5-2 元カレは看病する「お安い御用だ」
「結構おっきい家だねー。もともと伊理戸くんが住んでたんだっけ?」
「見た目ほど新しくないんだ。父さんが子供の頃から住んでた家で」
「ふうーん。じゃ、お邪魔しまーす!」
僕が鍵を開けると、南さんは勝手に玄関に入っていった。臆さないなこの人。
「二階?」
「奥の部屋だけど、いきなり君が来たらいくらアイツでもびっくりするだろうから大人しくしててくれないか?」
「えー。びっくりさせようと思ったのに……」
「病人にサプライズは不要だ」
「それもそっか」
思ったより聞き分けがよかった。
南さんを引き連れて二階に上がり、結女の部屋の扉をノックした。互いの部屋を訪ねるときは必ずノックをする──同居するに当たって僕らが決めたルールの一つである。
返事はなかった。寝ているのかもしれない。
「入るぞ」
一応、一声かけて扉を開けた。
引っ越しのダンボール箱はすっかり消え去っていた──代わりに本で
こういう評価になる時点でお察しのことと思うが、あまり女子らしさを感じない部屋だった。強いて言うなら、年代物のキャラクタークッションが床に転がっていることと、化粧水か何かの瓶が机に並んでいることくらいが、なけなしの女子らしさの発露と言えた。
結女は、ベッドに横たわっている。
あるいは授業を受けている間に治るかもと期待していたが、そんなことはなかったらしい。長い黒髪をツインにまとめ、薄手の水玉パジャマを着て、すやすやと胸を上下させている。普段は憎たらしい
「……結女ちゃん、寝てる?」
「みたいだな」
僕たちがベッドに近付くと、結女が長い
起こしてしまったか、もともと浅い眠りだったのか。
「……ん……」
結女は半開きの目で、ぼんやりと僕を見上げた。
そして、安心したかのようにふにゃりと
「…………いりど、くん…………」
んぐがっ!?
という悲鳴を、僕はかろうじてこらえた──この女! 今その呼び方はマズいだろ!
「よ、よう。調子はどうだ?」
幸い小さな声だったし、僕は何事もなかったかのように振る舞う。もし後ろの南さんに聞こえていたとしても、聞き間違いか何かかと思ってスルーしてくれるはずだ。たぶん。
まだ半分寝ているのか、結女は「んんー」とぐずるような声を漏らしたかと思うと──
きゅっ、と僕の服の裾を
「どこ……行ってたの……さみしかった……」
うおおおおおおい!! 結女さーん!! 記憶が一年ほど退行してませんかー!!
まだだ、まだ諦めるな。僕は嫌な汗をだらだら流しつつ、再び何事もなかったかのように装って、後ろの南さんを指さした。
「ほ……ほら。南さんがお見舞いに来てくれたんだ」
「おはよー、結女ちゃーん。だいじょうぶー?」
さっきの結女の甘えたような声は聞こえなかったのか、南さんはいつもそうするように明るく話しかけた──だからだろう、結女のほうも、南さんの顔を見てみるみる瞳に理性を取り戻していく。
「…………あ…………」
ついさっきの自分の言動を思い出したらしい。
顔が
結女は一瞬だけ恨みがましい目で僕を
それから、普段から学校で見せている優等生スマイルを作る。
「わざわざありがとう、南さん……。熱はもうだいぶ下がったから……」
「無理して
家に来る前に寄ったスーパーの袋をがさがさと探る南さん。玄関の前までは僕が持たされていた。
「さすがにそこまでは……申し訳ないわ……」
「いいっていいって! お台所借りるね! 伊理戸くん、手伝って!」
あとは女子に任せて退散しようかと考えていた僕の腕を、南さんがわっしと
「……ええ? 僕?」
「料理、けっこーできるんでしょ? 結女ちゃんから聞いたよ」
……友達相手に僕の話とかするのか、この女。
「……まあ、おじやくらいだったら」
「じゅーぶんじゅーぶん! 行こー!」
南さんに引っ張られる形で、僕は結女の部屋を出る。
妙に背中に視線を感じた。だから、さっきのは僕のせいじゃないだろ……。
「伊理戸くんってさー、結女ちゃんとの仲はどうなん?」
野菜を切り刻んでいるときにそんなことを言われたものだから、危うくおじやに僕の指が入りそうになった。
「な……仲って、なんの?」
「そりゃあ、きょうだい仲だよー」
「あ、ああ……きょうだい仲……」
そりゃそうだよ。落ち着け僕。
南さんは卵をちゃかちゃかかき混ぜながら、
「去年までさー、赤の他人だったわけでしょ? それがいきなりきょうだいになってー、同じ家で暮らすって、できるもんなのかなーってさあ。それも、ほら、同い年の男女なわけだし」
本当に赤の他人だったほうがマシだったかもな、と僕は思った。
マイナスよりはゼロのほうが、まだしもストレスは小さかっただろう。
「……まあ、やれば何とかなるものだよ。確かに気を遣うことも多いけど」
「気を遣うこと? 例えば?」
「そうだな……」
僕は考えた。
「一番は、風呂かな……」
「えー? 着替え中に鉢合わせたりしちゃうの、やっぱ?」
「そうならないように気をつけてるんだよ、お互いに」
「なんだ。鉢合わせたことないんだ。つまんないの」
そんなことになったら死ぬ。僕かあいつのどっちかが。
「あたし思うんだけどさあ。こんな環境だと、難しくない?」
「何が」
「彼女できたらどうすんのー? 連れ込みにくくない?」
「は?」
僕は隣のムードメーカー系小動物女子を見返した。
「……僕が彼女なんか作るタイプに見えるか?」
「作るっていうか、いたことあるでしょ、伊理戸くん」
心臓が跳ねた。
迷いのない断言だった。あまりに迷いがなさすぎて、一瞬、スルーしそうになったくらいだ──どうしてわかった?
南さん……もしかして、知ってるのか?
「いやー、あたし、そういうのなんとなくわかっちゃうんだよねー。女子への接し方とかからさー。あー、この人は彼女いたことあるなー、って」
南さんは「へっへー」と健康的な歯を見せて得意げに笑う。
な、なんとなく……? 超能力かよ。
「今はいないっぽいけどね。どう? 当たり?」
「…………ノーコメント」
「おおっと。そう来ましたか」
南さんはご飯や僕が切った野菜を鍋に放り込むと、といた卵を円を描くようにして入れた。慣れた手つきだ。
「まあ言い触らす気はないけどね。でも、もしまた彼女ができたらどうする?」
おじやが徐々に煮えていく。
「……できないよ。作る気ないし」
「できたら、だよ。結女ちゃんに紹介するの?」
その仮定に対しては──なぜだか、するりと答えが出てきた。
「しないんじゃないか。別に許可を取る必要もないし、なんかめんどくさいし」
「ふうん。……それじゃあ結女ちゃんは、もしキミに彼女ができてもわからないわけだ。結婚でもしない限り」
「まあそうなるかな……」
結婚となったら、話は別だろうしな──どうにも想像が難しいシチュエーションではあるが。
「なるほどなるほど。なるほどねー」
「……なあ。これってどういう意味の会話なんだ?」
「やだなー。雑談に意味なんてあるわけないじゃーん!」
そりゃそうか。
南さんのペースにすっかり