5-3 元カレは看病する「お安い御用だ」

「はい、結女ちゃん。あ~ん」

「じ、自分で食べれるわ……」

「だーめ。病人なんだから。あ~ん」

「あ、あーん……」

 ちらちらと恥ずかしそうに僕のほうを見ながら、結女は差し出されたレンゲを口に入れる。

「あふっ……」

「熱い? ふーふーしよっか?」

 ……僕は何を見せられてるんだろう?

 すっかり退室のタイミングを見失ってしまったが、この場に僕という存在は必要なんですかね? 女子高生は女子高生同士仲良くやっててくださいってことで自室に戻ったらダメなんだろうか。

 百合ゆりめいた光景を見せつけられること数分。

 冷静に考えてみると、もし南さんがお見舞いに来てくれなかったら、あの『あ~ん』、僕がやる羽目になっていたかもしれないんだよな……。

 そう思うと、南さんが来てくれて本当によかったと思える。もしそんなことになったら、僕にとっても結女にとっても末代までの恥になるからな……。

「ふう……。ごちそうさま。おいしかった」

「おそまつさまでしたー。全部食べれたね!」

「ありがとう……何から何まで……」

「半分は伊理戸くんが作ってくれたんだよ。あたしは味付けしただけ! それじゃあ……」

 南さんはちゃきちゃきと食器を重ねると、それを載せたお盆を持って立ち上がった。

「あたし、これ、洗ってくるから。伊理戸くん、結女ちゃんの相手したげててー」

「ああ。……って、は!?」

「じゃあよろしくー!」

 南さんはちょこまかとした動きで部屋を出ていった。止める暇さえなかった。

 部屋には、僕と結女だけが残される。

 ……なんてことだ。

 やっぱりさっさと退散しておけばよかった。

 こうなったら逃げることはできない。僕は渋々、ベッド脇の床に片膝を立てて座った。

 再び枕に頭をうずめた結女が、なぜか僕のほうをじっと見ている。

「……なに」

「……べつに」

 ぶっきらぼうに尋ねると、これまたぶっきらぼうな声が返った。目も合わせてこない。

「感じの悪いやつだ……。言っておくが、君が起きたときのあれは、完全に君のせいだからな。むしろ僕はフォローしてやったんだ」

「わ、わかってるわよ……! あれは、ちょっと、意識が混濁してただけで……」

 結女はふてくされたように肩まで布団を被り、背中を向けた。

 そっちのほうが僕も気楽でいい。病人は大人しく寝ているがいい。

「…………ずいぶん、仲良くなったのね」

 だというのに、この女は背中を向けたまま、余計なことをぼそっとつぶやいた。

「はあ? 仲良くなったって、誰と?」

「……南さんとよ。二人でおじやなんて作っちゃって……」

「……………………」

 僕は一瞬だけ、考える間を取った。

「……念のためにくが、それは『私の大切なお友達にあなたごときくだらない男が近付くなんて不快です』という意味に取ればいいんだよな?」

「……………………」

 結女もまた、考えるような間を取った。

「……ええ、そうよ」

「そうかい。じゃあ答えるが、仲良さげに見えるのは南さんのコミュ力のなせる技だ。知ってるか。本物のコミュ力強者は、誰が相手でもなんとなく仲良さそうに見せることができるんだ」

「まるで私が偽物だとでも言いたげね……」

「言いたげじゃなくて言ってるんだよ、高校デビュー」

「デビューじゃない……」

 答える声には、あまり力が籠もっていなかった。

 食事をしてだいぶ元気も出てきたようだが、まだ本調子には程遠いらしい。

「もう寝ろ。風邪を治すにはとにかく寝るのが一番だ」

「……また……どこか行くの?」

「行かないよ。今日は家にいるって」

うそよ……前は、帰っちゃったもん……」

 結女の声は、寝ぼけたような、ふにゃふにゃ柔らかいものに変わりつつあった。眠気が来ているのか?

「……前って、いつの話だ?」

「前……手、握っててって言ったのに……起きたらいなくて……」

 ……ああ、そうか。

 一昨年、冬の足音が忍び寄る頃。

 前に僕が、こいつのお見舞いをしたときの……。

「……家、まっくらで……私、さみしかったのに……」

 あのときは、いつ由仁さんが帰ってくるかわからなかった。というか、手を握るのは眠るまででいいんだと思っていた。僕に落ち度はない。

 ……でも。

 僕はあのとき、帰り道で由仁さんとすれ違った──なのに家が真っ暗だったということは、僕が帰ってすぐに目を覚ましたのだろう。手から僕の体温が消えて、すぐに……。

 ……ったく。

 この女の風邪には、記憶が何年か戻るって症状でもあるのか? とんだ奇病だな。

「…………ほら」

 僕は、結女の顔の前に手を差し出した。

「今度は、どこにも行かないから。ずっと握っててやるから。……もう寝ちまえ」

「……ん……」

 結女は、目を覚ましたときにもそうしたように、安心した笑みを浮かべた。

 きゅっと、両手で、差し出した僕の手を握る。

「……ありがと、伊理戸くん……」

 そして──そのまま、僕の手を胸の中に抱いた。

「ばッ……!」

「んふ……」

 結女は満足そうにほおを緩ませて、寝息を立て始める。

 大きく胸が上下して、そのたびに僕の手の甲にふわふわとしながらも吸いついてくるような刺激がうごがががいぎがいががぎゃぎゃぎゃぎゃ!!

 このままでは、僕は病身のきょうだいにセクハラを働いた汚名を着せられてしまう! おのれぇぇぇ……!! ウイルスにむしばまれていてさえ僕をおとしめるのか、この女!!

