飛竜と娘

その6

 夜が訪れ、村には白く鋭い月が昇った。


 澄んだ月明かりの中、飛竜ワイバーンの捕獲を無事終えた村は宴に沸いている。だが、村長の家にだけは不穏な空気が漂っていた。麦酒の樽の開けられた客間でいらだった村長は机を叩いた。その前でフェリは杖を強く握り締める。


「もう一度申しあげます。そのようなこと、絶対に認めるわけにはまいりません」

「ですから、それはあなたの判断することではないでしょうっ!」


 村長はフェリを強く睨みつけた。だが、彼女は蜂蜜色の目を逸らさない。激昂することなく、フェリは村長と見つめあった。そのヴェールの上では、張りついたトローも必死に威嚇している。


 村長とフェリは捕縛した飛竜について、その対処法で揉めていた。

 捕縛された竜の処罰には、通常二種類の道が想定される。


 竜の暴走原因が外部にあり、竜自体の危険性が低い場合、幻獣調査官の判断の下、竜は他の地へ移送されることとなる。だが、竜自身に危険性が高く抑える術も存在しない場合、竜は竜種の長との契約外の存在である『暴走竜』と認定され、殺害される決まりだ。そして、その死骸は獣害にあった被害者に、補償金代わりに譲渡されることとなっている。


 竜種の死骸は貴重であり、高価だ。


 その心臓を食べれば動物の言葉がわかるようになり、他の内臓は薬に、鱗は武具に、翼は革製品になる。たった一頭の死骸が巨万の富に変わるのだ。盗賊に襲われ、飛竜に焼かれた村はその補償を求めていた。


 だが、フェリは頑なに譲ろうとしない。


「彼の暴走理由は、共に暮らしてきた聖女を失ったことです。彼はまだ幼く、突然の喪失に多大な衝撃を受けました。それでも彼は盗賊の殺害をこらえ、長期に渡り彼女の帰りを待ち続けました。それだけの理性をもつ存在に対して、安易に『暴走竜』の認定はできかねます。私は彼の移送を断固として主張します」


「それで奴が村に帰ってこないとどうして言えるのですかっ! 飛竜の移動範囲の広さをあなたもご存じのはずだっ! どこに移動させても我々に安息は訪れない。これから先も、ずっと復讐におびえ続けろとあなたはおっしゃるのですか? それに我々の受けた被害は誰が補償してくれるのです? 冬は長く厳しい。もしも麦の実りが悪ければ」


「残念ながら、私は幻獣調査員です。人間側の都合で、『暴走竜』の判定は覆りません」


「人は食べなければ生きてはいけないのですよっ!」


「それに、彼はあなた達を殺しませんでした。誰ひとりとしてです」


「もういい、あなたでは話にならないっ! カナリの街の調査官に判断を仰ぎますっ!」



 ――――――――クウウッ



 人々が言い争いを続ける中、廃屋跡の飛竜は小さな呻き声を漏らした。



 飛竜の耳は人間のものよりも遥かに性能がいい。彼には村長とフェリの言い争う声が全て聞こえていた。どうやらそれで自分の運命が決まるらしいと悟り、彼は逃げようともがいた。だが、リボンから甘く流れこむ魔力に動きを阻害されてしまう。


 飛竜はせめて不安な気持ちに打ち勝とうとした。彼は誇り高い種族なのだ。『彼女』もそう言っていた。あなたは強く善き者だと。だからこそ、彼は負けるわけにはいかなかった。だが、まだ幼い彼は感情の制御は不得手だった。不安な気持ちをどうしても抑えきることができず、彼は頭を撫でて欲しくなった。だが、ここにあの手はない。



 飛竜は最後に白く、柔らかな手に触れられた時のことを思いだした。



 雨が降っていた。それなのに火が燃えていた。後ろに恐ろしい顔つきの乱暴な人間達を待たせ、彼女は彼に手を伸ばした。飛竜の頬を撫で、彼女は『そこから動いてはいけない』と囁いた。一言望んでくれれば、飛竜には後ろの連中を消し墨にすることもできたのに、彼女はそれをしなかった。ただ微かに震える指先を放して、彼の額に口づけた。


『人のせいで、あなたが人を傷つけてしまうのは嫌なの』

『大丈夫よ。きっと、私のことは村の人たちが助けてくれるから』


 そう微笑みを残し、『彼女』は連れて行かれてしまった。飛竜は待った。ずっとずっと長く待ち続けた。彼は知っていた。『彼女』は弱く短命な種族だがかしこい生き物だ。今まで『彼女』が嘘を吐いたことなど一度もない。飛竜は『彼女』の信じる村人のことはよく知らなかったが、『彼女』と同じ種族で似た者ならば善き生き物なのだと思えた。


