悪竜と毒姫

その1

1.【悪竜と毒姫】


 美しい、春だった。

 何度何回巡ってきても、春とは芳しく豊かで、柔らかく、喜ばしいものだ。

 そう、クーシュナは思う。


 今、重い雪は冬の厳しさを失った大気に温められ、透明な水のせせらぎとなって川に流れ込んでいた。

 

 羊飼いの立つ丘の上にも、鮮やかな緑の牧草が福音のように生え揃っている。獣達は灰色の巣穴を飛び出し、各々の方法で番を探していた。食物が豊かな季節は痩せた体に肉をつけ、肥えるのに適している。


 暖かいというのは、、それだけで生き物達にとっては祝福なのだ。


 世界を巡るうちに、クーシュナは自然とその事実を学んでいた。


 旅に出る前の彼は、そんなことすらよくわかっていなかった。知識として理解をしてはいたものの、こうして実際に目に映すことなく春の豊かさを実感できる日が、彼に来たかといえばそれには甚だ疑問がある。


 かつて、クーシュナの棲んでいた城は黒い茨に覆われ、世界から切り離されていたのだ。それに、何よりも彼の存在は、あまりにも通常の生物の枠から外れていた。


 クーシュナ・トゥラティン―――かつての『闇の王様』―――は実体を持たない。

本来の彼は意志と力を持つ闇そのものだ。それこそ、クーシュナは望めば何者にもなれるし、何だって壊すことができた。だが、今の彼はあえて一つの形を選び続けている。


 兎頭に、黒一色の夜会服を着こなした人間の体を持つ、幻獣―――彼曰く、紳士。

 それが、今のクーシュナだ。

 彼はその姿で、一人の人間の娘の従者を勤め続けている。


 今、クーシュナの主―――フェリ・エッヘナ―――は湖畔に座っていた。


 輝く湖の前で、彼女は修道女の貫頭衣にも似た白服に包んだ膝に、一頭の幻獣を微睡ませている。フェリが僅かに首を動かすと、その頭を飾る大輪の花の透かし模様を入れられた純白のヴェールも揺れた。


 フェリ・エッヘナは白い娘だ。その衣服だけでなく、彼女の短く切った髪も、まろやかな輪郭を描く頬も、全て質の異なる白で構成されている。その肌は果実のようで、髪は絹糸のようだ。そして、今は閉じられている瞼の向こう側の目は蜂蜜色をしていた。


 彼女の肌の上を木漏れ日が滑る様は、実に美しい光景だ。


(つくづく、春とは我が花のためにあるな)


 そう、恥ずかしげもなく、クーシュナは考える。


 それこそ夏も秋も冬も、全ての季節はフェリのためにあると、彼は豪語して止まなかった。中でも、特に春はそうだ。


 春は花のための季節でもある。花があってこそ、春は光り輝く。

 故に、春は彼女の―――クーシュナの白き花である、フェリのための―――季節だ。


 目の前の光景を、クーシュナはそう慈しむ。だが、今の彼は甚だ不満を感じてもいた。その原因は、フェリの膝の上で眠る幻獣にある。


 頭頂部に鋭い角を持つ、馬によく似た幻獣―――ユニコーン―――は、安心しきった様子で四肢を折り、彼女の膝に頭を置いていた。


 数十分ほど前から、フェリ達は一時旅の足を止め、貴重な水場の傍で休んでいた。すると、どこからともなくユニコーン―――清らかな乙女にしか懐くことのない生き物だ―――が現れたのだ。


 当然のように甘える幻獣の頭を、フェリは陽の光を浴びながらゆっくりと撫でてやっている。和やかな光景だが、クーシュナにとっては面白くないことこの上なかった。


 何故、彼が―――元『闇の王様』が―――守っている相手を、そんじょそこらの幻獣に独占されなければならないのか。いや、正確には独占というのも少し違った。


(ええいっ、貴様だけズルいであろうが、小僧っ子よ!)


