな」


「ええ、御伽噺の付随する子は、大抵はその伝承にあう証を複数持っているの。彼の場合………それはなかなかに悲しいものなのだけれども」


 そう、フェリは頷いた。三人とトローは他に生き物の気配のない道を歩き出す。


 足を取られることのない行軍は、今までの苦労が嘘のように簡単に進んだ。


 やがて、霧の中に切り立った岩山の影が見えてきた。捻じれた三本の突端が、まるで城の尖塔のように鋭く伸びている。中に竜がいるとは信じがたいほど、岩山は静まり返っていた。虚ろな風の唸りだけが、厳かに耳を叩く。


 ナナカマドの杖をぎゅっと握り締め、フェリは宣言した。


「行きましょう。彼と鉢合わせなければいいのだけれども」


 まるで悪竜のことも案じているかのような口調にも―――彼女がどういった志を持つ人間か察しているのか―――ギルバートは特に意を唱えることなく頷いた。


 三人は最も手近な―――それこそ竜が出入り可能なほどの―――洞穴から中へと足を進めた。その目の前に、縦と横に想像を遥かに超える広さを持つ空間が現れる。


「凄い………なんて見事な」


 思わず、フェリはそう呟いた。


 まるで建造物のように、岩山の内部はくり抜かれていた。壁沿いには幅広い通路まで設けられている。それは螺旋を描きながら、遥か頭上へ延びていた。途中には、竜が休めるほどの岩棚が点々と設けられ、床に巨大な影を落としている。


 頭上にはよく見れば穴も開いていた。竜がそこから飛び出せるように造られたものだろう。その真下には、岩を削った丸い池があり、澄んだ雨水が溜まっていた。


 自然発生したものとはとても考えられない。かつて賢竜のために、頑固者のドワーフ達が鑿と槌を使い、人智を超える技術の粋を結集して掘り進んだものかもしれなかった。


 フェリはじっと耳を澄ました。竜の息遣いも、鱗の擦れる音もしない。


 自分の感覚を総動員した後、彼女は慎重に結論を出した。


「………どうやら、留守みたい」


「あぁ、そのようだ。悪竜とやらは丁度巣を空けているらしい。運がよかったな」


 クーシュナもそれを肯定した。ギルバートは素直に二人に尊敬の眼差しを向ける。

 ぎゅっとナナカマドの杖を握り締め、フェリは彼に指示を出した。


「不必要な交戦は避けるべきです。娘さんを探しましょう。彼女を保護後、ギルバートさんは村へ連れ帰ってあげてください。竜が彼女を追うようならば―――私とクーシュナが然るべき措置を取ります」


「連れ帰る役目は逆に―――と説得したいところですがね。今は言い合う時間が惜しい。後にしますよ! では、僕はこちらに!」


 そう声をあげると、ギルバートは通路の一つに躊躇うことなく駆け出した。


 フェリは壁沿いに視線を走らせた。四方から伸びた道は、上に進むごとに枝分かれしていく。その先には無数の岩棚が連なっていた。罅割れの走る大木の表面に、茸が並んでいるかのようだ。言うならば、フェリ達はその上を彷徨う蟻だった。


 とても探しきれる広さではない。だが、力強く頷き、フェリは駆け出した。その隣をクーシュナが並走する。顔を覆う布をはためかせ、彼は足元からドッと影を出した。


「先に行くぞ、我が花よ。人の脆弱な足には難しき場でこそ、我は我のお前の役に立たねばならんからな。大活躍、というやつだ」


 彼は細い指先を指揮棒のように振った。瞬く間に、その影は波のごとく広がっていく。黒の先端は壁を垂直に這い昇り、岩棚を探り始めた。


 続けて、トローも負けじとフェリのヴェールの上から飛び立った。彼は一度宙を打ち、彼女の前でふんすと力づけるように鼻を鳴らすと、頭上へ急いだ。


 二人に感謝の眼差しで応えながらも、フェリは足を止めなかった。彼女も必死に走り、自分にできる僅かなことを続けていく。


 やがて、クーシュナは岩棚の一つを確認し、影を止めた。

 彼は背中に全ての影を戻すと、すらりと黒い掌を伸ばした。


「我が花よ―――こちらへ」

「えぇ、お願い」


 フェリは迷うことなくその手を取った。彼女は彼の腕の中に飛び込む。トローも慌てて舞い戻ってくると、白いヴェールの上に張りついた。


 クーシュナは遥か頭上の岩棚に影をかけ、ロープを引くようにして、自分達の体を持ち上げた。該当の岩棚に着き、その腕の中から飛び降りる寸前、フェリは目を見開いた。


「………やはり、伝説は一部本当なのね」


 そこには、あまりにも眩い光が広がっていた。

 金貨と宝石の山の中に、一人の娘が眠っている。


 上質な生地で作られた服は薄汚れてしまっていた。だが、衰弱している様子はない。それどころか彼女は体を丸め、間抜けに涎まで流していた。


 どうやら熟睡しているようだ。


 ほつれた赤髪のかかる横顔を見て、クーシュナは思わずといった調子で呟いた。


「なるほど………評判通りとはこのことよな。いや、人の美醜など我にはどうでもよいのだぞ? それこそ、我の花以外の人間になど興味はない………いや、だが、御伽噺の姫の立場の娘と聞けば、それ相応の想像はするものであろうが、ううむ」


