第二章 最初の恋愛イベント⑤

 あれから十二年──

 彼の手にはあの時セシリアから受け取ったハンカチとすんぶんたがわぬものがにぎられていた。

 不格好なクローバーの刺繡がその証拠だ。

「なんで、このハンカチをアイツが……」

 うなるようにそう言い、オスカーはにくにくしげに『学院の王子様』と呼ばれる彼を思い出していた。



「セシル・アドミナ、話がある」

 そうオスカーが教室に乗り込んできたのは、リーンとのれんあいイベントが起こった翌日のことだった。朝一番に教室に乗り込まれ、セシリアは固まってしまう。クラスメイトたちは『学院の王子様』と『本物の王子様』のツーショットにじやつかん色めき立っていた。

「な、なんでしょうか?」

「教室では話しにくい。昼になったらここに来い」

 オスカーはたたきつけるようにメモを置く。そのしようげきに、机と身体が跳ねた。

「絶対に来い。げたら承知しないからな」

 てついた目がセシリアを見下ろす。その視線に彼女は首を縦にるしかできなかった。


 そして、昼きゆうけい──

 メモに書いてあった場所は、学院の中にあるサロンだった。といってもだれしもが利用できるような場所ではなく、上位貴族と彼らに招待された者しか使えない特別なサロンだ。

 上位の貴族同士の交流を目的としたサロンなので、部屋全体は広く、仕切りも少ない。

 オスカーはすみにあるソファーにこしけながら、セシリアにあるものを見せてくる。

「どうしてお前がこのハンカチを持っている?」

「このハンカチ?」

 セシリアが見下ろした先には、先日ねこの足に巻き付けたはずのハンカチがあった。

 彼はハンカチのはしを指しながらけんのんな声をひびかせる。

「これは以前、俺がセシリアに貸してもらったものだ」

「え?」

「もう一度だけ聞く、どうしてこれをお前が持っている?」

 彼が指しているのは刺繡の部分だ。そこにはいびつなクローバーの刺繡がある。それは、彼女が幼いころに初めて刺したものだった。

(これを私がオスカーに貸した……?)

 必死におくをたぐり寄せる。すると、ある少年の声と共に、幼い頃の記憶がのうよみがえってきた。

『でもまぁ、伸びしろがあると思えば、そんなに悪くない』

 あかがみの生意気そうな少年が、先ほどまでのお腹が痛そうな顔を優しくくずして、年相応のみをかべている。手には彼の頰を拭ったハンカチが握られていた。端には歪な四つ葉のクローバー。

(ぬかったぁー!!)

 セシリアは頭をかかえた。社交界でオスカーと会ったことは覚えていた。その後、泡を吹いて倒れたのも、前世の記憶を完全に思い出したのも覚えていた。けれど、あのときわたしたハンカチがなんだったかまではきっちりと覚えていなかった。

 それもそうだろう。なんせ十二年前の出来事だ。

(こ、こんなことで、バレそうになるとは……)

 セシリアの背筋に冷たいものが伝った。オスカーはだまったままセシルをにらみ付けている。

(気づいた!? セシル=セシリアだって、気づいた!?)

「えっと……」

「セシリアとお前はどういう関係だ?」

「か、関係ですか?」

 その台詞せりふを聞いてわずかにあんする。どうやら彼の中ではまだ『セシル=セシリア』ではないらしい。しかし、以降の答え方によっては、その可能性が彼の中で持ち上がってくるのは明白だ。セシリアはしんちように言葉を選ぶ。

「セシリアとは友人で……」

こうしやくれいじようと男爵子息が友人?」

 痛いところをかれて、言葉にまった。公爵と男爵では、貴族の格がちがいすぎる。貴族の友人関係は、基本的に同程度の貴族同士でなされるものだからである。

 それでも同性ならばお茶会などで交流することもあるだろうが、セシリアとセシルは異性だ。普通に考えるならば友人同士というのはあり得ない。それならばまだ身分違いのこいびとの方が言い訳としてはわかりやすかった。

 まぁ、未来の国母が王太子とは別に恋人を作っているというのも、それはそれでゆゆしき事態なので、どちらにせよ選べないせんたくではあるのだが……

(というか、なんで私とオスカー、まだこんやく者同士なのよ! 病弱な国母なんていらないでしょうに!)

 当然、国母には次代の国王を生むための健康な身体が求められる。だからセシリアはできあいしてくる両親にびようを押し通し、必死で病弱設定を作りあげたのだが、それはいまだに真価を発揮していなかった。

(まぁ、病弱設定のおかげで社交界に出なくてすんだし、今だって学院に通ってなくても他の貴族の人たちにしんがられないんだけどね……)

「本当に友人なのか?」

 思考の海にしずんでいたセシリアを、オスカーのげんな声が現実に引きもどす。

 セシリアはほおを引きつらせた。

「えぇっと……」

殿でん、正確に言えばセシルは俺と友人なのです」

 その時、背後から聞き慣れた声が聞こえてきて、セシリアは振り返った。そこには見知ったひとかげがある。

「ギル!」

「そうだよね、セシル?」

「あ、うん!」

 ギルバートはセシリアのかたつかむと、そっと自分の方に引き寄せた。

「ギルバートか」

「お久しぶりです殿下。彼──セシルは俺の古くからの友人で、姉とも俺経由で知り合いになりました」

「ギル、どうしてここへ?」

「久しぶりに昼食をいつしよにどうかなって思って、クラスにさそいに行ったんだ。そしたら、殿下からサロンに呼び出されたって聞いて……」

 クラスのだれかがメモの内容をぬすみ見ていたらしい。

 こうしやく子息のギルバートは、もちろんこのサロンに立ち入ることを許可されている。なので話を聞いた後、すかさずフォローに来てくれたのだろう。

(ギルー! ありがとう!!)