内心、クーシュナはそう叫んだ。だが、その対象である試験管蝙蝠―――『試験管の小人ホムンクルス』の亜種である―――トローは、フェリのヴェールの上でぷぷっーすすーっと実に気持ちよさそうに寝息を立てている。


 クーシュナは憤慨した。同じくフェリの従者である蝙蝠は彼女のヴェールの上で休み、自分には居場所がないとは一体全体どういうことなのか。


 つまり、一人放っておかれるのは寂しいものである。


 そう、クーシュナが密かに考えていると、フェリが目を覚ました。彼女は蜂蜜色の目をおっとりと瞬かせ、こてんと首を横に傾げた。


「ん? あれ………クーシュナ、どうかしたの?」

「いいや、全然さっぱり、何もどうともしないぞ、我が花よ」


「どうやら、うとうとしてしまっていたみたいで」

「うむ、見ればわかるぞ。随分と気持ちよさそうであった。うむ。お前の我である、我を放って、なかなかに穏やかな感じであった、うむ」


 クーシュナはそう応えた。フェリはうーんと数秒沈黙後、再び口を開いた。


「やっぱり、どうかしたの?」

「全然、別に、何も、一切、しておらぬわっ!」


 クーシュナは即座にそう返した。ここで素直に心中を吐き出してしまっては、紳士の名が廃ると言うものだ。だが、フェリはますますおっとりと続けた。


「そうなの? なんだか、一人で寂しそうに見えたから」

「そんなことはないぞ。我が花よ。この我が、一体全体何を寂しがることがあるというのか。欠片もなかろうが」


「えーっとね、うんっと………まぁ、細かいことはいい、かな。あのね、クーシュナ」

「うん? なんだ、我が花よ?」

「おいで?」


 片手を差し伸ばされ、そう微笑まれて応えないのもまた紳士の名が廃るというものだ。


 クーシュナはぴたりと黙ると、すたすたと歩き、彼女の手を取った。白く柔らかな掌を握り、彼はその場にすとんと腰を下ろす。


 瞬間、トローの鼻提灯がパァンッと弾けた。彼になんだこいつはと睨まれながら、クーシュナは―――我は我が花に呼ばれただけよと―――堂々とフェリに寄り添った。


 ユニコーンも不機嫌に頭をもたげた。その首筋を撫で、落ち着かせてやりながら、フェリは再び微睡み始める。


 穏やかな時間が流れた。

 草木はざわざわと風に歌った。湖の照り返しは眩しく、尻の下の草地は柔らかい。

 

 春だった。

 実に、美しい季節だった。


 だが、そんな中でも、珍妙な出来事というのは起こるものだ。


「えっ、『竜退治』、ですか? このご時世に?」


 ユニコーンと別れて数時間後―――とある村にて、フェリは驚きの声をあげた。


                  ***


 竜退治とは、今や伝説の中だけに残る偉業だ。


 この世界に生きる『幻獣』、即ち『独自の生態系を有し、通常の食物連鎖に組み込まれない―――かつ超自然的な力を持つ―――生物』の生態系の調査、国への報告、そして民間人にとって最重要の役割である獣害の対処も行う専門家、『幻獣調査官』―――そして調査官の育成が追いつかないため、国家が同等の権利を与えた、魔術師や錬金術師からなる、『幻獣調査員』。


 彼らが設けられたその時から、竜退治は過去のものとなった。


 竜種の無差別の狩り、駆逐は、地脈に棲む長達との契約の下に禁止され、個体は全て国家に登録されている。竜を長達との契約外の存在である『暴走竜』と認定、殺害するためには、『幻獣調査官』、『幻獣調査員』の判定が必要だった。それに逆らえば、最悪、『国家反逆罪』を適用されることとなる。


 また、幻獣対策の専門家が存在する以上、進んで危険な偉業へ挑む人間は稀だった。


 その死骸や財宝―――竜種には金を貯め込む性質を持つ者も多い―――により、多額の富が手に入るとはいえ、英雄譚に多く見られる通り、竜退治には呪いや後遺症が付き物だ。妖精種や―――人類による、目視の確認は未だされていない―――精霊種の加護を受けていない者が挑むような戦いではなかった。


