4-3 元カノは測定する「……汗の匂いがする」

 私は南さんに連れられて、身体測定が終わっていた保健室に寝かされた。ちょっと目眩がしただけだから大丈夫だと主張したのだけど、「『ちょっと目眩がした』は全然大丈夫じゃないよっ!」と南さんに強弁されて、私には反論の余地がなかったのだった。

 清潔な白いベッドに身を横たえて、しばらく目をつぶると、疲れが溶けるように抜けていった。

 ……自分で思うよりもずっと疲れがまっていたのかもしれない。お母さんが再婚して、引っ越しして、家族が増えて、高校生になって……環境もだいぶ変わったからかな……。

「ごめんね、伊理戸さん……。あたし、伊理戸さんが疲れてるの、全然気付けなくて」

「いえ、いいの……。私が、妙にを張ろうとしたのがいけないんだから……」

「見栄?」

 あの男の、飾らない振る舞いを見たからだろうか。私は意外なほどあっさりと、南さんに白状していた。

 本当は運動が苦手なこと。それを知られたくなくて、無理をして体力測定に備えていたこと。洗いざらい、私は話した。

 南さんがこの程度で友達をやめるような子だとは思わないけれど、もしかすると多少は幻滅されるかもしれない。……けど、それならそれで仕方ない。一年前とは丸っきり変わった私だけれど、それでも、変えられないところの一つや二つ、あってしかるべきなのだ。

 あの男ほど何もかも変わらないのはどうかと思うけど。

「……ふふっ」

 ガッカリした反応を覚悟した私だったけど、実際に目に映ったのは、南さんのうれしそうな微笑だった。

「な~んか、親近感湧いちゃったなぁ、あたし」

「え? なんで……?」

「伊理戸さんって、正直近寄りがたいとこがあったんだよねー。美人で、頭も良くて、ほら、たかはなってやつ? いやぁ、でも、そっかぁ。運動音痴でりなんだ~」

「……あの。今、ちょっとイラッとしたんだけど、怒ってもいい?」

「いいよん。怒った伊理戸さんも見てみたい!」

「じゃあ、ちょっと失礼して──こ、こら」

 ベッドに横たわったまま手を伸ばして、南さんのおでこをこつんと小突く。

 ……怒るのに慣れてなさすぎだった。

「ぶふっ……あはははははっ! 『こ、こら』って! かーわーいーいーっ!」

「……わ、笑わないで……。途端に恥ずかしくなってきた……」

 もぞもぞと布団に潜り込んで顔を隠す。ありとあらゆる経験が不足しすぎだ、私……。

「ね、伊理戸さんっ!」

 薄い布団越しに見える南さんの影が、ベッドの私をのぞむようにした。

「『結女ちゃん』って、呼んでもいいかなっ?」

 な……名前呼び!

 と、友達に名前で呼ばれるのなんて初めて……。というか、家族以外に名前で呼ばれること自体初めてかもしれない。うわぁ、なんか、ちょっと、むずがゆい!

「あれ? 結女ちゃん? 結女ちゃーん? いいの? ダメなの? どっち?」

 私はしばらく布団の中でもだえした末、目元だけをひょっこりと外に出して、不思議そうな顔の南さんに、精一杯の声を絞り出す。

「い……いい。大丈夫。というか……あ、あの、ぜひ」

 それから、私はふと思った。こっちが名前で呼ばれる以上は、私のほうも名前で呼ぶべきなのでは?

 ……よし。よしよしよし。やるぞやるぞ。これも成長の一歩……!

「あ……あか……あ……」

 ──うあああああ! な、なんか恥ずかしい! 友達同士で名前呼びなんて……! そんなの、まるで親友じゃない! お、恐れ多い……。まだ会って一週間くらいなのに……!

 あ、あか、あ──と、凄惨な事件の記憶を思い出してPTSDを発症してしまった重要参考人みたいな風になっていると、あか──南さんはなぜかにんまりと笑顔になった。

「よしよし。ゆっくりでいいからねー。徐々に慣れていこうねー」

 そして母親のように私の頭をで始める。

 これ、馬鹿にされてない!?

「……これからよろしくお願いします、南さん」

「ありゃ。『暁月』って呼んでくれないんだ。っていうか敬語!」

 私たちは数秒、顔を見合わせると、くすくすと肩を揺らして笑い合った。

 ああ──私……友達、できたんだなあ。



 しばらく横になっていたら、体調はだいぶよくなった。着替えて帰るくらいならできるだろうと、私は南さんと一緒に保健室を出る。

 二人とも体操着のままだから、まずは更衣室に向かおうと昇降口に向かうと、ブレザー姿のとある男子が上の階から降りてきた。

「あ」

「……………………」

 その男──伊理戸水斗は、斜めにゆがみまくったネクタイを隠そうともしないまま、無言で私のほうを見やった。

 ……さっき、私、この男に、助けられた……のよね。

 この男には、校庭に来なければならない用なんてなかったはずだ。だから、たぶん、私の調子が悪いのに気付いて、体育館からわざわざ追いかけてきた──

 ……一応、お礼を言うべきよね。礼儀として。人としての。そう、一般常識のある人間として、当然のこととして。……よし。

 私は意を決して口を開いた。

「……その。さっきは──」

「目」

 機先を制するように、水斗は不意に私の目を指差した。

くま、できてるぞ」

「……えっ? うそっ!?」

 慌てて手鏡代わりのスマホを取り出そうとした私に、

うそだ」

 水斗はにやりと意地の悪い笑みを残して、すたすたとばこのほうに歩き去っていった。

 …………はあああ!?

 なんなの!? なんなの、あいつ!? 珍しく優しかったと思えば、何、今の無意味な噓!

 くううう……。そうだ、忘れていたわ。あいつはああいう男なのだ。私が困っているのを見るのが何よりも好きな、性悪最低野郎。こうなると、校庭に来ていたのも私がみっともなく見栄を張っているのを見物していたからなんじゃないかと思えてくる。いや、そうに違いない! ああもう、最悪! ほんっっと別れてよかった!

 私が憤然と義弟の背中をにらんでいると、隣の南さんがぽつりとつぶやいた。

「……伊理戸くん、結女ちゃんにはすっごく優しいんだね」

「え? どこが!?」

「どこがだろうね~」

 南さんは棒読み気味に言うと、たんったんっと大きく足音を鳴らして廊下を歩いていく。

 ぶんぶん揺れるポニーテールを眺めながら、私は首をかしげるばかりだった。

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