子供部屋のボーギー

その1


 トローには不満なことがたくさんある。


 一つ目は、自分の威厳が何だか落ちているというか、認められていない気がすること。


 二つ目は、自分も主の護衛役のはずなのに何も役に立てていない気がすること。


 三つ目は、今日も今日とてクーシュナの主への距離が近く、頭突きをしたのにかわされたこと。


 そして今は、鞄の中から出られないことっ!


                    ***


 そこは狭く、ボロボロだが、可愛らしい家だった。


 台所とひと続きの居間の壁には、そこかしこに乾燥させた薄紫色の花が虫留めピンで留められている。カーテンのない窓からは、晩夏の気持ちのいい風が吹きこんでいた。端切れを縫いあわせたクッションを背中に当て、今は火の入っていない暖炉を前に、フェリは揺り椅子に座ってくつろいでいる。


 その周りでは、三人の子供達が駆け回っていた。彼らは木片で作った剣を手に終わらない戦いを続けている。ジャガイモを茹でた巨大な鍋を洗い終え、子供達の母親はエプロンで手をふいた。彼女は丸い鼻を赤く染め、困ったように笑う。


「すみませんねぇ、お客さん。うるさくって」


「いえ、お構いなく。私こそ、家族団欒の時にお邪魔してしまいすみません」


「何言ってんですか、構うこたぁないですよ。なんなら明日だって何日だって、好きなだけいてもらってもいいいんですから。ねっ、お前さん」


「……………うん」


「嫌だよもう、この人ったら。話を聞いてないんだから」


 本をめくりながら生返事を返す夫に、夫人は腰に手を当て溜息を吐いた。だが、その声に本気で怒っている調子はない。夫人も知っているのだ。家の主人はフェリから貸してもらった家畜の医学書に夢中になっているが、彼がそうして書物を読みふけるのは―――彼自身が動物の世話をすることが好きなのもあるが―――何よりも家族の暮らしを少しでも楽にするためだった。



 今日、フェリがこの家に泊まることになったのも、子山羊の病気が原因だった。



 悪い水を飲み、腹を下していた子山羊にフェリが薬草を与えたのだ。動物用の薬はたくさん持っていますからとの言葉に、家の主人は感銘を受け、フェリを自宅に招いた。


 夕飯の間中、フェリは彼と動物について議論を交わした。フェリが幻獣についての知識もいくつか披露すると、家の主人は熱心に聞きいり、夫人の自慢料理をすっかり冷ましてしまった。夫人は腹をたてている振りをして、そんな夫を好いていることはフェリから見ても一目瞭然だった。



 フェリにとっても楽しいひと時だったが、実は夕飯以来ある問題が続いていた。



 子供達があまりにもうるさすぎるのだ。三人のやんちゃな男子のせいで、辺りはまるで妖精の酒盛り場のような賑やかさになっている。どうやら彼らの目に映る世界は、フェリや両親達に見えるものとは根本的に違っているようだ。彼らはこの居間に大きく広がる魔法の大陸を取りあい、百年に渡る戦争を続けているのだという。


 現在、暖炉前は長男の国で、居間の板敷の床の大部分――台所のタイル張りの床との境界線まで――は先の戦で功績をあげた次男の国となっている。そして飾り棚の下の毛羽だったオリーブ色の敷布の上は、やや狭いが三男の国だった。また、床に入った亀裂は危険地帯であり、別世界への入り口でもあるのだという。


 フェリは元気なのは何よりだと思い、クーシュナも自分に被害が及ばないぶんには騒ぎに対して寛容だった。だが、トローにはたまったものではなかった。何せ、家を訪れてからというもの、彼はずっと鞄の中に隠れることを強いられているのだ。


「もうちょっとだけ待っててね、トロー。今、あなたが外に出たら危ないから」


 フェリの囁きに、トローはこくりと頷いた。わんぱく小僧達に見つかれば、トローはあっという間にオモチャにされてしまうことだろう。


 ここで外に出たが最後、トローは新たな大戦の火種になった挙句、三国の争いに巻きこまれ、勝者の手によって宝箱に収められ、鍵をかけられてしまうに違いなかった。自分は財宝でもなんでないのに、止めて僕のために争わないでと、トローが斜め上のことを考えながら震えていると夫人が叫んだ。