 それなのに、フェリの目の前で、金髪の青年は実に爽やかに宣言した。


「はいっ! 僕は竜退治に挑むつもりです! だって、困っている人がいますからね!」


『幻獣調査員』であるフェリに対し、堂々と言うべきことではまるでなかった。

 思わず眩暈を覚え、フェリはくらっと体を揺らした。その細い肩を―――山高帽で耳を、黒布で顔を隠し―――ギリギリ人に見える姿に扮した、クーシュナが片手で支えた。


 頭上では、小鳥がほがらかかつ場違いな鳴き声をあげている。家々の窓は、春の風に柔らかくはためく黒布に覆われていた。


 悲嘆に暮れてはいるが、呑気な空気に包まれている村での出来事だった。

 思い返せば、最初からその場は妙な雰囲気だったのだ。


 ひっそりと身を寄せ合う簡素な石造りの家々は、窓を黒布で塞ぎ、紫の花々を門戸に飾っていた。何か不幸があった。そう一目でわかる形で、村は哀悼の意を示していた。それでいて、住人達の態度は己が示した悲しみと矛盾していたのだ。


 子供達は遊び戯れ、大人達は野良仕事に打ち込んでいた。最近あったらしい出来事に対して、振り返っている様子もなければ嘆いている節もなかった。

 言ってしまえば、哀悼の意すらも、『示したくないけれども、仕方なくやっている』かのように見えたのだ。


「これは………何かがあったのかしら、なかったのかしら?」

「実に、微妙な線であるなぁ」


 クーシュナはぴくぴくと耳を動かした。フェリのヴェールの上でトローも首を傾げる。


 そうして村内を歩くうちに、彼女たちはもっと奇妙な一団を発見したのだ。

 鎧を着た青年を、村の人間達―――恐らく、村の代表格の人員と思われる面々―――が送り出そうとしていた。彼らは次々と青年の手を取り、激励の言葉をかけた。


「よろしく頼みます」

「しっかりな」

「大丈夫です。あなたならきっとできるでしょう」

「ありがとうございます。必ずや期待にお応えしてみせます」


 金髪に―――晴れた夏空のような―――見事な蒼い目をした青年は、その一つ一つに丁寧な礼を返した。

 その様を、フェリは不思議に思ったのだ。


「一体、どこへ行くのかしら」


 何せ、戦があったなどという話は聞いていなかった。

 青年は手と頭部以外を甲冑で覆っていた。村から何かしらの依頼を受けた傭兵というには重装備だ。だが、もしかして、近隣の森の獣害の対処に当たるつもりなのかもしれない。そう予測し、フェリは声をかけた。


 結果、青年から返ってきた答えが『竜退治』だったのだ。

確かに、獣害の対処に他ならない。しかし、相手が竜種とくれば話は全く異なる。


 竜はその個体によっては人を遥かに超える英知を持つのだ。飛竜ワイバーンや若い海竜シーサーペントならばともかく、討伐対象によっては国同士の争いに匹敵する問題となることもありうる。


 何よりも、幻獣調査員として見逃せないと、フェリは慌てて青年に制止の声をかけた。


「出立予定のところ、誠に申し訳ありません。その旨を詳しくお聞かせ願えませんか?」

「あの………一体、お嬢さんは」

「失礼しました。私はフェリ・エッヘナと申します」


 青年ではなく、村人からの問いかけに、フェリは名乗りながら胸元から銀の膏薬入れを取り出した。その表面には数百の短い角を持つ、古竜の紋章が刻まれている。

幻獣調査員の証を前に、集まっている村人達は全員息を呑んだ。だが、それを目に映しても、青年だけは慌てることなく、落ち着いていた。


「あぁ、やはり! 幻獣調査官の方ですね? その特徴的なヴェール、きっとそうなのだろうと思っていました! 幻獣調査官は人と人外を繋ぐ存在。顔をなるべく隠すことで自身を人から遠ざけ、幻獣に近づけているのだとか………また、最初に幻獣部門が設立された際、調査官に女性が圧倒的に多かったため、花嫁の意味合いも含んでいると聞いています。ロマンのある話ですね!」