「大丈夫ですか? 私は幻獣調査員です。あなたを保護しに来ました」


 クーシュナの失礼なぼやきは無視して、フェリは体を屈めた。眠る娘の肩に手を掛け、彼女は優しく揺する。だが、娘は反応しない。


 もしや、体調が悪いのかとフェリは慌てた。その時、妙な音がした。


 ふごーんごーと実に間抜けな音が響く。


「えーっと、………これは」

「うーむ、いびきであるなぁ。竜の巣の中で豪胆な娘よ」


 娘は絶好調で眠っていた。一度困って手を止めた後、フェリは決意の表情で、更に強く、彼女の肩を揺すった。


「あの、起きてください! 起きて! 起きてったら、起きてくださいっ!」

「んっ………えっ、あっ、なにぃ? うっさいなぁ」


 やっと娘は瞼を開いた。彼女はごしごしと目を擦り、垂れかけた涎をじゅるると飲み込んだ。お、おおとクーシュナが退いた声をあげる中、フェリは安堵の表情で続けた。


「お元気なようで何よりです。私は幻獣調査員、フェリ・エッヘナ。竜にさらわれたと聞き、領民の依頼を受けた方と共に、あなたを迎えに来ました。早く、ここから脱出を」


 きょとんと、娘はフェリを見た。


 なるほど、その顔は、御伽噺の姫君となるには非常に厳しい作りをしていた。だが、雀斑そばかすの散った丸鼻の目立つ顔には、それなりの愛嬌もある。笑顔の一つでも浮かべれば、多くの人に好かれることだろう。だが、そんな素朴な顔立ちを、娘はぐしゃりと歪めた。


 彼女は真っ直ぐにフェリを指差し、言い放った。


「不っ細工」


「へっ?」


「あー、やだやだ。寝起きに目に入るのがこんな顔だなんて、最悪も最悪」


 瞬間、フェリは無言で真横に手をあげた。ハシッと、彼女は背後から伸びてきた闇の槍を掴む。それは離せと訴えるようにビチビチと暴れた。


 前を見たまま、フェリは槍を放った相手に訴えた。


「クーシュナ、クーシュナ、落ち着いて。駄目よ、ねっ?」


「えぇい、離さぬか、我が花よ! このような身のほど知らずで無礼な暴言を許しておけるわけがなかろうが! 我が始末をつけ、悪竜に食われたことにしてくれるわ!」


「ひどいことを言っては駄目! それに怒るようなことじゃ全くないでしょ?」


「我のお前に対する暴言に怒らずして、我に一体他に何に対して怒れと言うか!」


「………ねぇ、人を起こしておいてさっきから何なの? 布で顔を隠してるおっさんは、どう見ても不審者だし………そんなのと二人連れってアンタ友達いなさそう。わっ!」


「あぁっ、トローも駄目っ!」


 今まで自分は大人ですからという顔で澄ましていたトローが、許し難しと突進した。広げた翼で顔を叩かれ、娘は驚きの声をあげる。


 フェリは慌ててトローを掴み、鞄の中に突っ込んだ。出せ出せと暴れる彼を押さえ、彼女は娘を気遣う。


「ごめんなさい、痛かったですよね? お願いです。私のことが気に入らないのかも

しれませんが、今は我慢してください。ここは危険ですから、早く外へ」


「嫌だ。行かない」


「えっ?」


「行かないわ。アンタとなんか行くもんか。絶対嫌」


 両膝を抱え、娘は伏せたままの顔をぽんっとその中に埋めた。汚れたスカートをぎゅうっと掴み、彼女は背中を丸める。


 戸惑うフェリの前で、娘は低い声でぼそぼそと訴えた。


「何よ、アンタ、そんなに庇われて、大事にされてさ………大っ嫌い。本当に嫌い。アンタみたいなのが一番嫌い」


「えっ………あの?」


「なんで言い返さないのよ。なんで怒らないの。私ばっかり悪者になるじゃないの」


「そう、言われましても………腹を立てるほどのことではありませんので」


「なにそれ、馬っ鹿じゃないの? 頭の中、おがくずでも詰まってんの? 農場の豚より鈍いじゃない? ちゃんと息してる?」


「クーシュナっ、落ち着いて! トローも!」


 フェリは片手で槍を掴み、もう片手で鞄を押さえた。娘は一度あげた顔を、ぽんっと両膝の間に戻した。フーッ、と、彼女は細く息を吐く。


「………またやっちゃった」


「はい?」


「そうなのよ。私、自分の性格が悪いことなんて、ず――――っと前からわかってるのよ。でも、仕方がないじゃない。口から勝手に出ちゃうんだから」


「あの」


「どうせ、私みたいに不細工で、口も悪い娘なんて、絶対に嫌われるんだから、それなら初対面から、あぁ、こいつはこういう奴なんだって思われてた方が楽じゃない。でも、もう嫌だ嫌だ」