 きっと約束は果たされる。彼女のことは人が助けてくれるに違いない。

 そう彼は信じた。だが、何日待っても誰も訪れはしなかった。


 少しでも場を離れればその時に『彼女』が来るかもしれない。飛竜が待っていなかったのだと『彼女』を落胆させたくはなかった。彼は水辺に行かず食べ物も探さず、『彼女』の家を守り続けた。雨の日は翼を広げ、風の強い日は崩れかけの壁に寄り添った。


 更に時が過ぎた。何日も待ったがやはり誰も来ない。


 彼の不安が『彼女』の言葉への信頼を越えかけた時、やっと村人達が訪れた。彼らは『彼女』を連れてはいなかった。それでも飛竜は期待に胸を膨らませた。きっと今すぐにでも、彼らは『彼女』を連れ戻しに行くことを飛竜に約束してくれるはずだった。彼らは『彼女』が信じていた善き生き物達なのだから。そう、きっとそうに違いない。


 彼らは『彼女』を、飛竜の下へ連れて帰ってきてくれる。


「あぁ……本当に連れていかれちまったんだな。俺達のせいだ。俺達が、アイツらにあの人の家を教えさえしなけりゃ………こんなことには」

「おいっ、馬鹿言うな。教えなきゃどうなってたかを考えてみろ。くっそ、今更確認になんて来なきゃよかったんだ。俺達は悪くねぇ、悪くねぇぞ」

「だからって、アレがどうなっているか………放っておくわけにもいかんだろう」


 彼らはぼそぼそと囁きあい、飛竜に視線を送った。その言葉を聞き、飛竜はざわりと鱗が逆立つような感覚を覚えた。だが、飛竜は必死に今聞いたことについては考えまいとした。彼らは『彼女』を取り戻しに行ってくれる生き物だ。そのはずなのだから。


『彼女』は信じて、彼らの、人間の助けを待っている。だから、彼らを傷つけてはいけなかった。彼らは善き生き物だ。善き生き物のはずなのだ。けれども、笑うように、泣くように、唇を不恰好に曲げて村人達は言い放った。


「まぁ、あの人がいなくなっても、コイツは大人しいしな。村の娘が犠牲にならなくて本当によかったよ」

「あぁ、その通りだ。それにこしたことはないわなぁ」


 短い笑いが起こった。だが、彼らはすぐにそれを止めた。脱いだ帽子を胸に押し当て、彼らは唇を噛み、下を見つめた。その言葉と表情に、後悔が含まれていることは飛竜にもわかった。だが、それだけで十分だった。彼の感情を怒りが焼きつくすのに、彼らの言葉はあまりにも十分すぎた。


 人の訪れない『彼女』の家に乱暴な人間達が来たのは一体誰のせいだったのか、彼は知ってしまった。


 人も増えると聞く。村人達には娘がいてそこに帰るのだ。けれども、彼と『彼女』はもう二度と会うことなどできないのだろう。

 


『大丈夫よ。きっと、私のことは村の人たちが助けてくれるから』



 雨が降っていた。その手は震えていた。そう言えば、微笑んだ彼女は。



 彼女はあの時、泣いていたのかもしれなかった。



 彼は愚かにも気づかなかったが、あれがきっと―――最後の別れだったのだろう。



 その瞬間、飛竜は悲鳴のような声をあげた。村人達は一斉に彼を見る。もうここにいる必要はなかった。屋根を務めていた翼を、飛竜はもう誰も帰らない家から持ちあげた。



―――――――――クゥゥッ



 再び飛竜は小さく鳴いた。辛い記憶を振り払い、彼は澄んだ夜空を見つめる。その時彼の視界の端で闇が動いた。飛竜の体を覆う蔦の一部がほどけ、まるで犬の尾のように左右にぴこぴこと揺れる。なんだと飛竜が目を細めると、それは人に似た形を取った。


 快活な口調で、陰鬱な声が響く。


「よぉ、若造」


 左右に長い耳を動かしながら、クーシュナが片手を挙げた。先ほど自分を負かした異形を見て、何をしに来たのかと飛竜は小さく唸った。だが、それをどこ吹く風とクーシュナは歩きだした。彼は飛竜の前を跳ぶように歩き、くつくつと笑った。


