1-3 元カップルは呼びたくない「そういうところが嫌いだったんだよ」
「いや、いや、待て待て待て」
僕は頭を抱えるようにした。
「君が? 姉さん? 僕の? ……馬鹿も休み休み言え。逆だろ」
「は?」
「『兄さん』だ。僕が、君の。君が妹に決まってるだろ」
何をほざいてやがるんだ、こいつは。
「……やれやれ。どうやら脳細胞がだいぶお休みになっているようだわ、この義弟は」
「貴様を休ませてやろうか。永遠にな」
「数学の全国模試二桁台の私が説明してあげるわ。よく聞きなさい」
現国よりも数学のほうが得意とは、読書家にあるまじき女め。許せねえ。
結女は教師ぶった仕草でピンと人差し指を立てる。
「この世に生まれたのがより早かったほうが、姉ないしは兄になる。これが前提その一。そして私は、あなたより生まれたのが早い。これが前提その二。よって、私が姉になる。これが結論。わかった?」
結女が得意げに並べ立てたのは数学じゃなくて論理学だったが、それよりも僕には聞き捨てならないことがあった。
「……僕の記憶が正しければ、僕と君の誕生日は、ピッタリ一致するはずなんだが」
そう、これも神様のトラップだ。
僕とこの女は、誕生日がまったく同じなのだ。
だから意気投合したってわけでもないが、まあ一応、『じゃあ一緒に誕生日を祝えるねっ』などとおぞましいことを言い合い、互いへのプレゼントを交換するなどという悪しき儀式に手を染めた記憶もないではない。ロックしてゴミ箱に叩き込んだ記憶だが。
「だから、僕らに兄だの姉だのは存在しないだろ」
「さっきは私が妹だと声高に宣言していたように思えるんですけど?」
義姉と義妹なら、なんとなく義妹のほうがしっくりくるというだけの話だ。他意はない。
「どちらにせよ、この前提が揺らぐことはないわ。ピッタリ一致するのは誕生日だけ――誕生時については、その限りではないんだからね」
「誕生時?」
「調べはついてるの」
刑事みたいなことを言い、結女はスマホを取り出して画面を僕に突きつけた。
「見て」
スマホの画面には、赤ん坊の写真が映っている。アルバムのページを映したもののようで、写真の下に文字があった。
「あなたの誕生時は午前11時34分」
画面をスワイプして次の画像に移す。同じように赤ん坊を映した写真で、結女はその中に映り込んだ時計を指差した。
「そして、この写真によれば、私は少なくとも午前十一時四分にはすでに生まれている。最低でも三〇分、私のほうが早く生まれたの。わかった?」
…………こいつ、マジか。
たったこれだけのために、僕の家のアルバムまで引っ繰り返して、調べてきたのか。
「ひくわー」
率直な感想を述べると、結女はかっと顔を赤くした。
「なっ……何でよっ!? 完璧な推理には完全な証拠が必要でしょ!?」
「出たよ、本格ミステリマニア。そんなにパズル性が大事なら素直にパズルやってくんない?」
「うわっ、売った! 本格ミステリ界全体に喧嘩を売った! 買うわよいくら!?」
「まあ、フェアだアンフェアだと騒ぐ割には解決編前に推理したりはしない君のお遊びにあえて乗るなら、残念ながらその論証には穴がある」
「何よ穴って! あなたの目ん玉のことでしょこの節穴っ!!」
図星を突かれてお怒りモードのなんちゃってミステリマニア(読者への挑戦状はスルーするタイプ)に、僕は反証を提示する。
「『この世に生まれたのがより早かったほうが、姉ないしは兄になる』――君はこれを前提としたが、ここには誤謬がある。古来、日本では、双子のうち先に生まれたほうを弟や妹としたんだ」
「えっ? どうして?」
普通に興味を引かれた顔で、結女は小首を傾げた。
「先に生まれたほうが兄や姉のために露払いをするからとか、後に生まれてくるほうが子宮の中では上にいたからとか、いろいろ説はあるが、とにかく、同じ日に生まれた義理のきょうだいである僕たちを義理の双子と見なした場合には、先に生まれた君のほうが妹ということになる。はい、反論は?」
「わ……私たちは、別に双子じゃないし……」
「それを言ったら、そもそもきょうだいじゃない。ただの連れ子同士ってだけで」
「うっ……ううう~……」
結女は悔しげに唸りながら、恨みがましい目で僕を睨んだ。ははは。大人しく僕にひれ伏すがいい。
「……って、ちょっと待って?」
「待たない。出ていけ」
「今の双子の順序がどうこうって、昔の話でしょ? 今は先に生まれたほうが上じゃ……」
「……チッ。大人しく騙されとけよ」
「あっ!? は、謀ろうとしたわね!?」
「とにかく、兄は僕だ。はいQED。解散解散」
「私が姉よっ! あなたの妹とか怖気が走るわ!」
僕らは正面から睨み合った。視線が火花を散らす、と言ったらそれは少々オブラートに包んだ表現になる。僕には視線と視線が山田風太郎作品ばりに斬り結び、血飛沫を散らしているように見えた。
剣呑さを増す結女の瞳の中で、天草四郎辺りが魔界転生しそうになっているのを見るにつけ、僕は溜め息をついて意気を散らす。
「……このまま睨み合ってても埒が明かない。ここは何かゲームで決めるっていうのが理性的な人間のやり方だろう」
「言い方は鼻につくけど、その通りね」
「どうする? ジャンケンか、くじ引きか、コイントスか」
「ちょっと待って」
「待たない。出ていけ」
「自動的にそう言うのやめなさいよ!」
おっと。Botを切ってなかった。
結女は口元に手を添えながら「そうね……」と賢ぶる。
「……どうせなら、こういうのはどう?」
「全否定したいのは山々だが、幸いにも僕は理性的な人間だ。聞いてやろう」
「腹立つ……。私たちはこれから、本当の関係を隠して、そこそこ仲良しの義理のきょうだいとして暮らしていかなければならない。そうよね?」
「誠に遺憾ながら」
「今のところは大丈夫だけど、そのうちどちらかがボロを出すかもしれない――つまり、義理のきょうだいらしからぬ言動をしてしまうかもしれないでしょ? そうしたら負けっていうのはどう?」
「ふむ……。いいのか?」
「何が?」
「このルールだと、まず間違いなく僕が勝つが」
「馬鹿にしてるでしょ!」
事実を参照した上での論理的な推察である。
「……まあ、それでいいぞ。緊張感が出て、僕らの関係を隠すのにも一役買うだろう。……ちなみに、このルールは父さんや由仁さんがいない場所でも適用されるのか?」
「もちろん。今この場でもね」
「なるほど。『義理のきょうだいらしからぬ言動をしたほうが弟妹になる』か」
「一回の負けにつき一度だけね。具体的にどう『弟』や『妹』をさせるかはその時々で決める」
「一発即死じゃあんまり意味ないか。オーケー。それで」
「じゃあ、今この時点から――スタート!」
パン! と結女が手を打ち合わせた――その直後である。
結女がすすっと僕の本棚の前に移動し、当たり前のようにその中を漁り始めた。
「ちょっ……勝手に何してる!?」