「こらっ、アンタ達っ! いい加減にしないと、トム・ドッキンに食われちまうよっ!」


 夫人は腰に手を当て、頬を膨らませた。子供達は一瞬きょとんとしたが、すぐにきゃっきゃと笑いだした。手製の伝説の剣を振り回しながら、長男はべーっと舌をだした。


「トム・ドッキンなんていないよーっだ!」

「また、そんなこと言ってっ! トム・ドッキンは鉄の牙で、騒がしい子を頭から食っちまうんだからねっ!」


 夫人はガオーッと脅すように両手をあげた。だが、子供達は聞こうとしない。唯一、三男だけは不安そうな顔をしたが、兄達の手前、平気な振りをすることに決めたらしい。


 彼は素早く鼻の下を擦り、『別世界へ繋がる裂け目』への三王国合同の探索隊へ戻った。この結果いかんによっては、百年の戦争が終わるかもしれないようだ。ぐずぐずしてはいられないのだろう。過酷な冒険を続ける三人に、夫人ははぁっと溜息を吐いた。


「やれやれ、昔は結構効いたんですけどね」

「子供部屋のボーギーですね?」


 フェリが尋ねると、夫人はそうだと頷いた。彼女は子供達を抑えるのは諦めて、乾いた皿を食器棚に戻しに向かった。彼女が場を離れると、クーシュナは小声で囁いた。


『主よ、なんだそれは。聞いたことがないが、幻獣か?』


「うーん、そうだけど、違うの。『子供部屋のボーギー』は妖精種に属する幻獣だけれども、実在はしないわ。マムポーカー。果樹園のジャック。ものぐさローレンス。オード・ゴギー。グースベリー女房――――彼らは子供たちを危険な場所から遠ざけるために大人に作られた架空の存在なの」


『なるほど。子供に対しての脅し歌のようなものか。それは幻獣書には記せぬな。どうりで、聞かない名のわりに、我のお前が大人しくしていると思ったわ』


「うん、残念だけれどね。どの子かが実在していてくれれば楽しいのだけれど」


 そうフェリは微笑んだ。皿を片づけ終えた夫人はフェリにお茶をだしてくれた。乾燥させたハーブを数種類混ぜ合わせた葉は、夏にぴったりの爽やかな味がする。


 夫人は子供達にもう寝ますよと怒鳴った。子供達は剣を振り回して抗議の意を示したが、父親が無言で立ちあがると渋々といった様子で今日の成果を紙に記した。彼らはそれを大事に宝箱という名のぼろぼろの菓子箱にしまうと夫人に額へのキスをもらい、子供部屋に向かった。しばらくの間、そこからはにぎやかな声が続いた。


 夫人はフェリにお茶のお替りを淹れ、残りの家事を片づけた。やがて、騒がしい声が途絶えると彼女は立ちあがり、フェリをやっと静かになった子供部屋へ案内した。


「それじゃあ、お客さんもどうぞこちらへ。すみませんね。客間なんて上等なものはないもんですから………私達の寝室より、子供達の部屋の方が断然寝具がいいんですよ」


 三人の子供達が並んで眠る横には、ちょうどフェリひとりなら横になれそうな隙間があった。だが、子供達は左へ右へ自由に転がっている。これは困ったと、夫人はぺちんと自分の額を叩いた。


「あぁ、でも駄目だね、これじゃあ朝もうるさいだろうし……どうしましょう? ぺったんこで固いんですけど、私は椅子で眠りますんでよかったら、私のベッドで………」


「いえ大丈夫です。私は家ではいつも傷ついた幻獣達と一緒に寝ていましたから、この子達は彼らよりもとても静かです。朝はこの子達よりも早く起きますし、お構いなく。たくさんのお気遣いをいただき、ありがとうございます」