 思わずなみだになってしまう、セシリアである。

「そうか。では一応、シルビィ家とはつながりがあるということだな。しかしなぜ、お前がセシリアのハンカチを持っていたんだ?」

 ギルの演技もあり、セシルとセシリアが知り合いというのは信用してくれたようだったが、オスカーのついきゆうはやまない。

「そ、それは……」

「姉が貸したんです。セシルと姉は昔からとても仲が良く、遊んでいましたから」

「社交界には毎夜欠席しているぞ」

「ご存じの通り、姉は身体からだが強くありません。この学校にもざいせきしていますが、ほとんど姿は見せられないようなじようきようで。会う時は大体家で会っています」

 あまりにもかろやかに義弟おとうとの口からうそが飛び出るので、セシリアは目をいた。自分ではこうも上手うまくはいかない。

「俺も何度か面会を申し込んだことがあったが、一度も会えたためしがないぞ。なのに、なぜセシルは会えるんだ?」

「それは、姉が殿下のことをあまり信用してないからでしょう。もしかして、きらわれてるんじゃないですか?」

 ピシリ、と岩にれつが入るような音が辺りに響く。気がつけば、二人は睨み合うような形になっており、話の中心であるセシリアは完全にの外になっていた。

「ほぉ。セシリアが俺を嫌ってると?」

「断定はできませんが。しかし、そうとしか考えられませんよね? ……大体、何度も言っていますように、病弱な姉では国母は務まりません。いい加減、婚約をしていただけないでしょうか?」

「それは君がどうこう言える話ではないだろう、ギルバート。国母は知性や品、貴族としての格を総合して判断するものだ。少し身体が弱いからといってふさわしくないという判断はできない」

 見えない火花が二人の間に散り、セシリアは頰を引きつらせた。

(なんでこの二人、けんしてるんだろう。しかも、前々から同じ話題で喧嘩してるみたいだし……)

 病弱という設定でほとんど社交界に出なかったセシリアとは違い、ギルバートは次期シルビィ家当主として何度も社交界に出ている。きっと二人はその時に知り合ったのだろう。

 そんなことを考えている間に、二人のぜつせんは白熱していく。

「しかし、次代の国王を生み育てるという重責は、心身の健康が何よりも大切だと考えますが」

「何も子供を産むことだけが国母としての仕事ではないだろう。……ギルバート、前々から思っていたんだが、君は少し姉ばなれができていないんじゃないか? そういうのをシスコンと言うそうだぞ」

「十年以上前の思い出を引きずる殿下よりはましかと思いますが。何より俺と姉は姉弟きようだいですが、殿下と姉は他人です。弟が姉を心配するのはごくつうのことではないですか?」

「他人? ……俺とセシリアは婚約者同士だ」

「〝まだ〟婚約者同士のちがいでしょう?」

「そっちだって、姉弟と言ってもしよせん義理だろうが!」

「あいにくですが、俺は『義理』というところに最大のメリットを感じていますので、それはマイナスにはなりません」

 なんの話をしているのかよくわからないまま、セシリアは困り顔で二人をこうに見た。

(とりあえず、二人が案外仲がいいのはわかった)

 ギルバートがあんな風にじようぜつになるところも、オスカーが感情的になるところも、セシリアは初めて見た。きっと二人にしかわからない空気感で、二人にしかわからない、いつものやりとりなのだろう。

(きっと喧嘩友達ってやつなのね!)

 セシリアはそう結論づけた。昔から考えてもわからないことは深く考えないたちなのである。

「まぁ、そうだな。十年以上会ってないのだから、けられるのも無理はないか」

 そうにくにくしげにつぶやきながら、オスカーはセシリアにハンカチを返してくる。

 しかし、彼女がそれを受け取ろうとしたしゆんかん、手首を摑まれ、ぐっと身体ごと引き寄せられた。

「ひっ!」

「殿下!」

 すかさずギルバートが止めようとするが、それは手で制される。

 オスカーはうなるような低い声を出した。

「セシル」

「は、はい!?」

「最近、セシリアに会ったか?」

「ま、まぁ……」

 鏡に映った自分をカウントしていいのなら、毎日会っていることになる。あいまいにうなずいたセシリアにオスカーはくちびるをゆがませた。

たのみたいことがある」

「はい?」

「なんとかして、俺をセシリアに会わせろ」

 それはだれがどう聞いても、明らかに命令おどしだった。



※この続きは文庫でお楽しみください。

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