「えぇ、私は調査官ではなく、国から同等の権利を授けられた調査員ですが、仰る通りです。由来が由来ですので、現在男性調査官用の黒ヴェールは別の物にするべく、前向きに検討が行われて………ってえっと、違う。すみません、脱線しました。あの、どうやら、随分とお詳しいようですが、竜種の決まり事についてはご存じないのですか?」


「知らなければ、それこそとんだ間抜けというものだな」

「クーシュナ、めっ」

「我は幼子か何かか、我が花よ」


 彼の皮肉を、フェリは小声で咎めた。二人のやり取りが聞こえているのか、いないのか、青年は先ほどまでと変わらない明るい笑みを浮かべた。


「いえ、勿論知っていますよ! ですが、事は一刻を争うもので」

「一刻を」


 青年の言葉に、フェリは表情を引き締めた。一体、何が起こったというのか。

蜂蜜色の瞳の問いかけに、青年は実に堂々と答えた。


「えぇ、この近くに棲む悪竜が、領主様の娘を浚っていったものですから!」

「悪竜、ですか?」


 フェリは茫然と繰り返した。

 そう呼ばれる存在に、彼女は確かに覚えがあった。


 フェリは白い手をあげた。流れるように自然に、クーシュナがそこに一冊の本を置く。


 黒の夜会服を纏い、荷物など何も持たない男が一体どこから出したのかと、村人達は目を白黒させた。その前で、彼女は分厚い本の傷んだページを捲っていく。


 該当箇所に辿り着くと、フェリは手を止め、徐に口を開いた。


「幻獣書、第一巻五十四ページ、『フェイブラ村の悪竜イビルドラゴン』、『第一種危険幻獣―――ただし、条件つき要観察』『補足として伝説あり』………そう、変わっている子」


「えぇ、確かに珍しいですよね。『御伽噺』に謳われた存在、『英雄譚』にも繋がりかねない幻獣なんて!」


「………我が花よ。『御伽噺』だの、『英雄譚』だの、一体全体何の話だ? その竜は実在するのであろう?」

「そう、実在するわ。でも、彼は少しだけ特別なの」


 クーシュナの問いに頷き、フェリは白い指でゆっくりと文字を撫でた。その特殊性すらも尊ぶかのように、彼女は言葉を重ねる。


「普通、竜種には悪も善もない。それなのに、彼が『悪竜イビルドラゴン』と称されているのは、この地に『悪い竜の伝説』が残されているから」

「悪い竜の伝説?」

「村の伝承によれば―――彼は元は言葉を介する賢竜(ホーリードラゴン)だったんですよ」


 突然、青年はスタスタと歩き始めた。彼は森の入口に積まれた石垣に腰かける。

トカゲが驚き、岩の隙間へ逃げ込んだ。座り心地の悪さを気にすることなく、青年は荷物の中から小さな竪琴を取り出した。何度か弦を爪弾き、彼は滑らかに手を動かした。


「遠き遠き昔の話。力ある幻獣が、この世を今よりも遥かに謳歌していた、古の日々のことです」


 不意に、彼は歌い出した。心地いい低音が響き始める。


 歌物語で伝説を語り出すとは、一刻を争うと言いながら悠長な話だ。だが、日数をかけて幻獣調査官の返事を待つ余裕はないが、数分程度ならば焦っても同じだということなのだろう。それでも、村人達は一斉に渋い顔をした。


 フェリ達も何事かと呆れたが、徐々に驚きと称賛に目を見開き始めた。トローは頭を起こし、ふんふんと鼻を鳴らし出す。


 腕を組み、クーシュナは驚いたと、珍しく唸るような声をあげた。

「なるほど………竜退治に志願するだけのことはある」


「そうね、この人は自然に愛されている。それなのに、妖精種の恩恵をまだ一つも受けていないようだがら、自覚があるのかどうかはわからないけれど………『勇者』の資格を持つには至らなくても、偉業を成し遂げることのできる人ではあると思うわ」