「そうですか………それじゃあ、お客さん、よい夢を。何かあったら呼んでくださいね」


 おやすみなさいと、フェリは頭を下げる。人のいい笑顔を残し、夫人は立ち去った。


 子供達が寝ているのを確かめ、トローはぷはぁっと埃臭い鞄の中から顔をだした。彼は羽を伸ばすように、部屋の天井へと舞い上がる。だが、せっかく自由になれたばかりだが、今日はもう眠らなくてはならなかった。彼はカーテンの影にいい隠れ場所を見つけ、ぶら下がった。ここならば朝までぐっすり眠れることだろう。


 疲れ果てたトローの鼻先を、フェリは白い指で柔らかくくすぐった。


「おやすみなさい、トロー。今日もありがとう」

『我が花よ、よき夢を見よ』

「おやすみなさい、クーシュナ。あなたもよい夢をね」


 荷物を置き、軽い身支度を済ませ、フェリは寝台に横たわった。

 長男に足を載せられながらも、彼女は目を閉じ、浅く息を吐く。



 そして、部屋の中は安らかな眠りの帳に包まれた。



               ***



 と、言っても本来、蝙蝠は夜が活動時間なのだ。



 勿論、試験管の小人(ホムンクルス)の亜種であるトローは例外ではある。


 彼はフェリの行動時間に合わせ、早朝に起き、昼は飛び回り、夜は安らかに眠れるように造られていた。だが、今日のようにずっと鞄の中にいた日は流石に蝙蝠の血が騒ぐ。


 少しくらい羽を伸ばしても許されるだろうと、トローはふわりと窓枠から飛びたった。壁に無数の落書きがされ、物の散らかり放題になった部屋は視覚的にうるさい。だが、今は子供達も静かなものだった。眠りの国にいる彼らの上を、昼間の怒りもこめてトローはひゅんひゅんと飛び回った。


 君達が大人しくていい子だったなら、この見事な飛行技術を披露してあげたのにっ!

 

 トローはそう憤慨することこのうえなかった。実は、トローは子供と遊ぶのが嫌いではなかった。好きだと言ってもいい。何せ、彼らはトローを素直に賞賛し、両手を叩いてくれるのだ。その時だけ、常に欠け気味なトロー本来の威厳もやや回復する気がする。だが、今日は散々だった。


 そもそも、こうも自分のかっこよさが地に落ちたのは、ことあるごとにクーシュナが小僧っ子と呼んでくるせいだと、トローはイライラと考えた。


 今、トローが飛び回っていても、皮肉気な声は聞こえてはこない。どうやら珍しいことにクーシュナも寝ているらしかった。大方、あの兎耳も涼しい顔をして子供達のどたばた騒ぎに耳が疲れたに違いないのだと、トローはふふんと思った。


 元気なのが自分だけだとは、これはもしや今後似たような状況になったら活躍のチャンスがあるかもしれない。トローはそう期待に胸を膨らませながら、天井を眺め、床を眺め、縦回転を続けた。だが、壁に描かれた落書きを眺めているうちに、その考えは別のことに逸れ始めた。



 子供達の騒ぎは確かにうるさかったが、その冒険には胸躍る点もあった。



 トローは少しだけ考えてみる。



 過酷な冒険に向かう勇者トロー。敵なしの勇者トロー。



 もし、本当にそうだったならどうだろう。



 彼の縦横無尽の活躍があれば、新しい幻獣も各地でたくさん見つかるに違いない。それこそ幻獣達が自ら伝説の勇者の下に出てくるくらいになるはずだ。そうすれば主もあのうさんくさい兎耳ではなく、もっと自分を頼ってくれるようになるだろう。


 まぁ、あの兎耳のことが嫌いなのかというと、別にそんなことはないのだが。やはりトローの活躍こそを世に響かせたかった。いや、別に響かせなくてもいい。誰にも知られなくても構わなかった。それこそ、トローは勇者の名に値する名誉なんて、本当はこれっぽちも欲しくないのだ。



 ただ、もしも自分に伝説の勇者くらいの力があったのなら。



 きっと、主のことを何があっても守れるようになるに違いなかった。


 そして、あの数少ない仲間である兎耳の助けにもなれることだろう。



 トローは守られっぱなしなのは嫌だった。だめだった。あの兎耳にだって弱る時くらいあるはずなのだ。そんな時は、自分が頑張らねばならない。それなのに、トローにはそれだけの力がなかった。いや、そんな風に諦めるからだめなのだ。トローはぶんぶんと首を横に振った。トローにだって、やれることはきっとあるに違いない。



