1-2 元カップルは呼びたくない「そういうところが嫌いだったんだよ」

「……ご馳走さま」


 綾井が――じゃない、結女が素っ気ない声で言って、夕飯の食器をちゃかちゃかと重ねた。それを持ってキッチンのほうに向かう。

 ……くそ。タイミングが悪いな。僕もちょうど食べ終わってしまった。このまま黙って座っているのもおかしい。


「ご馳走さま」


 僕も食器を重ねてキッチンに向かった――そこには自分の食器を洗っている結女がいる。

 うざったく伸びた長い髪は、清楚気取りの濡羽色。スタイルは不健康に細っこく、キッチンではなく井戸の中にでも立って、皿を洗うのではなく数えるのがお似合いといったところだ。

 結女は長い睫毛を伏せたまま、チラッと僕に目を向けた。何も言わない。カチャカチャと食器の音だけを鳴らす。

 僕のほうにも話すことなどない。無言で彼女の隣に並び、皿を洗い始めた。

 できればこの女とキッチンに並んで立つなんてシチュエーションは御免被りたかったが、変に避けるのも問題だ。何せ――


「いやあ、年頃の男女がいきなり同居なんて、正直どうなることかと思ったが、意外とうまくやれてるみたいでよかったよ」


「ほんとに! 今日も水斗くん、結女と一緒に本屋さんに行ってたのよ? やっぱり同じ趣味があると仲良くなるのも早いわね!」


「ひと安心だよ。一番の不安の種だったからね」


 ダイニングテーブルで、僕の父親と結女の母親が嬉しそうに話している。

 再婚したばかりの二人は、毎日本当に幸せそうだ――僕たち子供とは正反対に。


「……わかってる?」


「……何が」


 ジャーッという水の音に紛れさせるように、隣の結女が小さく話しかけてくる。


「二人を後悔させるようなこと、しちゃダメだから」


「わかってるよ。僕と君の関係については、墓場まで持っていく」


「よろしい」


「……いちいち上から目線だよな。いつからそうなったんだ」


「昔は違ったんだとしたら、百パーセントあなたのせいよね」


「はあ?」


「なによ」


「おーい! 二人ともー! 何を話してるんだー?」


 ダイニングから父さんが声をかけてきて、僕たちは剣呑な表情を引っ込めた。


「ちょっと、今日買ってきた本について、ちょっと」


「ええ、はい、そうです。本について話していたんです」


「――いでっ」


 結女が明るい声で答えながら、見えないところでローキックをかましてきた。


「(『ちょっと』は二回もいらないでしょ。現国の成績大丈夫?)」


「(お生憎様。現国は全国模試二桁台だ。君も知ってるだろ)」


「(……ムカつく。それを『すごーい』とかおだてていた過去の私に)」


「(僕もムカつくよ。それを素直に受け入れていた過去の自分にな)」


 表面上は、良好な関係を築けている義理のきょうだいを演じる。

 僕たちの関係を知ることで、父さんと由仁さんに、再婚したことを後悔させるようなことがあってはならない――

 それが、僕と結女の間に成立した、たった一つの共通見解だった。

 逆に言えば、それ以外は何一つ成立してないってことなんだけど。



 自室で今日買ってきた本を読んでいると、コンコン、とドアがノックされた。


「父さん? なに?」


 答えはなかった。読書を中断するのは億劫だったけど、無下に扱って新婚気分に水を差すのも忍びない――僕は本に栞を挟んで立ち上がり、部屋のドアを開けた。

 廊下に立っていたのは、僕がこの世で最も忌み嫌う女だった。

 つまり、伊理戸結女である。


「……なに」


 さっきより温度が百度くらい下がった『なに』をもってして、僕は結女を出迎えた。

 結女は「ふん」と鼻で笑ってツンと顎を上げる。『その程度の冷たさじゃ冷えピタにもならないわ』とでも言いたげだ。

 今の心境を幾重ものオブラートに包んだ上で表現すると、ぶっ飛ばしてえ。


「話したいことがあるの。今、暇?」


「暇なわけないだろ。僕が今日、何を買ったのか、君も知ってるはずだよな?」


「知ってる。だから来たの。私は読み終わったから」


「チッ」


 僕の読書を狙って邪魔しに来たらしい。

 付き合っていた頃から、読む速度はこの女のほうが少しだけ早かった。同じタイミングで本を買い、同じタイミングで読み始めれば、僕がちょうどクライマックスに差し掛かった辺りでこの女が先に読み終わるってことだ。

 超陰湿。

 そういうところが嫌いなんだよ。

 別れてよかった。


「……なんだよ。手短に話せ」


「中に入れなさいよ。お母さんたちに聞かれたくない」


「チッ」


「いちいち聞こえよがしに舌打ちしないでくれる?」


「君が僕の視界から消えてくれたらすぐにやめる」


「チッ」


 父さんや由仁さんの姿がないか、注意深く廊下を見回してから、結女を部屋に入れた。

 結女は足元を見ながら、部屋の奥に入っていく。


「本だらけできったない部屋。いるだけで汚れていきそう」


「以前、父さんの出張中にこの部屋に来た君は、『すごい……! 書庫みたい!』と目を輝かせていたけどな」


「諸行無常ね。今となっては、シャーロック・ホームズ全集の全巻が整然と並んでいることにすら、果てしのない苛立ちを感じるわ」


「そのまま死ね。モリアーティ教授よろしく滝壺に沈めてきてやる」


 僕は吐き捨てて、半ば本に埋もれているベッドに腰を掛けた。


「で? 話って?」


「そろそろ限界なの」


 結女は立ったまま、冷然とした表情で告げた。


「もう、これ以上、堪えられない――私はいつまで、あなたに『結女さん』だなんて、下の名前で気安く呼ばれ続けなきゃいけないわけ?」


 僕は眉をひそめる。こいつ相手に不快感を隠す必要はない。


「僕も呼ばれてるんだが? 『水斗くん』って」


「自分が呼ぶのはまだマシなの。あなたに下の名前で呼ばれることに耐えられない。付き合っ――中学生の頃ですら、許してなかったのに」


『付き合っていた頃』と口にするのも嫌か、そうかそうか。


「苗字が同じなんだからしょうがないだろ。他にどう呼べと?」


「あるでしょ? 相応しいのが」


「どんな?」


「『お姉ちゃん』」


 ……は?


「私たちは姉弟なんだから、『お姉ちゃん』って呼ぶのが筋ってものでしょ」

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