「あの………」


「どうせ、お父様も領民達も私のことなんて、そんなに心配してないんでしょ」


 ぽつりと、娘はそう漏らした。その口調は歳のわりにあまりにも重い。

 ハッとして、フェリは慌てて否定した。


「そんなことありません。お父様は」


「きっと私を救い出したら嫁にやるとか、そんなこと言って厄介払いを計ってるに違いないのよ、あの潰れ面の蛙クソジジィ」


「うーむ、まさにその通りであるのがなぁ」


 いっそ感心した様子で、クーシュナは自身の顎を撫でた。やめなさいと、フェリは視線で彼を諫める。その間も、娘は嫌だ嫌だと激しく首を横に振った。


「お父様だけじゃない。みんな、私のことなんてどうでもいいのよ。私がいなくなって喜んでるくせに何よ、放っておいてよ!」


「そんなことはありませんよ。人の不幸を喜ぶ人間など、少ないものです。領民のみなさんはあなたを心配して………」


「自分のところからは誰も出さずに、旅の人に押しつけたとか、そんなんでしょう!」


「うーむ、全くもってその通りなのよな」


 敏いものだ、感心しきりと、クーシュナは深く頷いた。フェリは彼を視線で叱る。遂に、鼻歌を紡ぎながら体を揺らし始めてしまった娘に、彼女は優しく声をかけた。


「あなたにたくさんの悩みと不安があることはわかりました。ですが、今はどうか一緒に行きましょう。ずっとここに残ってしまっては、あなたは五年後に呪いをその身に受け、竜から離れては息もできないようになってしまうと言われています。人には過酷な運命です。だから」


「別にいいわよ! それで何が困るっていうのよ!」


 娘は顔を跳ね上げた。その大きな目には、涙が滲んでいる。

 拳を握り締め、彼女は勢いよく立ち上がった。その気迫にフェリは微かに驚く。鞄から顔を出しかけていたトローはひっくり返った。娘は拳を振り回しながら叫ぶ。


「私はね、さらわれた時、それが日課だったから、森の中で罵詈雑言を叫んでたのよ!」


「それが日課というのはどうかと思うぞ、娘よ」


「悪い言葉は口に出すと、幸運が逃げていってしまいますよ? これは妖精種が人の嘘や汚い言葉を嫌うことからもちゃんと統計が」


「仕方ないでしょ! 私は自分とみんなとこの世界が大っ嫌いで爆発しそうなんだから! みんなが私を嫌ってて、私がこんなだからもっと嫌われていく! あぁ、こんなのってないわ! そうしたら、なんでか知らないけど急に竜が現れて、私は気絶して、目が覚めたらここよ! 本当、なんだってのよ! おかしいわよね、笑いなさいよ!」


「うーむ、呪いを解く条件は心の美しい娘のはずよな? 悪竜はこ奴の罵詈雑言を聞いていたくせに、おかしな話だ。悪食あくじきか?」


 クーシュナは首を傾げた。フェリもそれには疑問を覚える。森の中で罵詈雑言を叫んでいたという娘は、何百年と続いた呪いを解くには、流石に不適切な相手と思われた。


 二人の疑問を知らない娘は、更に激しく拳を振り回した。


「でも、アイツは私にひどいことなんてしなかったし、何を言ったって岩みたいに怒らなかった! なにを考えてんだかは知らないけど、みんなに嫌われてるなら、竜の傍にいた方がいいじゃない! 五年間世話をしたら離れられなくなるから何よ! 私みたいな娘は、アイツとここで暮らすのがお似合いなんだわ!」


「どうか悲観なさらずに、思わず口から出てしまう言葉は、少しずつ直していけば」


「それに、みんな私を厭んでいたくせに、なんで今更構うのよ」


 娘は拳を解くと、体から力を抜いた。ふっと彼女は急に静かになる。


 顔を伏せ、娘は雨粒のようにぽつ、ぽつと辛い気持ちを落とした。


「誰も私と遊んでくれなかったじゃない。もう話も聞いてくれないじゃない。くすくす笑って、私が近づくとお喋りを止めるじゃない………それなのに、なんで? 悪竜に浚われたから? それだけで? 私が御伽噺のお姫様にでもなったみたいに、みんな帰って来いって言うの? おかしいでしょ」


 娘は静かに顔をあげた。その澄んだ瞳がフェリを映す。

 眦からぼろぼろと涙を落としながら、彼女は縋るように呟いた。


「ねぇ、なんでよ」



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