「勝手に成し遂げられてしまっては、我のお前は甚だ困るわけだがな」

「えぇ、本当にそうね」


 困ったと、フェリは微笑んだ。うむうむと、クーシュナは頷く。


 その前では、青年が指を動かす度、風が動いていた。美しい声に打たれ、大気は喜びに震える。彼の声には人ではないものの感性に触れる、特別な力があった。


 音楽を好む幻獣は多い。中でも、妖精種は特にそうだ。青年の歌には、彼らに好まれるだろう素養が十分にあった。


 彼は産まれながらに自然に愛される、人間には極めて稀な性質を備えているらしい。

 青年は穏やかに歌物語を紡いだ。フェリは微かに口を開き、思わず音に言葉を重ねた。


「それは遠い遠い、昔の御話」


 幻獣調査官が設けられる前、人と幻獣の溝がもっと広く、深かった頃の物語だ。


 重く分厚い、暗緑の帳に包まれた森の奥、隠された岩山に言葉を操る賢竜がいた。


 彼は森と動物と、人の指導者であり、弱きを守る善き竜であった。だが、長い年月をかけ、懐に貯め込んだ財宝が増えるうちに、彼は徐々に懐疑的になり、正気を失った。


 異様な量の金は持つ者を狂わせる。


 賢竜は人々に嘘を吐き、財宝を持って来させてはひと呑みにするようになった。


 かつて弱き者達を導いた言葉は、今や毒のようで。

 そして、刃のようだった。


「やがて、彼の毒は巣穴を同じくする、自身の弟へも向けられたの」

「あぁ、哀れな二匹の竜。運命の歯車は轟々と回る」


 賢竜は自身の弟にも言葉の刃を突き刺した。本来の彼ならば思わぬような毒舌で、彼は何度も何度も弟を責め立てた。優しき弟は、兄の言葉を苦にして泣きながら岩山を後にし、谷間深くに身を投げ、不思議な形の岩へと変わった。


 財宝を独り占めにする望みは叶ったが、賢竜は呪われた。


 竜殺しには呪いが付き物だ。それは同族とて例外ではない。

 二度と言葉を喋れぬよう、毒を吐けぬよう、彼の舌は爛れ、喉は焼かれた。以来、息をし、音を立てるだけで、竜は激痛に身を裂かれるようになった。


 そして、今や悪竜と化した竜は、誰とも話さなくていいよう身を隠した。

 岩山の奥深くへ。二度と人に会わぬよう。


「彼の呪いを解く方法は一つだけ。心の美しい娘に五年間、自身の世話をさせること」

「だが、世話を終えれば、娘は幾らかの呪いを身に受け、彼から離れては息もできなくなってしまう―――これが伝説の全てです」

「そして、伝説の通りに竜は娘を浚った………でも、何故?」


 フェリは首を傾げた。突然の竜の行動に、彼女は疑問を覚える。


「全てはこの地で語り継がれてきた伝説。本当か嘘か、確かめる術は最早ない。でも、確かに該当個体と見られる竜は実在するの。御伽噺を背負った彼は、第一種危険幻獣に指定されるほど危険な生き物―――漆黒の巨体に、蝙蝠のような翼を持ち、灼熱の炎を吐く―――彼が敵に回れば、近隣の人間は容易く殺されてしまうことでしょう。でも、伝説の通りに、彼は岩山から外へ出ようとはしなかった………だから、要観察で留められていたの。下手に刺激をしなければ、竜種は同一行動を取り続ける者が多いから」


「要は、火山と同じ扱いであったわけであろう? それが前兆なく動き、娘を浚った? おかしな話もあるものだ。楽になりたかったと言うのならば、それこそもっと早くに術を取ろう。千年味わった苦痛が百年延びたとて、大きくは変わらぬであろうに」


「さぁ、竜の真意はわかりません………ただ、僕は急いで行くだけです!」

「娘が呪われるには、あと五年はかかるわけだが?」


「何を言うんですか、浚われた娘さんは、今も寂しい思いをしているに決まっているんですよっ! 早く助けてあげなくては!」


 青年は憤慨した口調で語った。フェリは微かに首を傾げる。


「あの………先程から、聞いていて思うのですが、あなたはもしや、この村の方ではないのですか?」


「違いますとも! 流れの傭兵です。普段はもっと軽装で、商人の護衛や野盗の討伐をしています。ですが、話を聞きまして放っておけないと………あっ、でも、領主様が助けた者の嫁に娘をやると仰っているそうなので、この地に居着くことになるかもしれません………でも、それも彼女の気持ち次第でしょうね」