 そう、今はそうでもないが、トローは本来かっこいい男なのである。


 まずは威嚇の練習からだった。直接戦わなくとも勝てる勝負もあるだろう。



 決意を新たにするとトローは鼻をひくひくさせ、調子を整えた。実はこの技は数日前からこっそり磨き始めたものだった。トローとしてはなかなかまんざらでもない仕上がりになってきていると自負しているのだが、何せクーシュナの目があるため、練習が足りているとは言えない。今こそやらねばと、トローは翼をバサッと一打ちして停止した。



 彼はくあっと口を開き、自画自賛ながら百点満点の威嚇を披露した。


 その超間近に、子供の顔があった。



 カチッとトローは固まった。寝間着姿の子供も思いっきり固まる。ひとりと一匹は石の彫像のようになった。だが、子供の驚きに見開かれた目は、数秒後、ふにゃっと歪み始めた。一秒でトローは撤退の判断を下し、勢いよくフェリの鞄の中に飛びこんだ。


 子供―――三男は、次の瞬間、世界の終わりでも来たかのような大泣きを始めた。



「おかあさあああん、おかあさあああん、トム・ドッキンが来たよぉおおおおおおっ!」



 違う、トム・ドッキンじゃないとトローは叫んだが、彼の言葉はフェリとクーシュナ以外には通じない。三男が泣きだしたのを見て長男と次男も飛び起きた。泣き続ける三男に異様なものを感じたのか、あれだけ平気だと言っていたふたりも火の点いたように泣きだす。しかも、トイレに起きた三男が自分の上を通ろうが、次男に蹴られようがぐーすかと寝ていたフェリまで、パッと目を開いた。彼女は見事な腹筋運動で起きあがると、トローを掠めながら鞄の中に手を突っこみ、紙束とペンを取りだした。


「トム・ドッキンがっ! 実在していたというのですかっ! どっ、どこです? どこにいますか? せめてひと目だけでも」

「お前達、一体どうしたんだい? お客さんっ?」


 興奮したフェリの様子に、夫人は戸惑った声をあげた。その腹に三男次男長男が次々と抱きつく。後からやってきた家の主人が、幼い頃のように泣く三人の頭を撫でた。



 夜を賑わせる大騒ぎの中、トローは鞄の中で震えながら、朝を待つしかなかった。



                ***


 翌朝、泣き疲れた子供達が眠る中、フェリは美味しい朝食をごちそうになった。


 お世話になりましたと頭を下げ、いくつか家畜用の薬を譲るとフェリは夫婦と別れた。手を振り続ける二人に手を振り返し、フェリは街道を進んだ。やがて、家が遠くに見えなくなると、フェリは両腕を組んで低く唸った。


「結局、トム・ドッキンの存在はこの目で確認できなかったなぁ………不確定幻獣として仮項目に追加してもいいのかどうか………一応、絵も描いていただけたけれども」


 フェリは三男に描いてもらった絵を眺めた。そこには彼渾身のトム・ドッキンの絵が描かれている。黒い翼をもち、口をくわっと開いた幻獣を眺め、フェリは首を傾げた。



「でも、なんだか…………見覚えのある何かに、似ていなくもない、ような?」



 彼女からなるべく離れて飛びながら、トローは内心びくびくしていた。フェリが幻獣書にトム・ドッキンを追加しないこと。何よりも、自分の恥ずかしい練習に気づかないことを祈って、彼はパタパタと進む。すると、どこからか笑いを押し殺した声が響いてきた。嫌な予感に駆られ、トローは辺りを見回した。その足元ににょっと影が伸びる。


『なぁ、小僧っ子よ。昨晩のアレだが』

「……………っ!」

『怒るな怒るな。笑いはせぬ。意図はわかるぞ。なかなか健気ではないか………いや、だがな、言わぬわけにもいかぬだろう? ん?』

「……………っ!」


 トローはバタバタと焦り、クーシュナは愉快そうに囁き続ける。

 その様子を見て、フェリは今日もふたりは仲がいいなぁとぼんやりと考えた。




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