「まぁ、なんとも無様なことよなぁ。人間なぞ信じるからだ。この痴れ者が」


 クーシュナはそう飛竜をあざけった。飛竜はふざけるなと必死にもがくが、やはり尾を動かすことすらできない。あろうことか、クーシュナは彼の周りを胸を張って歩き始めた。


 ふわふわの尻尾をぴこぴこと揺らし、クーシュナは嘲笑うような演説を続ける。


「全くもって愚かの極みだ。さっさと村人達を殺しつくしてしまえばいいものを、むやみともったいぶるからこうなる。まぁ、貴様も割りきれなかったんだろうが。あるいは、奴らが聖女を連れて帰る可能性を捨てきれなかったか。ハッ、甘い甘い。人など毒虫も同じよ。さっさと叩き潰さなければ、こちらが噛まれることとなる」


 不意にクーシュナは踵に踵をぶつけ、立ち止まった。パァンッと派手な音をたて、彼は芝居じみた仕草で両の掌を打ちあわせる。


「―――――――だが、な」


 顔を斜めに傾げながら、クーシュナは飛竜を振り向いた。大きな紅い目が歪に細められる。月を背に、その顔は不吉に光って見えた。にぃっと笑い、クーシュナは囁く。


「少女を信じたことは別だ。恋人のように月のように花のように、想う者がいたのなら、その者に付き従うことは間違いではないよ。それこそ、弱い種族と共に生きる者の、惚れた者の義務だ。毒虫の中に花を見つけた者の定めだ。所詮酔狂だがな、それに命を賭けると決めたなら」


 クーシュナは細く黒い腕を高々と掲げた。月に重なった指を、彼は軽く鳴らす。


 ―――――――パチンッ、パチンッ

「賭けきらねば、ちと恰好がつかんぞ?」


 音をたてて、飛竜の体を縛る影が切れた。飛竜は大きく目を見開く。


 クーシュナはもう笑ってはいなかった。彼は冷淡に思えるほどの真剣な口調と、聞く者に威圧を与える低い声で囁く。


「夜ならば影が消えると思うだろう? だがな、闇は全て我のものだ。本来、夜の中の方が我は一番強い。だからな―――――これは慈悲だ。わかれ」


 飛竜の体は徐々に自由になっていく。彼はゆっくりと体を蠢かせた。翼を開き、彼は力強く空気を叩いた。だがまだ甘い痺れは取れてない。その口には青いリボンが結ばれたままになっている。それでも飛竜は必死でもがいた。その動きに合わせて、クーシュナは両手で拍子をとり、歌うように続けた。


「いい子だと撫でる手を忘れられないのだろう? 傷つけるなと囁かれただけで動かないと決めたのだろう? それでいいそれでこそだ。だがお前は間違えた。愚かだ阿呆だ。竜種でありながら死んだ方がマシな畜生だ。あんな毒虫共をいたぶっている場合か」


 突然クーシュナは足をあげ、飛竜の鼻先を踏みつけた。低く唸る飛竜に、彼は囁く。



「お前が殺すべき相手は別にいるだろう?」

―――――――――――――――グゥゥ



 応えるように、飛竜は翼を動かした。黒い夜会服の裾をなびかせ、クーシュナは月を背に笑う。ビッと空気を裂いて持ち上げられた右腕が、針のように遠い山合いを指した。


「東に山を二つ越えた谷間、その周辺で先月から野盗の被害が多発しているという。奪い返せ。まだ生きているかはわからぬ。無事かもわからぬ。どうなっているかも知らぬ。それでも飛べ。今まで動かなかったのは貴様だ。愚かだったのは貴様だ。間に合わなければ死ね。己の愚かさを悔いて死ね。急げ急げ急げ急げ、急げ、急げ、急げっ!」


 クーシュナの声に合わせ、飛竜は翼を羽ばたかせた。彼は痺れを無視して懸命に飛ぼうと試みる。辺りにごうごうと風が巻き起こった。彼は青いリボンの結ばれた首を無理やり持ちあげた。その目から大粒の涙が零れ落ち、きらきらと月光を反射して光った。


 同時に、クーシュナは合図のように高らかに指を鳴らした。



 ―――――パチンッ

 ―――――バサッ



 青色のリボンが落ち、飛竜は飛びたった。その姿はあっという間に影になり、月に吸いこまれるように遠ざかっていく。空を堂々と泳ぐ姿を眺め、クーシュナは小さく息を吐いた。彼はポケットに手を突っこみ、自嘲的な声音で独り言を呟いた。



「―――――何せ、人は、すぐに死ぬからなぁ」



 異変を察した人々が外に飛びだしてくる。悲鳴があがる前に、彼は再び指を鳴らした。

 後にはもう何も残らない。ただ廃屋跡と固い地面が広がるばかりだった。

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