 ……握っていてやると言った以上、手を放すことはできない。

 僕は結女を起こさないように、そうっと手の位置をずらした。

 どうにかノートラブルな位置に落ち着いて、ほっと一息つく。もしあんなところを南さんに見られていたら、一体どうなっていたか……。

 ……あれ?

 そういえば、遅いな、南さん?



 南さんは、結女が寝入ってすぐに戻ってきた。

「やー、ごめんごめん。ちょっと電話がさー」

 家から電話があったらしい。そろそろ帰らなければならないということで、僕は彼女を玄関まで見送った。

 もちろん南さんが部屋に帰ってきたときには握った手を放さざるを得なかったし、こうして玄関まで見送りに出るのも手を握ったままでは不可能だ。一昨年の綾井も、このくらいなら許してくれることだろう。

「ね、伊理戸くん。帰る前に、ひとつだけ訊きたいんだけど……」

「うん?」

 玄関先で不意に振り返って、南さんはいつもと変わらない調子で言った。


「結女ちゃんと伊理戸くんって──ただのきょうだい、なんだよね?」


 不意打ちで放たれた、それは言葉のやりだった。

 僕の心臓を突き刺したそれは、ほんの一瞬の空白を、会話にもたらした。

 それでも──一瞬。

 わずか一瞬だけで、僕は持ちこたえる。

「──きょうだいだよ。ただし、義理の」

 南さんは僕を見上げて、「あー!」と納得の声をあげた。

「義理のきょうだいかあー! ただのじゃなかったね! そうだったそうだった!」

 たんたんっ、とステップを踏むようにして、南さんは僕から──僕たちの家から離れる。

「それじゃあ、お邪魔しましたー! お大事にー!」

 そして、何の変哲もない別れの挨拶を口にして、我が家を去っていった。

 頭の後ろのポニーテールは、最後までぶんぶん揺れていた。



 その後。

 父さんと由仁さんの帰りが遅くなるという連絡が入り、業腹なことに僕は結女の世話を続行する羽目になった。

「アクエリアスのみたい」

「こぼすなよ」

「アイス買ってきて」

「……種類は?」

「本欲しい。お金ちょうだい」

「あげるか!!」

 うたた寝から目を覚ました結女はわがまま放題で、あわれ僕はパシリのような有様になった。とはいえ、相手が病人とあればそう強くも言えない。

「……手。もっかい、握ってて」

「……はいはい」

 だからこういうことも、甘んじて受け入れなければならないのだ。僕は普段のこの女のような悪鬼羅刹ではないので、病人の願いを無下にしたりはしないのである。

 が。

「おい。そろそろ一回、熱計るぞ」

「……え?」

「一日中寝ててまだ下がらないって、タチの悪い熱かもしれないだろ。まだ38度あるようだったら病院に──」

「い、いや……大丈夫! 大丈夫だから!」

「大丈夫かどうかを確認するために熱を計るんだろうが。ほら、わきに挟め」

「いーやー!!」

 なぜか強硬に抵抗する結女に、半ば、体温計を腋に挟ませる。

 それから数秒後。体温計に表示された数字に、強く打ちのめされている僕がいた。

「…………36度5分」

 ド平熱であった。

「……………………」

「……………………」

 体温計から結女のほうに視線を移すと、この女、すっと目をらしやがった。

「……貴様……いつから治ってた?」

「…………ノーコメント…………」

「まさか、南さんが帰った頃からじゃないだろうな……? もうすっかり治ってたくせに、病人のふりして僕をこき使ってたわけじゃないだろうな!?」

「ノーコメントーっ!!」

「……あれ? それじゃあ、手握っててくれってアレも……」

「~~~~~~~っ!!」

 結女は悲鳴のようなものをあげて布団の中に潜り込んだ。

「おいこら! 逃げるな健康優良児!!」

「い、いやっ! いやよっ! 大事を取って今日はこのまま寝るっ!!」

「もう充分寝ただろ! 人の優しさに付け込みやがって!!」

「きゃあーっ!!」

 布団をひっぺがし、結女をベッドから転がり落とす。

 もうさっぱり熱っぽさのない顔を見下ろして、僕は声を落とした。

「言うべきことがあるよな?」

「……えっと……」

「それとも、もう一度手を握っててやらないと言えないか?」

 熱とは別の理由から、結女の顔が信号機のように赤くなった。

「……け、仮病を使ってすいませんでした……」

「よろしい」

 僕はかがみこんで、床に転がった結女を助け起こす。

 背中がだいぶ汗ばんでいた。

「まあ……病み上がりなのには違いないからな。不問に付してやろう。とりあえず今日は着替えてご飯食って寝ろ」

「……あなたが優しいと気持ち悪いんだけど」

「お褒めにあずかり光栄だ。僕に手を握ってもらわないと眠れない結女さん」

「…………っ!!」

 結女は再びベッドに飛び込み、頭から布団を被る。

「聞こえないっ! 何にも覚えてないっ! 着替えるからさっさと出てけっ、変態弟!!」

「行ったり来たり消えたり出たり、都合のいい記憶だな……」

 やれやれ。

「じゃあ夕飯用意してくるから……一つだけ、リクエストを聞いてやろう」

 結女は布団から目元まで顔を出すと、極めて聞き取りづらい声で、ぽつりと言った。


「…………勝手にどこか、行っちゃダメ」


 ……夕飯なに食べたいか訊いたつもりだったんだけど。

 まあいいか。

「お安い御用だ」

 何せ、一昨年とは違う。

 ここは、僕の家でもあるんだからな。

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