 あっけらかんと、青年は応えた。彼のキラキラした蒼い目の中には一切の邪気がない。無関係な人間が同情だけで竜退治に赴くのかと、クーシュナは呆れた声をあげた。


「歌を好み、人を助け、そのためだけに悪をくじく、か。これぞ、御伽噺のような話だな。囚われの姫を助けに行く、流れの騎士というやつだ。さぞかし、娘も姫にふさわしき、美しく優しい者なのであろうよ」

「いやー………それが」


「普通、というか」

「特別それほどでも」


 クーシュナの言葉に、村人達はおずおずと反応した。顔を見合わせ、彼らはぼそぼそと早口に囁き始める。どうやら今の今まで、胸の内に貯め込んでいたものがあるらしい。


 クーシュナがなんだと目を向けると、村人達は言ってしまえとばかりに続けた。


「と、言うか、口の悪い娘でしてね」

「会う人、会う人に悪口を言ってくるんですわ。アレじゃぁ、嫁の貰い手もなかったでしょう」

「領主様のお触れは、厄介払いみたいなもんですよ、正直」

「だから、ちょっと………実はこの人が可愛そうで」


「お前ら、黙れ! 助けてくださるって言ってるんだからいいだろうが! お嬢さんも若いのに、そのままになったら可愛そうだろう!」


 村長らしき男が叫んだ。後にはしんっと重い沈黙が広がる。


 村の妙な雰囲気の理由がようやくわかった。彼らは娘が帰ってくるまではと黒布を掲げながらも、その不幸を心の底から嘆くには複雑な心境だったらしい。


「なるほどな。何もかもが御伽噺のようにとはいかないものだな」


 そう、クーシュナは肩を竦めた。しかし、村人達の告白を聞いても、青年の目の輝きは失われなかった。むしろ、彼はますます熱意を高めていく。


「別に、娘さんがどんな方でも構いはしませんよ! だって、今、彼女が心細い思いをしていることに、何の違いがあるっていうんです!」


「その通りです。彼女の安否が心配ですし、場合によっては『暴走竜』の認定と国への報告が必要となるでしょう。幻獣調査員として、私も同行します。よろしいですね?」


 フェリはそう告げた。すると、今まで揺らぎもしなかった表情を、青年は見る見るうちに曇らせた。フェリの誇りを傷つけないようにか、彼は口ごもりながら応える。


「えぇっと………お考えはわかりますが、幻獣調査員とはいえ、今度は貴方が心配です………失礼ですが、まだ若いお嬢さんだというのに」


「お気になさらず。それが私の責務です。むしろ、あなたには残って欲しいのですが………納得して頂けなさそうなので、せめて目の届く範囲に同行をと」


「それにな、若造。我が花には我がいる。無敵に不敵な紳士こと、我という騎士がな。故に、貴様が案じることなど何もない。我が花が枯れぬよう守ることこそ、我がここにいる理由よ………ん? これ、指を噛むな、小僧っ子よ、締まらぬであろうが!」


 フェリの肩を抱く指を、パタパタと降りてきたトローがガブガブと噛んだ。近い近い、フェリから離れろと訴える彼を、クーシュナはなんとか追い払う。


 布越しに兎の鼻を鳴らし、クーシュナは改めて青年に鋭い眼差しを投げた。

 やがて、青年は何かを納得したかのように深く頷いた。


「なるほど、確かにそのようです………彼女の護衛は、あなたに任せますよ」

「勘も察しもいいと来たか………つくづく、勇者的な男だな」


 フェリの同行を承諾し、青年は真っ直ぐに手を差し出してきた。武骨な掌を、フェリは柔らかく白い手で躊躇いなく握り返した。

一度腕を大きく振り、手を離すと青年は名乗った。


「よろしくお願いします。僕の名はギルバート。一緒に娘さんを助け出しましょう!」


 こうして、フェリは悪竜の下へ向かうこととなった。


 暗い暗い、森の奥深くに彼はいる。

 それこそ、まるで御伽噺のように。



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